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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
二章 一千日の騎士
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6 異門

 九時課の鐘の音は盆地を越え、その奥地、針葉樹の森まで届く。


 そこは薄暗い木陰が落ち、まだ日が落ち切っていないというのに辺りは暗澹としている。ケムリと騎士が目指しているのは森林奥地の洞穴にあるという異門(ポータル)だった。

 道中、数体の爬虫人(ケイブマン)を騎士が狩り殺す。ケムリも一応は短刀(サクス)や弓を構えるのだが、騎士の体捌きにはとても追いつかず、また簡捷に事を終わらせてしまうため自分の出番はないように思えた。


「良い刀を持っているな」

 騎士は、ケムリが左手にする短刀を指さした。どこの武具商でも手に入る有り触れた小刀である。

「一寸、おれに貸してくれぬか」


 彼はケムリから短刀を受け取るや否や、それを傍の茂みへと無造作に投擲した。寸時、茂みから短い悲鳴が上がった。

 騎士は茂みに手を突っ込むと、その首根っこを掴んで引きずり出す。脳天に短刀を突き立てた爬虫人(ケイブマン)が、唖然の形相で絶命していた。


「ずっと潜んでいた」


 爬虫人の鱗額から短刀を引き抜き、ケムリに放って渡す。刃に付着した黒い液体を見、足元の落葉で拭って鞘に納めると、少女は小さく溜息を吐いた。


「相変わらず、わたしは役に立ちません」


「そんな自分を変えたいのだろう? 今はその途上に過ぎん。悔恨に浸る時間を惜しめ」


 慰めるように、騎士は腰に提げた水袋を少女に手渡す。ケムリは傍の苔石に腰を下ろし栓を抜いた。一口唇を潤すと、しばらく爬虫人の死骸を眺めた。


 小暇の合間、爬虫人の死骸は少しずつ崩れていき砂塵(・・)と化していく。


 我々人間は、生きとし生ける者全ての死を尊び、万物の死に対し(すべか)らく祈りを捧げてきた。それは同種族に限らず、他人種である黒人、東洋人、森人(エルフ)洞人(ツヴェルク)、異教徒や略奪者(ヴァイキング)、狩り殺した動物、果ては植物に至るまで。たとえ諍いや軋轢を孕んだ因縁の相手、食餌の対象だろうが、死は平等かつ同等に扱われるべきと考えられている。

 宗教ごとに解釈の違いはあれど如何な死とて尊重しようというのが世の通念である。


 だが我々は、霊獣及び霊亜人の死骸に対してだけは決して祈りを捧げない。

 彼らは生きているようで生きていない。一般的に生き物としての認識はなく、生命や魂といった概念も認められていない。死ねばこのように砂埃か煙埃といった無機物と化す。時に肉体そのものを残して逝く個体もあったが、祈りの対象としては一様に排除されてきた。

 名に『霊』を冠するが、人や動植物の『霊』とは区別される。そこに明確な定義はないものの、太古からの普遍性が人々の意識に根付いていた。

 昨今、一部の宗教学会では「霊獣も生物の一種と認識を改めるべし」との定説を普及させる動きもあるが、民草の固定概念を刷新させるには今一つ論拠に乏しいのが実状である。


 少女は胸元から石の首飾りを出した。石は僅かではあるが光を帯びている。碧にも藍色にも見える複雑な色合いは、薄暗い山気を蛍のように照らしていた。


「呪石か?」


「呪石ではありません」

 ケムリは首を横に振る。

「これは、実母がいないわたしにとって親代わりの品なのです。詳しく話すと長くなってしまいますが、要は、小さな【記念碑(メモリアル)】のようなものです」


「話題に欠かん子だな、君は。長くなるならまた余暇、晩酌のつまみにでも聞かせてくれ」


「はい。また余暇にでも」


 森が深まると、闇も濃くなっていく。目的の洞穴まで辿り着く頃にはいよいよ提燈(ランタン)を焚かねば目睫の足場まで瞭然としない。

 二人は洞穴前で足を止める。ケムリは荒い吐息を繰り返しながら、傍らの樹木に背を凭れた。首飾りの石は洞穴に近づくにつれ光度を増していく。加え、胎動するように時おり減明し、また眩く光り出すという反応を見せた。


