内戦と傭兵 #1
(……最っ悪! どうしてこんな事になってんのよー、もうー!……)
サラは、苦虫を噛み潰したような顔で、ナザール王都の城下町を歩いていた。
オレンジ色のコートのフードを目深に被り、カツカツとブーツの音を響かせて、足早に石畳の道をゆく。
真っ直ぐなようで実は緩やかに曲がっている細い路地を行く内に、やがて三叉路に出た。
サラは、少しためらった後、右の道を選ぼうとしたが、その時……
「……違うぞー、サラー。王城に行くなら、そっちの道じゃないぞー。逆逆ー。……」
どこからか、声が聞こえてきて、サラは思わず、苛立ちからギリッと奥歯を噛み締めていた。
クルッと素早く振り返ると、10m程離れた道の脇に積まれた木箱の後ろに、サッと隠れる人影があった。
(……まったく、一体どこまでついてくるつもりよぅ!……いや、ダメダメ! 無視よ、無視! 変に反応するとつけ上げるだけだもんね!……)
サラは、フウッと息を吐いて気持ちを落ち着けると、再びクルッと前に向き直って歩き出した。
そして、今度はきっちりと、左の道を選んで進んでいった。
□
「それで、サラはこの王都にどうして来たんだ?」
ティオがそう切り出してきたのは、食堂での食事も終わりに近づいた頃だった。
テーブルの端に重ねられていた食べ終わった木の皿は、もう給仕の女性にすっかり片付けられ、二人の前には、それぞれ一つづつ、お茶の入った木彫りのマグカップが置かれているだけだった。
お茶といっても、この辺りで良く取れるある種の香草を日持ちするように天日干し、煮立った湯で煮出したものである。
柑橘系の果物のような香りと独特のスーッとする爽快感があった。
お茶を入れにきた給仕の中年女性は、とても機嫌の良い様子で「ゆっくりしていってちょうだいね。」と言っていった。
料理は食べ終わってはいるが、ここまでの小一時間の内に、サラとティオ二人合わせて軽く大人の男十人分以上は平らげており、店にとってはかなりの上客なので、しばらくのんびりしていてもとがめられる事はなさそうだった。
「どうって……山奥の村からまず近くの町に出てー、そこから定期的に出ている馬車に乗ってー……」
「いや、そうじゃなくって、この都に来た理由を聞いてるんだよ、俺は。」
「それも、もう話したでしょ? 魔獣を退治した村の村長さんに勧められたんだってばー。」
「確かに聞いた。でも、あんな遠い田舎の町からわざわざ何日も馬車に乗ってまで王都に来たのは、何か目的があったんじゃないのか?」
「……うーん、それはぁー……」
サラがこのナザールの王都に来たのは、傭兵になるためだった。
サラが魔獣を倒した山奥の村の村長に、この国は現在内戦が起こっており、そのため王都では傭兵を募集していると聞いた。
『この国の平和のために、是非、サラ殿のその素晴らしいお力をお貸し下さい!』と褒めそやされ、正義感の強いサラは『分かった! じゃあ、この私がチャチャッと戦争を終わらせてみせるよ!』とすっかりその気になったのだったが。
(……でもぅ、それをコイツに言っちゃっていいのかなぁ? ティオのヤツ、どうにも信用出来ないんだよねぇ。……)
サラが、自分の目的を知られたくなくて、うーんと考え込んでいると、ティオがしびれを切らしたように、フウッと息を吐いた。
「サラ、お前、どうせ傭兵になりに来たんだろう?」
「ええ!? な、何で分かったのー?」
「やっぱりな。そんなこったろうと思ったよ。」
「あっ!」
サラはハッとなって慌てて口を押さえたが、既に、うっかりあっさり自白してしまった後だった。
□
ティオは、トントンと、人差し指でテーブルを叩きながら、淡々と喋った。
「俺が聞いた山奥の村の魔獣退治の噂では、旅人は『剣士』だと名乗ったという話だった。二刀流で、魔獣を倒したっていうのも聞いたな。どうやら、噂の凄腕の旅人は『剣』を使っていたらしい。」
