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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第七章 望まぬ不和
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望まぬ不和 #4


「……ティオ……」


 サラが目を覚ましたのは、もううっすらと辺りが明るくなってからの事だった。


 サラは、体を横たえていた自分のベッドの上で、ゆっくりと上半身を起こした。

 真っ先に視線を向けて確認したが、ティオの姿は部屋の中になかった。

 窓の戸は、ボロツが呼びに来てティオが出て行った後に、サラが閉めて鍵を掛けた時のままになっている。

 隙間風が吹き込む安普請の木戸の合間から、今は朝の白い陽が部屋の中に斜めに差し込んできていた。


 サラは、ベッドから出ると、窓に歩み寄って鍵を外し木戸を大きく開いた。

 すぐさま、早朝の清涼な空気と光が部屋の中いっぱいに広がる。

 天気は薄曇りだが、雲の中の太陽の高さなどから、サラは、いつもの起床時間通りに自分が目を覚ました事を知った。


 改めて見ると、昨日床に敷かれたままだったティオの布団が綺麗に畳まれて部屋の隅に片づけられていた。

 サラが吐いて汚してしまった毛布だけが、そこから忽然と消えている。

 どうやらティオは、サラが眠っている間に一度戻ってきて、布団を畳み、汚れた毛布を洗うためか、どこかに持っていったようだった。


(……全然気づかなかった。……)


 あまりぐっすり眠った気はしていなかったが、ティオが部屋に入ってきて用事を済ませたのちに出ていった事を、今になってサラははじめて知った。

 まあ、ティオの事なので、やろうと思えば、眠っているサラに全く悟られないよう、物音一つさせず気配を殺して忍び込むなどたやすいに違いない。

 確認したが、窓の鍵だけでなく、ドアの鍵も、当然内側からしっかりと掛かったままだった。


(……眠っても、精神世界を見なかったなぁ。ティオがそばに居なかったから、なのかな?……)


 精神世界のティオの精神領域においてサラが勝手に行動した事が原因でティオと言い争いになり、まだ決着がきちんとつかないまま、ティオはボロツに呼び出されて部屋を出ていってしまった。


 流行り病の症状が出ているらしいピピン兄弟の事も心配ではあったが、ボロツをはじめ傭兵団の皆が適切に対処してくれるだろうと信じていた。

 特にティオがすぐに駆けつけていったので、きっと大丈夫だという確信がサラにはあった。


 その代わりに、険悪な雰囲気のまま出ていってしまったティオの事が気になって仕方なかった。

 サラの心を占めていたのは、ティオの事と、彼との揉めてしまった事ばかりだった。


 昨晩は、ティオがこの部屋を離れピピン兄弟にほぼつきっきりだったせいか、あの後、サラは、眠りについても、いつものように精神世界に行ったり彼の精神領域に入る事はなかった。

 「精神世界」と、今サラが実際に感じ取っている「物質世界」は、実際は表裏一体なのだとティオは言っていた。

 という事は、ティオが物質世界でそばに居ないと、いくら赤い石の影響をもってしても、サラはティオの精神領域に入れないという事なのかもしれない。


 サラは、なんとはなしに、首に掛かっている革紐を寝間着の中から手繰り寄せ、そこに下がっている赤い石を手に取って見つめてみた。

 赤い石は、朝の光の中で、いつもと同じく、古びたガラスのようなくぐもった色を見せるばかりだった。


(……ティオとは、後でちゃんと話をしよう!……)


 サラは、そう心に決めて、うんと強くうなずいた。


(……さあてっと! 私もそろそろ起きる準備をしなくっちゃ!……)


 いつまでもティオとの事を悩んでばかりもいられない、傭兵団の団長としてしっかりしなければ。

 そんな思いで、サラは、珍しく少し落ち込み気味だった気分を切り替えるように、うーんと大きく伸びをした。

 腕と共に上体を左右に捻って、寝ていた間にこわばっていた体をほぐす。

 そして、寝間着を、裾を捲り上げて一息に脱ぐと、ベッドに放り投げた。


 と、その時、ふと気づいた。


 いつもよりずっと、体に掛けていた毛布が乱れていなかった。

 サラは、自分では普通だと思っているが……実際は、かなり寝相が悪い。

 いや、正確には、寝ている時も人一倍元気にゴロゴロ寝返りを打ったり動いたりしていると言った方がいいのかもしれない。

 おかげで、朝起きるといつも、ベッドの上の毛布がグチャグチャに乱れていた。

 それが、今日は驚く程綺麗なままだった。


 深夜に眠り直した、というのもあるだろう。

 眠りが浅く、ぐっすり眠った気がしなかった、というのも原因の一つかもしれない。

 そのせいで、いつもより大人しく寝ていたため、寝具が乱れずに済んだのだろうか、とサラは思ったが……


(……違う、ティオだ。……)


