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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第六章 終末と賢者と救世主 <後編>果てのない壁
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終末と賢者と救世主 #12


「ねえねえ、ティオー。」

「ん? どうした、サラ?」


 ティオは、机の上の紙にカリカリと休みなく走らせていたペンをピタリと止めて、そばの長椅子に寝転がってこちらを見ているサラに視線を向けた。


 サラは、眠った後、いつものように精神世界にあるティオの精神領域にやって来ていた。

 もうすっかり馴染んだ居心地のいい長椅子の上で、大きなひじ掛けにくるまりゴロゴロしながら、暇を持て余してティオに話しかけていた。


 以前はそんなサラを適当にあしらっていたティオだったが、サラが一度情緒不安定になって泣き出した事があってからは、話しかければ、どんな他愛ない内容でも、きちんとこちらに向き直って耳を傾けてくれるようになった。

 サラが目をつぶってジッとしている時は、机に向かって何か無心に書き綴っているが、その机も、今は遠く離れた位置ではなく、長椅子のすぐそばに置かれていた。


「ここ、ホンットーに、なーんにもないねー。」


 サラは、何度つぶやいたか分からないセリフをまた口にしていた。


 この何日か、サラは、くつろげるようにとティオに出してもらった長椅子やひじ掛けなどのセットを愛用しており、ティオ自身もまた、机と椅子を出して作業をするようになっていたが……

 それ以外は、相変わらず、ただ白い光が満ちる虚空がどこまでも続いていた。


 サラは、ふと、このティオの精神領域に初めてやって来るまで時折見ていた「何もない夢」の事を思い浮かべた。

 あれは、今思うと、夢ではなく、サラ自身の精神領域だったと推測される。

 そんな、サラの精神領域もまた、何もない場所だった。

 ティオの精神領域との違いは、長椅子などのティオが自身の記憶から複製して生み出した物が存在しないという他に、「何もない」「無」という概念が、一点の光もない真っ暗な闇で表現されていた事ぐらいだった。


(……どこの精神領域も、みんなこーんな感じなのかなー?……)



 サラは、疑問に思った事を暇つぶしにティオに尋ねてみた。

 精神世界では、いつもより思い浮かんだ事が言葉になって口から出やすい。


「ねえー、ティオー。精神領域って、他の人もこんなふうになんにもないのー? なんかつまんないねー。」

「いや、人によっていろいろあるらしいぞ。」

「え? そ、そうなのー?」

「まあ、俺も、書物で読んだだけだけどな。」


「前にも話したが、それぞれの人間の精神領域は精神世界にある訳だが、この精神世界自体を感知、認識出来る人間は、今の世界にはまず居ないんだ。俺も、自分以外で精神世界を実体験している人間に、まだ会った事がないしな。」


「でも、書物の中には、ポツポツと、精神世界を認識した人間の逸話が残っていたから、そういうのは興味深く読んだよ。……後は、古文書の中には出てくるな。古代人は誰でも、この精神世界と物質世界の両方を認識出来ていたからな。でも、あの『世界大崩壊』を乗り越えて形をとどめている古代文明の書物なんて、希少過ぎて、ほとんど残ってないんだよなぁ。」


 ティオは、話しながら気になった事があった様子で、一旦少し話題を逸らした。


「あ、そうそう、サラ。お前、この精神世界の話は、他の人間には絶対するなよ。精神世界を感じ取れるだの、見たり聞いたり出来るだのなんて言ったら、ほぼ間違いなく『頭のおかしい人間』だと思われるからな。」


「それぐらい、現代人で精神世界を認識出来る人間は少ないんだ。そもそも、新世界に変わってから、この大世界が『物質世界』『精神世界』『魂源世界』の三つの小世界で成り立っているっていう理も、なぜかすっかり人々に忘れ去られてるんだよなぁ。普通の人間は、『精神世界』という言葉さえ知らない。……サラも、ここに来て俺に会うまではそうだっただろう?」


「俺が読んだ書物の中の『精神世界を見た! 聞いた!』という人間の逸話でも、大抵その人間は『変人』だとか『危ないヤツ』だとか、酷い時には『気が狂ってる』なんて、散々な言われようをしてたな。……まあ、周りの人間から白い目で見られたくなかったら、この精神世界の出来事は誰にも話さない事だ。」