ティオのこういう話し方が、サラは苦手だった。
サラには、自分が物凄い美少女だという自負があったが、同時に、自分があまり頭の切れる方ではないという自覚もあった。
方向音痴が酷かったり、複雑で難しい話が理解出来なかったり、言葉は喋れても文字は全く読めなかったり。
そんな自分の「頭を使うのがちょっと苦手な所」にコンプレックスを感じているサラにとって……
ティオのような、頭の回転が速く、理論的に物事を考える事が得意で、知識も豊富なタイプは、苦手意識を感じる相手だったのだ。
そんな相手に、更に、立て板に水でペラペラ理詰めで喋られると、だんだん頭の中がグルグルしてくる。
何か反論しようと頭の中で必死に言葉を考えている内に、目の前の相手は、そんなサラにおかまいなしでどんどん話を進めていく。
サラはいつも、あっという間に取り残され、反論する機会を失ってしまうのだった。
「そして、サラは今、そのコートの下に、剣を持ってるだろう?」
「えっ! き、気づいてたの!?」
「ああ。ゴロツキのリーダーの足に飛びついて止めようとした時に気がついた。そして、その佇まいから剣を持ち歩き慣れているのを感じて、これは俺が助けに入る必要はなさそうだと思ったよ。その時、ゴロツキのリーダーがちょうど良く俺を蹴り飛ばしてきたから、それに乗じて自分で後ろに吹っ飛んで、気絶した振りをしたって訳だ。どう見ても、アイツらよりサラの方が強そうだったからな。……こう、いろんな戦いを経験してきた、そして、それに勝ち続けてきた、そんな強者感っていうのかな? そういう雰囲気があったからさ。」
「へ、へぇー。私、そんな強そうに見えるんだー。」
「まあ、大抵の人間は、サラのその見た目に囚われて、まず気づかないだろうけどな。俺も実際、サラを逃がそうと思わず助けに入っちまったし。今思うと、あれは全くのムダだったよなぁ。」
サラは、ティオが自分に会ってすぐに、剣を持っている事に気づいていたと知って、思わずグッと下唇を噛んだ。
実際、サラが膝下まで隠れるゆったりとした大きめのコートの下に剣を携帯していると、ほぼ気づく者は居なかった。
ティオの言うように、小柄でか弱げなサラの見た目に騙されて全く警戒しなせいだった。
この王都の城門を入った時にも、何の疑いも持たれなかったし、身体検査もないまま通る事が出来た。
(……クッソー。ティオのヤツぅ、ホントに目ざといなぁ。……こういうとこ、なんか見透かされてるみたいで、やな感じー!……)
自分がまだあまり世間の事を良く知らない、いわゆる「世間知らず」な所がある事を、サラは分かっていた。
何しろ三ヶ月前に森の中で一人で目覚める以前の記憶が全くないのだから、現状世間知らずでも仕方がないと言える。
(……ティオ、コイツには、何か絶対敵わないような気がしちゃうんだよねー。それが、凄く嫌だー!……)
もちろん、サラが本気を出して殴りかかれば、簡単にティオを捻り潰す事は可能だ。
腕力では絶対負けない自信がサラにはあった。
けれど、世の中の全てを力だけで片づける事は出来ない。
場合によっては、いや、平常時では、主に会話や議論によって、人と人との間に生まれた摩擦を解消していく必要があった。
しかし、それは、サラが最も苦手とする所のものだった。
そして、おそらくティオはその真逆で、それは彼が最も得意としている所なのだろうとサラは感じた。
頭が良く、喋るのが上手く、口先だけで楽々と人をケムに巻く事が出来る人間。
当然、サラはこういう人間に、到底口論で勝つ事は出来ない。
ティオは、サラがこの三ヶ月の旅路の中で、初めて出会うタイプの人間であり……
そして、サラは、ティオに会って、強く思ったのだった。
(……ホント、コイツ、嫌いー!……)
