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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
二章 一千日の騎士
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5 捨てられた城

 人一倍、恐がりで優しい少年が居た。


 独立国家・ローグン公国の片田舎の農家で生まれた彼は、父母の愛を一身に受けて至極健全に育った。

 晴れの日は父とともに畑を耕し、雨の日には母の教えのもとで種々勉学に勤しんだ。


 母は、北の都出身の元放浪教師だった。放浪教師とは、貴族や庶民を相手に知識や教養を切り売りする、ある種の商売人である。神より授けられし知を売って歩くなど愚かしく非道徳であると、聖職者には忌み嫌われる存在だった。

 だが、知こそ何より貴きとする君主に統治されたローグン公国においては、職業教師の母はひどく重宝された。加えて彼女は森人(エルフ)族もかくやという美しい容姿をもっていた。ひとたび国の中心街に出かければ軟派者に声を掛けられるのが茶飯事で、夫や子どものいる前で唐突に求婚してくる者も珍しくなかった。


「人は生まれてきただけで罪深い。私たちにできるのは、せめて累加の罪を重ねぬこと。さすれば神もいずれはお認めくださり、我々平民にも楽園への道が拓かれるのです」


 母の教えに、少年は深く頷く。

 少年の家庭では肉を食さず、菜物や木の実を中心とした食事を主とした。敬虔な修道士や博雅な貴族の間では当たり前に行われた食生活だったが、少年のような貧しい家庭では珍しいことだった。

 近所の猟師の親父が鴨だの兎だのの首根っこを掴んで歩く様をよく見かけたが、少年は嫌悪が止まらなかった。殺して鳴く者の命を奪い、それを人が食するという行為が、少年には理解し難かった。


 なにより殺された動物たちの、あの濁った硝子玉みたいな目つきが苦手でしょうがなかった。

 野菜や木の実は、()いでも裂いても鳴き声を上げない。が、鴨や兎はそうではない。鳴いて赦しを乞う者を利欲で殺してよい権利が、果てして人にあるだろうか?


 ある新月の晩、二名の暴徒により父母が殺害された。

 あとで聞いた話によれば二名の暴徒は父の恋敵であったらしい。何故あのような愚鈍で不細工な父にあの母をと、ひどく歪んだ嫉妬が生み出した暴挙であった。

 一晩の悪戯で済ませる予定が、たまたま集会から忘れ物を取りに戻った父に見咎められ、激しい口論になった。暴徒の片方が口論の末にそばにあった農具槌を手に取り、出来心で父を殴打した。父はそれだけで事切れた。後に引けなくなった二人は母を犯し、その後に刺殺した。


 少年は、寝室の扉の隙間からその一部始終を目撃していた。

 母は仰向けで床に伏し、濁った硝子玉の目をこちらに向けていた。


 これからどうしようと狼狽える暴徒二人をよそに、少年はじっと母の目を見つめていた。神の教えに正しく従順であったはずの父母がこのような目に合わねばならぬ理由が、賢く臆病な少年には思い当たらない。毎晩のように聞かされた神話では『悪魔』や『巨人』といった悪役が登場したが、まさしく現実のものとして受け取ることが出来ていなかった。

 あれは物語の引き立てであると、心のどこかで誤解していた。

 少年は、この時をもって確信する。この世に『悪』は存在するのだと。


 ともかくこの場を遁走しようと外に出た暴徒を待っていたのは、騒ぎを嗅ぎつけ飛んできた公国軍の少佐騎士であった。

 暴徒の申し開きを瞬時に嘘と見抜いた少佐は、その場で二人の首を刎ね飛ばした。


 家から飛び出した少年は、裂くような悲鳴を上げながら暴徒の首を踏みつけた。血が出るほど唇を噛み、踵で何度も暴徒の顔を踏みつける。

 やがて少佐は少年を後ろから抱き留め、一つ涙を流した。


 かくして少年は公国君主の召し抱えとなる。例の少佐騎士の側用人(そばようにん)として従事せよ、と当初は言い渡されたものの、「少佐様のような騎士になりたい」と申し出たのは少年自らであった。

