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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第六章 終末と賢者と救世主 <前編>導きの賢者
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終末と賢者と救世主 #9


「まあ、難しい事とか複雑な事とか精密さを要求される事とか、そういう神経を集中させる必要がある行為は、やっぱりどっちかの世界に意識が傾いちまうんだよなー。俺もまだまだ修行が足りないって言うかー。」


「そういう時は、片方の世界では、あんまり神経を使う必要のない単純作業が限界になるなー。……今みたいな感じでさ。」


 そう言いながらも、ティオは休みなくカリカリと紙に文字を書き綴っていた。

 ティオにとって、サラと話しつつ何か書き物をする事は「単純作業」の範疇に入るらしい。


「ん!……読み終わったな。」

「え? も、もうー?」


 ティオが机から顔を上げると同時に、フッと彼の手元から、紙とペンとインクが消え去っていた。

 ティオが「現実世界で本物の本を読んでくる!」と言ってから、ものの十分とかかっていなかった。


「ん? 結構丁寧に隅々まで読み直したつもりだけど? まあ、この三週間ずーっと眺めてたからなぁ。映像としては、とっくに丸々頭に入ってるんだよ。」


 そう言って、宙に差し伸べたティオの手の上に、スウッと辺りから光の粒子が集まってくる。

 それは、やがて、一冊の本の姿を形作っていった。

 おそらく、ティオがつい先程物質世界で読み終えた本だろう。

 今まで使っていた、紙やペンを出した時より、時間をかけて丁寧に作り出しているのが分かる。

 完全に解読した事で、ティオの中で本の情報が深まり、その分が新たに更新されて、この精神世界で作り出す偽物も、より精密なものとなるようだった。


 光の集まりにより形成される本物と瓜二つの本は、その組成を完了させると、静かにティオの手に収まった。


 神秘的な光景を前に我を忘れて見入っていたサラだったが、その時ふと気づいた。


(……あ、ティオの気配が戻ってる。……)


 しばらくティオから、何か、一部が欠けているような、抜け落ちているような、薄らいでいるような、そんな奇妙な雰囲気を感じていたサラだったが……

 今のティオには、元のように、しっかりとした存在感があった。

 ギュッと中身が詰まり、齧ると甘露が溢れ零れる果実のごとき充実感。

 極彩色に彩られた鳥の、その羽一枚一枚の仔細まで見えるかのような、目に染み込んでくる鮮烈なイメージ。

 こうして改めて比べると、先程までのティオの不可思議な影の薄さがはっきりと分かった。


 おそらく、物質世界で本物の本を読むために多くの精神を割いていた事で、こちら側、精神世界での意識がいつもより薄らいでいたようだ。

 『しばらく反応が鈍くなる』と、ティオ本人が明言していたのを思い出す。

 そんな、いつもより薄くなった意識であろうと、ティオは問題なくサラと会話をし、おまけに何かの書き物までしていたのだったが。


「よし、完成!」


 ティオは、新しく作り直した本を手に取ると、満足げにニコッと笑った。



(……あ!……)


 そんなティオの笑顔を見た瞬間、サラは、胸の奥がズキリと痛んだ。



「いやぁー、時間はかかったけど、この本の内容、大当たりだったなぁ! 半年ぶりの大物だぜ、こりゃー! ついてんなぁ、俺ー!」

 ティオは、解読を終えた本を改めて机の上に広げ、ページをパラパラめくりながら、しばらく感動に浸っていた。

 嬉しくて、楽しくて、頰が緩むのを止められない様子だった。


「コイツは、スゲー発展性あるぞー! いろいろ応用がききそうだしー! 汎用背も高いー!……うーん、理論を組み立てるだけじゃなくって、早く実際に試してみたいなぁー。やってみないと分かんない事も結構あるもんなー。……あー、でも、今は無理かぁー。うぐぐ、我慢我慢!……いや、待てよ! 裏技を使えば、なんとか……い、いやいやいや、うーん。……」


 ボサボサの頭を両手で掻きむしりながら、興奮気味に独り言をつぶやく。

 そんなティオは……

 手元にあるものが、たった今まで未解読であった難解な文字で書かれた古文書である事をのぞけば……

 まるで遊び好きの少年のようだった。

 いや、ティオにとっては、誰も読めないままに長い間捨て置かれていた古文書も、子供が喜んで回す遊び道具のコマのような感覚なのだろう。

 好奇心と知的探究心に駆られてはいるものの、その心は、野山を走り回って探検する無邪気な少年そのものだった。


(……こういうティオの顔、久しぶりに見たなぁ。……)


(……ここの所、傭兵団の作戦参謀として、みんなの前では、真面目で固い表情ばっかりしてたから。……)


