カナリア色が尾を引いて(改稿版)
こちらは改稿版です。ちょっと文字数を増やしています。
名前が無かった子供たちがいた。
人も文化も自然も野ばなしの土地にいた彼らはどこにも行く当てが無かったから、何人かで一緒に過ごしていた。
降雨林の中に作りかけで放置されたような白いコンクリートの建物で寝起きし、色んな場所へ出かけて、靴みがきや道案内や動物の預かり人や、とにかく色んなことをして日銭をかせいでいた。子供たちの間には固いというより傷にも似たつながりができていた。
林の近くの町はいつもおだやかで、優しい人なら古い毛布をくれる人もいる。いつも同じように朝が来て、夜が来るような町。来る人と言ったらたまに遠くから来た人が通りを歩いているぐらいだ。けれどそこからその辺りで一番にぎやかな街に歩いて行けば、通りには毎日露店がならんでいる。中にはその場で焼いた肉を売る店もあった。太い鉄串にさした肉のかたまりが焼かれると、こげ臭さ交じりの香ばしい匂いが立ちのぼる。ぞんざいに串ががらりと回されるたび、したたる膏がしゅうしゅうと声を上げた。みな見て見ぬふりをしているのに、その店を通るたびにくぎ付けになってその様子を見ている子供もいた。
埃やガスに汚れた大きな都市にみんなが行ったのは、一度だけだろう。少し距離のある道のりを歩いた末に子供たちが見た都市は、まるで鉄のからみ合う巨大なひとつの建物だった。空がせまいせいか、昼間なのに暗く、人の街なのに人の気配がほとんどしない。青白い空気が満ちていた。
その大きさに、とまどった顔を見合わせたり首を振ったりして会話を交わしていた子供たちが珍しかったのか、暗い通りの奥から一人の人間がふらりと歩いてきた。放心したような目の、やせた少年だった。
無口な少年に子供たちは、まるで知り合いだったかのように話しかけはじめた。少年は名前どころか記憶もあやふやだったが、子供たちも程度の差こそあれ同じようなものだった。
誰かの話とまちがえていなければ、その変な少年が僕だ。
*
僕はいつも一人だけ黒い服を着ていた。白い建物や林にも、さわぐ子供にも、めずらしそうな顔をしていた。仲間になって少しすると、子供たちにきちんとした名前はなくても、代わりのようなものがあることを教えてもらった。と言っても、名前なのか分からないほど簡単なものだ。木の種を集めてばかりいるやつがいれば「ドングリ」になるだろうし、拾ったボールをけってばかりいる子はその通り「ボール」になる。つまり、遊びの一つだ。
あだ名とちがうのは、自分で名前をつけることもあるということと、本人が気に入っている名前であるということ。そんなものだから、「名前」はしょっちゅう変わる。聞くたびにちがう答えを返す子供も多かった。
僕が仲間になってから月日がたち、小さい子の相手をするぐらいになったころだろうか、遠くからたくさん人が来るようになった。街では知らない文字を見るようになったし、きれいな服を着た人が多くなった。あちこちで家が建てかえられ、道が新しくなった。
変化は僕たちのいた町にもおとずれた。そこでみんなは初めて、子供は大人に守られるものだということを知った。そうして気がついた時には、みなそれぞれ行く場所が決まっていた。
あわただしい別れの様子を、僕は立ちっぱなしでながめていた。林の中には数人の仲間をむかえに来たと見える小さなバスがとまっていた。ちょっと古くて、白い体の横腹に赤い線があるやつだ。車の横には男の人がいた。上にはパーカー、下はぴったりしたズボンをはいている。ちらちらとこちらを見ていて、出発の時を待っているようだった。
みんな不安はあったに決まっているけれど、それは町の他の人たちも同じだったから、はなればなれになることになっても明るくいようとしていたのだろう、みんなで握手を交わしていた。後ろからそれを見ていたら、「お前も」と、体の大きい男の子がこちらにも手を差しだしてきた。
「生きてまた会おう」
名前のなかった子供たち、僕たちがさいごに握手を交わしたときの言葉はそんなだったろうか、多分……
*
僕は別に黒が好きというわけではない。けれど自分に合っているとは思う。
気が付くと僕はなぜか親子ほども年が離れていない青年に引き取られていた。短い黒髪に夜空色の目をしていた。僕も骨ばった体だったけれど、彼はスーツを着てもごつごつした骨の形が分かるほどだった。
男の住まいはそれまでいた町から少し離れた都会の高いビルにあって、窓が広かった。都会でこんなに明るいと思ったのは初めてだった。空がよく見えるので、電気を消した昼の部屋はいつも青かった。
