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宙の落とし子  作者: 小岩井豊
一章 死んだ街と霧の塔
15/28

終 霧の亡君 《挿絵・設定集》

 窓を開け、朝靄の空気を吸う。

 老婆に貰った旅路着に着替え外套を羽織る。寝床の上で布袋の中身を整理していると、談話室の方から老婆のぼやきが聞こえた。


「ケムリがおらんと困るでねえ。わっしの目じゃあ、どこに埃が溜まっとるかも分からんでねえ……」


 ケムリは部屋を出る。老婆は藤椅子に揺れながら顔をくしゃくしゃにさせていた。ケムリは微笑ましい思いで、その老いた身体に抱擁する。老婆は更に目尻の皺を深くした。


「死んだ倅に言いたいよ。やっぱり、わっしにゃ宿場はむいてねえって。こんだけ歳食っても、いまだに人との別れが辛いんだもの……」


 ケムリはより強く老婆を抱き締める。

「必ず、またお掃除をしにやってきます」




 裏庭の井戸で水袋を溜めると、ケムリはその足で宿場の表側へと回る。


「流石に行商の子というか、旅支度が早いな」


 ケムリは踏みかけた足を止める。振り返れば塔の主だった。彼は戸口の脇で折椅子を出し、そこで書を読んでいた。


「主様、いらしてたのですか。何もそんなご足労を」


 主は書を閉じて椅子を立つ。

「年に一度あるかなきかという貴重な客人だ。もとより私は身一つで国を守る権勢なき党首、足労も何もあるまい」


 ケムリは改まって主に向き直る。霧の塔の如く長躯な彼を見上げ、何と別れや礼を告げたものかと難渋し二、三度と口籠る。主は無表情に、何か思惑を溜めるように少女を見下ろしている。


「名を言い忘れた、と思ってな」

 それは主らしくもない寂れた口調だった。

「レナトゥスだ。姓はない。故郷では別の名を名乗っていたが、この国の党首の座に就いたとき、自らで改めた。名を自身の大義としてな」


 少女は無機質に表情を失くし口を閉ざす。頭の中でぐるぐると思いが巡った。

 霧に加護された街と、自己増殖する塔。そんな中で暮らす無気力で信心深い霧の民。そこでは腹も減らず、老いもせず、進展や成長までもが忘れさられている。まるで時を止めたように。

 そして、主が自らで掲げたという大義名分を。

 レナトゥス――再生。


「無礼を承知で申し上げます」

 少女は恐怖を殺し、強い感情を目に宿した。

「この街は、やはり死んでいます」


 街は依然として沈黙している。そこら中で人が坐し転がっているのに、二人の他に物音を立てる者はいない。

 やがて主が返した言葉は、意外にも穏やかなものだった。


「それも然り。だが、今更自分のやり方は変えられんのでな」

 彼は書と折椅子を重ね、脇に挟んで塔を向く。

「間もなくして我が霧の術は完成する。因果が功を成し、念願の理想郷ユートピアを手に入れる。たとえ白痴だろうが、お前の眼であろうが……もはやここへ辿り着くことすら敵わぬ。お前があの塔へ行けなかったように」


 少女は唇を噛む。

「でも、お婆さんと約束しました」


「別れだ、ケムリ。いや……『宙の落とし子』よ」

 主は霧の中へと去っていく。その姿が見えなくなるまで、ケムリはその場で立ち尽くした。




 農業区の童女は今日もポプラの木を見上げている。

 街道に横たわる半死人を避けながら、自分が主へ言い放った言葉を反芻していた。彼の表情は、また新たな迷いを少女に生んだ。一体何が正しいのかを見失いかけている。この世界に見合う理想がますます分からない。

 霧の民は生きているようで死んでいる。だが裏を返せば、死んでいるようでも、確かに生きているのだ。これが崩壊する世界に備えた結果であり、彼らにとっての生きる術なのだ。