「……ううっ! 怖い!……わ、分かった! 私、誰にも言わない!」

「それでいい。」

 サラが、目をギュッとつぶってコクコク首を縦に振るのを見て、ティオもゆっくりとうなずいた。

「じゃあ、話を戻すが……」


「俺が読んだ本の内容によると……普通、精神領域っていうのは、その名の通り、その人間の精神の有様が反映された情景になるらしい。」

「へ、へえぇー!」

「例えば、小さい頃に住んでいた家や部屋があったり、毎日見ていた風景があったり。そういう、その人物の精神の形成に大きな影響を及ぼした過去の情景が映し出される事が良くあるらしい。」


「他には、今現在夢中になっている事とか。……本好きの人間が、自分の精神領域で、ぎっしりと書物の詰まった本棚がまるで森のように続いていた光景を見たって話を読んだな。他には、恋人のいろいろな姿を描いた絵が大きな壁にたくさん飾ってあったって話もある。よっぽど恋人に夢中だったんだろうな。」


「まあ、そんな感じで、精神領域は、過去の重要な体験や現在の精神状態、そして、その人間の精神的な個性みたいなものが反映されるのが一般的らしい。何しろ、精神世界は『意思』『心』『記憶』そういったものが主体となってくる世界だからな。」


「夢にちょっと似ているが、精神領域は、もっと明確で鮮明で、自由に見たり触れたり出来るのが特徴だ。そして、基本的に一つの形状に固定されていて、その人間の精神に大きな変化が起こる事がなければ、そのまま形状も変わらない。無秩序に様々な情景を見る夢とは違って、精神領域では、いつも同じ場所にやって来て、そこには、いつも同じ物があるって感じだな。」


 サラは、いつの間にか長椅子の上に起きあがり、「ほー!」「ふんふん!」「ふわー!」などと、一々感心しながら、興味津々でティオの話を聞いていたが……


「えー、じゃあ、なんでティオの精神領域は、真っ白でなんにもないのよー?……あ! 分かった! ティオは心の中が空っぽだから、精神領域も空っぽなんだー。」

「う、うるさいなぁ。別に、俺の精神領域がどうなってたって、サラには関係ないだろー。」


 珍しくちょっとバツの悪そうな顔でフイッと横を向くティオが面白くて、サラは口を手で押さえてプププッと笑った。

(……まあ、ティオは、なんか、いろんなものに対して執着が薄いって言うかー、関心があんまりないって言うかー。精神領域が空っぽでも不思議じゃないかもねー。……)

 などと思っていたサラだったが……

 はたと、ある重要な問題に気づいた。


(……あ、あれぇー? あれれれれぇー?……そ、そう言えば私の精神領域も、なんにもなかったんだけどー? 一体どうなってるのよー? ティオの事呑気に笑ってられないんじゃないのー、私ー!……)


(……あ! ひょっとして、私に『過去の記憶』がないからかなぁー? だから、私の精神領域も、なんにもない闇ばっかりだったのー? えぇー、そんなぁー!……)


 サラは軽くショックを覚え、しばらくボーッと口を開いたまま固まっていた。



「サラ、そろそろ眠った方がいい。」

「……え?……あ、う、うん。」


 ティオに促され、ハッと我に返って、サラはコテンと長椅子に横たわった。

 クッションの一つに頭を沈め、ひじ掛を肩まで引き上げる。


(……ま、まあ、考えてもしょうがないよねー。精神世界とか精神領域の事なんて、私にはまだまだ分からない事だらけだしー。……)


(……あ! ティオに聞いてみればいいのかー!……あー、でもでも、そうしたら、私に過去の記憶がない事だとかー、いろいろ説明しなきゃいけなくなるよねー。べ、別に、もう、ティオには話しちゃってもいいって気がしてるけどー。なんか、いざとなると、言い出しづらいなぁー。「私、実は記憶喪失なんだー! アハハー!」って、そんな軽く言えるものじゃないよねー、普通ー。……うーんうーん……)


