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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
一章 死んだ街と霧の塔
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5 眠気

 四日目の朝を迎える。


 丸三日の眠りから目を覚ました老婆は、ケムリの相談にこう提言した。

「霧が最も深くなる頃、主様は遊行(ゆぎょう)のため塔から降りてこられる。まずはその時を待ってみたらええ」

「遊行ですか?」

 老婆は鷹揚(おうよう)に頷く。

「霧を守るための、(あるじ)様なりの宣教活動さ」


 霧の維持は、塔の主の呪いによる効果を第一とし、ある独自の宗教の成り立ちと共に行われる。国民の信心性が相乗効果を生み、あの霧を作り出しているのだと。それもまた信じがたい話ではあるものの、ケムリには余計腑に落ちない点があった。


 曰く、この国における最重要因子とはまさにこの霧である、という話だった。

 老婆の口ぶりからは比喩の混じり気は感じられない。およそ考えられる国造りの要素――水、食料、資材、土地、金、国民、王――これらすべてを差し置き、真に霧こそが国を国たらしめる財産であると。それを国民全員が同意の上、この常態的な自然現象を国造りの礎としたのだという。


「それが主様のご意向でね」


 少女の理解に及ぶものではなかった。

 国民の総意、それ自体は街の現状を見れば頷ける。誰も彼も地べたに寝そべり、働きも遊びもせず、ただ靄の漂うがままに空虚に身を委ねている。国はただただ衰えていくばかりで、成長や進展といったものは一切感じられない。こういった国家方針にすることで、草の根にとり一体どんな便益が計れるというのか?


「わたし、知りたいです。塔の建築意義や、霧の発生源もさることながら、お婆さんの言う『主様のご意向』とやら。俄然、興味が沸いてきました。国の党首たるもの何かしらの考えはお持ちでしょうが、今のわたしにはとても理解し難いのです。一体全体どんな神の教えの名のもとに、民衆を根こそぎ死人同然へと至らしめるまでに、そそのかした(・・・・・・)のか」


 ケムリなりの精一杯の揶揄だった。

 だが、老婆はただ寛仁深い笑みを浮かべ、黙って少女を見つめ返すばかりであった。そうした笑みを向けれられることで、ケムリは厭でも気づかされるのだった。自分が言葉をぶつけるべきなのは老婆ではない。あの塔の主人なのだと。


「それはそうとケムリ。この宿のお掃除、ありがとうねえ」

「いえ……好きでやったことなので」ケムリは頬を赤くした。


 老婆は見えぬ目をあちこちへと這わせる。

「そうだねえ。見えずとも、肌が感じるもんでね。あんたが言うような『成長』やら『進展』っての、懐かしい響きだけれども、これはこれで悪くないねえ」

 老婆は杖の柄に両手を置き、安らかに目を閉じる。


「霧が濃くなってきただろう、ケムリ」

「はい。三日前と比べても、幾分」

「なら、遊行の時は近いでね。それまでゆっくり休んだ方がええ。今、ひどく疲れてやしないかい?」

 ケムリは躊躇いながら頷いた。

「ええ、まあ……」




 * * *




 ケムリは昨晩目にした、『生きて動く少年』のことを老婆に話さなかった。これには明確な理由があったわけではない。強いて一つ挙げるとすれば、今日の老婆の話を聞いて抱いた『異邦人としての疎外感』だった。異国の地に足を踏み入れた手前、疎外感に苛まれたところで何の文句も言えない。それでもこの国の人間は、あまりにも自分たちの持つ価値観とは違っていた。

 とすればあの少年も、似たような疎外感を感じているのでは、とケムリは思う。

 特にあの少年に親近感が沸いたわけでも、親切心に彼の身を案じたわけでもない。彼が何の目的でここへやって来たのか知れない限り手を貸す義理もないだろう。

 自分やあの少年はこの国においての『異物』なのだ。その自覚がより明瞭となった。これからは自己の身の振る舞い方を改めると共に、なるべく異物による混乱を生じさせないよう努力すべきだろう、とケムリは思い直す。



 昼になり、三階部屋の寝床で横になる。

 少年の件はさて置き、ケムリには一つ引っ掛かることがあった。

 どうして老婆は「疲れているんじゃないのか」などと言ったのか。あまりに断定的な物言いに、素直に聞き流せず喉の奥に引っ掛りを残した。

 実際、その日ケムリの体調は思わしくなかった。身体のあちこちはいつにも増して重かったし、まるで関節という関節に溶けた鉛でも流し込まれたようで、一挙一動さえ気怠く感じるほどだった。

 宿場の修繕作業に明け暮れたからだ、と自分に言い聞かせようとしても、最悪の可能性が頭から離れない。


 何度か寝返りを打ち、身体の気怠さと戦う。視界がまどろむ。自分の意思に反して他発的に瞼が下がっていく。

 ここで寝てしまえば一生起き上がれないのでは。そんな不安が胸をよぎるも、ケムリにはもう、その眠気を我慢出来そうになかった。


 音が徐々に遮られていく。

 細かな水気が頬を湿らした。

 靄に薄らいだ陽光がさらに彩度を落としていくように、ケムリはゆっくりと夢の中へと落ちていった。

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