終 一千日の騎士 ≪設定集≫
≪親愛なる ケムリへ
冒険への誘い、有り難う。
とても魅力的な誘いで、おれも久方ぶりに胸が躍ったよ。そして君と過ごした一か月と少し、数え切れぬほど多くの夢を見させてもらった。
一晩考えたのだが、やはりおれは騎士という仕事に誇りを持っているのだ。
例の恩師から騎士という道を拓かれた瞬間からおれは、『悪には屈さない』、『主君への忠義を通す』という一定の方針のもと剣を握ってきた。その方針に従うならば、おれはこのまま騎士であり続けたいと思う。今後は尽忠に値する主と新たに出会うべく、おれなりに流浪の旅にでも出てみるさ。
だから君と一緒にはいけない。本当にすまない。
君は昨晩、この世界は美しい、と言ったな。
だが、おれにはどうしてもそうは思えない。
父母が殺された時からおれの世界はずっと灰色だった。多くの部下と酒徒、忠心してきた少佐と主君を失くしてから更に色は濃く、墨色にくすんでいった。
そしておれはその灰かも墨かも分からぬ色の世界に酔ってさえいた。今さら世界の壮観を知ったところで、こんなおれに理解できる気も、まして『そっち側』に行ける気もしない。
ただ、これだけは言えることがある。
世界が美しいと語った君の笑顔は、きっと、この世のどんな壮観より美しいだろうと。
おれは日が昇るより前、先にこの地を発たせてもらう。紙面上での別れをどうか許してほしい。
君のおかげで無事酒徒の仇を討つことができた。あのときおれは確信したぞ。君にはこの退廃した人世を救う力があるのだと。
白皮の少年にもよろしくな。
竜という目的を共有する君たち『迷い子』は、引かれ合い、いずれはこの世のどこかで巡り会うだろう。そのときは彼にもよろしく伝えてくれ。
そして最後に、君の名が知れてよかった。心からそう思う。
それではさらばだ。
おれが見ることのできなかった“救いの世界”を 我が“恩人” ケムリへ託す。
ローグン公国軍 第二師団 第九小隊隊長 セヴラン=ドゥニーズ≫
* * *
ケムリは騎士の遺体を引き摺る。
屈強な彼を負ぶっていくことは流石に出来なかったから、背中から手を回し、両脇を抱えるようにして後ろ向きに進んだ。
置き手紙には一つ、矛盾があった。
――おれが見ることのできなかった“救いの世界”を。
何処かの国の騎士になり生き続けるというのであれば、『見ることのできなかった』と記すには齟齬が生じる。もしケムリに世界が救えたなら、命ある限り彼にだって平穏の恩恵があるはずなのに。
騎士の身体は重い。外敵を退けるために築き上げた無敵の肉体は、か弱き少女の手には非常に重たく感じた。
一度彼の身体を地に降ろす。額の汗を払い、光なき硝子玉の目を黙して見詰めた。
もう一度脇に手を差し込み持ち上げようとしたところ、騎士の身体がぐいっと上方へ引っ張られた。
「はは、こりゃ重い。一体どんな筋肉量をしているのやら」
見上げればヘイスティングだった。重いと言いながら、肩で騎士の胴を持ち上げてしっかりと立っている。その面には涼しく美々しい笑みをたたえていた。
「どこまで?」
ケムリは顎から垂れる汗を拭った。
「“酒徒”の隣へ」
「かしこまりました」
ヘイスは騎士の胴を両腕で抱くように支え、一歩ずつ前へと進んだ。
* * *
酒徒の隣に墓穴を掘り終えると、そこに騎士の身体を横たえた。
ヘイスは光なき硝子玉と一度視線を交え、彼の目蓋を閉じさせる。「父と子と聖霊の御名によって――」。胸の前で十字を切り、その額に口づけする。彼は円匙を傍らにどけると、遺体の足元から順に素手で土をかけていった。
「彼が築いた功績はこれから口碑として、長きに渡り後世へと引き継がれるでしょう。劇場では史劇となり、書店では著述家が綴る文学作品となり、絵画となり、音楽となり、唄となり、童話となり、ときには華美なまでの脚色が為されて、そして遥か未来、未知なる娯楽媒体の中でも彼は生き続けるのです。シュネル商会がそのように仕立てあげます。それが君公の命であり、我々の仕事でもありますから。ちなみに、史劇の題はもう決まっているんですよ」
ケムリは両ひざで跪き瞳を閉じる。胸の前で両手を握り合わせ、そこに額を合わせた。
「“一千日の騎士”」
土は彼の胸元までかけられている。
「『一』は物事のはじめ、あるいは単騎単身を表し、『千日』は数え切れぬほど多くの日数を意味します。たった一人で始めから終わりまで闘い抜いた彼の騎士道。主君や仲間を失いながらもなお忠義を貫き通し、無謀とも思える『悪』との闘いの日々、遡っては彼の生い立ちまで、その全てを描いた史劇作品です。歴史書に名を刻まずとも、隊長殿の生涯は人々の記憶に残り続ける。だからこその『伝説』なのです」
やがて顔まで埋められる。ヘイスは手に着いた土を払うと、腰に手を当て山間に落ちていく夕陽を眺望した。
