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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
二章 一千日の騎士
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7 転位の術師

 熱にうなされ二日ほど寝込んだが、三日目の朝には若木相手の弓矢練習を再開するまでに回復していた。

 騎士の弓射を模倣しながら要領を得ていくと、百発三十中ほどは的を捉えることができた。


 思った通り、弓射は筋肉に頼るばかりでなく姿勢(あるいは射形)にも気を遣うと良さそうだった。

 両足は平行に開き、足裏から(うなじ)まで身体を真っ直ぐに伸ばす。腸骨上端を親指で押さえた位置で、両肘を張り合わせる意識。目づかいは鼻頭を通し、少し先へ落とす。

 弓先を体の中央に。矢は弓の先へ向け、そこから延長するように弓の末弭(うらはず)と交わらせる。弓と矢は水平面に同角度として、呼吸を一つ。

 矢羽を深く引いて手放した。


 今日一番の手応えだ。矢は若木の中心部に深々と突き刺さった。


 そこで、後方から乾いた拍手が聞こえた。振り返ると、三日前に枕辺に現れた詰襟装束の青年が立っていた。


「お見事です、ケムリさん」


 ケムリは小さく会釈を返す。

「あなたは確か……」


「ヘイスティングと申します。まあ、業務上の仮名ですが。簡単にヘイスとでもお呼びください」


「ヘイスティングさま」


 いつもの調子で慇懃に返すと、ヘイスは口元に手を当て無邪気に笑った。

「ケムリさんのその行き過ぎた礼儀正しさ、僕も少しは見習わねばなりませんね。“同業者”として」


 ケムリは青年のよく出来た笑みから、彼が身に着ける詰襟装束に視線を移す。その上腕部には『天使の羽』を模した印章(シンボル)が貼り付けられていた。物売りを生業とする者ならば恐らく、その印章を知らぬ者はいない。


「シュネル商会……」


 世界規模で展開する商流・物流組織だ。

 通常の共同商会が(みやこ)一つを縄張りに商うものに対し、シュネル商会は四大都市のみならず他大陸にまで手を広げる、言わずと知れた超巨大商会だ。

 シュネル――迅速を意味する――の名に違わず、その物流技術は異次元的である。

 荷馬車を走らせ十日はかかる行路も、我々にかかれば二日で十分であると商会自身が謳っている。

 またある王城の移住計画では、ふつうなら一年はかかると言われた引っ越し作業を彼らはものの一月(ひとつき)で済ませてしまったという。

 さらには伝書鳩を超える速達技術、建築物そのものの移転、希少鉱石や資源の無限複製……などと、もはや超常現象じみた技術特異を獲得しているという噂もあるが、これは商会も謳っていない範疇なので法螺(ほら)だろう。


「組織の名前だけがやけに大きくなってしまいましてね。僕自身はしがない商人のはしくれなので、どうぞ警戒なさらず」


 心中を読んだような言動は、余計少女の猜疑心を煽った。

 それ以前に一商人側の見方として、シュネル商会は存在そのものが眉唾だった。

 彼らが掲げる印章(シンボル)、そこへ露骨に描かれた『天使の羽』。これは本来、森人(エルフ)族が家紋として古より掲げてきた象徴である。彼らほどの著名組織が無断で『天使の羽』を使用するはずもなく、まず間違いなく、森人族と正式な契りを交わしたものと考えられる。


 しかしそれはおかしな話だった。森人族はそもそも金銭の授受を嫌う。古来より自然の恵みを愛し、出来過ぎた加工物を避け、仲間内でも原始的な物々交換に留まる。人間的な営利主義(ビジネス)を否定したがる民族なのだ。この思想には彼らの『免疫力』や『生命力』が元にあるのだが、ともかく商人という存在は森人から最も縁遠い立場になる。

 にも関わらず彼らは『天使の羽』の接受に成功している。その神がかり的な物流も、恐らくは森人由来の技術に依るものだろう。


「この城にある打鐘の呪学機構(からくり)も、霊獣の出没を予期した教会暦(カレンデ)も、食糧庫に貼られた腐食遅滞の呪符も……全てヘイスティングさまの計らいですか?」


