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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
一章 死んだ街と霧の塔
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2 煙霧の巡行

 霧は街の中心に近づくにつれて濃くなってゆく。

 それに伴い、路傍で坐する人の数は多くなっていく気がした。

 濃霧と砂埃で徐々に悪くなっていく視界の中、せめてもの抵抗にと提燈の調整弁をひねって青炎の灯火を強めた。やがてケムリは小規模な広場へと行き着く。

 外れの公共場といった風情で、布告の目的か、低い足台が捨てるように広場中央に置かれていた。脇の縁石では、若い女が虚空に向け無気力に四肢を投げていた。


 広場の出口を見つけ更に歩を進める。

 とっくに陽は落ちているはずなのに辺りは霧色に煌々とほのめいていた。不思議なことに塔に迫るにつれて気温が落ち込んでいくようで、ケムリは薄手の外套の上から二の腕を抱き、かるく摩擦した。

 頭上の塔の居場所をいま一度確認し、無心にそこを目指す。やがて目路が(いぶ)した燻製室のそれとなると、いよいよ提燈を眼前に置かなくては歩くことすらままならなくなった。慎重に歩みを進めたつもりだったが、それでも足元に転がる生きた死人に躓き、または寂れた住居の砂壁に肩をぶつけてしまう。舌打ちを決死の思いで飲み込み、ケムリは半ば躍起に塔を目指す。


 ところが辿り着いたのは、先刻訪れたばかりの布告の広場であった。礎のように捨て置かれた足台に、辟易とした既視感。妖にでも惑わされていない限り見誤りようのない光景だった。

 深い霧のせいで道を違えたかと思い、ケムリはもう一度同じ出口から塔を目指す。今度はより注意深く目標と足元を確認し、一歩一歩、街道を点検するように足を進めた。

 しかし少女はまたしても同じ広場に戻ってきてしまう。何かがおかしいと気づき始めるも、どうして良いものかとそれらしい妙案も浮かばない。たとえ同じ道を辿ったところで、またここへ戻ってきてしまう気がしてしょうがなかった。

 乞うように周囲を見渡す。先ほどの縁石で仰臥する若い女が見えた。思い出したように寒さに震えながら、女に近づく。


「もし。塔へ行くにはどちらへ進めばよろしいでしょうか。あの塔にご主人でもいらっしゃるのであれば、是非一度謁見を賜りたいのですが……」


 女は虚空から眼を外しケムリを一瞥する。彼女が返したのはその無気力な視線のみで、あとはじっと天上を仰ぐことに没頭していた。ケムリは小さく肩を落とし、諦めて女から離れる。


「お諦めなされ、旅の娘子さん」


 びくりと肩が跳ねる。この街において他者から声をかけられたのは初めてで、些か驚いてしまった。見ると、いつの間に居たのか、小柄な老婆が布告の足台に腰を下ろしていた。杖の柄に両手を乗せ、靄影に溶け込むようにそこへ居る。


「最近は霧の状態が良くてね。あるじ様もきっと、しばらく人世にはお見えにならぬはず」


 主様。人世。言葉の真意を斟酌しながら、未だ恐恐としてケムリは口を開く。

「主様とは、あの塔のご主人のことですね。お見えにならぬのであれば、こちらから出向いてゆくまでです」

「ならば好きなだけ試せばええ。だけどもう、とうに薄暮時でね。分かりづらいだろうけれども」


 言うと老婆は一転、握り締めた羊皮紙のようにくしゃくしゃと笑い手招きをする。

「娘子さんや、こちらへ」


 ケムリは何か言いたい思いをこらえた。年長者の手前いつまでも渋るわけにもいかず、大人しく老婆の傍まで近寄る。

 老婆が地を指した。跪け、という意味だろうか。これにもケムリは素直に従い、両膝を地面につける。老婆の顔を見上げるような形で、声もなくハッとした。

 その両眼は一帯の住民とは違い爛々としているものの、虹彩は白灰にくすみ、光は鈍く濁っており、視線の先に少女はいないようだった。盲目、とケムリは心中に呟めく。


「娘子さん、歳は」

「十三です」


 少女の頭に皺だらけの手の平が乗る。

 ふむ、と老婆は漏らし瞼をおろした。


「珠のように愛らしい娘さんのようだね。愛嬌のほうは今ひとつだけど、無垢で純真で、可憐で……それでいで、どこまでも無辜(むこ)な――少なくとも、この国に害為す人物じゃなさそうでね」

 老婆は思惑に耽り、寸時、目を見開く。

「しばしの間、(わっし)の家に泊まっていかれなさい。もう廃業してしまったけれども、うちは巡者の宿場でね。そこをねぐらにして、あとは気が済むまで探検していけばええ」

 そうして老婆は、杖に掴まるようにして膝を立てた。

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