王都での出会い #3
「サラは、まだこの都に来たばっかりみたいだけど、誰かと一緒に来てるの?」
「ううん、私一人だけ。そういう眼鏡君、じゃなくって……」
「ティオだよ。」
「ティオは、どうなの?」
「俺も、ずっと一人だよ。」
ティオは、細い路地が不規則に交差する裏通りを、スイスイと迷いのない足取りで歩いていく。
城下町だけあって、狭い面積の土地に、石造りの家屋が肩を寄せあうようにひしめいており、大通りから外れると、途端に空が狭くなった。
道は街のあちこちを流れる川に沿って曲がっているものがほとんどで、ほんの少し歩いただけで、サラにはもう入ってきた城門の位置も分からなくなっていた。
方向音痴のサラには、ナザール王国の王都は、まるで迷路のように感じられた。
ティオはサラに道筋を示すように少し前を歩きながら、時折振り返って話しかけてきた。
「サラは、一人でこの都に来たんだ? この街に知り合いでも居るの? 前にも何度か来た事があるとか?」
「ううん。知り合いは居ないし、この街に来るのもこれが初めて。」
「じゃあ、いろいろ分からない事があって困ってるんじゃないの? 大丈夫?」
「今の所は全然平気。……ティオは、この街に住んでるの?」
「いや。俺もつい三日前に来たばっかりだよ。」
ティオがどうやら小柄な自分の歩幅に合わせて少しゆっくり歩いてくれている事に、しばらくしてサラは気づいた。
「え? 来たばっかり? その割には、この街に詳しい感じがするんだけどー?」
「これぐらいの規模の街なら、三日も居れば慣れるって。それに、いろいろ調べたりもしたしね。新しい街に着いたら、まず情報収拾するのは基本だろう?……さ、着いたぜ。この店だよ。」
まるでもう、街の細い路地の一本一本まで知り尽くしていそうなティオの振る舞いにサラが圧倒されている内に、いつの間にか、食堂の前についていた。
□
建物の片側が川に面しているのは、この街では良く見かける光景のようだ。
店は、大通りからかなり奥に入った場所にあったが、ちょうど昼時という事もあって、なかなかの賑わいを見せていた。
客は大工や鍛冶屋といったこの街で働く男達が主で、昼の休憩時に料理と酒を求めて来ている様子だった。もちろん夜になれば、もっと酒の量が増え、ますます騒がしくなるに違いない。
ティオによると「どの料理も安くて美味いんだよ。」との事で、どうやら地元の人々が日々利用する庶民的な食堂らしかった。
「あら! お兄さん、今日も来てくれたのかい。よっぽどうちの料理が気に入ったんだねぇ。今日もたくさん食べていってちょうだいよ。」
店の敷居をくぐると、ビールの泡が零れそうな木のジョッキをいくつも持って運んでいたふくよかな中年女性が、親しげな笑顔でティオに呼びかけてきた。
ティオは「どうもー。」とヘラヘラ笑いながら答えていたが、女性が忙しそうに行き過ぎると、ポツリと感心したように呟いた。
「俺、昨日一回しか来てないんだけど、良く覚えてるなー、あの人。やっぱり客商売って、そういうの大事なんだな。」
「え? ティオみたいな変な見た目のヤツが来たら、誰でも一回で覚えると思うけどー?」
「はぁ? 俺の見た目のどこが変なんだよ? ごく普通だろ?」
「……うわぁ。自覚なかったんだ。」
そんなやりとりを店の入り口付近でしていると、先程の女性がビールをテーブルに配り終えて戻ってきた。
ティオは女性に向かって上を指差しながら話しかけた。
「屋上の席に行ってもいいですか? 今日は天気がいいから、景色を眺めながら食べたいなぁと思って。」
「はいはい、どうぞー。……それにしても、お兄さん、今日はずいぶん可愛い女の子を連れてるわねぇ。彼女?」
「違いますー! 私は、コイツとはついさっきそこで会ったばっかりの、赤の他人ですー!」
「あらあら、ごめんなさいね、可愛いお嬢さん。」
絶対にティオの恋人などと思われたくないサラは、当然即座に否定した。その勢いに、給仕の女性は少しビックリしたようだった。
サラは、ちょっとムッとしかけたものの「可愛いお嬢さん」と言われたので、あっさりと機嫌が直っていた。
「じゃあ、屋上の席に行こう、サラ。」
サラは、ティオに促されるまま、店の奥にある階段をのぼった。
一階のテーブル席は既に、常連客らしい無骨な男達でほとんど埋まっており、ビールのジョッキを手に赤ら顔ですっかり出来上がっている者も多かった。
明らかによそ者で、かつ未成年同士の男女が二人きりで訪れるのは珍しいらしく、チラチラとこちらをうかがっては噂している者も居た。
(……この辺のテーブルでは食べたくなかったかもー。良かった、ティオが屋上に行ってくれてー。……)
常連客が、自分の慣れた場所で酒が入って気が大きくなり、馴れ馴れしくこちらに話しかけてくるのはありがちな事だった。
