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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第七章 望まぬ不和
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望まぬ不和 #1


「嫌あぁぁぁーー!! あああぁぁあぁーー!!」

「サラ!! サラ!! しっかりしろ!!」


 ティオは手足をバタつかせて暴れるサラを後ろから羽交い締めにするような状態で必死に押さえていた。


 精神世界にあるティオの精神領域で、巨大な構造物に触れたサラは……

 突然、クックッと狂ったように笑い出し……

 かと思うと、ボロボロととめどなく涙を落として泣きはじめ……

 そして、最後に「痛い痛い!」と悲痛な声を上げたのちに、声がかすれる程絶叫していた。


「クソッ!『コイツ』に精神を犯されたか!」


 ティオは何度も必死に呼びかけたが、サラにはティオの声がまるで聞こえていない様子だった。

 あまりに身をよじって暴れたために、三つ編みに結っている長い金の髪が解け、暴れ続けるサラの動きに合わせて宙に散らばった。


 ティオは、サラが自分の呼びかけに全く反応しないのを知って、ある決断をした。

 虚空に向かって大きく目が見開かれたままのサラの頰をパシパシと手の平で叩いて、苦し紛れの喚起をしながら、耳元で呼びかける。


「サラ!! 今から物質世界でお前を起こすぞ! いいな! 気をしっかり持てよ!」


 サラは、口の端から涎を垂らし、目からは涙を溢れさせて、完全に放心状態で、とてもティオの声が届いているとは思えない状態だった。


(……本当は、精神世界から本人の意思を無視して無理やり引きずり出すのは、精神的に大きな負荷が掛かるからやりたくないんだが……)


(……今、そんな事を言っている余裕はない!……)


 ティオは、狂乱状態のサラを前に、素早く判断を下した。


 そして、スウッと、意識の比重を物質世界に移す。

 パチリと、物質世界のサラの部屋で目を覚ましたティオは、いつものように床に敷いた自分の布団の中に潜り込んできているサラの小柄な体を、細い肩を掴んで揺さぶった。

 精神世界の影響か、いつもは幼子のように心地良さげに眠っているサラの表情が、金の眉根を寄せて苦しげに歪んでいた。


「サラ!! 起きろ、サラ! サラー!!」


 必死に呼びかけながら、あどけなさの残る白く柔らかなサラの頰を、パシパシと手の平で叩く。

 と、同時に、精神世界の自分の精神領域でも、手足を振るって暴れるサラの小さな体を押さえながら、夢中で揺さぶっていた。


「サラァーー!!」


 ……やがて、精神世界のサラの精神体である体から、次第に力が抜けていった。

 それと共に、スウッと精神世界におけるサラの存在が薄れていき、風の前の砂のように、サアーッと四散していく。


 ……後には、物質世界のティオの腕の中で、ゴホゴホッと咳き込みながら意識を取り戻したサラの小さな体があった。



「……う……うっ、うっ!……」

「サラ! 我慢しなくていい! 吐きたいなら、吐いちまえ!」

「……う……ゲッ!……ゲフッ!……ゲッ、ゲェー!」


 サラの意識がようやく元に戻ってきたのは、ティオに支えられながら、背中を撫でられている時だった。


 サラは、ティオと同室になってから、ペンダントの赤い石の影響か、眠りにつくといつの間にか彼の布団の中に転がり込んで一緒に眠ってしまうのだったが、この時も、気がついた時には、床に敷かれたティオの布団の上だった。

 ティオに抱きかかえられるように上半身を起こしているものの、割れるような頭痛と、それと同時に強い吐き気を伴う耐え難い腹痛に襲われていた。

 強靭な肉体を持つサラは、かつて山を歩いていて毒草を間違って食べた時でさえ、ここまで酷い不快感にさいなまれた事はなかった。


 近くにあったティオの毛布をそのまま口に押し当てて真っ青な顔で唸っていると、ティオに「吐け!」と言われる。

 一瞬のためらいも、胃の奥から込み上げてくる苦痛には敵わず、サラは、そのまま口にあてがった毛布に向かって、思い切り吐いた。

 夕食で食べたものはほとんど消化されていたらしく、酸っぱい胃液がわずかに出るばかりだったが、その不快な刺激に激しくむせた。

 背中を丸めてゼイゼイ苦しい息をつきつつ、ぶり返してくる吐き気を、手に握りしめた毛布に何度もぶつける。


 ティオは、ずっとそんなサラの小柄な体を支えながら、背中をさすっていた。

 ようやく、サラの状態が落ち着いてくると、立ち上がって窓を大きく開き、机の上に置いてあった素焼きの水差しから、木の器に水を注いで、それをサラの元に持ってきてくれた。

