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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
二章 一千日の騎士
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9 名前

 丸二日をかけユタラル渓谷から抜け出したケムリは、その足で渓谷そばにある探鉱集落を目指した。

 集落に着いたのは夜明け前で、歩き漬けのケムリの疲労は峠に近づいていた。旅路着の下が汗に濡れて不快だったが風呂屋に寄る時間も惜しく、そのまま集落の家畜小屋に向かった。

 家畜小屋の主人が寝惚け眼を擦りながら表に出てくる。そこへ立っていた疲れ果てた顔の少女に、主人はひどく驚いた様子だった。


「馬を一頭ください。なるべく足の速いやつ」


「物乞いか? にしちゃあ、要求がでか過ぎるが」


「お金はあまり持ってませんが、それに相当する品物はあります」


 ケムリは荷袋から呪石を幾つか取り出した。旅の軍資金として換金できるよう、父に頼んで持ち出した有価商物である。十石ほどを選び、軒先の作業台に並べて置く。比較的希少な呪石の数々に主人は「ほう」と目を輝かせた。

 いつもの外商文句(セールストーク)で、商物の有益性を次々と語っていく。

 主人もはじめは無知な子どもが金を背負ってやってきた気分だったのだろう、ケムリの達者な口振りに、やや気圧されている風だった。

 商人魂がよぎり少しでも馬を値切りたい思いだったが、本来の目的を思い出し素直に適正価格を示した。


 呪石八個で手に入れたのは要望通り活きの良さそうな雌馬であった。慣れたように鞍に跨る少女を、主人は呆然と見上げる。


「お嬢ちゃん、あんた何者だい?」


 ケムリはその問いを無視した。


「ローグン公国まで、この子ならどれぐらいで行けると思いますか」


「ローグンだって?」

 主人は呵々とばかりに笑った。

「俺を馬鹿にしてんのかい? 何も知らない田舎者だと思いやがって」


 それから主人の話した内容は、ケムリの心を暗い氷窟に突き落とした。




 * * *




 馬を走らせて七里半、辿り着いたのは細い川が中央を通るおそろしく物静かな地。

 ローグン公国は静か――どころか、そこは滅びた廃墟の街であった。


 崩壊した外郭門をくぐりながら、いつだかに訪れた霧の国を連想する。あそこにはまだ、無気力ながらも生命ある人々が住んでいた。ローグンの街の至る箇所に横たわっているのは腐った屍体や白骨体。未知の病にでもやられたか、屍にはその大半が身体に黒い斑点模様を着けていた。

 街一帯に漂う腐臭に顔をしかめながら手綱を引く。馬は足元の屍を避けながら慎重に進んだ。

 街の中心にいくら進んでも屍体と廃墟の光景は一向に変わらない。ケムリは一度馬を降り、行路図を見返した。


 ――ここ、ローグンで間違いないよね……。


 淀んだ空気に、馬が不快そうに鼻を鳴らした。その首を撫で、ケムリは辺りを見回す。手綱を掴み歩いて進む。どこかに生きている者はいないか、永劫の闇の中で光を手繰るように歩く。

 通りすがった川辺の倒壊した家屋。そこでか細い声がし、ケムリは足を止めた。


「お(ねい)ちゃん……」


 瓦解した石塀のそばで一人の童女がへたり込んでいた。一見六、七歳ほどに見えるが、ひどく痩せて小柄なため判断が難しい。童女は何本か抜けた歯を剥き、ケムリに向けて微笑みかけた。


「お(ねい)ちゃんは、冒険してるひと?」


「そうだよ」


 ケムリは屈んで童女に視線を合わせる。些少躊躇ったが、そのふけ(・・)だらけの頭を撫でた。見れば、彼女の首元には周囲の屍体と同じく黒い斑点が浮かんでいた。


「なんか食べものもってない?」


 背負った荷袋を探り、パンを一つ手に取る。その瞬間、童女はケムリの手からパンを取りあげた。何度か噎せながら、パンを一気に飲み込んでいく。かと思えば途中で食む手を止めた。


