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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
二章 一千日の騎士
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3 時と日を刻む

 翌朝、厳かな鐘の音色にケムリは目を覚ます。


 目覚めた少女は暫時、自分が今どこで寝起きをし、自身がこれまで何をしていたのかを見失いかけた。

 そのけたたましいほどの鐘声は、故郷・西の都で毎朝のように聞かされた讃課の鐘によく似ていた。


 慌てて起き出し手探りで衣服を探す。ケムリは直観的に「しまった、寝過ごした」と大いに焦っていた。

 これが讃課の鐘ならば、一点鐘前には早朝課の鐘が鳴っているはずで、父はこの刻には身支度を始めている。讃課にはもう荷車の整理を終えるだろう。たとえ出発の際に間に合ったところで、父に叱られ「一日中、家で反省していろ」と置いて行かれるのが目に見えている。当然昼食や夕餉もなく、日没から日出まで商人道のなんたるかを延々説かれるだろう。

 急いで衣服を身に着けながら、ケムリは泣き出しそうな思いがした。


 と、ここで我に返る。

 ここは西の都じゃないじゃないか、と。


 窓辺からわずかに月明かりが射している。

 讃課には違いなさそうだが、鐘の音の他、さざめくのは修道者の足音ではなく樹木の葉が摩すりあう擦過音。ここが極北の秘境、ユタラル渓谷であること思い出す。それゆえに、次に浮かんでくる違和は徐々に肥大していくのだった。


 一体全体、誰がこんな辺境で鐘なんか打っているんだろう?


 その正体は兵舎の屋上階から確認できた。

 城郭の内側、古城の一角には礼拝堂がある。穿孔の空いた見張り塔より一段低めの建造部だ。

 礼拝堂には、最新式の文字盤が付帯した時計が設置されていた。恐らくあの時計盤の内部に、機械仕掛けの打鐘(うちがね)機構が備え付けられているのだろう。当然と言うように時計鐘は讃課を盆地中に報せているが、これは異様と言っていい光景だった。


 そもそも打鐘の呪学機構(カラクリ)は現存最新鋭の技術体系で、俗間への新出もここ十年がいい所だ。

 ケムリの幼少期の頃はまだ、やつれ顔の打ち師が終日、二交代制で教会の鐘を切り盛りするような状況だった。砂時計や水時計(クルプシドラ)を駆使し、なるべく正確に一日八度の刻を手作業で報せていた。

 『時を報せる』という作業は当時かなりの技術力を要するもので、かつ草の根にとり時間の感覚というものをもたらす唯一の指標であった。この仕事は突詰めれば際限はなく、どこまでも繊細な正確性が要求される。彼らのやつれ顔からして、心理的圧迫は相当なものと思われた。


 たとえば、鐘の打ち漏らしなどを時祷書(じどうしょ)に厳格な修道者に見つかれば即刻解雇だろうし、時間の計り違えで王都間の重要な外交会合に支障が出れば、解雇どころか処刑ものだ。

 打ち鐘は基幹業態のためいくらか高給ではあったが、その分代替には事欠かない。不祥事を起こした業者の切り捨ても早く存外厳しい業界だった。


 そんな打ち師業の進展に寄与したのが、術師協会の開発者である。

 打ち師らが古来より確立してきた日・水・振り子時計の技術に着目し、術師らはそこに呪力の『久遠的な動力』という付加価値を与える。打鐘機構は双方の英知が身を結んだ結果で、実に急進的な技術革新だった。これにより鐘の打ち漏らしや計り違いはなくなり、機器の点検さえ怠らなければ、半永久的かつ正確な測算を実現できた。

 打ち師という業種名は今も現行だが、現状、実態は呪学機構の整備師である。

 昨今『器械仕掛け』という言葉がある種の流行りになっており、世には種々多彩な器械製品が出回りはじめている。この流行りは間違いなく、この打鐘機構の登場が発端だろう。


 鳴り止んだ時計盤を遠くに見詰めながら、顎に手を当てケムリは考える。


 西の都でも最近になってようやく、国内全ての鐘が自動式に成り変わった所である。

 対して都の外れはまだ遅れているようで、呪学機構(カラクリ)どころか、打ち師を雇う金もない修道士が自身の手で鐘を管理する教会もあるそうだ。

 そのような現状を鑑みても、このような廃城に――築城ゆうに百年は越えていよう――最新の器械仕掛けが施されているのが、不思議でならない。


 兵舎の一階に降りる。

 談話室には、先ほどまで人が居た残り香が漂っていた。この香りには覚えがある。あの騎士だ。

 ふと、円卓に置かれた一冊の書が目に付く。それは先々の予定を記した教会暦(カレンデ)のようなものだった。開きっぱなしの稿の一部がケムリの目に飛び込んでくる。


 ≪グルグリオの日。讃課の鐘より暫く。噛子二体、牙豚一体。城塞領地内北方部≫

 ≪同日、三時課。牙豚一体、噛子一体、人喰兎二体。同じく領地内北西部≫


 グルグリオの日。今日の事を指しているみたいだ、とケムリは頭の中で暦をめくる。もしやと思い兵舎の外へ出、立てかけてあった長弓を取る。雑木林の奥に『瞳』を凝らした。

 騎士が闘っているのが気配として感じ取れた。戦況は判らないが、彼の身は今のところ事ないようである。

 昨晩騎士に旅路話を聞かせ、互いが床に就いてからまだ二点鐘(二時間ほど)しか経っていない。彼はたった一人でこの城を守っているようだが、ならば一体いつ身体を休めているのだろう?

 教会暦(カレンデ)に記された文言も引っ掛かる。あれはまるで紛いなき未来を記したかのようだった。どの時間帯、何れの箇所に、そして何体の規模で、あの古城に害為す霊獣が現れるのかを予期していた。

 騎士の彼に未来を予期するような技能があるようには見えない。ただただ彼は、戦闘にのみ特化した城守戦士なのだ。


 ――また、(まじな)い師か。


 あの打鐘機構といい未来予期の教会暦といい、この場に呪いもしくは魔術の介入があることは明白だろう。

 術師の存在そのものが不穏である、と安易に断ずるものではない。今や技術の発展には呪術や魔術は不可欠であり、現世にとってもはや無くてはならないものだ。

 が、それ故に彼らは力を持ち過ぎた。王侯貴族や騎士、一般市民から他種族に至るまで、大衆の思想というものを扇動し掌握するような思惑さえ感じる瞬間がある。

 『大聖戦』を経て衰退を辿る人類に逆行するかのように、富や力を蓄え続ける呪術・魔術界の動向も何か不審だった。


 騎士は、何故闘うのか。

 彼自身の意志ではないだろうな、というのはあの闘いぶりから察せる。王か、主君への忠義か。それとも故郷で待つ妻子のためか。いかにも騎士らしい理由であれば納得できる。しかしそれが何者か私益のため、利己的な扇動に踊らされているだけだったとあれば、少女のなけなしの正義心を煽らずにはいられないのだった。

 正義、と彼女は思う。気配のする方へと駆けながら、長弓を握った右手を見下ろす。


 だからって、わたしに何が出来るんだろう?

 たまたま立ち寄った地の、名も知らぬ騎士のために。

 そもそも、自分の掲げようとする正義が、果たして他者のためになるだろうか?


 樹木の影から覗くと、肩で息をする騎士の背中が見えた。

 足元には死屍累々と醜い骸が伏している。騎士は剣を地に刺し、柄頭を杖にして呼吸を整えている。(かぶと)の狭間から大粒の汗が流れ、牙豚の拉げた前足に落ちた。

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