望まぬ不和 #5
「今回の事件を踏まえて、もう一度注意喚起をお願いします。」
「今回ピピン兄弟の二人が流行り病に罹ったのは、最近流行り病が蔓延した正規兵団の兵舎にある井戸の水を飲んだためでした。俺も、まさか傭兵団の兵舎の敷地外の井戸を使うとは思っていなかったので、全くの盲点でした。この後、朝食時に、俺の方からも団員全体に注意を呼びかけますが、引き続き、使用禁止の井戸の水を飲んだり使用したりする事は絶対しないようにして下さい。小隊長の方々からも各隊の隊員達にしっかりと伝えておいて下さい。」
「それでも、もし万が一、自分や隊員達の体調に異変が起きた場合は、すぐに俺の方に連絡をして下さい。小隊長の方々は、隊員の健康状態に十分に気を配るようお願いします。」
ティオは、黙々と手元では書き物を続けながら、いつもとなんらたがわぬ冷静沈着さで話を続けていった。
と、会議に参加していた小隊長の一人が、恐る恐る手を挙げ、不安げな表情で尋ねてきた。
「……あ、あのよぅ、ピピン兄弟が助かったってのはマジでホッとしたぜ。だが……本当に俺達は大丈夫なのか? ピピン兄弟のように、突然流行り病に罹っちまったり、なんて事は……」
どうやら、ピピン兄弟の不注意な行動のせいとはいえ、傭兵団内に流行り病の感染者が出た事で不安が募った様子だった。
ティオは、シュッと筆を掃いて一旦筆記を止めたのち、筆先をインクに浸しながら、質問してきた小隊長の方に真っ直ぐに視線を向け、ニッコリと笑顔を浮かべた。
「心配要りません。傭兵団の団員が口にする飲み水や食べ物は、俺の方で事前に全て入念に検査しています。」
「井戸の方は、現在傭兵団の兵舎の敷地内に三箇所ありますが、一箇所は汚染が確認されているため、使用を禁止するよう以前から伝えている通りです。使用出来ない井戸には蓋をして岩を乗せているので、わざわざ開けて使う者は居ないと思いますが、ピピン兄弟の例もありますし、絶対に飲んだり触れたりしないよう隊員達に注意をお願いします。」
「食堂で出される料理の方も、食材から調理に使用する水までしっかりと俺が調べています。安心して食事をとって下さい。不安なようでしたら、献立外の特別料理を急遽注文するのは避けておくといいと思います。何か決まった献立以外のものが食べたい時は、事前に俺に相談してもらえれば、随時安全性を検査したのち提供しましょう。」
「……そ、そうか。ソイツは助かるぜ。」
ティオの確認が取れた事で、質問した小隊長もホッとした表情を浮かべていた。
ティオは、どうやら書面を書き終えたらしく、筆先を布でぬぐい、インク瓶の蓋を閉めて懐にしまいながら……
会議室に集まった傭兵団幹部の面々をしっかりと見据え、はっきりとした口調で述べた。
「確かに、流行り病は、一度罹患すれば著しく健康を害する恐ろしいものです。」
「しかし、かからないよう予防する事は可能です。その予防も、何も難しい事ではありません。守って欲しい事は、俺が、使用を禁止した井戸の水を使わない、傭兵団の食堂で出される料理以外の飲食はしない、ただそれだけです。」
「それから、ピピン兄弟に関してですが……やがて症状が回復して元のように皆と行動を共にする事になると思います。その時、決して二人を差別する事のないようにお願いします。」
「流行り病は、人から人へと移る事で、この王都に蔓延してきました。しかし、人に移る経路はもう特定されています。経口感染と言って、流行り病の症状の出ている人間の吐瀉物や排泄物に触れ、それを口にする事です。……逆に言えば、ただ体に触れたり、近づいたり、話をしたり、といった事では移りません。」
「ですから、流行り病にかかった人間の看病をする者は十分な注意が必要となりますが……同時に、必要以上に感染を怖がる事はないという訳です。正しく予防対策をする事こそ重要であり、やみくもに病を恐れたり、罹患した人間を差別したり避けたりする行動は、集団に混乱を招き、要らぬ恐怖を助長する事態になりかねません。」
「どうか皆さん、理性的な落ち着いた対応をお願いします。この事は、また、各小隊の隊員達にもしっかりと伝えておいて下さい。」
ティオの、確信を持った強い口調と論理的な説明により……
若干の不安と動揺のあった幹部達も、安心感を得た様子だった。
ティオの注意にしっかりと耳を傾け、改めて気を引き締めるようにうなずいていた。
□
「チェレンチーさん、これをどうぞ。……流行り病に罹った時の対処法をまとめておきました。」
ティオは、説明が一段落すると、隣の席のチェレンチーに、先程、会議を進行しながら同時並行で黙々と書いていた書面を手渡した。
チェレンチーは、ニッコリと笑顔を浮かべるティオと渡された書類を慌ただしく見比べ、まるで夢でも見ているかのように、パチパチ睫毛を瞬く。