「【記念碑】が反応しているようだが?」


「支障ありません。ですが、少し休憩させてください」


 ケムリの額には玉のような脂汗が浮かんでいた。手の甲で払う。そのまま滑るように土に尻を着けた。

 洞穴は蔓草に覆われ、冥府のように漆黒な穴を空けている。それと睨み合っていると眩暈がしてきて、とても目を開けていられなくなる。視界がどろりと歪み、端々から視野角を蝕まれていくようだった。

 たまらず瞼を閉じる。今度は脳裏に『赤い口』の心象風景(イメージ)が現れた。『口』は数え切れぬほどの牙を持ち、牙の一本一本がぬらぬらと粘着質に光っている。中心は溶岩のように赤黒い縦穴で、煌煌と明滅しながらこちらを睥睨していた。恐怖で目を逸らしたいのに少女にはそれが出来ない。『口』は徐々に肥大化していき、視界には収まりきらぬほど大きくなっていく。


 ――違う、大きくなっているんじゃない。近づいて(・・・・)きているんだ。


 『口』は悲鳴とも慟哭とも取れる奇声を発していた。鼓膜を突き刺す轟音である。耳を塞ぎたいがやはりこれも出来ない。

 目の奥が燃える感覚。生きることを放棄したくなるような激しい頭痛。

 そして牙の一本が鼻先に触れようという瞬間、彼女の頭に『死』という字が浮かぶ。

 それは少女が生涯体感し得ないはずの事象だった。万物に必ず訪れるという死。何物にも逃れることの出来ぬ摂理。唯一人これに(たが)う超体質を持った少女に、突如として焼き付く死の現像(リアル)。『口』は少女を飲み込むと、癒える事のない焼土で全身を覆い溶かした。




 * * *




 悲鳴を上げて飛び起きると、目の前に見慣れた騎士の老け面があった。

 全身が汗で濡れそぼっている。起きた拍子に額に乗せられていたらしい濡れ布が落ち、寝床下の床にへばりついた。


「無理をさせたな」


 ケムリは茫然と周囲を見回す。そこはこれまで間借りしてきた兵舎の一室で、先程の『赤い口』の心象風景は欠片も霧散している。


「わたしは……」


「いっとき樹の下で休んでいたんだが、突然弾かれるように洞穴の中まで駆けていってな。仰天(びっくり)して追いかけたんだが、君は穴ぐらの途中で気を失っていた。全く、頭でも壊れちまったのかと心配したぞ」


 冗談めいて言う騎士だが、ケムリは全然笑えない。先の心象が未だこびりついて離れない。疲弊は抑え難く、再び寝床へと横になる。

 騎士は濡れ布を水に浸して絞り、ケムリの額に押し当てると、「今日は休め」と告げて部屋を出ていった。


 わたしは一体、何を視たんだろう。

 あのおぞましいものが異門の正体なのか……。


 窓辺から入り込むのは、洞穴とは違う穏やかな闇と涼しい風。

 夜風は部屋を満たし頬に浮かぶ汗を乾かした。心地よい空気に包まれ、少しずつ目蓋が重くなってくる。『口』の心象を振り払い、『天使』を思い描こうと努力する。白い羽をはためかせ、優れた恩寵を運び、どんなに傷ついた身体でも癒してくれる愛らしい天使。眠れない夜はこの天使を想像するのがケムリの習慣であった。


 ふと、枕辺に一人の青年が立っているのに気づく。

 青年は、短く切り揃えた青銅色(ブロンズ)の髪を夜風に棚引かせていた。歳の頃は二十にも満たぬ印象。

 寒気を覚えるほど整えられた顔立ち。肌は青白く、対照的に纏った詰襟の装束は濃紺一色である。彼は口元に薄い笑みをたたえ、優しく少女を見下ろしていた。

 天使だろうか、ケムリは惚けた頭で思う。だが自分の想い描く天使とは少々かけ離れている。

 暫時優しく笑むだけの青年だったが、やがてその細く形の良い唇を開いた。


「初めまして、(そら)の落とし子さん」

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