男について、あまりいい思い出はない。言葉を覚えろと本を投げていなくなったかと思えば、突然怒られたり見下されたり。僕を見ている時も、一人でいる時も、何だかずっと怒ったような顔をしていた。世の中はこうだ、お前はこうだと、ことあるごとに決めつけるのにつっかかって、追い出されたら困る立場なのに喧嘩ばかりだった。
あの人が遠い親戚だと分かっても、なぜこの人は自分を引き取ったのだろうという僕の思いはつきなかったのに、仕事の仲間や家族からさけられているようだと気づいてからというもの、そんな風に思わなくなったのだから、ほんとに僕は嫌なやつだと思う。
僕はまた「ちゃんとした」名前で呼ばれるようになったけれど、僕はまだひそかに自分で「名前」をつけていた。植物の本にアカシアの写真がのっているのを見た時、「名前」のことを思い出したからだ。
林にいたころにもどりたいとは思わない。でも、疲れたのかもしれない。
約束は確かめないもの、それぐらい僕だって知っている。それでもあるとき僕は、何気ないようにビルを出て、車や人が行き交い工事の音がひびく街の中を、ふらふらと地下鉄に向かって歩きだしていた。
着いた駅から出ると、町は変わらずさわがしかった。前にはなかった高い建物があった。
僕は行って何をしようとはっきりと考えていたわけではなかった。本当に仲間と会える期待をしていたかどうかも分からない。それでも目的の家をさがしていたとき、むかしから町に住んでいた人に声をかけられたことで、そこからするすると会いたい人がどこにいるのか知ることができた。それからどうしたかって? 決まっている。
僕には特に気になる子供がいた。なぜか一緒にいることが多かった年下の子供だった。「名前」は何だったろう。やわらかな茶色の髪と伏せられたまつげ、あどけない丸い顔。でも気まぐれで心をなかなか開かない。
その子供を引き取ったのは、町が変わり始める少し前にやってきた老夫婦だった。特に少年を気に入ったのは主人の方だった。その人が初めて少年を見たのは、きっと市場のある街だ。最初は場所を選ばずにちょっと話をしにくるぐらいだったのに、そのうちコンクリートの家までやってきて少年にかまうようになった。
家までやってくる大人を子供たちは当然みんな怖がったけれど、その人は他の子供たちにも目くばせするだけで、いらいらと小言をはくことさえしなかったから、やがてみんなだまって見すごすようになった。最初に子供を引き取った大人でもあるその人は、子供たちの今までの生活が終わる一つのきっかけだった。
少年の方はというと、人より動物の方が好きなようで、あとはといえば、食べることぐらい(もっともこれはみんなそうだった)。だから男性がどう話しかけようとたいてい別の方を見ていた。
それでも「写真を撮らせてくれないか、それだけでいいんだ」と彼が言うと、手元をいじりながらもこくりとうなずいていた。
*
「なあ、私達の元に来てくれないか」
ある日の昼、夫婦の部屋の食卓にはごちそうが並んでいたという。
焼けたブレッド、スープに新鮮な野菜。スライスされたローストビーフ。ぽかんと夢のように料理を眺めていた少年に、夫婦が語りかける。
「私たちには子供がいないの。来てくれたら嬉しいのだけど……」
「ほら、どうした?」
主人が子供の小さな顔をのぞき込む。少年はテーブル中に視線をさまよわせてから、一番手元にあるスープを見た。湯気が立っていた。
「食べて、いいの?」
「もちろん、君のためのものだよ。これからは毎日だって食べられるぞ」
少年はそっとスプーンでスープをすくう。あたたかで野菜がたくさん入っていた。一口食べてから、これすごくおいしいと彼が言ったのを聞いて主人は今までになく満足そうにほほ笑んでから、ふと気が付いたように言った。
「そういえば君たちは、仲間内での名前を大切にしていたんだっけね。『スープ』なんて名前もどうだろう。君が自分のことをそう呼ぶだけだろう? やっぱり変かな」
気分がいい時の冗談だったのかもしれない。少年は少しまごつきながら答える。
「うん、いい、と思うけど……」
老夫婦の家は少年が元いた町よりずっと安全な場所にあって、彼はそれまでよりずっとおだやかな生活が送れているはずだった。主人もそれまで以上に笑うようになって、本当に上手く行きそうだった、という。
だが市場で食べ物を熱心に見つめることもあったはずの少年はある時から食欲を無くし、前よりもいっそう上の空になった。どうしたの、と婦人が問いかけると青ざめた顔で服をいじりながら少年は言った。
「どうしよう。忘れちゃった……」
食事に手を付けなくなって、表情も失くした彼を夫婦も放っておくわけにはいかない。
