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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
二章 一千日の騎士
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10 手が震える

 行路図によると、馬を連れたまま渓谷の古城を目指すにはかなり遠回りをしなければならなかった。没落国ローグンを出発し、およそ二日と半日をかけて古城へ到着する。

 狩りで捕まえたらしい兎の耳を掴みながら、騎士が林の奥からやってくる。


「無事であったか」


 ケムリは馬に背負わせていた荷袋を二つ降ろし、その場で開いてみせた。中には保存の利く食糧が大量に詰められている。

 それを見て騎士は「ふむ、これは大儀だったな」と冗談めかして言った。ケムリは目を合わせられない。


「それで、どうだった?」


「……何がでしょう」


 二人の間で白けた空気が流れる。鈴虫が鳴く音だけがやたらと喧しい。騎士は白髪だらけの髪を困ったように掻き、「いやとにかく、本当に助かったよ。今日はとびっきりの馳走を用意しよう」と硬さの隠せない声色で言う。

 実際のところ、この食糧は渓谷麓の集落で買い集めたものだった。手ぶらで帰るわけにもいかなかったし、呪石を一つ売り可能な限り荷袋をいっぱいにした。ケムリはようやくまともに顔を上げ騎士と目を合わせる。


「騎士さま。わたしは今から、非常におこがましく身の程知らずな事を申し上げます」


「なんだ」


「わたしはこれから、この手で騎士さまをお救いしようと考えております」


 笑われる、と思った。もしくは叱られる、とも。だが騎士が返した反応は意外なもので、ひどく吃驚したようにぽかんと口を開け、しばし返事に窮するというものであった。


「おれはもう充分……君に救われていると思っている。生活のあれこれを手伝ってくれ、夜は胸躍るような旅路話を聞かせてくれて、今もこうして身を削って食糧を送り届けてくれた。救う、という意味ではこれ以上の働きはないように思うが」


「弱者のわたしに出来る事なんて、この程度なものです」


「なにがこの程度なものか」


「だけどわたしは強くなりたい。たとえば、騎士さまをお守りできるくらいに」


 騎士は一度声を上擦らせた。

「おれを、守るだって?」

 彼はとても複雑な表情をしていた。今にも怒り出しそうで、笑い出しそうで、そして泣き出しそうにも見えた。これまでの騎士人生において他者から言われた覚えのない、まさに想像だにしない種類の言葉だったのだろう。皺だらけの顔をくしゃくしゃにさせ二の句を継げずに絶句している。

 また更に何か言おうとしたところ、騎士は掌を向けてこちらの発言を遮った。片手で自分の顔を隠している。


「わけが分からん……本当に、本当に君というやつは。とにかく、風呂にでも入って少し休んでこい」


 ケムリは改めて自分の身なりを見下ろした。およそ一週間水浴びもせず移動し続けたものだから、控えめにもぼろぼろな有様である。恐らくは匂いの方も。途端に恥ずかしくなり、ケムリは「そうします」と騎士から距離を取った。




 * * *




 夕餉のあといつものように騎士へ旅の話を聞かせた。今回は『霧の国』での体験記で、騎士は霧の国の党首に深く興味を持ったようだった。

「待て、酒が切れた。取ってくる」

 騎士は小樽が空なのを知ると、やきもきしたように食糧庫へ大麦酒を取りに行った。

 少し間が空き、ケムリはなんとなく傍に置かれた教会暦(カレンデ)をめくる。


≪麦謝祭の日。正午課より≫

 その頁は明日の日付を示していた。

≪城塞西方、洞穴そば。噛子二十八体――≫


 ふと振り返ると、酒の入った小樽を手にした騎士が暦を覗いていた。「ああ、そういう日もあるのだ」と事も無げに言う。

 そうじゃない、とケムリは首を振る。平時と比べ格段に霊獣の発現数が多いのもあったが、もっと(おぞ)ましい記述が次にあった。


≪牛亜人一体≫


 それは騎士が“酒徒(とも)”と共闘してさえ敵わなかった相手だった。彼の口振りでは、酒徒(とも)はこの闘いにより命を落としたものと記憶している。また、決死の奇襲で追い返すことには成功したものの牛亜人(オルグ)の絶命には至らなかったと。

 騎士は「ふむ」と頷き、椅子に掛けて大麦酒を一度煽り、また「ふむ」と呟めいた。


「まいったな。随分前に気づいてはいたが、あまり考えんようにしていたんだ。あれから三年も経つからすっかりこの地を諦めたものだと思っていたが。あの野郎も執着の深いことだ。いやぁしかしまいった。うむ」