向こうは興味本位で面白おかしいかもしれないが、見た目のせいで大人の男に舐められがちなサラにとっては、ちっとも嬉しくない行為だった。
もっとも、嫌がるサラにあまりしつこく絡んだ輩は、もれなく容赦ない鉄拳制裁を受ける羽目になるのだったが。
(……ひょっとして、気をきかせてくれたとか? まさか、ね。……)
調理場から流れてきた長年の煤で黒光りする木の階段を登りながら、前をゆくティオの大きな背中を、サラは黙って見つめた。
□
「わあ、いい眺め!」
「だろ? 今日は晴れてるから遠くまで良く見えるな。」
サラは、屋上に着くと、端まで駆けていって、木製の手すりから身を乗り出した。
すぐ下には、城下の街並みの隙間を流れる川のせせらぎがあった。
そして、視線を上げると、今度は遠く地平の果てまで見渡す事が出来た。
所々高い建物に遮られ、大地には水蒸気を多く含んだ春特有の霞がかかってはいたが、視界の端から端までいっぱいに、ナザール王国都付近の平原が広がっていた。
地平の果てには、山脈がうっすらと青く列をなし、そこから緩やかに蛇行しつつ、水量豊かな川がこの都まで伸びている。
都の郊外は、人工建築物が密集した城下町から一転し、城壁から離れる程家がまばらになっていく。
なだらかな丘陵の多くが農地として耕され、牧草地には放牧された羊や牛の姿がごま粒のように無数に散らばっていた。
「この国は気候が温暖で水も豊富だし土壌が豊かだから、農業が盛んなんだよ。まあ、他に特に有力な産業がある訳じゃないから、強国って感じじゃないけどな。領土も狭いし。」
「でも、こうやって見ると穏やかで凄くいい感じ!」
「確かに、貧しいけど平和なのが取り柄って所はあるな。……近隣諸国との戦争は、もうかれこれ四十年は起こっていないんだ。四十年前の戦での大勝が転機になって、その時ナザールに侵略しようとしていた近隣の国々に不可侵条約を結ばせたんだよ。まあ、この国は土壌は豊かだけど、貴重な鉱山とかはないし、交通の要所でもない小国だ。そんなに苦労してまで占領したい土地じゃなかったってのもあって、それから他国は一度もこの国に攻めてきてないんだ。」
「ふうん。」
「その時の国王がナザール王国史に残る賢王で、この都と今の王城を築いたんだ。都の守りを固めるのと、市民の生活の利便性を考えて、城壁の外を水堀で囲ったり、街の中心に川を流して水路が隅々まで行き届くようにしたんだ。……実際は、それから一度もこの都が戦で攻められた事がないから、効果の程は分からないんだけどな。」
ティオは、サラのそばに並んで立つと、あちこち指さしながら説明してくれた。
もっとも、そんなティオの解説を、サラはほとんど適当に流して聞いていた。サラは、政治にも戦争にも歴史にも、全く興味がなかったので。
それでもなんとなく、この都のあちこちを川や水路が走っているのだという事だけは、今まさに見ているその独特な景観と共にサラの記憶に残った。
「で、あれが、そのナザール王城だな。」
「わっ! 本物のお城だ! 私、絵の中でしか見た事なかった!」
「ハハ。まあ、ごく普通の城だけどな。この辺一帯は基本平坦な地形だから、城を築く時、土台にかなり土を盛ったらしいぜ。見晴らしを良くして城下や周辺地域の様子を見張る意味もあるんだろうけど、やっぱり城は高い所にないと、それっぽくないだろ? 国王の威厳の象徴ってヤツだな。」
南の平原からぐるりと視界を巡らせて、サラはようやく王城に気づき、はしゃいでいた。
それは、サラが旅の途中どこかの町で見かけた紙芝居屋の絵の中に描かれていたものと良く似ていた。
城下町は、中心に行くにしたがって貴族の住居が多くなり、建物や敷地も大きくなっていくが、王城はその中で一際立派な目を引く建築物だった。
一段高い場所に築かれた城壁の内には、高い尖塔をいくつも持った白亜の城がそびえ立ち、春の陽光を浴びて輝いているかのようだった。
□
サラが初めて見る城に感動していると、階段を登って先程の給仕の女性がやってきた。
「サラ、そろそろ席に座ろうぜ。」
「う、うん。」
ティオに言われて、サラは慌てて手すり近くのテーブルについた。
屋上の席にも、ちらほらと客は居たが、一階や二階の席に比べるとずっと静かだった。
男女二人や、一人客ばかりで、皆喧騒を嫌って静かに食事を楽しもうという雰囲気だった。
ティオに促されてサラがとっさに座ったのは、中でも他の客からは離れた場所にあるテーブルの席だった。
「わざわざこんな所まで運んでもらってすみません。これ、少ないですが。」
「あらぁ! お兄さん、気がきくのね。ありがとう。ウフフ。」
水差しとコップを持ってきた女性は、ティオから何枚かチップとして銅貨を貰うと、嬉しそうに二人の前に置いたコップに水を注いだ。