 サラの脳裏に、夜の内に一度部屋に戻ってきたティオが、サラが寝ている様子をうかがって、乱れていた毛布をそっと掛け直していった姿が思い浮かんだ。


 サラと言い争いになり、未だ空気が悪いままの状態でありながらも、毛布をはねのけて寝ているサラを放っておけず、無言で世話をしていく所が……

 いかにもティオらしい、とサラは思った。


 サラの顔に、嬉しいような寂しいような、複雑な笑みが浮かんでいた。



 サラが身支度を整えて会議室に向かうと、廊下の角を曲がった所で、数人が部屋の前にたむろしている様子が目に飛び込んできた。

 その中にはティオの姿もあり、サラの視線と気持ちは、パッと彼に向かっていた。


「お、おはようー!」

「おお、サラ! おはよう! 今日も世界一可愛いな!」

「お、おはようございます、サラ団長。」


 まず、ボロツが真っ先にパアッと嬉しそうな笑顔を向け、続いて、チェレンチーがペコリと頭を下げる。

 ティオは一番最後に、サラに視線を向けた。

 おそらく、勘のいいティオの事なので、本当は誰よりも先にサラが会議室に近づいてきている事に気づいていたに違いないが、そんな様子はおくびにも出さなかった。


「おはよう、サラ。」

「おはよう、ティオー。」


 そして、短く挨拶をすると、すぐにフイッと、元のようにボロツとチェレンチーに向き直ってしまった。

 もうそろそろ傭兵団の幹部による朝の定例会議が始まる時間だったが、なぜか、ティオとボロツとチェレンチーは、部屋の外で何か話し込んでいた。

 何を話していたのか少し気になったが、まず一番に聞きたい事は決まっていた。


「ピピン兄弟の具合はどう?」

「ああ、アイツらなら、だいぶ落ち着いたぜ。ティオの話じゃ、もう心配ないだろうってよ。」

「これも、ティオくんが素早く的確に対処してくれたおかげですね!」


 ボロツとチェレンチーもティオと共に、ほぼ徹夜でピピン兄弟についていたらしかった。

 屈強な肉体を誇るボロツもさすがに、サラに向ける笑顔にやや疲労の色が浮かんでおり、チェンチーに至っては、目の下に誰が見ても分かる程くっきりとクマが出来ていた。


 ティオだけは、いつもと何も変わらず涼しい表情のままだった。

 まあ、元々ティオは、髪がボサボサで、服も一番上に羽織っているボロボロのマントのせいで、やつれているかどうかが分かりにくいというのはあったが。

 しかし、そんな見た目に反して、ティオから漂ってくる気配は、一筋の乱れもなく凛と整っていた。


 ティオは、業務連絡を伝えるような口調で、サラに淡々と語った。


「ピピン兄弟の容態はなんとか落ち着いた。熱は下がって、吐き気も下痢もほとんど収まってる。後で小麦の重湯を食べさせる予定だ。でも、しばらく様子を見つつ、別室で安静にしてもらう事になるな。」

「ったく、アイツら! 戦闘で大して役に立たねぇくせに、面倒ばっかり掛けやがってよう!」

「と、ともかく、二人が無事で良かったですよ。きちんと衛生面には気をつけているので、二人から流行り病が他の人間に移るという事もないでしょうし。早めの対処が功を奏しましたね。」

「サラ、詳しい事は会議で話す。……そろそろ時間だ。今日の朝の定例会議を始めよう。」


 ティオはそう言うと、サラから視線を切って、「中に入りましょう」とボロツとチェレンチーを促した。

 サラは、少し疎外感を感じつつも、三人の後に続いて会議室に入っていった。

 そして、一分と経たず、ハンスを含めた傭兵団の幹部が全員会議室に集まり、いつものように会議が始まった。



「今日は一番はじめに、昨晩起きた事件の報告からしていきたいと思います。」

 と、会議室に揃った幹部達の前で、ティオはさっそく話を始めた。


「もう知っている方も多いと思いますが、昨夜、流行り病の症状を訴えた人間が二名出ました。ピピン兄とピピン弟です。治療を行った結果、現在では状態がだいぶ落ち着き、命に別状はないと思われます。全治三、四日といった所でしょうか。二人は、現在別室に隔離して、それまで二人が触れた所は全て綺麗に消毒済みです。どこから流行り病に感染したのか、原因の特定も出来ているので、他の団員に被害が広がる心配はないでしょう。」


 ティオは、最初にザッとピピン兄弟が流行り病にかかった事件の顛末を語った。

 やはり既に傭兵団内でも少し噂になっていたらしく、ピピン兄弟が無事に回復に向かっている事、流行り病が他の者に移る心配のない事を知らされて、幹部達はホッと胸を撫で下していた。


 ティオは、そこで一旦言葉を切り、軽く手を上げて皆に許可を請うた。


「すみません。このまま話は続けますが、同時に少し書き物をしてもいいでしょうか? 忙しくて時間がなかったので、今ここで済ましてしまいたいのです。不都合のないように進行はするつもりですが、もし気になるようなら言って下さい。」