 白痴の少年と向き合いながら自分は、人が住まう地でただ生きていくだけでいい、そう思ったはずだ。ならば霧の民の取った選択こそ、ある一つの理想ではないのか。なのにわたしは、この街の何が気に入らなかったんだろう。




 城門前、獣に喰われたがっていた青年はいない。青年が座り込んでいた箇所で、雑草が空虚にへたっていた。

 ケムリは虚しい心持ちを胸に佇立する。胸元から首飾りを取り出した。顔の前に掲げ、太陽にかざす。

 首飾りには、十三年前に都の外れで落ちた巨岩の欠片が嵌め込まれていた。片手に包むと欠片は淡く、赤色に発光する。陽光に透かしてしばらく眺める。灼熱に盛る岩石の欠片は、中枢にまた別色の煌めきを灯している。色は複雑で、寒々しい青にも、豊かな緑にも、眩い朝陽色にも、秤の目のようにも見えた。

 首飾りを手に包むと欠片は淡く赤に発光し、微かな毒臭が鼻をついた。手離すと発光は止み首飾りは元の冷たい石に戻る。そのまま胸元に仕舞い、ケムリはまた歩き出した。


 森を少し進んだ場所に青年は居た。青年は狼に喰われている最中であった。

 その場所では霧は晴れている。呪いの効力が届かぬ事を示唆しているようだった。

 狼は青年の腹に顔を埋め、夢中で肉を喰らっていた。ケムリが傍へ近寄るも、何か用か、とでも言いたげに少女を一瞥するだけで、また己の食事に戻っていく。

 ケムリは青年の顔に手を伸ばした。頰は緩んでおり、その状態で硬直している。当たり前というように彼は死んでいた。大きな達成感と幸福そうな笑みを顔面に刻んで。


 どうして青年は笑っているのだろう、とケムリは思う。彼は霧に惑わされていなかったのだろうか。城門の内側にさえ入っていればこんな事にはならなかった。どうして、と声無き声が漏れる。安全な霧の中にいる事を良しとせず、どうしてこんな死に方を選んだのか。


 いつの間にか、狼は居なくなっていた。


 青ざめた頬から手を離す。青年に背を向けて立ち上がる。身震いがしてうまく力が入らない。自分の中で、ある重大な使命感が沸いていた。


 戦おう、少女は一人呟き、西の都に向けて歩き出した。




<了>

挿絵(By みてみん)

イラストは『卵乃かな』さんより。


●第一部、最後までお付き合い頂きありがとうございました! よろしければ評価、ご感想もお気軽にお願いします。


●登場人物・舞台


・ケムリ

別名:宙の落とし子

役職:旅の行商人(見習い)

出身:西の都

性格:表情の変化は乏しいが感受性は豊か。

能力・個性:死ねない身体。霊性を見分ける眼。

他:女/13歳/149cm/金色の瞳


・レナトゥス(=再生)

別名:塔の主、因果の術師

役職:霧の国の党首

出身:東の果て

性格:勤勉。顔に似合わず優しく寛大。

能力・個性:因果の呪術

他:男/30歳/205cm/長い黒髪、黒色の瞳


・宿場の老婆

 盲目。七十代中盤。名読みの呪術により他者の人生を見通す。亡くなった息子の宿を引き継ぎ、廃業後もひっそりと暮らしている。


・白痴の少年

 亡国・南の都の出身。11歳。妹たちの死により自我を失くし、また都を追放された棄児。自殺願望があるが知性の欠落により実行できない。


・霧の塔

 高さ2000m以上の巨塔。主の呪いにより小国を覆いつくすほどの大規模な霧を発生させる。また、主の意図に反して自己増殖する。


・霧の術

 塔の主・レナトゥスが役する因果術の発展形。霧の及ぶ範囲は彼の脳そのもの。また霧に包まれた対象者もある程度術者と意識・感覚を共有できる。霧の発生には塔の建設が不可欠。


・名読みの術

 宿場の老婆が使用する呪術。手書きで記された人名に指先で触れることで、対象者のこれまでの人生を見通すことができる。

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