「計らいというほど大層なものではないですが。ただ僕はせめて隊長殿(・・・)のお力添えになれたらと思っているだけなのです」

 言うとヘイスは、ケムリが手にする長弓を指した。

「ところでそれ、僕もやってみていいですか?」


 彼に弓の射ち方を教える。

 ケムリには大柄だった長弓は、長身の彼が持つとそれなりに様になる。ただし弓の握り方すら覚束ない様子で、それだけで全くの素人であることが判った。急に気が大きくなって、ケムリは丁寧に矢の引き方を教えてあげた。


「いい感じです。さっきの姿勢を思い出して、最初からやってみてください」


「はは、案外難しいもんですね」


 ヘイスは玩具を与えられた少年のように笑い、改めて弓を引いた。その射形は思いのほか綺麗に決まっており、ケムリは途端に何も言えなくなる。


 彼の手から離れた矢は、あっさりと若木に突き刺さった。


「あ、当たった。当たりましたよ、ほら」

 嬉しそうに振り返るヘイスだったが、少女の顔を見て不安げに小首をかしげる。

「すみません。僕、何かやり方間違ってましたかね」


「いえ、何も間違ってません。もう返してください」

 ふくれっ面を隠しもせず、ケムリはヘイスの手から長弓をかすめ取った。

 弓を構え自分も若木を狙ってみる。彼に仕損じを見られるのは癪だったので、大人しく弓を下げた。


「実は今回、本地を訪れたのには事情があるのです。これまで我々はとある『温情』により隊長殿を支援してきました。ですが遺憾なことにこのような社会情勢ですから……いよいよもって潮時のようでして。その温情だけで支援し続けるには限界が来てしまっているのです。それを伝えにきた次第で」


「温情ですか」


「シュネル商会は、元を辿ればローグン君公の財源を間借りして結成された組織なのです。我々もなるべく君公の命には忠義を尽くしたく、その命令というのが『()の騎士及び兵団を末世の伝説とせよ』とのことで」


 と、ヘイスは両手を開く。

 ケムリは懐疑の眼差しを露わに押し黙った。伝説・・、と頭の中で反芻する。今ほどこの言葉を不穏に感じたことないかもしれない。


「命を遂行するにあたり、このユタラル渓谷という地……ケムリさんも身を持って体感しているでしょうが、ここは荒蕪極まる原生迷宮だ。普通の輸送方法では武具や物資どころか、パンの一切れも届けるのは苦難でしょう。そこで、我々が物資配給の手段として役したのが――」


「『転位の術』ですか」


「お気づきでしたか」


 ケムリは言葉を失う。

 シュネル商会なら、とは思いつつも半ば冗談混じりの鎌かけだった。噂に過ぎぬと思っていた迷信を真っ向から肯定され、返す言葉もない。


 転位術。

 離れた二点の座標を自由自在に、また時の経過もなく往来できるという架空の術。未来永劫実現不能とまで言われた幻想神技(しんぎ)の一種。

 昨今のシュネル商会の武勇伝が長い尾ひれをつけ、彼らならもしやと、そんなお伽噺が街角で広まらないでもなかった。

 所詮は現実離れの絵空事としか思えない。いや、信じたくないと言った方が正しい。


「君公の命令と財源をめぐる問題の前に、ひとまずはこの術の実現についてお話した方がよさそうですね」


 ケムリは気難しくうなる。


「わたしはこれまで幾度となく……ともすれば、神の所業を思わせるような術法の数々を目にしてきました。そんな経験を踏まえても尚、転位というものが未だ空想の域を出ないと思っているのです。もし、もしそんな術が実在するとしたら……」


