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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
二章 一千日の騎士
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12 解放

 霊獣を吐き出し終えたせいか異門(ポータル)は当初より幾らか外輪を縮めているように見えた。

 ケムリは瀕死の身体を引き摺りながら異門の『口』へと近づいていく。


「おい、動かない方が」


 口では言うものの、騎士は少女の行く手を阻もうとはしない。あれだけの傷を負って動けることにまず戸惑っていたし、また傷口から(もや)を立ち上げながら歩く少女の様態に、何か異質なものを感じていた。


 当の本人も、ここまでの重症を負ったのは恐らく初めてであった。

 短刀による首筋への致命の一撃、左肩から背骨にまで達した鎌形剣(ファルシオン)の袈裟斬り。これほどの外傷を受けながらなおも立ち上がれる己の超体質。更には受けた傷は刻一刻と回復し続け、異門の眼前に到着する頃にはもう、各部位の創傷はほとんど完治している感触があった。自分の事ながら、自然法則を無視した自己治癒力に何か末恐ろしいものを感じる。


 今回の闘いで気づいたことがある。

 もしかしたら自分の身体には、受けた傷に対抗するための『順応』のような特性があるのではないかと。

 もともと人には神経伝達物質アドレナリン脳内麻薬エンドルフィンなどの交感神経系作用がある。極度の心理的負荷、身体の酷使、自己の生命がおびやかされるなど、必要に迫られたときに交感神経系を興奮状態にすることで、人体の活動を活発化させるというものである。これにより痛みや疲労を麻痺させ、または高揚感に近い形で肉体の性能を極限まで引き出すのだ。


 『死ねない身体』においてもこの神経伝達物質や脳内麻薬が働き、一定以上の極限状態に晒されることでその特性を向上させるのではないか。鎌形剣(ファルシオン)の一振りを受けた際など、蒸気まで立てながら即時傷口を癒着してしまった。ここまでの超回復は、超常体質に拍車を掛けてさらに特異であった。


 ――神が与え給うた不死の肉体。これが何を意味するのか。


 ケムリは首飾りを解き、そこに嵌め込まれた【宙の落石】を右掌で握り込む。

 異門を前にした【石】はもともと反応を示していたのだが、ケムリが手に包むことで更に発光量を増した。指の隙間から光の柱が漏れ出し、幾条もの帯となって洞穴中を飛び交う。

 ケムリは異門に向き合った。


 ――騎士さまだけだじゃない。わたしには、この世界を救える力があるのかもしれない。


 握り込んだ【石】ごと、右手を異門に差し入れる。


 その瞬間、燃え盛るような空気の圧力が全身を打った。

 吹き飛ばされないように足を踏みしめる。空気の圧と熱波は洞穴中に広まり、活火山の噴火じみた轟音が一帯に反響した。

 差し入れた右手は業火に焼かれるような激痛に曝された。思わず手を引いてしまいそうになるがケムリは下唇を噛んで耐える。異門は明らかに【石】を厭がっている。思いつきの試みだったが、思惑は的中したようだ。


 思えば、前回異門の近くまで訪れたとき、自分の身体と【石】は異門に対し過剰な反応を見せた。

 これはいわば“反発”であった。

 ならば、反発しあうものをあえてぶつけてみればどうなる?

 “反発”を通り超し、あるいは“破壊”にまで至れるのでは……。


 痛みが鈍感になってくる。異門の外輪が歪みながら縮小していくのが判った。熱波に押されぬよう足元を踏ん張る。異門が右手の拳ほどに縮んでいくと、最期には異門が泣くような断末魔(・・・・・・・・)を上げ、やがて水渦が収束するように消滅した。


 熱波が止む。肉の焦げるような匂いが辺りに発散された。ケムリは両膝を着き、喉から熱い血を吐き出す。地面に落ちた血液はぼこぼこと沸騰し泡を立てていた。


「ケムリ!」


 倒れそうになる身体を騎士が支えた。

 彼の手に支えられながら自分の右腕を見下ろす。騎士もそれに気づくと、痛ましそうに眉根を寄せた。


「ああ、なんて事だ。こりゃあ一体、何が起きてやがる……」


 少女の右腕には『赤い紋様』が刻まれていた。

 それは腕一面を覆うような巨きな紋であり、一見、呪・魔術の呪紋のようではあるが、その禍々しい紋の形式に見覚えはない。胎動するかのように赤く明滅し、やがて刺青を刻むように、赤黒い模様が右腕に焼き付いた。

