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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
二章 一千日の騎士
26/28

11 阿修羅

 巣から放たれた子蜘蛛のように噛子(アンシリー)がなだれ込んでくる。

 騎士は洞穴を塞ぐように一歩踏み出し、霊獣たちの進路を阻んだ。

 群れは一旦足を止め、威嚇とも嗤笑とも取れる声を上げる。騎士の隙を伺っているようだ。だが、それぞれが時折り顔を見合わせるばかりで、一向に攻めの一手がやって来ない。


 離れた位置で弓を構えていたケムリは、ふと異変を感じて弓を下げる。


「さあこいっ」


 そう騎士が発した挑発には、どこか不気味な喜色が浮かんでいた。表情は見えないが、深い笑みが刻まれた顔容が容易に思い描けるような。


「どうした、怖気たか!」


 直近の一体が眉間に皺を寄せ、騎士へにじり寄りつつ骨棒を振り上げた。その動向を目敏く察知した騎士は、瞬時に距離を詰め、骨棒を持った手首を一刀で斬り落とした。「ぎぃっ」と短く悲鳴があがる。

 続けざまに右方から別の噛子が飛びかかってくると、その顔面を即座に横一閃で裂いた。右足首を飛ばして膝を着かせ、そのまま心臓を貫く。間髪置かず身を翻し、先ほど手首を失って狼狽えていた噛子の首を刎ねた。

 足元に落ちていた骨棒を拾い上げ、傍で突っ立っていた噛子に投擲する。棒の鋭い先端は左の眼球に突き立ち、受けたその者は地に転がり断末魔混じりに身を悶えた。

 洞穴の奥から無数の足音とともに新手が雪崩れてくる。押し出されるように前線の群れが外へと溢れてくると、騎士は刹那の脱力後、身のこなしすら見せない速度で剣を数回振るう。それだけで彼の周囲に数本の手足、首が舞った。


「五、いや六!」


 騎士は討った数を叫ぶ。群れはとにかく外へ散開しようと駆け出すが騎士が許さない。空を舞っていた骨棒を手にすると、腰を落とし、幅広剣(ブロードソード)との二刀を開くように振った。左右に別れようとした二体の足が欠損する。騎士は軽く飛び上がり二体同時に脳天を叩き割った。


「七、八!」


 骨棒の先端を突き上げるように一体の顎へ差し込む。


「九っ」


 修羅、とケムリは呟く。弓はもう降ろしていた。

 十体目の首が宙を舞う。それは少女の足元を転がって通り過ぎ、後方の蔓岩にぶつかった。


「ははははは」


 騎士は笑っていた。(かぶと)から覗く口元は狂気に吊り上がっている。酩酊したような体捌きで油断を誘い、かと思えば視認を許さぬ剣速で一体の胴を割って臓物を飛び散らせ、また別の者の鼻を削いだ。隣にいた者の片耳と五指を落として悶絶させる。横から降ろされた棒の一撃には軽々と篭手で受け止めて対処し、足を掬って転ばせる。転んだ噛子の脇腹には深々と剣を突き立てた。明らかに急所を外したと思われる箇所である。


 いつしか騎士の闘い方には、遊び(・・)の節が見て取れるようになった。それは彼が今まで取らなかった行動である。

 彼の周りに五体満足の者が居なくなると、討ち取った数を数えることは難しくなっていた。四肢欠損し地で悶える噛子らを見渡す。洞穴前では残った噛子が二の足を踏んでいる。騎士は見せびらかすように、瀕死の噛子一体ずつに止めを刺していく。それを終えると、背から両手用剣(クレイモア)を抜きさらに前へと進んだ。立ち竦んでいた群れはその闘気と圧力に押され洞穴奥に後退りしていく。


 洞穴奥からは無数の悲鳴と、惨殺音、騎士の笑い声だけが響いていた。


 ケムリは震える手で弓を握りながら穴へと近づいていく。

 足元でばらばらになった屍を避けていると、止めを刺し損ねたと思われる噛子が一体、乞うような目で少女を見上げていた。その者の頭は砕かれており、頭蓋が外へと露出していた。


「うぎぁ」


 ひどく醜い顔だった。その者は苦悶に顔を歪ませ、醜さがより増して見えた。

 ケムリは弓矢を引き、噛子の頭部に狙いを定める。が、彼女はしばらくの間、矢羽を離すことが出来なかった。その霊獣の目に涙が光った気がしたからだ。

 霊獣は涙を流すことはない――と聞いている。

 聞いている、というのは文献で得た外聞だからだ。彼らに感情や知能というものはなく、ただ人に仇為すことだけを植え付けられた害虫なのだと。

 実際、その噛子の眼窩から流れたのは打撲による内圧で溢れたらしき血液であったが、ケムリにはそれが涙に見えた。


 やがて、止めを刺すまでもなくその獣は地に頭をつけて事切れる。

 少女が安堵し弓を降ろそうとした、そのときだった。


「一体抜けたぞ、娘!」


 はっとして見やると、洞穴から噛子が一体、奇声を上げなら飛び出してくるところだった。ケムリは慌てて弓を構える。

 骨棒の先端をこちらに向け、噛子は口の端から涎を垂らし駆けてくる。向けられた殺意はこれまでの人生で体感したことのない強力な念波であった。ケムリは漏れそうになる悲鳴を必死で堪える。