 ティオの要望を聞いて、皆一様にキョトンとした。

 何を言っているのか理解出来ないといった様子だったが、ティオは沈黙を異論なしと捉えた様子で、さっそくマントの中を探り、紙とペンとインクを取り出して、目の前の机に広げた。

「礼を欠く無作法な態度ですみません。」

 もう一度そう言って、軽く頭を下げて謝ったのち、インクの入った小瓶の蓋を開け、ツッと羽ペンの先を中の液体につけると、流れるような動作で、カリカリと紙の上に走らせはじめる。


「では、話を続けます。」


「まず、流行り病の症状が出た、ピピン兄、ピピン弟、二人の処遇についてですが、当然このまま治療を続けるとして……この先、戦闘訓練に参加するのは無理だと判断しました。前線に赴くまでに肉体的には回復出来ると思いますが、それまでほとんど訓練に参加しないとなると、同じ小隊の人間の足並みを乱す事になるでしょう。そこで、残念ですが、二人には今居る隊を離れてもらう事にしました。」


「ピピン兄弟は、第四小隊の所属でしたね。第四小隊の隊員は現在四十二名ですが、二人が外れて四十名となります。……その辺り、大丈夫でしょうか、第四小隊長?」

「え?……あ、ああ。うちは、剣部隊で、槍部隊や大盾部隊みたいな連携が必要な複雑な戦術はないからなぁ。二人ぐらい抜けてもどうって事ないぜ。特にピピン兄弟は、元々あまり戦力になってなかって言うか、剣の扱いはド素人に毛が生えた程度だったんだよな。こんな事を言っちゃあれだが、あの二人が抜けたせいでスゲー困るって事はないな。」

「では、ピピン兄弟は、今日から第四小隊から抜けるという事で調整をお願いします。訓練内容に関しては、特に大きな変更はありません。」


「部屋割りなど生活面では、今後はチェレンチーさんの下に入ってもらおうと思っています。起き上がれるようになったとしても当分激しい戦闘訓練はきついでしょうから、傭兵団の雑用を手伝ってもらう事にしたいのですが……チェレンチーさんは、異論ありませんか?」

「あ、ああ、うん! 僕の方は、全然問題ないよ。」

「チェレンチーさんは一日中事務仕事に追われて忙しいですからね。ピピン兄弟が回復したら、簡単な雑用は二人に投げてしまって下さい。チェレンチーさんにはチェレンチーさんにしか出来ない重要な仕事がありますので、これからはそちらを優先的にお願いします。」


 ティオは、いつものように理路整然と話を進めながら、いっときも休む事なくカリカリと紙の上で筆を走らせ続けていた。

 時折、ツツッとインクの切れた筆を小瓶につける時、視線を上げて、第四小隊長やチェレンチーを見ていたが……

 会議の進行も、書面の作成も、同時並行で全く滞りなく進んでいた。

 話しながら、もう既に一枚書類を書き上げた様子で、シュッと脇に寄せ、新しい紙を広げて、再びカリカリと筆を走らせはじめる。


 ここまでティオの言動を見てきた幹部達は、そろそろ先程ティオが言っていた言葉の意味が分かりはじめていた。

 「忙しいので、書き物をしながら話をさせて下さい」とティオは言っていた。

 そして、実際に皆の前で、紙を広げ休みなく文字を書き綴りながら、全くの同時進行で、いつもとなんら遜色のない会話を繰り広げていた。


 皆一応ティオの話に耳を傾けているものの、会話と書類作成を同時にこなすという、そんな人間離れしたティオの行動を目の当たりにして驚きを隠せない様子だった。

 普段、ティオの優秀さを誰よりも良く認識し事あるごとに讃えているチェレンチーでさえ、ポカンと口を開けてあっけにとられていた。

 会議室は緊張感に包まれ、誰一人ムダ口を叩く事なく、粛々と議事は進行していっていたが……

 それは、皆が集中していたからではなく、ティオの行動に驚愕して言葉を失っていたせいだった。


 一方、ティオ自身は、そんな状況を全く気にかけていない様子だった。

 彼にとっては、誰かと話を進めながら全く別の書類を作成する事は、ごく普通の行為なのだろう。

 あるいは、周囲の人間が、そんな彼を見て驚き呆然とする所まで含めて、今まで幾度となく経験してきた事で、すっかり慣れてしまっているのかもしれなかった。


(……あー、だよねぇー。初めて見ると、ビックリするよねぇー。うんうん。……)


 一同が衝撃で固まっている中、サラだけが一人、腕組みをしてうなずいていた。

 精神世界のティオの精神領域で彼のこんな姿を何度も見てきたサラにとっては、既にティオの超人振りは当たり前の事のように感じられていた。


読んで下さってありがとうございます。

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☆The 13th Sage ひとくちメモ☆

「ティオの特技」

ティオは同時並行でいくつかの作業をこなす事が出来る。

時間がない時は、人と話をしながら全く別の内容の書類を書いていたりする。

ただし、本人曰く、神経を使うような重要な作業の場合、もう一方は単純作業が限界、との事。

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