 作戦参謀として仕事をしている時のティオは、時に冷徹に感じられる程、理路整然かつ冷静沈着だった。

 自分より遥かに年上の人間に対しても、全くひるむ事なく交渉、説得、解説を繰り広げ、その知力と胆力は引けを取らないどころか、彼らを圧倒する程だった。

 いつしか、ハンスやジラールをはじめとした、ティオにとっては親よりも歳が離れていると思われる人物にも、一目置かれている。

 それどころか、年配の彼らまで、若い団員達に混じって、「ティオ、ちょっと聞きたいのだが……」と、困った事があると、すぐにティオを頼って相談に来る有様だった。


(……みんなに信頼されて、頼られるのはいい事だけどー……みんな、ティオがまだ「十八歳」だって事、忘れてないー?……)

 サラは、何かあるたびに「ティオ!」「ティオ!」と頼みに来る団員達の様子を見て、時折、密かに眉をひそめていた。


 (見た目や年齢ではなく、能力で判断してほしい)というのは、小柄で華奢な見た目のサラが、常日頃から考えている事だ。

 自分の年齢が他の者達より低いからといって、特別手厚く過保護に接してほしいなどとは思わない。

 けれど、ティオに対する周囲の様子を見ていると、さすがに、胸の奥にもやがかかった。


 ティオは、まだ十八歳の若者だ。

 もう大人の仲間入りをする年齢と言えなくもないが、それでもまだまだ、社会の中ではヒヨっ子の部類だろう。

 いくらティオが頭が良く頼りになるからといって、そんな一番年下の彼に重要な責務を全て押しつけてくるのは大人としてどうなのだろうか、と思ってしまう。

 もちろん、彼らに悪気がないのは良く分かっていたし、ティオ自身もこういう扱いには慣れている様子で、特に問題なく順調に傭兵団の運営は進んでいた。

 けれど……本来ならば、まだまだ社会の中で、年上の大人達に、導かれ、守られ、支えらるべきティオの年齢を思い出すと……

 サラは、どうしても複雑な気持ちなってしまうのだった。


(……ティオだって、こうやってれば、普通の十八歳の男の子なのに……)


 解読を終えたばかりの古文書を手に、「この内容をどうやって実用化しようか?」と、様々に思索を巡らせているティオの表情は……

 常人を逸脱した「天才」という極めて特殊な存在などではなく、どこにでも居るいたずら好きの青年に見えた。


 実際、彼の能力と、彼の人格は、全く関係がないのだ。

 どんなに浮世離れした才能を持っていようとも、ティオの基本的な感情の動きは、同年代の青年達と何ら変わりない。

 しかし、ティオは、今、その優秀さ故に、周囲の人間から年相応の扱いを受けられずにいる。

 それどころか、自ら望んだ事とはいえ、傭兵団全体の命運という重責を、そのうら若い双肩に担う立場に立たされていた。

 それが、天才である彼の宿命と言ってしまえばそれまでだ。

 そして、ティオ自身も、意識的か無意識的かは分からないが、そんな自分の状況を大人しく受け入れている印象だった。


 それでも……サラは、ティオの楽しげな笑顔を見ると、願わずにはいられなかった。


(……ティオが、こんなふうに、もっと……もっともっと、笑っていられたらいいのに……)



「……ティオ……ごめん……」


 サラは、ポツリとつぶやいた。

 ついさっき、ティオの天才さを実感し、そのあまりに人間離れした様子を目の当たりにして、思わず(化け物)と思ってしまった自分を、とても恥ずかしく思っていた。


(……ティオは、何も悪くないのに……)


 酷い事をしたという罪悪感。

 常人を逸脱した彼の存在を受け入れられなかった自分の狭量さを忌々しく思う。

 そして、天才故に自然と多くの重責を担ってしまう彼の人生を考えると、とても悲しい気持ちになった。


(……私は、今まで、この力のせいで、人からいっぱい怖がられてきた。……)


(……ティオも、そういう事、あったのかなぁ。……)


 異能力のため普通の人々に馴染めない自分の姿と重なって、みるみる胸が苦しさでいっぱいになる。

 初めてティオに会った時、彼は「ずっと一人で旅をしてきた。」そう言っていた。

 あの時は、ただ「ふーん。」とさほど興味も持たず聞き流したセリフが、今は深い孤独を感じる言葉となって、サラの心の奥に沁みてきた。


(……私も……ずっと一人だった……ティオに会うまでは……)