 この殺意の念に、騎士は十年も晒されてきたのだ。心理的消耗がどれほどのものであったか、彼の老け具合や憔悴感、徐々に気狂っていく様がそれを物語っている。確かに正常じゃいられない、とケムリは思った。


 ――落ち着け。あの若木と思え。


 自分でも確実に射当てられる距離を推し測る。噛子が間合いを削る。動きはあるが、若木に比べれは随分と大きな的のように思えた。

 あと五歩という距離。ケムリは一度深く息を吸い、矢羽を手放った。


 放たれた矢は、やけにゆっくりに見えた。

 それは吸い込まれるように噛子の胸部へと向かっていく。噛子は骨棒の右手を上げていたが、矢が右胸に命中したことで凶器を取り落とした。


 ――やった。


 が、それでも噛子は止まらない。

 一瞬は怯んだものの、土留の歯を剥いて少女に飛びかかってきた。短刀(サクス)で応戦しようとするが、肩を掴まれ押し倒されてしまう。体格は同程度だった。しばし二人は地面で揉み合いになる。やがて馬乗りになった噛子が、黒濁した左拳で少女の顔面を打った。そのまま何度か拳を降ろされると、鼻血が溢れ、口の中では奥歯が欠けるじゃりじゃりとした音がした。

 短刀(サクス)を逆手に返し、無我夢中で噛子の太腿を突き刺す。

 噛子は慌てて少女から距離を取り、太腿の短刀を抜いた。


 ケムリは血を吐きながら、そばに武器が落ちていないかと手探りで捜す。

 ようやく見つけた骨棒を手に振り返ると、すぐ目の前に短刀の切っ先があった。咄嗟に頭を逸らしたが間に合わず、短刀は少女の細い首筋に深々と突き立った。


 意識が飛びかける。

 それでも、少女は死ねなかった(・・・・・・)。飛びかけた意識が強制的に引き戻される。一度宙に放たれた命が、また舞い戻ってくるという感覚だ。閉じかけた眼をかっと見開くと、噛子は驚きを禁じ得ぬというように瞠目し一歩退いた。


「んぐっ」


 短刀を抜くと、少女の首筋から血が噴出した。短刀を取り戻した彼女は、慄き後ずさる噛子に一歩ずつ歩み寄る。その首筋に短刀を刺し返すと、獣は驚きの表情のままゆっくりと膝を着いた。




 * * *




 洞穴内では噛子の死骸が連綿と転がっており、ヘンゼルの白い石のように騎士の行き先を示していた。

 ある地点を曲がると急に空間が開けた。そこは鯨の体内を思わせる空洞である。天井は遥か高く、また暗いために先まで見通せない。


 空洞の先では心象風景で見たような『赤い口』が開いており、一目であれが『異門(ポータル)』だと判った。それは岩壁に空いてるようで、よく見れば何もない中空にぽっかりと開いているようだった。

 大の大人一人分ほどの大きさで、赤を基調とした複雑な光源が一定の透明度を内包しながら明々し、空洞一帯を照らしていた。

 ケムリは首飾りを掴み動悸を抑える。理屈は不明なものの、この石さえ触っていたら心象風景は抑えられるのだと察していた。


 視線を移す。

 異門の光源に当てられながら騎士は、巨躯の亜人と対峙していた。

 亜人の体躯は騎士の倍近くはあろうか。牛亜人(オルグ)の名の通り、頭には牛の角を生やし、後頭部は長い白毛を垂らしている。赤みを帯びた上半身は魁偉(かいい)であり、人に近しい骨格をしているのに、その肉体は異常発達した野生獣を思わせた。

 亜人の片目は潰れている。以前騎士が素手で抉ったのだと話していたことを思い出す。

 亜人は血で錆びたような鎌形剣(ファルシオン)を手にしており、体格に似合わぬ身軽さでそれを振るっている。


 牛亜人の一振りを両手用剣(クレイモア)でいなすと、その威圧感からか騎士は後方へと何歩か退がった。

 弓を携えながら駆け寄ると、ケムリは騎士の様相の変化に気づく。


 彼はもう笑っていなかった。

 代わりに彼の面に貼りついていたのは、出会ったときと同じ『畏怖』であった。歯をかち合わせ、今にも泣きだしそうに表情を歪ませている。

 ケムリは場違いにも彼の心境を憂う。彼には残された家族も、忠義を尽くす国も、帰るべき場所さえ見失われていた。明日の命の保証もなく闘い続けるとなれば気が狂うのは当然で、あるときふと、目の前に現実的な死が置かれる。死闘に酔うことも許されず、ただただ理不尽な死を受け入れざるを得ない。