 恐る恐る掌を開く。

 【宙の石】はもとの発光を止めた石ころに戻り、少女の手で静かに眠っていた。




 * * *




 その夜、兵舎談話室にて騎士と食卓を囲んだ。

 最も上等と思われる保存肉を解凍していつもより豪勢な夕餉を拵えた。

 騎士とケムリは先の武勇を語り合う。彼は普段に比べてより多くの大麦酒を呑み干し、時おり感激の涙を浮かべながら再三少女へと礼を述べた。「セヴランさまの素晴らしい剣技に、わたしこそ助けられました」とケムリも騎士を湛える。


「いやはや、まさか君がここまでやってくれるとは。高位の術者にさえ解読不能とされたあの『異門』を破壊してのけた。『迷い子』の力とは、まさにこの世の不可思議そのものだな」

 それより、と騎士はケムリの右腕と頬に気を配る。

「本当にそれ、大丈夫なのか」


 ケムリは袖から覗く右手を見やった。刻まれた赤黒い紋様は痛々しいが、特に痛みや発熱を伴うわけでもない。今のところ、見た目を除けば正常そのものである。また、紋様は右胸から右頬の下部辺りまで伸びており、旅路着の首元からも赤い紋がはみ出してしまっている。


「見た目は悪いですが、今のところ支障ありません。何か不穏な印しのようですが……これ、いずれ誰かに調べてもらわねばなりませんね」


 騎士は心配そうにケムリの右頬の紋を見ながら、また大麦酒を煽る。

 ケムリは香草茶の器を置く。彼女の表情には、どこか嬉しさを隠せぬはにかみがあった。


「ともかく、これでセヴランさまが闘う理由はなくなりましたね」


「うむ」


「そして、この地に居続ける理由もない」


 これに騎士は黙って大麦酒の小樽を傾けた。


「これから、わたしと一緒に旅に出ましょう。冒険の仲間になってください。最古の楽園の守り神、【北の果ての竜】を目指すんです」


 騎士は黙って酒を呑む。


「セヴランさまの剣技、武力は至高です。今まで色んな国を巡ってきましたが、貴方ほどの武芸者が世界にどれだけ存在するか。貴方がいれば心強いし、この先どんな外敵が現れてもセヴランさまの剣とわたしの体質があれば、なんとか切り抜けられると思うのです。もちろん弓だってもっと練習するし、なるべく足手纏いにならないように致します。だから……いかがでしょう?」


 ケムリは口元の笑みを抑えられない。


「想像してみてください。世界は広く、美しいのです。わたしだって多分、まだ世界の十分の一も見られていない。それでもこの世の壮観は人の想像を超えるものがあります。そんな世界を旅しながら、わたしは……」


「そして君は、この衰退した世界を救うのだな」


 ケムリは躊躇いがちに頷いた。

「わたしなんかがって、笑われると思ったから、今まで言わなかったんですけど……」


「笑うもんか」

 騎士は真剣な眼差しを返した。

「君は救えるよ、『天使』が侵したこの世界を。おれが保証してやる。現に君は、誰にも成し得なかった異門の破壊をやってのけたのだから」


 ケムリは照れくさくなってはにかみ笑う。

 そんな少女の子どもらしい反応に、騎士は穏やかな笑みをかけるのだった。


「冒険のこと、確かに魅力的だな。うむ。前途苦難は多かろうが、おれもより剣の腕も磨いていかなければならんな。うむ」


 彼の笑みは父親のように優しく、また神父のように深い慈愛を孕んでいる。そして闘いから解放されたその顔は、何故か、以前より老け込んで見えたのだった。


「ケムリ、ありがとう」




 * * *




 朝、讃課の鐘とともに目を覚ます。野鳥の鳴き声が室内に入り込み、柔らかい静けさが寝床を包んでいた。

 一階の談話室に降りると、ふと円卓に一通の置手紙があることに気づく。

 少女は寝惚けたままの頭でそれに目を通し、徐々に意識を覚醒させていく。


 手紙を手に兵舎の外へ飛び出した。


 手紙に書かれていたのは端的に言えば『別れの言葉』だった。やはり一緒には行けない。おれはこれから諸国へ出、新たな主君の元で騎士道を貫いていきたい。そして、この地を先に発つことを許してほしい、と。そのような事が書かれていた。


 ケムリは林の中を彷徨う。

 奥まった箇所で巌に行き当たり、また踵を返して一帯を歩き回る。

 やがて林の最奥の岩屋に行き着いた。岩屋に隠されるようにして佇む樹木の傍らで、騎士を発見する。ケムリは息を整え、彼へと声をかけた。


「嘘が下手ですよ、セヴランさま」


 騎士は樹木の梢で首を吊って死んでいた。

次回、二部の最終話です。

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