ナイショの気持ち
―― どこにも行かないで。ずっと側にいて ――
酔って記憶が飛んでいる時に、シンヤに言ったらしい。
シンヤはなんだか嬉しそうだったが、弱みを握られたようで少し悔しい。
きっとシンヤが言ったように、本音だったのだろう。だがそれは、口に出すほど明確な欲求があったわけではない。
そんな事を無意識の状態で口走った事を聞いた時は、ただ恥ずかしいばかりだった。
しばらくして冷静になった時、恥ずかしいとか照れくさいよりも、自分の中にそんな恋に溺れる乙女のような感情があった事に驚いた。
溺れてはいないと思っている。シンヤの事は好きだが、四六時中シンヤの事を考えているわけではない。きちんと今まで通りの日常を繰り返し、今まではひとりだった朝と夜にシンヤが一緒にいるというだけの違いだ。
少し前からシンヤは、辺奈商事に通勤するようになった。そのため当初約束していた掃除は、休日にしかしてもらえなくなった。それはそれで、かまわない。
代わりに真純が、平日は今まで通り、軽く掃除する事にした。
朝シンヤを送り出して、仕事をしたり掃除をしたり、そうやって動いている時は、今までと全く変わりない。
ただ合間にホッとひと息ついた時、ふと家が広く冷たく感じてしまう。ちょうどシンヤが出て行ったあの時のように。
そして明確な言葉を伴った、あのわがままな欲求が、不意に頭をもたげる。
―― どこにも行かないで。ずっと側にいて ――
納得のいかない状態で、シンヤを失ったあの寂しさが、もう心配いらないのだと分かっていても、シンヤの姿が見えなくなるたびに、ぶり返す。
そう考えると、やっぱり溺れているのかもしれない。
いい年して八つも年下の子に、と思わなくもない。
そんな真純の心中を知ってか知らずか、シンヤは毎日きっちり定時に仕事を終えて帰ってくる。
具体的な内容はさっぱり分からないが、システムの仕事が忙しい事は知っている。毎日定時に上がって、ちゃんと仕事が出来ているのか心配だったので、瑞希に尋ねたら問題ないと言われた。
仕事に支障を来していないのなら、シンヤが早く帰ってくるのは素直に嬉しかった。これはシンヤには内緒だ。
毎日定時で上がるシンヤも、さすがに今日は夜中まで帰ってこないかもしれない。課でシンヤの歓迎会があるからだ。
真純にも出欠確認のメールは来ていた。しかし以前ならともかく、今は瑞希以外のメンバーとは交流がない。おまけに半ばケンカするようにして在宅勤務に移行したので、顔を合わせ辛かったりもする。そのため真純は欠席した。
主賓のシンヤは欠席するわけにはいかないので、真純の欠席を残念がっていたが、酔ったシンヤにまとわりつかれて、自分のいない課内で妙な噂がおもしろ半分に囁かれるのは、是非とも回避したい。
ひとりで夕食を摂り、風呂を済ませ、明日の朝ご飯のタイマーもセットして、他にする事は何もなくなった。
金曜日の夜だ。シンヤは今頃、羽目を外した先輩たちに、散々飲まされたりしているのだろう。
うっかりシンヤの事を考えてしまい、少し寂しくなった真純は、景気づけにひとり飲み会をすべく、缶ビール二本とタバコを持って、リビング前のテラスに出た。
板張りのテラスに座り、隅に置いてあった灰皿を、自分の横に引き寄せる。吸わない人の前では吸わない事にしているので、タバコを吸わないシンヤがやってきてから、格段に本数が減った。値上がりした事だし、いっそやめてしまおうかと考える事もある。
煙を吐きながら見上げると、晩秋の夜空に半分だけ欠けた月が、明るく輝いていた。
明日の予定をぼんやりと考えながら、ビールを飲みつつタバコを吹かす。
しばらくそうしていると、背後でサッシの開く音がした。
「ここに、いたんだ」
振り返ると、今帰ってきたばかりらしいシンヤが立っていた。
スーツ姿のシンヤは、少しだけ大人っぽく見える。最初見た時は、違和感有り有りだったが、毎日見ているうちに、案外見慣れてきた。
シンヤはニコニコしながらテラスに出てきて、背中から真純を抱きしめた。
「真純さん、ただいま」
いきなり抱きつかれるのも日常茶飯事となり、真純も最早うろたえたりはしない。けれど、やっぱりドキドキする事は、シンヤには内緒だった。
「早かったね。二次会に行かなかったの?」
「うん。飲み直すなら真純さんとの方がいいもん」
「主賓なのに、よく解放してもらえたね」
「家で彼女が待ってるからって言ったら許してもらえたよ」
「え……」
彼女って誰だと追及されて、余計な事を言ってないだろうかと少し不安になる。尋ねると、瑞希がそう言って帰らせてくれたらしいのでホッとした。
シンヤは隣に座り、ネクタイを緩めながら、側に置かれた缶ビールを指差した。
「これ、少しもらっていい?」
相変わらずいちいち断るシンヤに、思わず苦笑する。
「いいけど。もうほとんど空だよ。もう一本持ってくるから」
立ち上がろうとすると、腕を掴まれた。
「あ、わざわざいいよ。真純さんが飲みたいならかまわないけど」
「私はもういい」
「じゃあ、残りは僕がもらうね」
そう言ってシンヤは、少しだけ残ったビールを一気に飲み干した。空になった缶を横に置き、シンヤは再び真純を抱きしめる。
「どうしたの?」
努めて平静を装いつつ問いかける。シンヤは目を細めて囁いた。
「残り物の風味だけでも、おすそ分けしようと思って」
黒シンヤだ。気付いた時には、唇を塞がれていた。
シンヤのキスはいつも断りがなく、唐突で強引だ。そのくせ酷く優しくて、とろけるように甘い。
ビールを飲むのに断らなくていいから、こっちは断りを入れて欲しいと思う。けれど実際断りを入れられたら、照れくさくて逃げ出してしまうだろう。
計算高い黒シンヤは、それを知っているから唐突なのかもしれない。
もう何度目だか分からなくなったキスだけど、やっぱりドキドキして照れくさい。なのにこの瞬間だけは、目を閉じていてもシンヤが側にいる事は認識できる。だからなのか、あの寂しさと不安が忘れられる。
そんなシンヤのキスは、結構好きだ。これも絶対、シンヤには内緒だった。
(完)
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