「あ……ああ、こ、これは……さっきからこれを書いてくれていたんだね? あ、ありがとう、ティオ君!」
「実は、昨日ティオ君の手伝いをしてピピン兄弟さんの看病をしていた時は、緊張していっぱいいっぱいだったんだよね。だから、どんな事を指示されたとか、あまり良く覚えていなかったんだ。こうやって書き出してもらえると、いつでも何度でも確認出来るから、とってもありがたいよ!」
「チェレンチーさんには、しばらくピピン兄弟の様子を見てもらいたいんです。お願い出来ますか? 何か分からない事があれば、いつでも俺に聞いて下さい。俺もなるべく時間を見つけて二人の様子を見に行きますので。もちろん、チェレンチーさんが二人の看病で手が回らない分の普段の仕事は、俺が代わりにやっておきます。」
「それと、二人の看病の合間を縫って、チェレンチーさんはしっかり仮眠をとっておいて下さい。昨晩はいきなり叩き起こしてしまってすみませんでした。疲れが溜まっているでしょう? 今日はピピン兄弟の看病以外の事は俺に任せて、ゆっくり休んで下さい。」
「ええ!?……看病は、も、もちろんするけれど、自分の仕事もちゃんとやるつもりだよ。忙しいティオ君の手を、これ以上煩わせる訳にはいかないよ!」
「いえ、しっかり休養を取るのも仕事の内ですよ。無理をして今チェレンチーさんに倒れられでもしたら、この傭兵団の運営は立ちいかなくなってしまいますので。」
「そ、それを言うなら、ティオ君こそだよ! 昨日もずっと二人の世話をしていて眠っていないし、ただでさえ毎日分刻みで動き回るぐらい多忙なのに!」
「俺は頑丈なので、これぐらいでは倒れたりしません。」
「チェレンチーさん、これは『作戦参謀』である俺からの命令です。今日の日中は看病の合間を縫って、しっかり睡眠をとっておいて下さい。」
「……うっ……わ、分かったよ、ティオ君。君の言う通りにするよ。」
ティオに「上官からの命令」という形で頼み込まれては、チェレンチーも折れざるを得なくなり、申し訳なさそうにうなずいていた。
「……で、でも、本当に、ティオ君もしっかり休んでおくれよ。ティオ君が欠けたら、この傭兵団はどうなるか分からないんだからね。」
「いつも心配して下さって、ありがとうございます。」
不安げに訴えるチェレンチーに、ティオはいつもと変わらない、全く疲れを感じさせない笑顔を向けていた。
その後、チェレンチーは、ティオから渡された書きあがったばかりの書面を食い入るように見つめ、頭の中に叩き込むようにブツブツと小さく口に出して読んでいた。
「……ええと……『嘔吐や下痢が酷いのは、体から毒素を排出させるための反応なので、驚かず冷静に対処する。』……『嘔吐と下痢が続いている間は、水分不足に気をつけて、こまめに水分を補給させる。』……『病人の吐瀉物や排泄物の処理には特に注意を払う。使った衣類や道具は必ず煮沸消毒する。』……『症状が治まってきたら、重湯からはじめて少しずつ固形のものを与える。栄養を摂って体力の回復を図る。』……」
「……マジか。あの話しながら書いてたヤツ、本当に話の内容と全然違うものだったのかよ。……」
「……あの速さで文字を書けるだけでもスゲーのに、ティオのヤツ、一体どこであんな技を身につけたんだ?……」
ティオがチェレンチーに書面を渡し二人で話をしている間、幹部達は、別の驚きでヒソヒソと囁き合っていた。
一方で、ボロツが、ふと何か思い出した様子で、隣の席のサラに、小声で尋ねてきた。
「……なあ、サラ。そういや、今傭兵団の兵舎の敷地内で使用禁止にしてる井戸ってよぅ、前にティオが落っこちた井戸じゃなかったか?」
「あー、傭兵団に入りたての頃、確かにそんな事あったねー。」
サラは、いつだったか、ボロツやその取り巻き達と夕食後の歓談の中で、ティオの話題になった時、そんな話を聞いていた。
『……あ! そう言えば、ティオのヤツ、この前、厨房で派手にすっ転んで、調理中の大きな鍋をぶちまけちまった事があったぜ! 料理人にしこたま叱られてたっけ!……』
『……叱られてたって言えば、あれだろ! 食堂の裏にある井戸の中に、なぜか頭から落っこちたってヤツ! 井戸の水が汚れて、当分料理に使えなくなったって、料理人どもがカンカンだったぜ!……』
サラは後で知った事だが、どうやら当初からティオは、傭兵団兵舎内の汚染された箇所に的確に気づいていたらしい。
しかし、まだティオは作戦参謀になっておらず、それらの使用を止める権限を持っていなかった。
そこで、わざと井戸に落ちたり、料理を零させたりして、汚染されたものが団員達の口に入るのを人知れず阻止していたのだった。
(……今回の事って、ティオが居なかったら、絶対もっと大騒ぎになってたよねー。最悪、どんどん流行り病が傭兵団の中に広がってたかもー。……)