「今までの生活に戻りたいわけじゃないんだろう? それなら何が不満なんだ」
「別れた子のことを心配しているのなら、大丈夫よ。みんなもう一人じゃないもの、きっと元気でいるわ。ね」
「でも……ぼくは、忘れちゃったのに」
主人は大きくため息をついた。この頃は髪やひげが真っ白になり、いっそう年老いて見えるようになっていた。
「不安なことがあるのなら、相談に乗ってくれる人を知っている」
主人が電話をかけ終わったので、ほっとした婦人が席を立つと彼はもう一度、まだ手を付けていない少年の料理を食べるようにすすめ、溶かしたチーズにつけた温野菜や、香りのする細枝に刺して焼いた肉をどれだけ美味しそうに食べてみせた。話に聞くだけでお腹が空きそうな料理にも、少年は手を出そうとしない。主人がつくろうとした笑顔がつぶれる。
「なあ、どうしてだ? あんなに喜んでくれたじゃないか。出来ることは何でもするよ。だから、頼むよ」
少年はとまどったように彼と目を合わせるものの答えない。
「君が喜んでくれれば、それだけで……」
ふいに主人は一度目をつむると、窓のそばの引き出しから写真を取り出してテーブルの空いた部分にぶちまけた。かつて少年に頼み込んでとったはずの写真を彼は、一つ一つ塗りつぶすように言葉を吐きだしはじめた。
お前はずっと知らん顔していたが、私にも不満はあるんだ、本当は我慢していたんだ。彼のあまりの勢いに少年はびっくりしていたが、次の瞬間にはもう彼の様子など目に入らないほどある写真に見入っていた。
「この写真……」
それは南の果物のような黄色い羽が目を引く小鳥の写真だった。
あんなにきれいな色の鳥だ、売り物の鳥を誰かが放したかしたのだろう。弱って林の落ち葉の中にうずくまっていた小鳥を、少年が拾ってきたことがあった。大したこともできず不安そうに鳥を気にかける少年を見かねて男がかごやえさを買ってくると、少年は珍しいぐらいに喜んでいた。
「そうだ、鳥だ、お前は鳥を飼っていたんだ。本当は私は鳥なんて好きじゃなかった! どうせお前が鳥しか見なくなることは知っていたのに、私は金をかけて籠を買ってきたんだ!」
「この写真……!」
主人が叫んでいるというのに、少年は何かを思い出したようにほほ笑むと、椅子を鳴らして立ち上がった。
写真へのばされた手は、空をつかんで地に落ちた。
*
紅茶の水面がゆれている。
全く知らない匂いの部屋のテーブルの向こうに座る女性は、話し始めた時は糸をまき取るような速さで淀みなくしゃべっていたのに、今は止まってしまいそうなほどのろのろと話していた。自分に向かって話しているみたいに。でも僕は僕で、この人の話を考えていた。
少年が鳥に付けた「ツイバミ」という名前は、そのまま彼の「名前」になるほどだった。けれど、林に人がやって来たり出て行ったりで周りが騒がしくなると、鳥を怖がらせないように、彼はかごを少し離れた場所へ隠しにいくことがあった。もしかしたら、彼が林を去った日も離れた場所に鳥を置いてきたままにしてしまったのかもしれない。連れてきているものとばかり思っていた。
そのまま彼は、鳥の行方や名前を忘れてしまったのだろうか。あんなに可愛がっていたのに、そんなことってあるのだろうか。
そんなことってあるのだろうか、だと?
僕だって鳥のことなんて今の今まで忘れていた。僕こそ、彼の名前さえ思い出せていたら、こんなところまで来なかったかもしれないのに、どうしてそんな大切なことを忘れていたんだろう。
僕は鳥の行方なんて、あの子供のことなんてどうでも良かったんじゃないか……?
――ああ、そうか。
「でも信じて。あの時はどうかしていたのよ。主人は……」
沈黙が部屋に広がる。まるで、ここでは何も起きていなかったとでも言うみたいに。
「私はね、まだやり直せるはずって思う。でも……あの人は火の消えたみたいになってしまった」
「約束なんて守らなきゃいいのに」
「え?」彼女は顔を覆っていた手を外して、僕を見た。
「僕は、もう帰らなきゃ。たぶん、怒られるけど」
席を立とうとした僕に向かって、ためらいがちに彼女が言った。
「あなた、笑っているわ」
「ええ」僕は言った。「……幸せってどんなものなんでしょうね」
こちらはあらすじにある通り「この作品の作者はだーれだ企画」の参加作品です。
企画についての所感はこちらの活動報告で。→https://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/825066/blogkey/2818731/
(企画からではない方、企画の話もしているのでご了承ください。あと長いよ!)