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十三番目の賢者  作者: 綾里悠
第六章 終末と賢者と救世主 <前編>導きの賢者
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終末と賢者と救世主 #5


「お、サラ。」

 本を読んでいたティオが、パッと顔を上げて、自分から声を掛けてきた。


 サラが精神世界の彼の精神領域にやって来ると、ティオはいつも、何もない空中に足を組んで腰掛け静かに本を読んでいるのだったが……

 サラが来た事にはとっくに気づいていても、しばらくは顔も上げず本を読み続けている事が普通だった。

 サラから、「ティオ!」と呼びかけて、はじめて「……また来たのか。」と、ため息混じりにサラに視線を向けるというパターンだ。

 それが、その日は、すぐにティオの方から話しかけてきたので、サラは少し驚いて、パチパチッと金のまつ毛を瞬いた。


「……ええと、その……昨日サラに言われてから、いろいろ検討してみたんだけど、さ……」

 ティオは、スッと何もない地面に降り立ち、同時に手に持っていた本もスウッとどこかに消えた。


 ここはティオの精神領域であるので、彼が細部まで明確に記憶しているものは、『偽物』を作る事が可能だと言っていた。

 いつも読んでいる本は、そうして彼が自分の記憶から作った『偽物』で、出したり消したりが簡単に出来るらしい。


「……これ、どうかな?」

 そう言って、ティオが指差した場所に「何か」がある事に、サラは、その時初めて気づいた。


 精神世界では、「存在」を「認識」していないものは、「存在していない」状態と同じになる。

 見えないし、触れないし、なんなら、その「本当は何かが存在している場所」を行き来しても、空気を素通りするように、何も感じる事はない。

 そんな、物質世界とは大きく違う精神世界の法則に、サラも少しばかり慣れた所だった。


 その時も、ティオが「これ」と言って指し示した事で、サラは初めて、そこに「何か」が「存在している」事に気づき、認識したために……

 スウッと、そのものの姿が見えるようになったのだった。


「あ! 椅子だー!」

「正確には長椅子な。」


 ティオが示した指の先には……

 木で出来た素朴な長椅子が置かれていた。

 もちろん、他には何もないいつものティオの精神領域であるので、真っ白な空間にポツンと一つ長椅子があるという、ある意味奇妙な光景だった。


 サラは、さっそくタタタタッと駆け寄って、近くでしげしげとその長椅子を見つめた。


 長椅子は、ほぼ直線で構成されていた。

 材質は、全て木のようだ。

 釘や金具を全く使わずに、正確に切り出した部位を噛み合わせる事で組み立てる製造方式は、サラにとっては初めて目にするものだった。

 真っ直ぐな座板に、こちらも真っ直ぐな背板が直角につき、同様に両端に肘置きがしつらえられている。

 背板には、装飾と呼ぶにはシンプル過ぎるが、縦長の菱形の空白が等間隔にいくつか並んでいた。

 全体的に簡素ではあるがしっかりとした作りで、適度な重量感と安定感が感じられた。

 フワッと香ってくる、素材となっている木特有の匂いが、深い森を思わせ気持ちが落ち着く。


「えー!? どうしたのー、これー?」

「気に入ったか?」

「うんうん! なんかいい感じの椅子だねー!……座ってみてもいい?」

「どうぞ。……サラが気に入ったのなら、良かったよ。」


 サラは、許可を得て、ポンと飛び乗るように長椅子に腰をおろしてみた。

 思った通り、ビクともしない安定感が、安心を与えてくれる。

 素朴な素材や作りが、むしろ、肩の凝らないくつろいだ気持ちを生んでいた。

 サラは、しばらく、肘置きを撫でてみたり、背板に体を預けてみたりと、座り心地を確かめていた。

 長椅子は、大人が二人並んで座って充分余裕があるぐらいの大きさなので、小柄な少女であるサラには、少し持て余すぐらい広く感じられた。


 ティオはそんなサラの様子を、いつものように5m以上離れた所から腕を組んでうかがっていた。

 最初は少し不安そうな表情をしていたが、サラが嬉しそうに椅子に座っているのを見ると、ホッとしたように息をついていた。