 反芻するように何度も頷き、それから改まったようにケムリを正視した。

「先ほど高尚な決意を固めてもらったばかりでなんだが、君、明日の朝にでもこの地を発ってはくれぬか」


(いや)です」ケムリは即答するが、動揺は隠しきれない。


「頼むよ。今回ばかりは君を守りきれる保証がない。ほら、これを見ろ」

 騎士は自身の右手をかざして見せる。その手は小刻みに震えていた。

「情けないことに、おれ自身がもうびびっちまってる。噛子(アンシリー)二十八に牛亜人(オルグ)が一、これは勝てんだろうな。おれには恐らく、次がない」


「言ったはずです。わたしが騎士さまをお救いすると」


 ケムリは意を決し、その震える手を掴む。震えを止めようと、ぎゅっと両手で包み込んだ。


「絶対に負けません。だって、わたしは死ねない(・・・・)ですから」


 騎士は困惑したようにケムリを見返し「それは、決して折れぬ不屈の精神、みたいな意味か?」と問うた。




 * * *




 翌日の正午課、ケムリと騎士は洞穴前に陣取って待機していた。

 騎士は比較的消耗の少ない甲冑と幅広剣(ブロードソード)を装備し、背には備えとして長物の両手用剣(クレイモア)を携えた。ケムリは落ち着きなく長弓の弦を何度も調整し、矢じりや羽にも不備がないことを何度も点検する。

 洞穴は変わらず灰暗く、奥から冷たい風を送ってくる。

 明らかに以前と違うのは、石の首飾りがひたとも反応せず、また『赤い口』の心象風景(イメージ)も現れてこないことだった。

 騎士の推察では「異門(ポータル)がまだ開いていないからじゃないか」とのことで、素直に考えればそんな所だろう。首飾りの反応に気を配りながら、少女は開戦に向けて息を整えた。


「なにか久しい気がするな、こういう状況は」


 騎士は幅広剣を地に突き立て、測量士のように片膝をついて洞穴の先を見据えている。


「いや、久しいというほどではないか。せいぜい一年ほど前だな」


「何のお話ですか?」


「そのときもな、君と同じような『迷い子』と共に作戦を立て、こうしてここで敵を迎え討ったことがあるんだ。話してなかったかな?」


 何か、喉の奥に引っかかりを覚えた。限りなく矮小で、しかし粘性を持った確かな存在感があるような。言い換えればそれは違和感であった。


「白磁のように白い肌を持つ少年だった。初めて見たが、ああいうのをきっと白皮(アルビノ)と言うのだろう。しかも君と似たような雰囲気の瞳を持っていて――まあ君の瞳は金色で、彼は碧色の瞳をしていたが――歳の頃もちょうど君と同じではなかったかな」


 自分と同じような……そして『迷い子』という呼び名。そして似た『瞳』を持つ。刻一刻と迫る死闘を前にしながら、浮かび出したその違和はケムリの頭中をぐるぐると攪拌(かくはん)した。


「白皮の少年がこの渓谷にやってきたのは、前例なき嵐の日だった。空もしばらく荒れそうだったからしばらく泊まっていけと薦めたのだが、『早く竜に会いに行かなければ』と言って聞かなくてな。無理やりにでも滞在させてやったんだが、少年には何か、生き急いでいるような雰囲気があった……」


 騎士は連々と回顧する。


「嵐の中でも霊獣どもは関係なくやってくるから、少年のことも守ってやらねばと意気込んだのだが……いやはや、果たしてどちらが守られたのやら。少年が使役したのは術法の異形だった。もはや呪術かも魔術かも判別できんほどの異能力。幾度生まれ直し、どれだけの反復練習を重ねればあのような才と神術の境涯に行き着くというのか」


 ケムリははっと自身の胸元を見下ろした。

「騎士さま」


「誰よりも強くありたいと願った時期がおれにもある。常におれは誰かを守る立場で、悪を討つ正義心も、それを実行するだけの力も持っていると信じていた。だけど、そのときに悟ってしまったんだな。おれはもしかしたら、誰かに守られて然るような……」


 と、ここで騎士はケムリを振り返った。彼女の胸元の首飾りが爛々と輝いているのを認めると、「やれやれ、黄昏もまともにさせてくれんか」と膝を立てる。幅広剣を垂らすように下構えにし、肩をいくらか脱力させた。


「いいな行商娘よ。手筈通り、洞穴から出てくる奴はおれが一匹も通さんつもりで叩き斬っていく。それでも討ち漏らし、おれの後ろを抜けるようであれば君の弓で射れ。なるべく距離を取って、落ち着いてな」


「はい」


 ケムリは多分に緊張しながら矢筈を弦に添えた。ほんのりと脳裏に『赤い口』が浮かび上がってくる。

 気配を悟り、騎士がやや腰を落とした。

 洞穴の奥で無数の目が怪しく光った。

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