「……サラ?……サラ?……」

 ティオが呼ぶ声が、なぜか少し遠くに感じられて……

 こちらを向いて慌ててガタンと椅子を引き立ち上がるその姿が、急にぼやけて見えた。

 ティオが立つと、それまで使っていた机と椅子が、手元で眺めていた本と共に、スウッと掻き消えていった。


「どうした、サラ?」

 ティオは心配そうな顔で歩み寄ってきたが、途中でハッと気づいたらしく、一旦足を止めた。

 けれど、すぐにまた歩き出し、サラのすぐそばまでやって来た。


「なんで泣いてるんだよ、サラ?」


 「え?」とサラは、ティオの言葉に驚いて、改めて彼の顔をまじまじと見つめた。

 (どうしてそんなに心配そうな顔をしてるの?)と、思う。


「……私、泣いてないよ。」

「い、いや、泣いてるだろう?」

「泣いてないったら。私、今まで一度も、泣いた事なんて、ないもん。」

「でも……」


 ティオは、やはりためらっていたが、やがて、そっと手を伸ばして、サラの目元に触れた。

 上に向かってカーブを描く金のまつ毛が密集したサラの目尻に、ティオの指が触れると、その指は温かな水に濡れた。


「……あれ?……」


「……私、泣いてるの?……」


「……なんで、泣いてるの?……」


 サラの、晴れ渡った春の空のような明るい水色の瞳から、透明な熱い涙は、次から次へと溢れ、頬を伝って落ちていった。

 サラは、混乱と恥ずかしさから、反射的に首を捻ってティオの手を避けた。

 グイッと自分のオレンジ色のコートを引っ張り、ゴシゴシと慌ただしく顔を擦る。

 「あんまり擦ると、顔が腫れるぞ。」とティオに止められたが、お構いなしにゴシゴシ拭き続け、おかげでサラの白い柔肌は、あっという間に赤くなってヒリヒリした。

「……ううっ。痛いよぅ。……」

「……だから言ったのに。」


「……ティオ、私、なんで泣いてるの?……」

「……そ、それは、俺にも良く分からない。」

「……あ、あのね、あのね、ティオ、本当にね、私、今までこんなふうに泣いた事、一度もないんだよ。本当に、本当なんだよ。……私、なんで泣いてるんだろう? ねえ、なんで?……」

「……サラ、横になって眠った方がいい。」


 混乱して泣いては、自分が泣いているという事実にますます混乱するサラを、ティオはそっと肩に手を添えて、長椅子に横たえさせた。

 ずり落ちていた大判のひじ掛けを取って、小さなサラの体を包むように掛ける。

 そして、幼い子供を安心させる時のように、静かな声でゆっくりと語りかけた。


「……ごめん、サラ、言い忘れてた。精神世界は意思の世界だから、いつもより感情の振れ幅が大きくなる傾向があるんだ。」

「……か、感情の、振れ幅?……って、何?……」

「ええと、そうだな、普段も『嬉しい』とか『悲しい』とか、いろんな気持ちになるだろう? いわゆる喜怒哀楽と言われるものだな。それが、この世界だと、いつもより強く強烈に感じられるようになるんだよ。そのせいで、情緒が不安定になりやすいんだ。」

「……そ、そうなんだ。知らなかった。……」

「悪い、俺が最初に説明しなかったから。……俺はここに来て長いから、まあ、長いつってもまだ二年だけどな、それで、すっかりここに慣れちまってて、うっかり忘れてた。そう言えば、俺も最初はかなりとまどったよ。」


「サラはいつも元気いっぱいで、ここでも全然平気そうにしてたから、つい安心して気を抜いてた。」


「もっとサラに気を遣うべきだった。サラは、まだこの精神世界を認識したばかりで慣れてないもんな。それに、自分の精神領域じゃなく、他の人間である、俺の精神領域に来てるんだしな。こんな事は俺も初めての経験で、どうしたらいいのか、正直良く分からないんだ。」


「サラの身にどんな事が起こるのか予想がついていないのに、お前から目を離すなんて、良くなかった。」


「早く本が読みたいからって、サラがここに居る状態で、物質世界の方に意識の比重を傾けたりするなんて。話しかけられても、本を読みながら適当に答えたりしてたしな。」


「俺としては、サラの安全を考えて距離を置いてたつもりなんだが、それも、サラを気づかない内に不安な気持ちにさせてたのかもしれない。かえって良くなったよな。」


「……本当に、ごめん。」


「ティ、ティオは全然悪くないよー!」

 サラは、ボロボロ涙を零しながら慌てて言った。

 ティオをこれ以上心配させないように早く涙を止めたかったけれど、拭いても拭いてもなかなか止まってくれなかった。


「……わ、私こそ……ごめんね、ティオ……」


 サラがそう言うと……


「なんでサラが謝るんだよ?」


 そう言って、ティオは苦笑した。


読んで下さってありがとうございます。

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とても励みになります。



☆The 13th Sage ひとくちメモ☆

「精神世界の特性」

精神世界は一言で言うと「意思」の世界である。

そのため、喜怒哀楽といった感情が、物質世界よりも鮮明かつ強烈に感じられる。

精神世界に慣れない内は情緒が不安定になる傾向がある。

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