□
ティオは、チラッと、サラがコートの下に隠し持っている剣の位置に視線を向けたが、すぐに眉を顰めてサッと顔を背けた。
「剣士として旅をしていて、大きな魔獣を一人で倒しちまうぐらい圧倒的に強い。そんなサラが、わざわざこんな荒廃した王都にやってきた理由として考えられるのは、一つしかないだろう?……この街に知り合いが居る訳じゃないってのも、最初に聞いてたしな。」
「そ、そうよ! 私は、傭兵になりに来たの! 戦争を早く終わらせるために、少しでも力になろうと思ったの! 魔獣に襲われてた村の村長さんから、王都で傭兵を募集してるって聞いたから!」
「ったく、保身のために、サラのムダに強い正義感を利用して余計な事を吹き込んでくれもんだよなあ、その村長さんってのも。」
「え? な、何? 今のどういう意味?」
「……」
ティオは珍しく、苦い表情で少し言い淀んだが、やがてキッパリとした口調で言い放った。
「サラ、お前は傭兵に向いてない。悪い事は言わないから、さっさと帰った方がいい。」
「は、はあぁ!?」
サラにとっては全く想像もしていなかった言葉が発せられ、サラはあんぐりと大きな口を開けてしばらく固まっていた。
□
「わ、私の、一体何が傭兵に向いてないって言うのよー! 私が超強いって事は、ティオもさっきその目でバッチリ見てたんでしょうー?」
サラの怒りは激しかった。
サラが、自分の中で自信を持っているもの、誇りに思っているもの……
一つは、その類い稀なる美貌だったが、もう一つは、言うまでもなく、その脅威的な強さだった。
三ヶ月前、森の中で一人で目覚めた時から今に至るまで、その「強さ」があったからこそ、サラは無事でいられたし、ここまで旅を続けてこれたのだ。
そんな自分の強さを否定された事は、サラにとって自分の存在を否定されたと同意義であり、かけがえのない大切なものを傷つけられた感覚だった。
「わ、私は、本当に本当に、凄く強いんだからねー!……ティオみたいな、逃げ足だけが自慢の弱虫の臆病者に、私が傭兵に向いてないなんて、言われたくないー!!」
「ちょ、ちょっと、落ち着けって、サラ! お、俺は何も、サラが強くないとは言ってないだろー?……グエッ!……」
思わずガタンと自分の席を立ったサラが、テーブルを回って、向かいに座っていたティオの首根っこをガッと掴むまで、一瞬の事だった。
ティオは、色あせた紺色のマントごと首を絞められて真っ青な顔になりながらも、なんとか手に持っていたマグカップをテーブルの端に置き、頭一つはゆうに大きい自分を宙に浮かす勢いで片手で掴んでいるサラの華奢な腕を、必死にパシパシと叩いた。
「これでもまだ、私が傭兵に向いてないって言うつもり!? ねえ! どうなのよ? なんとか言いなさいよー!」
「……ンググググ!……ンーンー!……」
窒息しかけているティオは、顔を赤紫色に染めてジタバタするばかりで、とても言葉を喋れる状態ではなかった。
その事にサラがハッと気づいて、ポイッと彼を放したのは、「お客さん!? どうしたんですか? 何かあったんですか?」と、騒ぎを聞きつけた店の店員がワラワラと駆けつけてきた時だった。
店員や周りの客達の混乱し怯えた表情を見て、サラは慌てて、サッと乱れていた服を整えると、自分の椅子に着席した。
サラに手を離された瞬間、ドサッと床に落ちて倒れ込んだティオは、店員に支えられてなんとか起き上がった。
しばらくゴホゴホ激しくむせていたものの、すぐに酷かった顔色が元に戻り、「お兄さん、大丈夫かい?」と心配していた給仕の中年女性に、「なんでもありません。すみません、お騒がせして。」と苦笑を浮かべて答えていた。
立ち上がったティオが、集まってきていた店員達や周りの客に平謝りしたおかげで、なんとかその場は丸く収まった。
