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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
一章 死んだ街と霧の塔
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1 死んだ街

 それは神託じみた直観だった。


 とある炎昼の空の下、行商の父娘は西の都へ向けて荷馬車を走らせていた。

 普請の届かない蛇腹山脈の尾根道。大昔には商売人や旅人の常用路とされていたという話もあるものの、今では見る影もない難道である。父娘もこの路を使うのは初めてだったが、商売相手の義軍が構える野営へ向かうためには都合の良さそうな側路であった。


 ふいに手綱が引かれ、二頭の馬の脚が止まる。そうして少女は遠くの(もや)に目を凝らした。往路は暗がりで気づかなかったが、わずかに天から差し込む幾条かの明かりが靄の塊をいやに幻想的に光らせていた。その狭間に不審な建造物を視認する。荷台で横になっていた父は眠りから半覚醒し、訝しげに娘の視線を追う。


「ケムリ、あの靄の中に何か見えるか」


 ケムリは小さく首肯する。視線を碧落(へきらく)へと投げたまま、その居所を逃すまいとする。常人である父の目には深い森の迷霧にしか見えないが、ケムリの直感は特別だった。人的感覚の良し悪しではなく、ある種の霊性を嗅ぎ分ける特殊技能が備わっていた。

 しばし口を閉ざし潜心する父だったが、愛娘の奇癖には随分と慣れたもので、取り急ぎ荷台の奥から旅道具の一式をかき集め荷袋に詰め込んだ。


「ここいらの山脈の昼は短い。あと数刻もせぬうちに日は沈むだろう。心配するつもりもないが、帰り道は分かるな?」


 ケムリはじっと父の目を見据え、受け取った荷袋の中身を粛々と改める。言うまでもないという、少女なりの意思表示だった。


「馬は」

「いりません」


 馬の手綱を片方持ち上げる父に、ケムリは短く返す。返事は期待していなかったものの、あまりにお座なりな応えに父は肩をすくめる。

 ケムリはマッチを擦り提燈(ランタン)に火を点ける。提燈には微量な呪力が付加されており、灯った青い炎は丸一週間は絶えない。それから胸元の首飾りのありかを手で確かめ、馬車を降りた。「それじゃ」と、さっさと山を下っていく。

 父は御者席に乗り換えながら無愛嬌な娘の背中に声をかける。


「良いかケムリ。十日だ。十日経っても都に顔を見せないようであればお前を死んだものと見なし、たとえ期日を過ぎて戻ってこようが勘当扱いとする。いくら西の都とて、今では皆生きるのに必死なのだ。お前の奇癖にいつまでも構っている暇はないし、残念ながら、そういう世なのだ。命に価値がない時代だ。お前の幼手が今更何をどう足掻こうが……」

「父さま」

 振り返るケムリの面には、この場にそぐわない可憐な笑みがあった。

「無事、十日以内に帰ってきます」




 * * *




 霧に隠れるようにして、唐突にその城壁は現れた。

 壁はそう高くないが、左右を見渡しても霧のせいで壁の跡切れは見通せない。都市の規模さえ不明瞭なものの、朽ちた墻壁(しょうへき)の具合からしてそこが永く荒廃した国であることは察せた。ともかく壁石を見失わないよう時折手を触れながら、ケムリは左方向へと進む。

 ふと人の気配を感じ提燈の火を弱める。足音を殺し、すいとそこへ近づいてゆく。

 靄を分けて見えたのは、門の前で片膝を立てて座り込む青年だった。彼は壁に背をあずけ、顔をひたと下方に向けていた。眠っているのかもしれないと思い、彼のそばへと歩み寄る。やや距離を置いてその顔を覗き込んだ。

 青年の瞼は薄く開いていた。瞳の色は果てしなく薄く、およそ生気の色はない。この状態で彼は死んでしまったのだ、と言われても誰も疑わないだろう。


「あのう、」無駄とは思いつつ声をかけてみる。「わたしは、西の都からまいりました行商の者です。よろしければ、商売のための入場許可をいただきたいのですが……」


 意外にも青年は反応を見せた。ただその挙動はひどく緩慢なもので、わずかにあげた視線をケムリの膝元に推移させ、「ん」と呟めくのみだった。人一倍寡言(かげん)なケムリにしても、それはあまりに無体な対応だった。しばらく彼の言葉を待ってみたが、青年はうつろな目をケムリの膝元へと向けるばかりである。


「矢庭に申し訳ありません。わたしは、この国の名も風習も知らない異邦ものでございます。不景気な商人の、ただの商売開拓でございます。こちらの無知を承知の上でお応えいただきたいのですが、たとえば、この門を通るための入場料は、」


 そのとき、ふっと鼻で笑う声が聞こえた。見れば青年は唇の端を歪め、笑みとも呼べぬ笑みを浮かべていた。その態度に、図らずもケムリは眉根を寄せる。


「入場料が要るように見えるかい」

 彼は親指で後方を指す。その先に山風に軋み音をあげる半壊状態の門扉があった。試しに門の朽ち木に触れると、木目の一部が剥がれて地面に落ちた。

 青年を門番か何かかと勘違いしていたようで、なら一体どうして、とケムリは懐疑的に青年を見る。


「あなたは、ここで何を?」


 青年は相変わらず、少女と視線を合わせず答える。

「獣にさ、喰われちまわねえかなって――待ってんだよ、ここで」


 薄気味の悪さを覚えながら、ケムリは口を噤む。それ以上言葉を交わす気力も意味も感じず、前へと向き直る。半開きの門扉に華奢な身体を通した。

 森だけでなく、街は一帯として重々しい霧に包まれていた。しばしそこらを適当に闊歩してみて、幾ばくもなくケムリはその違和を悟る。

 砂埃の積もった路傍や縁台のあちこちで座り込み、雑魚寝をする街の人々。彼らの瞼は一様に見開かれていたが、門の前にいた青年と同様いずれもその眼に精魂らしきものは宿っていない。生きていて、死んでいるようだった。街は機能を失ったようで、日が落ちかけているにも関わらず周辺の住居に明かりが灯り始める予兆すらない。

 ただ、とケムリは視線を上空に逸らす。


 蛇腹山脈から微かに垣間見たあの存在は、どうやら見間違いじゃないようだった。

 街の中央と思しき場所に、その塔はぽつねんと建っていた。うんと首をひねって見上げるも塔の天頂は伺い知れない。それは霧のせいでもあったし、塔そのものの高さも起因していた。あれだけの高さの建造物はおそらく世界でも類を見ないのではと思われた。この荒廃した国にはあまりにも不釣り合いな近未来的な代物。

 しかも、近傍に立ち込める靄の噴霧どころはあの塔ではないか。ケムリはそうにらんでいた。

 

 少女は手にした荷袋を肩に提げなおす。一度胸元の首飾りを手に包み、短くため息を吐いて歩みを進めた。

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