 サラは、両手で受け取ると、背中を丸めた状態でブルブル震えながら口に持っていく。

 ゴホゴホッ! と何度かむせながら、少しずつ少しずつ水を口に含み……

 しばらくしてようやく、グイッと飲み干せた。


「サラ! 大丈夫か?……自分が誰か、分かるか?」


 すぐそばに膝をついてしゃがみ、自分の顔を心配そうにのぞき込んでくるティオの言葉に、ようやくサラは反応を示した。

 夢中で飲んでいた水の入った器から顔を上げ、かたわらに居る、大きな眼鏡を掛けたボサボサの黒髪の青年を、まだぼんやりと濁った目で見つめる。

 部屋の中に灯りはついていなかったが、先程ティオが開いた窓から月と星の光が差し、夜目のきくサラの目には、それで十分自分の周囲の様子がうかがえた。


(……な、に?……自分が誰かなんて、なんでそんな変な事聞くのー?……)


(……あ、あれ?……わ、私……誰、だっけ?……)


 サラは、一瞬混乱したが、先程かたわらの人物に「サラ」と呼ばれたのを、必死な彼の声と共にすぐに思い出していた。

 「サラ」という響きは、驚く程しっくりと、サラの心の奥に染み渡っていく。

 その瞬間、とても懐かしく、眩しく、嬉しい感情が、サラの胸に溢れた。

 ……と、同時に、なぜか、泣きたくなるような胸を刺す悲しみも覚えていた。


「……わ、たし……私、は……『サラ』……私の名前は『サラ』……」

「他には? 自分について覚えている事、全部言ってみろ。」

「……わ、私……」


 サラは、そこでいっときピタリと停止した。

 「自分について覚えている事」と問われた時、過去の記憶を探ろうとして、途端に大きな壁のようなものに行き当たったからだった。


(……思い、出せない……思い出せない……)


 一番古いものだと思われる記憶は、ほんの三ヶ月程前のもので……

 どこかの冬枯れた森の中にある朽ち果てた小さな遺跡において、泉の水を覗き込んだ辺りだった。

 同心円状の波紋が連なる水面に、金色の長い髪とつぶらな水色の瞳を持った小柄な少女が映っていた。


(……あ、そうか。私、元々過去の記憶がなかったんだっけ。……なーんだ。ちょっと慌てちゃったー。……)


 サラは、クルッと首を回し、そばに膝を折ってしゃがんでいる黒髪の青年を真っ直ぐに見て、答えた。

 彼を見るサラの瞳には、もう強く明るいいつもの光が戻っていた。


「私は、サラ。正義の味方で、世界最強の美少女剣士。今はナザール王国傭兵団の団長をやってるよ。好きな食べ物は、うーん、なんでも好きだけどー、一番は黒くてカサカサいう虫かなぁ。でも、最近全然食べれてないんだよねー。……ティオー、もっとお水ちょうだいー!」