「ティオ、この椅子ってー……」

「俺が作った『偽物』だよ。」


「『本物』は昔自分の家で使ってたんだ。だから、しっかり記憶に残ってて、こうして出す事が出来たんだ。」



「ティオの家?……えっと、確かティオが生まれ育ったのってー……」

「北の大陸エルファナ。」

「そこにあった家で使ってた椅子なんだねー?」

「ああ。今はないけどな。俺の記憶には残ってたから、なんとか複製出来た。」

「え? 今はないの、この椅子ー?」

「椅子も家もない。と言うか、住んでた村ごと焼けたんだよ。完全に廃墟になったみたいだし、今も人は住んでないんじゃないかな。」

「ええ? や、焼けちゃったのー? 火事ー?……え、えっと、それは、なんて言ったらいいのか……」

「まあ、焼いたの俺だけどな。村の周囲10kmぐらいは跡形もなく焼けてなくなったっぽい。針葉樹林のいい森だったんだが、悪い事したなぁ。」

「はああぁぁー!? 自分の住んでる家とか村とか、焼いちゃダメじゃーん! 一体何してるのよー、ティオー!」

「ハハ、まあ、ちょっといろいろあって。今は、その……反省してるよ。」

「……」


 ティオは、冗談めかしながらも、少し寂しげな苦い笑いを浮かべていた。

 いろいろと疑問が膨れるティオの話ではあったが、(これ以上は聞かないでくれ)という気配が彼から漂っていたので、サラはギュッと唇と引き結んだ。


 精神世界では「嘘がつけない」という法則があるらしい。

 となると、ティオが自分の住んでいた村を焼いたのは本当の事なのだろう。

 そして、その行動を悔いているのも、また、彼の言葉通り本当のようだった。

 込み入った事情がありそうだったので、ティオ本人が自主的に話してくれるまでは触れずにおこうと思ったサラだった。


「昨日、サラが言ってただろう? ここはどうも殺風景で退屈だってさ。俺はずっとなんとも感じてなかったんだが、言われてみればそうかもしれないなと思ったんだよ。」


「まあ、正直、サラにはここにはあんまり来てほしくはないんだが、サラの意思とは関係なく引き寄せられるなら、仕方のない事だしな。だったら、サラがここに居る間、少しでも快適に過ごせた方がいいと思ってさ。」


「その……サラが言ってた『綺麗な花畑』とかいうのは、俺が上手くイメージ出来なくてどうしても作れなかったんだ。それで、何か俺の良く知ってるもので、サラにも使えるものが出せないかと思って。」

「……それで、この椅子を出してくれたのー?」

「ああ。すこに座ってると、ちょっとは落ち着くか? だったら、好きに使ってくれ。」


 サラが、わざわざ自分のために椅子を出してくれたティオの心遣いを嬉しく思って、「ありがとう!」と言おうとした瞬間、ティオが、ポロッと零した。


「ここに来るたびサラにドタバタ走り回られるとうるさくてたまらないからな。せっかく静かに読書が出来ると思ってたのに。これからは、その椅子に座って大人しくしてくれると助かるぜ。」

「も、もう! ティオのバカ!」


 用意したお礼が文句に変わってしまっていたサラだった。


「なんなら、そのまま横になって眠っちまってもいいぜ。」

「え?……ここって、眠れるのー? 精神世界、だよねー?」


「えっとー……向こう、物質世界で眠ったら、私の意識が、こっち、精神世界に来たけどー……ここで眠ったら、どうなるのー?」


 精神世界を未だ、眠った時に見る夢の中の世界のように感じているサラにとって、ここで眠る事は、「夢の中で更に眠る」といったイメージで、すっかり頭が混乱していた。

 とまどっているサラを見て、ティオはフッと笑うと、再び空中に腰掛けた。

「特に問題はない。」


「ここで眠ると、精神世界での自己を認識出来なくなるから、精神体、つまり、今のサラの姿は消えるけどな。でも、サラの存在自体が消える訳じゃない。元の、ただの眠っている状態に戻るだけだ。普通に夢とか見るかもな。」

「へー、そうなんだー。じゃあ、寝よっかなぁー。」

「その方がいい。日中は物質世界で起きていて、眠ってからも精神世界で意識があるってのは、慣れてないと疲れるんじゃないか? 物質世界で体は眠ってるから、肉体の疲れはとれるだろうけど、精神的には休まらないだろう? 眠るってのは、生物にとって、疲労した体や精神を回復させるために必須な行為だからな。」

