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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
二章 一千日の騎士
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1 渓谷の孤闘

 ただならぬ剣の刃合音に、ケムリはぎくりとして目を覚ます。

 太陽も上りきらない薄闇模様。鳥や獣の類がようやく動き出すか否かという刻だった。


 ケムリは寝敷物から飛び出し、御守りのように胸に抱いていた短刀(サクス)を鞘から抜いた。

 目睫(もくしょう)の気配は穏やか過ぎるほどに粛然としている。先ほど耳についた刃と肉を打ち合わせるような生々しい音は、どうやら幾分遠めから届いたようだった。

 寝敷の枕元に添えた提燈(ランタン)に手を伸ばし、つまみを捻って碧火を灯す。ケムリは短刀(サクス)を逆手に持ち直し、注意深く周囲に気を配りながら手際よく荷支度を済ませた。




 * * *




 そこはユタラル渓谷の中核。

 ユタラルとは、今からおよそ百五十年前にこの地に人途路盤を築いたとされる冒険者の名前だ。ユタラル渓谷は、かつて冒険者しか立ち入ることの許されぬ秘境であった。

 そこらの洞穴から白金や蛍石、翠玉といった希少鉱石が多く採掘されるとあり、渓谷入り口そばでは炭鉱を生業とした牧歌的集落が形成されていた。


 あまりの地形の険しさにくわえ、辺り一帯に原生した針葉樹も萎靡沈滞(いびちんたい)の風情である。更に奥地へ進めば草木の模様は薄れていき、代わりに巨大な禿頭(とくとう)の岩々が雑然と蝟集(いしゅう)した。たとえ路盤を開拓したとて、最奥地までの踏破は至難だろう。

 自身の名に箔をつけたいと発起した並の冒険者が半日で音を上げ、集落まですごすごと逃げ帰り、場末の酒場で自棄の酒をあおるというのがその地の常態となっていた。


 例に漏れず、行商の旅人・ケムリも渓谷口序盤にて行路の苛酷さに竦みかけているところであった。ケムリは年端もいかぬうら若き娘子ではあったが、曲がりにも一流の行商である継父に叩き上げられた秘蔵っ子。半端な冒険者には足腰も胆力も負けぬという自負があった。そしてその胸中には、ともすれば嘲罵必至とも取れるような無謀な目途を秘めていた。


 普請されたとは思えぬ急傾斜の難路をひた進み、今にも倒壊するのではと疑るような蔓紐同然の吊り橋を渡る。果てには半歩分ほどの足場が延々と続く崖なぞり路。下をのぞけば底の見えぬ崖底の闇。そこを路と呼んでいいのか疑問ではあったが、岩に打ち付けられた頼りなげな手鎖を頼りに、少女は身を横ばいとして蟹歩きに進んだ。


 晩課の刻。足裏に重い倦怠を抱えながら辿りついたのが、明らかに人工と思われる穴倉型の石室だった。さしずめ冒険者の憩いの仮住まいといったところだろう。足元は焚火の跡で真黒く煤けている。呪石の消耗を抑えるべく提燈(ランタン)の灯かりを消し、先人に倣い焚火を起こした。

 焚火の(ともしび)をたよりに山図を眺める。自己の現在位置を推し測る間もなく、蠱惑的な微睡みがケムリをおそった。

 寝敷物に包まり、仮眠を取ろうと目蓋を閉じる。梟の鳴き声だけが彼女の耳朶を優しく撫でた。




 * * *




 剣呑な剣戟音を聞き届けたのは、目蓋を閉じたその直後のように感じた。だが疲弊の払拭具合からして、自分が充分過ぎるほどに眠りこけてしまっていたのだと覚る。

 荷袋を背にケムリは、恐る恐ると野戦の気配へと歩み寄る。岩と岩に挟まれた隘路を掻き分け、群生した樹々を縫って進む。背の高い枯草を隠れ蓑に、狭間から下方を覗き込んでみる。


 視界が急に開けた感じがした。そこは広大な盆地となっており、一帯は薄ぼんやりとした朝靄が漂っていた。盆地の外周を堅牢な巌が箱庭のように囲っている。朝靄の先に目を凝らせば、空間の奥まった箇所に城郭と門があるのが判った。門の先では跳ね橋式の城塞がどっしりと佇んでいる。城郭都市というよりは、それそのものが外敵を退けるために建設された軍事要塞の様相を呈していた。

 だがその施設使途は過去のものであり、今は廃城同然のように見える。石造りの城郭は半壊寸前で、城館の塔には大砲の一撃でも受けたかのような穿孔(せんこう)がぽっかりと空いていた。