「サラ、眠れそうにないのか?」

 サラがごちゃごちゃ考えながら、しかめっ面をしてると、ティオが心配そうに顔を覗き込んできた。

 サラは、慌てて、シャッとひじ掛けを頭の上まで引き上げて顔を隠す。

 それから、そろそろと、ひじ掛けから手だけ出してティオの方に伸ばした。


「……ティオ……」

「眠りにつくまで、手を握ってようか?」

「……うん……」


 サラが眠れなくて困っていると思っているらしいティオの気遣いに、そのまま甘える形で、サラは、自分の手に触れてきたティオの手を、キュッと自分から握りしめた。

 ティオもそれに応えるように、サラの小さく華奢な手をそっと握り返してくる。


(……エヘヘ……)


 サラは、頭から被ったひじ掛けの下で、思わず顔をほころばせていた。

 小さな子供が親に頭を撫でられた時のように、嬉しい気持ちが込み上げてきて、ニコニコと笑みが零れる。


 不思議な事に、「物質世界」いわゆる「現実」と、この「精神世界」とでは、サラとティオの関係は微妙に違っていた。

 現実では「バカティオー!」と言って、良くティオを叱ったり怒ったり蹴ったりしているサラなのだが、ここにやって来ると、どうもティオに甘えたいような不思議な気持ちになる。

 ティオの態度も、現実より自分に対して優しいような気がサラはしていた。


 それは、ここが精神世界だからなのか、それとも、ティオの精神領域だからなのか?

 あるいは、サラが持っているペンダントの赤い石が、ティオの持っている赤い石に反応している影響を、サラ自身も精神的に受けていて、ティオのそばに居ると自然と嬉しい気持ちになるのだろうか?


 理由は良く分からなかったが、なぜかここでは、サラは、自分の心が若干幼くなるような感覚を覚えた。

 そして、そのせいか、ティオが、大人で頼りがいのある人物に見えた。

 いつも穏やかで、落ち着いていて、頭が良く、物知りで、そして、何より……サラにとても優しくしてくれる。


(……ティオの手を握ってると、凄く安心する……)


 現実でティオの手を握った事はないが、たぶん、本物のティオの手もこんな風に、自分の手よりもずっと大きくてしっかりした印象なのだろう、とサラは想像した。

 子供っぽさの残る柔らかく小さなサラの手をすっぽりと包み込む程の大きさがあり、思ったより節や骨がしっかりしていて、いかにも男性らしい雰囲気だった。


(……ティオの手……私、好きだなぁ……)


 心の奥まで温かくなり、深い安心感に包まれて、サラは、ようやくうとうとと、精神世界で眠りにつこうとしていた。

 その時、サラは、そっと、顔に掛けていたひじ掛を少し下げ、目をのぞかせて、ティオを見つめようとした。

 眠りに落ちる前に、もう一度、ティオの姿を見ておきたかったのだ。


(……え?……)


 その時サラは、キラッと一瞬何かがティオの肩の辺りに光った気がした。


(……あ、あれ?……気のせい、かな?……)


 すぐに光は消えてしまったが、訳もなくザワザワと不安な気持ちが込み上げてきて、無意識にギュッとティオの手を強く握りしめていた。

 ザリ……と、何か硬質な冷たいものが自分の手に触れた感触に、慌てて、視線を握っているティオの手に向ける。


(……あ……宝石、の……)


(……鎖……)


 サラの小さな手を両手で包むように握っているティオの手の平から、様々な色の煌めきをまとった鎖が宙へと伸びていた。

 それは、無数の宝石を並べて繋げたような形状をしているが、決して身を飾るアクセサリーの類ではない。

 何かを「拘束するもの」「縛りつけるもの」というイメージが、はっきりとそれに付随していた。

 そう、それは、まごう事なき「鎖」だった。

 美しく煌びやかな見た目に反して、ゾクリと背筋が凍るような、冷たく強固な封印のあかし。



 サラが、初めて自分の「何もない夢」の中で見つけた、自分とは異なる存在。

 ある日、真っ暗な闇の中にそれを見つけて、夢中で追いかけ、サラはここに辿り着いた。

 サラが、精神世界において、ティオの精神領域に来るきっかけであり、文字通り一筋の道しるべだったもの。


 「宝石の鎖」と、ティオがそれを呼んでいたのを、サラは思い出していた。


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆The 13th Sage ひとくちメモ☆

「精神領域」

精神世界にある、個人個人特有の空間。

「空間」と言っても物質的なものではなく、「空間のようなイメージのもの」と言った方が正しい。

人間は誰しも一人一つずつ固有の「精神領域」を持っている。

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