 また、彼とほぼ同時期に公宮へ連れられた少年が居た。同じ九の歳で、盗賊一派に里をまるごと焼かれた孤児であった。

 似た境遇を持つ二人はすぐさま意気投合する。少年は彼を“とも”と呼んだ。公国直属の指導官のもと、二人は剣の研鑽に励む。

 一早く力と武を身に着け、まずは“とも”の里を焼いた盗賊を殲滅しようと約束した。


 二人の少年兵士が盗賊一派を殲滅したのは、それから僅か四年後のこと。十三歳の頃で、少年たちは身体も武芸も一端の男へと成長していた。

 ローグン公国に大挙した二十名ほどのならず者をたった二人で退治し、その大将首を公君へと献上した。この功績をなにより喜んだのはあの少佐騎士である。二人を抱き締め「よくやった、弟子たちよ」と泣いて喜んだ。


 同時期、世は『大聖戦』の最中にあった。

 少佐は聖戦の渦中へと送り込まれ、二人の少年はユタラル渓谷中核にある古城の駐屯を命ぜられる。少年らは若くして数十名の兵士を任される地位へと昇格していた。


「『聖戦』が終わればすぐ故郷に帰れるさ」


 “とも”の言葉に同意する。

 事実かの戦争において、捨てられた古城に攻め入ろうとする者はいなかった。勝敗に関わらず、『聖戦』さえ終わればローグンへ帰れるであろうと二人は高を括る。

 しかし、『聖戦』が敗戦に終わるも、二人に帰還命令が下ることはなかった。むしろ人類の敗北を負の影響とし全国土に『異門(ポータル)』が頻出し始めたのである。霊界の通り道とされる『異門』は、二人が守る古城近辺にも発現した。彼らに与えられた任務は、古城の駐屯から死守へと変わる。


「こんな古城が何の役に立つ? 守ったところでローグンの未来に繋がるとも思えん。今は本国を警護し、民の統制に資するのが賢明ではないか」


 “とも”の言を否定し切るに至る論はない。それでも彼らはこの地において剣を取らねばならなかった。

 この時、二人の少年は正真正銘の『男』となっていた。数年にも及ぶ城守に、仲間や部下が一人一人と命を落としていく。いつ下るかも判らぬ帰還の命に期待しながら、君主への忠義のため、そして命を救ってくれた少佐騎士のために闘う。

 仕事のあと、二人は毎晩のように酒を交わし世のあれこれを語り合う。絶望の人世から逃避できる、唯一の楽しみであった。


 やがて、“とも”までもを失った男は、ふたたび故郷の光景に耽る。“とも”を墓に埋めながら、彼の濁った硝子玉のような瞳を脳裏に焼く。やはり生き物というのはすべからく、死ねば一様にこの目をするらしい。生物かどうかも怪しい霊獣は決してこのような目をしない。


 帰還の命を待つ――今となっては薄紙となりつつある念願。

 相も変わらず、男は死者の瞳を恐れる。


 いつか自分もこうなってしまうのだろうか?

 それだけは厭だと、真剣に思う。今すぐこの地から逃げ出し、山奥に家でも建ててひっそりと暮らしていきたい、とも。

 しかしそれ以上に男の後ろ髪を引くのは『騎士』としての矜持、『悪』を滅するという当初の思想であった。おれはここで全うしなければならぬ物があるはずという信奉が邪魔する。男はまさに終わりのない二律背反に懊悩していた。


 “とも”が死んで間もなく、『大聖戦』の戦場(いくさば)であの少佐騎士が殉職したとの訃報が届いた。

 訃報の手紙を右手に握り締め、男は石碑に語りかける。

 それでもおれは、闘い続けねばならぬのか。闘い続けたとして、果たしておれは報われるのだろうか?