 視線を下方へとなぞる。

 城郭の袂。比較的形状を保った古ぼけた兵舎が一戸。城郭に接合する形で、三階建ての建屋が外方へと突き出している。

 その鼻先すぐ傍で、一人の騎士が孤独に闘っていた。


 小規模な戦地を横目にしながら、巌をなぞって城郭を目指す。城郭に行き当たると、今度はその朽ちた石壁に沿い兵舎に近づいていった。


 騎士に相対するは二体の噛子(アンシリー)。地域によっては神童子(コボルト)醜鬼(ゴブリン)とも綽名される下級霊獣だ。小柄な体躯に異様に長い手足。相貌は醜く一面皺だらけで、全身には体毛の一本もない。黒濁した肌色がどこか両生類の表皮のような毒々しさを思わせた。

 二体の嚙子(アンシリー)はそれぞれが手に奇妙な凶器を手にしていた。何者の物とも知れぬ異様に尖った骨棒である。

 嚙子らは土留色の歯の間から威嚇混じりの唸りを漏らしながら、騎士へと一歩ずつにじり寄る。


 客観的に、長身屈強な騎士の彼を制圧するには、二体の低級獣は二つか三つほど格落ちの手合いに見えた。事実、騎士の足元には既に四体の死骸が転がっている。児戯を(あし)らう情景を連想させる程度には、見えた勝負のような気がした。


 だが、騎士の表情は畏怖に歪んでいた。

 (かぶと)の下から覗く日焼けた面は今にも泣き出しそうで、歯と歯が小刻みにかち合う音がこちらまで聞こえてくるようだった。

 一体何を畏れる事があるのだろうと、命の取り合いに疎いケムリには理解に及ばない。


 騎士は震える両手で幅広剣(ブロードソード)を構える。噛子の骨棒の一振りを難なく弾き、その喉元に切っ先を突き立てた。

 その隙を見てもう一匹が飛び掛かってくるが、危なげなくその土手っ腹に蹴足を突き上げた。体重の軽そうな噛子はそれだけで鞠の如く転がっていく。地へと伏し吐瀉を撒き散らす噛子の動向を、騎士は睨んで離さない。

 兵舎まで辿り着いたケムリはその様子をどぎまぎと見守っていたが、ある異変に気付きはっとして息を呑んだ。

 喉を突かれた噛子は暫時気絶していたのだが、何の荒肝か、突如として覚醒し黒目を剥いたのである。弱弱しい動作で骨棒を振り上げだす。てっきり絶命しているものと思っているらしい騎士は、数歩先でむくりと起き上がる片割れを注視しその事態に気づかない。ケムリは慌てて辺りを見回し、兵舎に立てかけられた長弓と矢の一本を手に取った。


「逃げてください!」


 叫びながら、ケムリは使った覚えのない長弓を構えて放つ。

 当然というように空を切った矢は逸れ、見当違いな明後日へと飛んでいく。兵舎脇の全く意図せぬ樹木の根に突き刺さると、ケムリは己の間抜けさに血の冷める思いがした。


 が、騎士に危険を知らせるには十分な合図であったらしい。彼ははっと脇を見、剣を抜いて骨棒の一撃を躱した。勢いのままに上半身を浅く(うね)らせ、細っこい首の根を跳ね上げた。無理な体勢で剣を振った為か、剣身がそこで根元から折れてしまう。

 騎士は焦った様子で柄のみとなった幅広剣と、片割れの噛子とを交互に見る。そして彼は顔をくしゃくしゃにさせ咆哮をあげるのだった。

 噛子の手首を取り、力任せに骨棒を奪い取る。直後には瘦身な体躯を押し倒し、馬乗りの状態で骨棒を振り上げていた。


「ああああっ」


 どちらが殴られているのかも判らない。そんな断末魔じみた叫び声をあげながら、騎士は一心不乱に噛子の顔面を殴打する。骨の凶器は八打ほどで折損したが、彼は荒い息を繰り返しながら傍の泥土に埋まった石塊を引っこ抜く。両手に振り上げ、屈伸運動をするように、幾度も噛子の頭に石塊を叩き落とした。ケムリは閉口し、ゆっくりとその背に歩み寄る。


「もう、絶息しているものと思われます」


 騎士は振り返る。黒濁色の返り血に塗れたその貌は、やはり泣き出しそうであった。

 ケムリは視線を伏せる。足元では、肉が飛び散り、割れた顔骨の狭間から脳漿を飛び出させる噛子の(むくろ)があった。

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