「そんな術が実在すれば世の中はひっくり返る――そう言いたい気持ちはよく判ります。確かに我々人類はこれまで『移動』、『運搬』という問題に、世代を跨ぎ何度となく立ち向かってきた。なにしろ大地というのは途方もなく広く、険しい。足を使い、馬を使い、鳥を使い、荷車を使い、最近では呪学機構を施した馬車まで開発されているようだが……ともかく、人や物を輸送するための手段は人類の歴史と共に少しずつ、着実な進化を遂げてきた」


 旅行商の一人として深く頷けることだった。その移動のために自分たちは多大な知恵と体力と時を費やしてきたのだ。


「だがこれまでの進化の過程で、心底革新的であったと言えるものが存在したか? 僕にはとてもそうは思えないのです」

 ヘイスは人差し指を立て、右から左へと推移させる動きをしてみせた。

「これまでの『移動』にはその全てにおいて、いくつか共通の障害が付き纏っていた。それが『空気抵抗』、『摩擦』、『重力』、『時間経過』といった障害です。これら一切を取り払わない限り、真の革新と呼ぶにはほど遠いでしょう」


 ヘイスは間断なく語る。


「ここからは自然物理学的な話になりますが、便宜的に人体を例としましょう。人体を表す情報量は驚異で、一般的な人間の原子の数は十の二十七乗以上あると考えられています。現段階での我々の実験では、量子単位での座標転位は可能であるとの結論に至っており、これは空間の逆転現象を利用したものです。空間A・Bを未観測の状態から開始し、空間Aを観測し物体構成が確定すれば、おのずと空間Bの物体構成は空間Aと逆転するというものです。量子というとても小さな世界に限っては既にいくつかの成功例が見られました。ただしこの量子転位は原子そのものではなく情報のみを伝達するので、人体を構成する十の二十七乗の原子を――しかも自由度の高すぎる脳神経物質や血液のような構成物を――まとめて転位させるには不確定性原理と等しく現行不可能で……と、この先のお話はまたの機会としましょうか。『あなた方』に原理原則を解くためには、まずは原子の定義付けから必要になりそうだ」


 少女の目が泳ぎ出したのを察し、彼は咳払いを一つする。


「ともかく、かくして転位術は物理学的に不可能である、という結末に至ってしまったわけです。ケムリさんが思うように、転位など夢現(ゆめうつつ)のおとぎ話であったと。だが当然、ここで話を終わらせるシュネル商会ではない」


 ヘイスは足元の矢筒から一本、弓矢を抜き取った。検分するように丁寧に指先で矢芯をなぞる。


「我々が次に目を向けたのは、天上の神々です。神は、常に人智の範疇外に居なさる。それを証明するかのように、この世にはどれだけ究理を詰めようが解き明かせない数々の不条理が起こっている。その代表が呪術、魔術、霊術、あるいは霊界の世界です。これは自然現象の理に適っているようで、実はそうじゃない。人が我が物として役するように見えて、ただただ使わされているに過ぎない。これはまるで、神が『これは我らの特異点であり、人の理解に及ぶものではない』と主張するかのようだ。そんな異次元の存在を、ケムリさんもつい最近目にしたはずです」


 矢を撫でる手つきを目で追いながら、ケムリは顎に手を当て考える。やがてある一点の不条理に思い至った。


異門(ポータル)……」


「ご明察です」

 ヘイスは矢を水平に構える。長弓も持たず、弓を引くような真似をして、矢刃を若木へと差し向けた。

「我々はね、理解することを諦めたのですよ。どんな原理かは全く知らないが、ともかく異門はどこぞの霊界から霊獣を転送する事ができるようだ。理屈は分からないが……しかし分からなくたって、人の利便に転用できるんじゃないか? そして我々はとある伝手(つて)を頼りに、この異門の超常現象を拝借する(すべ)を得た」


 矢羽から手が離れ、空へと飛び立つ――いや、消えた(・・・)

 見れば、若木の上腹にその矢は立っていた。音もなく、それは彼が語る転位術を再現したかのように。


「ご理解いただけましたか?」


 正面に居たはずの青年の姿がない。代わりに、すぐ背後からするその囁きに、ケムリの背中に冷たい汗が伝った。

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