サラは、ティオが「旅の暇つぶしの手慰みに」と言って、各地で見かけた薬草のメモを詳細に取っていた事を思い出していた。
薬草に詳しいという事は、その薬効成分を使用する病状にも精通しているのだろう。
ティオの知識が多岐に渡っていてかつ豊富な事は、サラももう良く知っていた。
元々人並外れた記憶力と、病理の理解を可能にする高い知性を持つティオにとっては、薬学や医学の知識を身につける事など造作もない行為であり、ただ単に自分の旅に役立てる目的で覚えたものだったのかも知れない。
改めて、この傭兵団にティオが居た事を幸運に思い、心の底から感謝するサラだった。
□
「あ、ハンスさん! すみません、ちょっとお願いしたい事がありまして……」
ピピン兄弟が流行り病にかかったという報告が入ったものの、本日の訓練予定を確認して、朝の定例会議は無事終わりをむかえた。
いつもより長引いたため、起床の点呼の時間まで、もう後十分を切っていた。
ゾロゾロと会議室を出て行く幹部達の中で、ティオがハンスの肩を叩いて何か話しているのをサラは見かけた。
それも、昨晩ティオと揉めてしまった事を気にかけていて、彼に話しかける機会を探していたためだった。
チラチラとティオの方をうかがっていたので、サラはティオの行動をいつもより良く見ていた。
「……うむ。そういう事なら、許可を出そう。」
「ありがとうございます!」
「しかし、くれぐれも問題を起こさないようにな。傭兵とはいえ、今は一王国兵士でもあるのだから、節度ある行動を心がけるのだぞ。」
「しっかりと心に刻んでおきます。」
ティオと話しながら、しばらく難しい顔をしていたハンスだったが、最後は明るい表情になり、ティオの要望を快諾した様子だった。
ここ最近のティオの働きぶりを見て、彼に信頼を寄せるようになったのが感じられる。
ティオがハンスに何を掛け合っていたのかまでは、サラには分からなかった。
そろそろ起床時間が近づき、起き出してきた傭兵達のざわめきが兵舎の中に増えはじめていたのもあったが……
ティオ自身が他の人間に聞かれないようにと声をひそめている様子だった。
それを察して、サラは、昨晩のように出過ぎた詮索して彼を不快にさせる事のないよう、わざと耳を傾けずにいた。
ティオが話を終えるのを待っていたのかのように、ボロツとチェレンチーが足早に寄っていった。
三人で顔を寄せ合って小声で話している様子は、サラが起きて会議室にやって来た時、部屋の前で見かけた光景に良く似ていた。
「お二人共、無事ハンスさんの許可が取れましたよ。」
「さすが、ティオ君! 交渉事はお手の物だね!」
「でかした、ティオ! これで、大手を振って出掛けられるな!」
「いやいや、ボロツ副団長、今日の事は、あくまでも内密にお願いしますよ。」
「そ、そうですよ、ボロツ副団長! これは、極秘任務なんですからね!」
「おっと、悪りぃ悪りぃ。つい興奮しちまってよう。」
ティオはともかく、残りの二人はどうも浮き足立っている様子だった。
特にボロツは、気を抜くと鼻歌でも歌いそうな勢いで浮かれているのが見て取れる。
(……な、なんだろうー? あの三人で何かするつもりなのかなー?……)
(……それにしてもー……ティオとボロツとチャッピーの三人って、変な組み合わせー。……)
さすがに気になってしまい、ジイッと見ていると、ティオがサラを呼んだ。
「サラ、ちょっと。」
「え!……な、何ー、ティオー?」
サラは思わずギクッとしたが、ティオがニコニコ笑って招くので、タタタッと駆け寄っていった。
ティオが浮かべている貼りついたような胡散臭い笑みからして、サラが少し離れた場所からコッソリ様子をうかがっていた事は、勘のいいティオにはとうに気づかれていたようだった。
しかし、特に気分を害した雰囲気はなかったので、サラは内心ホッと胸を撫で下していた。
「サラ、俺、今日は、夕方から街に出掛けて朝まで帰らない予定だから。そのつもりでよろしくな。」
「ええっ!?」
サラは、澄んだ水色の瞳を真ん丸に見開いて、あんぐりと大きく口を開けて……
目の前で、一見虫も殺さないような穏やかな笑みを浮かべているティオを、食い入るように見つめた。
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☆The 13th Sage ひとくちメモ☆
「傭兵団の衛生管理」
傭兵団の衛生管理は、ティオが一手に担っている。
料理に使う水や食材は事前にチェックし、更に、栄養のバランスを考えたメニューまで組んでいる。
流行り病対策から、傭兵団の兵舎の敷地内にある三つの井戸の内、一つはティオが封鎖させた状態である。