店員達は、未だ不安げな表情を浮かべながらも黙って立ち去って行き、こちらをチラチラ気にしていた他のテーブルの客も、厄介ごとには関わりたくないといった様子で、やがて元のように自分達の食事に集中しだした。
その間、サラはテーブルに頬杖をついてそっぽを向き、自分はまるで関係ないとでも言いたげなふくれっ面をしていた。
□
「……サラ、お前、自分の思い通りにいかないものを、なんでも腕力で解決しようとするなよな! その強引な所、直した方がいいぞ、コラ!……」
ティオはまだサラに掴まれていた喉の辺りを押さえて、少し掠れた声でそう言いながら、自分の席に再び腰をおろした。
マグカップを引き寄せて、飲みかけていたお茶で喉を潤す。
さすがに、そんなティオの様子を見て、サラも内心反省していた。
相変わらずティオに対しては、不信感と反抗心と苛立ちがマックスの状態だったが、それでも、無抵抗な彼に怒りに任せて暴力を振るってしまった事に関しては、ちょっぴり後悔していた。
「……わ、悪かったわよ。ゴメン。……でも! ティオが意地悪な事言うんだもん! ティオだって悪いんだからねー!」
「俺は別に、サラに意地悪をしようと思って言ってるんじゃないぞ。ただ、事実を言ってるだけだ。」
「はあぁ!?」
「だ、だから! そのすぐカッとなる短気な所を、ちょっとなんとかしろってー!」
サラにギロッと睨まれ、つい先程失神寸前まで首を絞められた事を思い出したのか、ティオは思わず顔を引きつらせ、ガタタッと椅子ごと後退していた。
「少しは落ち着いて人の話を聞けよ。……いいか、サラ。俺は、サラの剣の腕じゃ傭兵にはなれないとか、そんな事を言ってるんじゃない。むしろ逆に、純粋に剣の実力だけなら、十分に傭兵団で通用するだろう。」
「今この国にある傭兵団ってのは、兵士不足を補うために急遽募集されたものだ。そんな所にやって来るのは、このナザール王国や周辺諸国で正規兵になれなかった半端者ばかりだ。さっき街で絡んできたゴロツキが居ただろ? まあ、大体あんな感じか、もうちょっとマシぐらいの連中の寄せ集めだ。……おそらく、剣の腕でサラに敵うヤツは、傭兵団には一人も居ないだろうぜ。」
「じゃあ、なんにも問題ないじゃない!……あ、ひょっとして、ガラの悪いヤツらがさっきみたいに文句つけてきたらどうするのかって心配してるの? そんなの、ヘッチャラだよ! だって、私の方が、ずーっと強いんだもん! ケンカを売られたら、喜んで買ってやるんだから! それで、キューッと締め上げてやるわよー!」
「これだから、血の気の多い戦闘狂は。平和の素晴らしさがまるで分かってねぇよなぁ。……だから! 違うっつってんだろー!」
冷静で温和なティオも、さすがに少し呆れた様子で、飲み干したマグカップを、ドンと音を立ててテーブルに置いた。
「サラ、お前が傭兵に向いてないのは、その性格なんだよ!」
「……せ、性格? 私の? 剣の腕じゃなくって?」
「だから、何度もそう言ってるだろ!」
「えっとー……ちょっと怒りっぽいとこ? でも、ほんのちょとだけじゃん。後、あんまり頭を使うのは得意じゃないけどー、それは傭兵には関係ないでしょー?」
「まあ、確かに、そのカッとなりやすい所は、トラブルの元だからな。傭兵とか関係なく、少しコントロール出来るようになった方がいいとは思うぜ。」
「後、頭空っぽのまま力任せに突き進むのも、時と場合によるな。敵がずる賢くてしたたかな相手の場合、いくらこっちの方が力では上でも、簡単に罠に落とされるぞ。……でも、一番の問題はそこじゃない。」
ティオは、フーッと長い息を吐くと、改めて居住まいを正し、ゆっくりと語りだした。
その口調には、今までのように淡々と冷静なだけではなく、聞き分けのない幼子を諭すような、柔らかく温かな気配が含まれていた。




