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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
一章 死んだ街と霧の塔
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4 呪い

 寝床には三階の角部屋をあてられた。その部屋からが最も視界が広く、街を広域に見ることが出来た。

 塔は思いのほか近くにあるようで、家屋を数軒ほど挟んだ真向かいに見えた。


 翌朝になると、ケムリは背中に荷袋を携え塔を目指す。宿前から伸びる中心路をただ直進すれば良いはずだった。

 が、その日も結局ケムリは塔に辿り着くことが出来なかった。行く先々で不自然に道が入り組み、方向転換を繰り返しているうちに感覚がずれ、とどめと言うように元居た場所に戻ってきてしまうのだ。

 まるで街中の建屋が意思を持って彼女を阻んでいるようだった。集合的な結束力を持ち、知れずとその在所を巧みに組み換え、少女の眼前に行き止まりを用意し袋小路に閉じ込める。あるいは、全くの別路へと導いていくように。

 幾度めかの閑歩の末、最後には必ず行き着いてしまう宿屋の前で途方に暮れたケムリはひとり、その場で腕を組んで気難しげに唸った。


 塔に辿り着けない理由を列挙する。真っ先に、街中に立ち込めるこの霧が原因ではないかと考えられたが、これはすぐに却下された。この距離であれば霧で塔を見失うことはなく、いつだってその頭上にはうず高い巨塔が聳えている。道に迷うなどというのは道理に合わない。

 他の誘因としては自身の体調不良による一過性の幻惑作用が挙げられたが、幻惑という意味ではそれも正解と言えそうだった。

 自分の思考が明瞭としている自覚がある今、体調不良の可能性など考えたところで栓のないことだ。とすれば一つ、はっきりしたことがある。


 ――(まじな)いだ。


 ケムリの行商人としての日常は、商売用の呪道具を除いて、魔術や呪術といった神の実存性を土台に造られた霊性術とは無縁だった。商売とはもっと即物的で、実社会の流動に即した律動性のある世界だ。生まれてこのかた父の指導のもと商道の激浪に揉まれ続けたせいで、すっかり気づくのが遅れてしまった。

 恐らくはこの『眼』がなければ、一生この事象の正体に至ることはなかっただろう。

 そもそも自分は何故この国に訪れたのか。それは蛇腹山脈から捉えた、矢のように突き届いた天啓ではなかったか。あの塔に住まう者が「只の人ではない」と直観したからだ。少女の備えた眼には今のところ然したる狂いはなく、これまでも一定の方針へと繋ぐ結果が得られた。しかも、この度の天啓は感応の度合いも段違いだったはず。


 ただし残念なことに、これらの事象が人智の範疇ではないという確信はあるのに、肝心の打開案が一向に浮いてこない。各方術への対応策なき常民たるケムリには無理からぬ事ではあったが、それでも少女は自己の無力さに焦慮し、小さく地団太を踏んだ。




 * * *




 術には術を、という発想もないではなかった。老婆の『名読み』がこの問題にどう効用してくれるかは定かではないが、同じ術師たるもの何らかの一案は投じてくれそうだと期待していた。

 だがその手を借りるには、老婆の覚醒を待つしかなさそうだった。

 ケムリに対して『名読み』を使用したその夜、彼女に寝床を案内したあと老婆はこう言った。


(わっし)もとんと老いたもんでね。術を使ったあとは丸三日は起きれんで。昔は半日も寝れば戻ったというに」


 その言葉を体現するかのように、老婆は一階の談話室にて藤椅子に揺れたまま、長い眠りに落ちてしまった。たとえ無理に起こそうとしても目覚めることは叶わぬであろうというような深い眠りだった。


 老婆が目覚めるまでの三日間、寝床を提供してくれた礼にと、ケムリは宿場の修復作業に手をつけた。

 手始めに壁に開いた穴を木板で埋め、各階の床に積もった砂を外へと追い出した。

 家具や照明具に堆積した厚い埃を拭うと、何枚もの雑巾を手にし、膝頭が黒くなるのも構わず床板を丁寧に磨いていった。

 暖炉の炭を掃除し、気の済むまで薪を割る。呪石を使用して恒常的な火を灯した。裏庭には井戸があり湧き水も潤っていたが、桶の劣化が酷かったためこれにも手直しを加える。

 あらかたの生活環境を整うと、最後に吊り看板の修繕に取り掛かった。これには特にこだわりを込め、一日の大半を費やすこととなる。新しい看板を宿先に下げたケムリは、殊の外得られた満足感にふーんと鼻を鳴らした。


 そのようにして宿場での日々は過ぎていく。それは三日目の夜であった。

 三階部屋の窓辺からうとうとと船を漕ぎ出したケムリは、突如、水で顔を打たれたように我に返る。下方の景色に垣間見た異変へと身を乗り出した。


 少女の眼は確かに捉えていた。

 きょろきょろと不安げに辺りを見回し、身を隠すように路地裏へと消えていった、『生きて動く』少年の姿を。

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