「だけど、何もかもはともかく、今後も人類が存続していくことが前提だ。『彼ら』の再来と『秩序』の崩壊、そして『第二聖戦』の幕開けは、そう遠くない未来だと我々は見ています。君たち『迷い子』が動き出したことが何よりの兆しだ。次にやってくるであろう聖戦で敗れれば、おそらく人類に未来はないでしょう」
ケムリは握った両手に強く額を当てる。先程から涙が溢れて止まらない。崩れ落ちそうになる身体を堪え少女は神への祈りを捧げる。
「そのまま泣きなさい、ケムリさん。あなたが今流している涙はとても強い。ローグンの前で流したものとはまるで違う。その涙には無限の可能性があります。隊長殿の命も、この世の生命も、まだ終わっていない。貴女たちがそれらを一つずつ掬いあげていくのです」
ヘイスは装束の裾で手を拭い土汚れを落とす。ケムリは祈りを終えゆっくりと膝を立てる。ヘイスは優しく微笑みかけ、励ますように少女の肩に触れた。
「僕には出来ないことですから」
ケムリは瞳に強い意志を宿し、深く頷いた。
まばたきをすると、ヘイスは柔らかな笑みだけを残し、渓谷の薫風とともに消失した。
ケムリは兵舎に向かう。
旅路着と外套を羽織り、荷袋に騎士の手紙を入れる。兵舎の表に出ると壁に立て掛けられた弓と矢筒を手に取り、背に回して抱えた。その頃にはもう涙は枯れていた。一帯に吹き付ける風が熱くなった目頭を冷やす。少女は右腕に刻まれた【赤紋の痣】を一瞥し、その手で首元の【宙石】に触れる。瞳を閉じて深く呼吸をした。
――“救いの世界”を 我が“恩人” ケムリへ託す。
瞳を開く。
もう覚悟は決まっていた。
目指すは『最古の楽園』、ひいては【北の果ての竜】。世に三体居るとされる竜の中で、唯一その竜には『世界を再編する権利』が与えられていると聞く。その竜に話を聞くが出来たなら、きっと何らかの手がかりが得られるだろう。
「見ていてください」
二人の墓が眠る丘に言う。【石】から手を離すと、少女は渓谷の最果てに向けて歩き始めた。
<了>
●第二部も最後までお付き合い頂きありがとうございました! よろしければ評価、ご感想もお気軽にお願いします。
●登場人物・舞台
・ケムリ
綽名:宙の落とし子、異星の迷い子
役職:旅の行商人(独立済み)
出身:西の都
性格:歳のわりに聡明で冷静、礼儀正しい。年相応に子どもっぽい面もある。
能力:死ねない身体。霊性を見分ける瞳。
赤紋の痣:異門の破壊により刻まれた紋様。紋の範囲は右腕、右胸、右頬下部あたりまで。
他:女/13歳/150cm/金色の瞳
・セヴラン=ドゥニーズ
綽名:一千日の騎士
役職:ローグン公国軍(没落)の騎士。
出身:ローグン公国(北の都から北東五里に位置する)
性格:大らかで感情豊か。酒に酔うと笑い上戸と泣き上戸の繰り返しで忙しない。
個性:精神的負担が大きい日常のためか極端な老け顔。
他:男/23歳/174cm/白髪交じりの亜麻髪
・ヘイスティング・ルーリ―(偽名)
綽名:転位の術師
役職:シュネル商会執行部部長、兼研究課課員。
出身:独立国家ヘイスティング(偽名の由来。東の都から北方十四里ほどに位置する)
性格:慇懃無礼。実はしつこいくらいのお節介焼き。歳上の女性がタイプ。
能力:転位の術(呪術、魔術などの枠には属さない)
他:男/19歳/179cm/ブロンズ髪のセンターパート
・酒徒
セヴランと同い年の公国軍騎士。ローグン公国軍第二師団第十小隊隊長。楽観的な性格で、たまにナイーブになってしまうセヴランとの相性は良かった。酒に酔うと急に愚痴っぽくなる。享年二十歳。
・少佐騎士
セヴランと酒徒の命の恩人であり恩師。正義感にあつく、二人が目指す騎士像を体現し続けた男。『聖戦』で戦死した。ローグン公国軍第二師団団長。享年三十二歳。
・白皮の少年
ケムリと同い年の『迷い子』。ユタラル渓谷の古城には二週間ほど滞在(作品時系列より一年前)。その後、北の果ての竜を目指して旅立つ。セヴランとは何かしらの友情が芽生えたようだ。
・打鐘機構
最新の呪学機構を用いて開発された全自動打鐘機。規格にもより、時課に対応し鐘の音色を打ち分けることも可能。
・教会暦
シュネル商会が独自に開発した暦。特定の未来予期が記される。原理非公開・民間非売品であり現段階では軍事的利用にのみ用いられる。
・腐食遅滞の呪符
非常に高価なのものの昨今一部で出回り出した呪符。食物の腐食化を遅らせる。保温保存食には特に有効。行商人・軍事界隈では非常に重宝される呪符。
・転位の術
転位に関する理論、術の実現は現人類には千年早いとされている。異門の転送構造を流用しているらしい。現時点で世界で扱うことができるのはヘイスティング唯一人。本人単体の転位は容易なものの、他者や物体の転位を行うには一定の条件を満たさなければならない。