 * * *




 『少年』から『男』へと成長した彼は、およそ十年近くもこの古城を守り続けている。

 救い、あるいは赦し。終わりなき暗礁は騎士だけの事情ではない。彼は今の世界全体を象徴している。


 騎士の一日は忙しい。

 教会暦(カレンデ)が予期する霊獣の出現頻度は平均して日に二、三度ほど。一体のときもあれば多ければ十を超える数が同時に襲来することもある。時間帯は昼夜無差別で不規則なので充分な休息が取れない場合もある。

 たまに霊獣の現れない日もあったが、そういう日は主に武具の整備と修繕、あるいは食料の確保のために森中を奔走した。


 川辺で兎や鹿の血抜きをする騎士の手際は、本職の猟師も顔負けだった。ケムリも血抜きや皮剥ぎの作業を手伝ったが、彼女も最初は『少年』のように、生き物の光なき硝子玉の目に生理的な嫌悪を覚えた。

 それでも人は順応するもので、作業を続けていると後ろめたさも薄れていく。他生物を解体し、調理し燻製にしていくにつれ、心根にはむしろ誇らしささえ芽生えていくのだった。


 食糧は兵舎一階の倉庫部屋に保管されている。

 狩りで仕入れた保存食料の他に、潤沢な量の加工食糧が保存されている。目算して一か月分はあるだろうか。保管庫の各所には呪符(・・)が貼られている。呪符に描かれた呪紋様式には見覚えがある。食品保存向けの腐食遅滞術だ。それも戦場向けの中高位な術式である。

 ケムリは呪符の筆跡を検分する。紋式は覚えがあるだけでなく、その筆跡にもどこか既視感がある気がした。

 騎士は兎肉の燻製を天井に吊るしながら、呪符に執心する少女を顧みる。


「何も訊かぬのだな」


「はい」

 ケムリは呪紋を始端から終端までなぞりながら応えた。

「名を教え合わぬと言われた以上、この古城における事象のあらゆるは自身の目で判断すべきだと思っています」


「拗ねているのか? おれが名前も教えてくれないから」


 冗談っぽく笑う騎士に、ケムリは「違います」と、あくまでも意固地に首を振る。

「ですが、『異門』についてだけはいくら考えても判りません。かの大聖戦を機に各国地に開き始めたという霊獣の門。『門』の目的とは一体何なのでしょう? 聖戦を機に開き始めたということは、やはり聖戦の首謀者は霊獣の長だったのでしょうか?」


 騎士は黙っている。ケムリは続けた。


「ユタラル渓谷の『異門』は、何故だかこの古城を標的としている。別所に開いた『門』も、同じく霊獣の根城となる地を求めているのか。しかし、四大都市の同盟軍を滅ぼした軍隊であれば、今の憔悴した都市を直接襲って支配することなど赤子の手を捻るようなもの。それをしないのは何故でしょう? どうして十五年もの間彼らは沈黙し、『異門』を残すだけで何の音沙汰もないのか?」


「おれに難しいことを訊くな。闘うしか能のない雑兵だと言っただろう」


 食糧庫を出ると、二人は真っ先に談話室で教会暦を開いた。暦は複雑な呪式で造り上げられたらしく、過日の(ページ)は順次削除され文字通り消滅する。一頁部分は本日部分に入れ変わり、最終頁は十年は先の予期が記述されている。


「この教会暦によらば、おれは永遠にここで闘わされ続けるのだろうな。人知れず、ひっそりと。だがこの世に『永遠』はない。神話の抽象表現としては登場するが、現実的に『永遠』という概念を成立させるのは不可能だろう。万物はいずれ死に絶え、たとえ母なる大地だろうが潰滅し朽ちえる瞬間が訪れる。当然『異門』とて例外ではない。自然消滅を待たずとも、何者かの組成物である以上は潰える方法も当然あろうと言うもの」

 騎士は教会暦を閉じる。

「この地にしばらく残りたいと言ったときの君の言葉、感銘を受けたぞ。君なら何かやってくれる、そんな希望を持たずにはいられなかった」


「『異門』は、ここから歩いていける距離ですか」


「すぐそこだ」


 騎士は口元を歪めるようにして笑い、腰に剣を携えた。

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