「そうだそうだ」


 童女は余ったパンを隣で横たわる者の口元に置いた。慈しむようにその頬を撫で、にこにこと笑う。


「その人は?」


(あん)ちゃんだよ。こないだから動かないんだ。たぶん、おなかが空いて力がでないんだね」


 兄ちゃんと呼ばれたその遺体には、無数の蠅がたかっていた。両目の間からは蛆が沸き出ている。まだ亡くなって間もないようで、周りの屍と比べればまだ肉の形を保っていた。


「食べもの、もっとないの」


 ケムリは首を横に振る。本当に持っていなかった。

「あなたの、」

 言いかけて口をつぐむ。突如として、いつかの騎士の台詞が蘇ったからだった。


 ――名をな、知ってしまうと。うむ。執着してしまうのだよ。


 その言葉を振り払うように、童女に尋ねる。

「あなたの名前は、なんて言うの?」


「リーベ! (あん)ちゃんは、ダズルだよ」


「そっか。リーベ、お兄ちゃんを大切にね」


 ケムリは手綱に掴まるように立ち上がった。力が抜けたように足元が覚束ず、童女を見ていると眩暈がしてくる。


「お(ねい)ちゃんもういくの。また来る?」


「うん」


「じゃあ、こんどはもっといっぱい食べものもってきてね」


 ああ……わたしは偽善者だ、とケムリは思った。また笑いかけられた気がしたが後ろを見ることもできない。自分には神へ懺悔する価値すらない。今すぐ腰の短刀(サクス)に手をやり、この場で自分の喉をかっ切りたいとさえ思った。


「またね。リーベ、ダズル」




 * * *




「心中お察しします」


 城郭門を出ると、漆黒の詰襟装束の青年が立っていた。お節介にも転位までして様子を見に来たらしい彼は、壁に預けていた背を離した。


「まずは事実を隠匿していたこと、謝らなければなりませんね。隊長殿の意志を汲み取るに、僕が安易に真実を伝えるべきではないと判断したのです」


 ヘイスは透かし見るように壁門の向こうを流し見る。


「ローグン公国が没落したのは三年以上も前。聖戦で多くの兵を失い、戦禍の傷は国内の城下町まで及んだ。その後間を置かず新種の疫病が蔓延(はびこ)り、衰退した国へ(とど)めと言うように盗賊一団が襲来した。この盗賊団はどうやら当国に根深い因縁があったようだが……。それにしても僕が誤解を招くような言い方をしてしまったせいで、あなたに余計な手間を取らせてしまった」


 ケムリは首を振る。わたしはわたしの意志で行動したまでに過ぎないのだと。


「尽きてしまったという財源とは、正しくは“遺産”。『伝説にせよ』との命は、君公が存命中に下した謂わば“遺言”だったのです。本国帰還も何も、もとより隊長殿に帰るべき場所などなかった。本人も既知の上、そして君主を失ってもなお当初の指令を遵守し続けた。偏屈で融通が利かなくて、馬鹿正直なくらい『騎士』なんですよ、彼は」


 馬鹿正直、もしくは気狂いなのだろう。騎士が闘う理由には生産性というものが欠けていた。光の閉ざされた扉から目を背け、酒徒(とも)や少佐騎士との絆を胸に、来るはずのない帰還命令の白昼夢に酔いながら、常に隣合わせの死と付き合う。これはもう正気の沙汰ではない。

 そしてそんな彼の横にずっといながら厚顔にもありがた迷惑を押し付けようとした自分。ケムリは己の愚かしさが恥ずかしくて仕方がなかった。


「ヘイスティングさまの仰る通り、わたしは無力な偽善者です」


「しかしあなたはそんな自分を、こんな世界を、どうにかしなければと考えている。そのための労や慈愛も一切惜しまない。あなたの求道ぶりにはつくづく感心させられました。以前ぶつけてしまった非礼の言、どうかお詫びさせていただきたい」


「いえ、事実ですから」


 馬を歩かせヘイスの横を通り過ぎる。


「だけど、泣いたって何も変わりませんよ」


 震える手で手綱を握りしめる。ケムリは旅路着の袖で顔を拭った。無力で偽善、更に泣き虫とくれば、少女のなけなしの自尊心はもう粉々だった。


「今のわたしに、慈愛があるように見えますか?」

 馬が足を止め、心配そうに後ろの主を気にした。

「ついさっき、女の子にパンを施しました。助かる見込みのない……いえ、助けるつもりもない女の子に」


 ヘイスは悲しげに目を伏せた。


「あの子を見捨てた罪滅ぼしに、せめてこれからは、この手で救える命くらいは拾いあげていきたい。そのために一つだけ、ある方法を考えました」

 少女は胸元に手をやり、石の首飾りを指で包んだ。

「わたしが必ず、騎士さまをお救いいたします」

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