「……ああ、大丈夫そうだな。いつものサラだ。」


 ティオは、心底ホッとしたように大きなため息をついていた。

 一旦立ち上がって机の上から素焼きの水差しごと持ってくると、サラが差し出す木の器になみなみと注いでくれた。

「いや、でも、お前、あの虫は絶対食うなよ。」



「サラ、ベッドで横になった方がいい。ゆっくり体を休めるんだ。」

「あ、うん。……あ、あー。ティオの毛布、汚しちゃってごめんね。」

「別に、洗えばいい事だから、気にするな。ほら、立てるか?」

「う、うん。」


 サラは、床に敷かれたティオの布団から立ち上がろうとして、ぐらりとバランスを崩しかけた。

 察していたかのように、すぐにサッとティオが腕を掴んで支えてくれたが。

 自分ではもうすっかりいつも通りになった気持ちでいたが、まだ影響が残っていて平衡感覚がおかしくなっているらしく、大きく動くと頭の中がグラグラと揺れる感覚があった。


 ティオは、そんなサラをベッドまで連れてゆき、横たえさせると、「もっと水を飲むか?」「寒かったり暑かったりしないか?」「気分は悪くないか?」と、聞いてきた。

 いつもよりずっとサラを心配し、気を遣って優しくしてくれている。

 サラは、気まずくもこそばゆくも、少し嬉しい気持ちになって、彼の好意に甘えていた。


「サラ、眠れそうか?」

「あ、うん。大丈夫だよー。」

「じゃあ……眠る前に、少し話を聞いてもいいか?」

「ん? 何ー?」

「さっき目を覚ます前に、精神世界で何があった?」

「……」


 サラは、先程、いろいろとめまぐるしい現象に遭い、最後に酷く恐ろしい体験をした事を思い出して、思わず口ごもった。

 そんなサラを、ティオは、ベッドの端に足を組んで腰掛けて、包み込むような優しく穏やかな笑みを浮かべて見つめていた。


「……話したくなかったら、無理には聞かない。ただ、精神世界でのサラの様子が普通じゃなかったからな。心配でさ。」

「わ、私の様子、そんなに変だった?」

「ああ。急に起き上がって、スタスタどこかに向かって歩いていったなぁと思ってたら、突然ケタケタ笑い出したんだ。そしたら、今度は、ワアワア泣き出して、お終いには、狂ったように悲鳴をあげてた。あんな様子を見て、心配するなって方が無理だろう?……何があったのか、ちゃんと聞いておきたいんだ。」

「……あ、えっと、えっとね、うんと……」

「落ち着いて、少しずつでいいから。最初から順を追って、一つ一つ話してみてくれよ。」

「う、うん。」


 ティオに優しい声色に促され、サラは、何度か深呼吸して自分自身を落ち着かせた。

 それから、必死に頭の中を整理して、ゆっくりと語り出した。


「……あ、あの、ええとね……ティオの体に巻きついてる『宝石の鎖』が見えたの。」

「『宝石の鎖』が? いつ頃から?」

「えっと、き、昨日、から。だ、だから、凄く心配になって……」

「ああ、それで昨日からなんか様子がおかしかったんだな。そうか、俺の『宝石の鎖』が見えてたのか。」


「それで?……他には、何が見えたんだ、サラ?」


 ティオの、こちらの心の奥底まで覗き込むような、独特の鮮やかな緑色の瞳にジッと見つめられて、サラは、反射的にズキッと胸が痛んだ。

 ドクドクと心臓が高鳴り、カアッと顔が熱くなる。

 それが、どういう気持ちから来るものなのか、自分でも良く分からなくて、サラは、体に掛かった毛布の端をギュっと掴んだ。

 ただ、それとは別に、いろいろ迷惑をかけてしまった事で罪悪感を感じているのは間違いなかった。


 サラは、素直に、出来るだけ丁寧に、先程精神世界で自分の見たもの感じたものをティオに語った。


「……そのー……『宝石の鎖』をジッと見てたんだけどー……」

「ジッと見てたのかぁ。俺とした事が、全然気づかなかったな。」

「……う、うん。だって、ティオに気づかれないように気をつけてたし。」

「どうして?」

「あ、えっと……ティオは私に『宝石の鎖』について、何も言わなかったでしょう? たぶん、私に隠してるんだろうなぁと思ってー。その隠してるものに私が気づいたって知ったら、ますます隠そうとすると思ったの。ティオは、大事な事程私に教えてくれないんだもん。……だから、ティオに気づかれないように気をつけて『宝石の鎖』を観察してたの。」

「なるほど。……それで?」

「それで、その……『宝石の鎖』をずっと集中して見てたら、その内、他のものが見え始めたんだー。」

「他のもの?」

「うん。……うーん、なんて言ったらいいのかなぁ。なんか、とにかく大っきくてねー、後すっごく難しいー? 複雑ー? ゴチャゴチャいっぱいー?……アハハ、私には全然理解出来なかったよー。」

「……」

「だからー、ちょっとでも知りたい、分かりたいって思ってねー、うんと頑張って見てたんだよねー。……あ! このペンダントの赤い石に手伝ってもらったんだー。石に手伝ってもらうって、なんか普通に考えたらおかしな話なんだけどー、この赤い石は、精神世界で私をティオの居る場所まで連れてきたって、ティオ、言ってたでしょー? だから、ひょっとしたらって思ってー。それで、必死に赤い石にお願いしたら、なんか見えたのー。本当に石が助けてくれたのかは、分かんないんだけどねー。」

「……何が、見えたんだ、サラ?」

「うん。だから、すっごく大っきくって、メチャクチャ難しいものだよー。……あ、そうそう! 気がついたら、いつの間にか、そのすっごく大っきなものの前に立っててねー、それでー……」


 真剣に耳を傾けてくれるティオの前で、サラは夢中で話した。

 途中から、自分の話を聞いているティオの表情が徐々にこわばっていっている事に、サラは、まるで気づいていなかった。


読んで下さってありがとうございます。

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☆The 13th Sage ひとくちメモ☆

「傭兵団の食事」

ティオが作戦参謀となってからは、自由だった食堂の席が決められるようになった。

各小隊ごとまとまった席順になっており、全体が見渡せる前方のテーブルには、中央にサラ、その両脇にティオとボロツが座る。

全員揃って点呼の後、団長であるサラの号令で食事が始まる。

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