「さあ、それで、何を食べるの? うちの料理はなんでも美味しいよ!」
「そうですね、じゃあ、魚料理と肉料理でお勧めのものを適当にいくつかお願いします。蒸したもの、焼いたもの、煮込んだものならなんでも。生はちょっと食べられないので、火の良く通っているものを頼みます。あと、パンとスープもたっぷり下さい。とりあえずはそれで。後は食べながら追加で注文します。」
「まあ、景気がいいわね! 分かったわ! うちのお勧め料理を持ってくるわね! ちょっと待っててちょうだいねー!」
ティオは迷う様子も見せず即座に注文し、給仕の中年女性は笑顔で階段を降りていった。
□
サラは、そんな二人のやりとりを、ポケッと眺めていた。
ティオから「奢るから飯に行こう。」と誘ってきた事ではあったが、実際にティオがどんどん決めて進めていくおかげで、サラは特にする事がなかった。
ボケーッと座っているだけで良かったので、本当に終始ボケーッとしていたサラだったが……
ある事に気づいて、ハッとなった。
「え!?……ちょ、ちょっと待って、ティオ!」
「どうした、サラ? そんなに腹減ってんのか? もうちょっとだから待ってろよ。」
「そうじゃなくって、ティオ、あんた……お金持ってないんじゃなかったの?」
「いや、持ってるけど? 持ってなかったら、こんな店に来る訳ないだろ?」
「だ、だって、さっきならず者達に襲われてた時、『お金持ってません!』って言ってたよね?」
興奮のあまり思わずガタッと立ち上がり、バンとテーブルを叩いて詰め寄るサラに、ティオはさらりと言った。
全く悪びれた風もなかった。
「あー、あれは、嘘。」
「嘘ぉ!?」
「だって、あんなヤツら相手に『俺、金メチャクチャ持ってまーす!』なんて言ったら、ぶん殴られて全部取り上げられるのがオチだろう? そんな状況で、本当の事なんて言う訳ないじゃんか。」
「た、確かに、そうだけど……」
サラが呆然としたまま言葉を失っていると、ティオはまだ疑っていると思ったのか、ひょいと懐から皮で出来た小袋を取り出した。
色あせた紺のマントの下には、何が入っているのやら斜めに大きな布製のカバンが掛けられていたが、財布はそこからではなく、まるで手品か何かのように、マントの影からひょっこりと出てきた。
しかも、四つも。
それをティオは、分かりやすいように、テーブルの端に、ポンポンと並べてみせた。
それぞれ色や形が異なる皮袋ではあったが、口の紐を緩めると、どれも中にはぎっしり硬貨が詰まっていた。
銅貨や銀貨が主だったが、金貨がどっさり入っている袋も一つあった。
それは、サラが今まで続けてきた旅の中で初めて見る量の貨幣だった。
これだけの金額の硬貨を持ち歩いている人物に、サラは今まで会った事がなかった。
サラがあんぐり口を開いて固まっているのを見て、ティオは再び手際良く財布を懐にひょいひょいとしまいながら、ニカッと得意げに笑ってみせた。
「俺、実は結構いいとこの息子で、金持ちなんだよねー。」
「ええ!? ゼンッゼン、これっぽっちも、まったくもって、そんな風に見えなーい!」
「ハハハ。ま、とにかく、金は持ってるから心配ないって。安心して好きなだけ食えよ、サラ。」
「……う、うん。」
ティオにピラピラと手を振られてさとされ、サラは慌てて再び椅子に腰をおろした。
□
(……あ、そう言えば、さっきお水を持ってきた女の人にチップ渡してたっけ。……)
(……い、いやでも、あんなおっかない見た目のゴロツキに囲まれて、良く平然と嘘つけたよねー?……)
サラの頭の中は、しばらくグラグラ混乱していた。
ならず者達に小突かれて、頭を抱えてうずくまり、ムダに大きな体をブルブル震わせていたティオの姿を思い出す。
改めて、テーブルの向かいに腰掛けたティオ見つめると……
あの時、初めてティオ見たサラが感じた「臆病で情けない」雰囲気は、今は微塵も感じられなかった。
ティオは、ごく普通の青年、いや……
何があってもビクともしなさそうな、堂々とした落ち着きを感じた。
それでいて、流れる雲のように飄々として、刻々と姿を変化させる掴み所のなさもあった。
(……えー? あのビクビクしてたのも、全部嘘ー? 演技だったのー?……)
良くも悪くも、サラが今まで出会った事のないタイプの人物である事は、間違いなさそうだった。
(……ティオ、コイツ……実はとんでもない食わせ者なんじゃないのー?……)
眉をしかめてジイッと見ているサラに気づくと、ティオはへらっと能天気に笑った。
「飯、楽しみだなー。早く来るといいなー。」
サラが不信感丸出しで睨んでも、全く気にしていない様子だった。
サラは確信した。
(……やっぱりティオって、信用しちゃダメなヤツだ! コイツの言う事は、絶対信じないようしよう!……)
うんうん、と一人腕組みをして何度も頷くサラだった。