「……え、ええと?」

「あー、コホン。……要するに、眠れるなら、眠っとけって話だ。いいから寝ろ。ゴチャゴチャ考えるのは、サラは苦手だろう? 寝ろ。」

「ふわーい。はいはい。寝ますよーっだ。本読んでるとこ、いっつも邪魔してゴメンねー。」


 サラは、ぷうっと頰を膨らませたものの、確かにあまり難しい事を考えるのは嫌だったので、とりあえず言われるままに寝てみる事にした。


 ふわりと木の匂いのする座板に体を横たえる。

 サラの小柄な体では、足を伸ばしても十分長さがあり、簡易なベッドのようだった。

 5m以上離れた先の空間で、ティオがまた元のように本を開いて読み始める姿をぼんやり見つめた後、サラは静かに瞼を閉じた。



「あ! ねえ、ティオ!」

「って、眠ったんじゃないのかよ!」


 三分と経たずにムクッと起き上がったサラを見て、ティオの手元から、読んでいた本がフッと掻き消えていた。


「だってー。」

「眠れそうにないのか? 何か、心配事でもあるのか?」

「心配事? そういうのはないかなー。うん、なんにもないなー。」

「だと思ったよ! お前、そういう繊細な人間じゃないもんな!……じゃあ、どうした?」

「えっとねー……ちょっとこの椅子硬くってー。なんか、フワーッとした毛布とか、あったらいいのになーって。」

「ああ、確かにそうだな。」


 スッとティオが何もない真っ白な地面に降り立つのを見て、サラはハッと慌てて口を手で押さえた。


(……いい椅子だけどー……ちょっと硬くて寝心地が悪いなぁー。……)