 なにが「騎士としての矜持だ」と、ケムリは歯噛みする。


 ――そんな矜持、命があることに比べたら、くだらない。


 牛亜人が鎌形剣を振り下ろす。騎士は辛くも身をよじりそれを避けた。ケムリは弓を引いて援護を試みる。

 そのとき、突如として騎士が後ろを振り返った。


 敵を前にした状況でどうして振り返る必要があるのか、その瞬間のケムリには理解できなかった。

 騎士の方も、踵を返した先に少女が居て些か吃驚している様子だった。

 ふと手元を見れば、彼はまさに両手用剣を放り投げようとしており……もっと言えば、逃げ出そうとしている(・・・・・・・・・・)ところだったのだ。


 彼は足を止める。瞳に炎を取り戻し、手放そうとした両手用剣を強く握り締めた。咆哮を上げ、牛亜人へと一気に振り向く。

 太い裏拳が騎士の横顔にぶつかった。牛亜人がそのまま腕を振りぬくと、騎士は空に飛び、岩壁に激突して尻を着いた。鉄の冑がひしゃげて抜け、彼の足元に音を立てて落ちる。


 少女はさっと青ざめ、空洞内はしんと鎮まり返った。

 騎士は果敢に立ち上がるも、脳震盪を起こしているのか二、三歩ほどよろめき、また地面に尻もちをついてしまった。

 牛亜人は少女の存在に気づくと、象の如き両足を踏んで近づいてくる。

 やがて眼前で立ち止まると、錆びた鎌形剣(ファルシオン)をうず高く頭上へ持ち上げた。ケムリはそこで悟る。弓矢だとか、人の剣だとかでどうにかなる相手ではない。この化物に勝とうと考えること自体、無謀なことだったのだと。


 牛亜人は片方だけの目玉を光らせる。身体ごと落とすように鎌形剣を振り下ろした。

 剣先が左の肩口から侵入してくる。凄まじい勢いで入り込んだそれはあっさりと鎖骨を割り、肋骨を枝のように断絶しながら左肺を真っ二つにした。多量の吐息が血と共に排出される。鎌形剣はそこで止まった。錆びた刃では少女とはいえ人体を両断するには至らず、腰椎を断ちきれずに静止した。

 ケムリは吐血しながら、左肩が離れていかないよう手で抑える。もう気絶していてもおかしくない激痛だった。下から睨むと、虚を突かれた牛亜人と目が合う。


 ――こんなに痛いのに、死ねない。


 ケムリは改めて神が与えた自分の肉体を嘆く。


 ――死ねないのはきっと、わたしには、やらなければならない事がたくさん残っているから。


 肩の創口から薄く蒸気が立ち上がる。上半身を裂かれる最中にも関わらず、身体はすでに再生を始めていた。ケムリは癒着した肩口から手を離し、黒血に塗れた短刀を抜いた。

 牛亜人が剣を引き抜く。その瞬間、ケムリは亜人の残った目玉に短刀を突き入れた。


 裂くような呼号が轟く。

 牛亜人は短刀の刺さった目を抑えて酔歩するようにその場で足踏みした。ケムリは傷口を庇いながらへたり込む。それ以上動ける気がしなかった。巨躯の化物は手探りで己の視力を奪った子どもを探す。

 その背中にそっと忍び寄るのは、流血で顔を汚した騎士だった。


「仇は討ったぞ、酒徒(とも)よ」


 騎士の両手用剣(クレイモア)が異門の妖光を浴びて光る。

 牛亜人の太い首が空高く飛んだ。




 * * *




 騎士は鎧を外し、鎧下着(ギャンベゾン)を脱いだ。

 少女のはだけた服の上に鎧下着を羽織らせると、その小さな身体を抱き上げおいおい(・・・・)と泣いた。


「死ぬな行商の娘よ。おれを置いて逝くな」


「……死にませんよ、わたしは」

 ケムリは蚊の鳴くような声で言う。死なないと昨夜説明したはずだったが、やはり信じてもらえていなかったようだ。


 騎士は涙を滴らせながら、みっともなく泣く。

「名を知らずとも悲しいものだな、親しい者の死とは」


 少女はふっと口元を緩める。


「ならば知ってください。わたしはケムリと申します」


 騎士は皺だらけの泣き顔を何度も上下させる。

「おれはセヴランだ。セヴラン=ドゥニーズ。ケムリ、君は恩人だ。おかげで酒徒の仇も討てた。感謝してもしきれぬ。どうか礼をさせてほしいんだ。だから、頼むから逝かないでくれ、ケムリ」


「だから、逝きませんってば……」


 ケムリは騎士の胸を押すようにして地に降り立つ。ふらつく足元をなんとか堪える。


「それに、このままじゃ死んでも死にきれません。あれをこの世に残したままでは」

 そう言うと彼女は、虚ろな目を『異門(ポータル)』に向けた。

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