 そう思っていたのは事実だが、言うつもりはなかった。

 せっかくティオがいろいろと心を割いて自分のために椅子を出してくれたのだから、これ以上贅沢を言ったら悪いと思っていた。

 しかし、精神世界では物質世界より思った事が表情や行動に出やすいらしく、ツルッと口が滑ったのだった。


「ちょっと待っててくれ。何か出してみる。」

「あ、えっと……」


 サラが「やっぱり要らない!」と言うより前に、ティオは目をつぶって意識を集中させ始めてしまった。

 タイミングを逃してしまい、仕方なくジッと待っていると……

 やがて、スウッと、サラが横になっている座板の上に、座布団が出た。

 椅子に合わせてピッタリと仕立てられたような大きさのものだった。


 更に、もうしばらくして、パ、パパ、といくつかのクッションと、フワッと一枚の布が現れた。

 クッションは椅子の背に並べられるように収まり、布はサラの体を覆うように掛けられた。

 現れた布は、毛布というよりは、大きさ的にも薄さ的にも、ひざ掛けのようなもののようだった。


 座布団、クッション、ひざ掛けの布、その全てが、同じ種類の織物で作られていた。

 座布団の方はしっかりとした素材、クッションの方にはもっとふんわりとした素材が詰められている他は、素材も織り方も同じもので、模様も全体的に統一感があった。

 この長椅子のために作られ、使われていたもののような印象を受けた。


「これって……」

「椅子と同じで、俺の家で使っていたものだよ。椅子のそばにいつも置いてあった。……最初から一緒に出せば良かったのに、どうも俺はそういう所に気が回らないよなぁ。」

「う、ううん! あ、ありがとう!」


 サラは、今度は慌ててティオにお礼を言った。


「それで、少しは寝心地が良くなったか?」

「あ、うんうん! とってもいい感じー!」

「そうか。」


 ティオは、ホッと一安心した様子で、大判のひざ掛けにくるまるサラの姿を見つめていた。


 精神世界に居る時は、今まで特に暑さ寒さを感じる事はなかったサラだったが、こうして柔らかな布で体を覆っていると、ふうっとなんとも言えない安心感が込み上げてくる。

 落ち着いてフワフワといい心地になり、これならぐっすり眠れそうだと思った。


 改めて、クッションの一つを枕代わりにして、ひざ掛けに包まれた体を長椅子に横たえる。

 その時、サラはふと、その織物の模様に目をとめた。

 最初は座布団、クッション、ひざ掛け、などのイメージしかなかったものが、触れている内にだんだんと鮮明なイメージを持っていく。

 「認識」する事で、その「存在」がより確かなものになってゆくのは、精神世界ならではの性質だった。


 良く見ると、織物の模様は素朴にして色鮮やかで、とても美しかった。

 見た事のない配色や柄は、やはりこの辺りの地方のものではなく、ティオがかつて住んでいた北方の大陸独自のものなのだろうか。

 きめ細やかな織り上がりに、織り手の繊細で丁寧な仕事ぶりが感じられる。

 この長椅子にピッタリのサイズであった事も、全てのものが統一感のある色柄で揃えられている事からも、作った人間の心が温かくこもっている気がした。


 ティオの暮らしていた村では、どこの民家にもあったごく当たり前のものだったのかもしれないが……

 その一つ一つには、そこで暮らしてた人間の思い出や気持ちが染み込んでいるように感じられた。

 世界に二つとない、大事な宝物のように思えた。


「ティオ、これ、この模様、可愛いねー。……なんだろう、これ、動物ー? これは、耳が長いからウサギでしょう? こっちは、鳥かなぁ。これは、シカー?……いろんなお花や果物の模様もあるー。」

「ああ、模様によって、それぞれ意味があるらしい。クマは強さ、フクロウは長寿、ウサギは子孫繁栄、とかな。後、なんだったかな? 植物や果物は、大体豊穣祈願だったような。……もっとちゃんと、聞いておけば良かったな。俺はそういう装飾的なものには疎くって、つい聞き流してたから、あまり詳しくないんだ。……とにかく、そういう願いを込めて布に模様を織り込む伝統が、俺の住んでた地域にはあったんだよ。」


 少し目を細めて、サラの掛けた布を見つめているティオの表情には、苦しそうな悲しそうな、なんとも言えない感情がうっすらと浮かんでいた。

 普段はあまり自分の本心を見せようとしないティオだが、精神世界に居る時は、隠していても気持ちが表情に滲み出てしまう所があるようだった。

 サラは、そんなティオを見て、ギュッと唇を噛み締めた。

 そして、敢えて明るく笑って言った。


「私、この模様好き!……ほら、近衛騎士団の偉い人が着てるマントみたいな、キラキラした豪華な刺繍も綺麗だなーって思うけどー……この織物の模様は、凄くあったかくて優しい感じがするねー。私は、こっちの方が好きだなー。」

「そっか。サラが気に入ったのなら、良かったよ。」


 そう言ってティオが、ふっと柔らかな笑顔を浮かべたので、サラはようやくホッとした気持ちになった。


「……あ、あの、ティオ、あのね……」

「うん?」

「昨日は、センスがないって言っちゃって、ゴメンね。」

「いや、俺に美的センスがないのは本当だしな。特に気にしてないよ。」

「……で、でもぅ……誰でも得意な事と苦手な事ってあるしー、そういうのに文句を言ったらいけないよねー。本当にゴメン。もうしないから。」

「そんな、サラが気に病む事じゃないって。俺は本当に気にしてないから、サラも気にするなよ。それに……」


 恥ずかしさと気まずさで、すっぽりと大判のひじ掛けに体を隠し、目だけキョロキョロとのぞかせているサラに、ティオは優しく笑ってみせた。

 そして、どこか遠い昔に思いを馳せるように、深い森のような緑色の目を細めてつぶやいた。


「……センスが悪いなんて言われたのは久しぶりで、ちょっと懐かしかったよ。……」


 ティオは、再び元のように何もない空中に腰掛け、どこからか取り出した本を静かに開いた。


「じゃあ、おやすみ、サラ。」

「うん。おやすみ、ティオ。」

 

 そっと目を閉じると、程なくサラは眠りに落ち……

 ティオが言っていたように、精神世界の風景ではなく、普段通りの夢を見た。


読んで下さってありがとうございます。

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☆The 13th Sage ひとくちメモ☆

「長椅子」

精神世界において、ティオが、サラが休めるようにと、自分の記憶から複製したもの。

かつてティオの住んでいた家で使っていたものらしい。

大人二人がゆったり座れる大きさがあり、座布団やクッション、ひじ掛けも一緒に複製された。

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