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両親が亡くなって半年後、ロビアナは王太子と結婚した。
既に腹は大分膨れており、ドレスのデザインには苦慮したと噂で聞いたが、何とか無事に結婚式は終えられたようだ。
だが、そろそろ出産を迎えようとしているロビアナから、頻繁に手紙が来るようになる。
『お兄様、殿下が勉強しろと煩くて敵いません。妊婦を労わるように言ってください。それと、可愛い妹のために茶会費用を用立てて下さい』
ロビアナから送られてくる手紙は、その全てがお金の無心と王妃教育に関する愚痴だった。
ここに来てようやくレミュール殿下はロビアナの無知に気付いたようで、今更ながらに慌てて彼女に教育を施しているらしい。
しかし、貴族なら誰でも話せるような隣国の言語さえ習得していないロビアナ。
教育係も匙を投げるような状態らしく、王子妃教育は全く進んでいないという事だった。
また陛下や王妃はレミアの件を薄々感付いているらしく、最近は第二王子の教育に力を入れているらしい。
「私にとっての可愛い妹はレミアだけだ……」
厚顔甚だしい手紙を苛々しながら破り捨てる。
当然ロビアナに送金する気などサラサラなく、毎回送られてくる手紙は無視していた。
それなのに、ロビアナは懲りずに何度も何度も手紙を送ってくる。
どうやらロビアナはかなり金に困っているようだ。
国家予算を自分の金と思っている馬鹿な妹は、最初に提示された王子妃予算を一ヶ月で使い切ったらしい。
本来それは茶会などの交際に使われるもので、ドレスや宝飾品を買うためのものではない。
別枠で設けられている服飾費さえも既に使い切ったようで、更に交際費にも手を出した結果である。
その金遣いの荒さに、今の王城は王子妃の浪費で持ちきりだ。
このままでは茶会一つ開けないと嘆いているロビアナだが、同情する者は誰も居ない。
当然、私も仕送りなどしない。
本来なら生家で用立てる王子妃の支度金も出さなかった。
喪中を理由に、結婚祝いも最低限だ。
レミュール殿下には散々叱責を受けたが、どれだけ脅されても一切金は出さなかった。
結局は王太子の予算から捻出したと聞いている。
「そろそろ領地に引き篭もる頃合だな」
先日ようやく王城での仕事の引継ぎが終わったところだった。
ロビアナに子どもが生まれる前に領地へと移る予定だ。
少し前から領地には人も物資も送り込んでおり、この屋敷も売りに出す。
広大な公爵家の屋敷が簡単に売れるとは思えないが、王子妃の生家を売り出すという事実こそが重要であった。
レミュール殿下はそろそろ気付き始めている。
我がアッカーソン公爵家がロビアナを見捨てようとしていることを。
最近ではロビアナだけでなく、やたらと殿下が接触を図ってこようとするのがその証拠だ。
彼からすれば、公爵家の後ろ盾が無くなるのは非常に拙いのだろう。
だが、もう遅い。
我がアッカーソン公爵家だけでなく、ユリアンの生家であるハインベルグ侯爵家も殿下とは距離を取り始めている。
まさかハインベルグ家が離脱するとは夢にも思わなかったのだろう。
殿下は、ユリアンは愛する二人のために潔く身を引いたのだと信じて疑っていなかったからだ。
そしてそれに追従するように、王太子殿下派だった各家がその支持に躊躇を見せ始めている。
第二王子への王太子変更が噂されるようになったからだ。
それとは逆に、殿下へと近付く家も複数有った。
ロビアナが生家に見放されているなら好都合と、側妃を送り込もうと躍起になっている家である。
そのお陰でロビアナは気の抜けない毎日を送っているらしい。
ドレスや宝飾品に金を注ぎ込んだのも、殿下の寵を得る為に着飾りたかっただけだろう。
そんな中、突如とある手紙が私の下へとやってきた。
差出人は城に勤めていたある男爵家の次男で、殿下の侍従を長年務めていた男だ。
そんな彼が、田舎の領地へ帰る旨と謝罪を記した手紙を送ってきたのだが、その内容は私が思いもしないものだった。
『殿下から言われ、私はある毒薬を用意しました。一見すればただのハーブに見えるものです』
時候の挨拶の後に続いた一文に、私の指が無意識に震える。
『殿下はそれを故アッカーソン公爵へ渡すように命じました。これを飲むか署名するかをレミアに選ばせろ…と、殿下は仰いました。そこまで言えば署名するだろうと殿下は考えていたようですが、結果はフェリクス様の御存知の通りとなってしまいました』
「では、レミアは自分から……っ」
衝撃で上手く息が出来ない。
まさかレミアが自分から命を絶つなんて思ってもみなかったのだ。
「いや、だが、父は何も……」
もし本当にレミアが自ら毒を煽ったというのなら、父は絶対にその事を言い訳に使っただろう。
だが父は自らが毒を使ったことを認めた。
つまり殿下の言葉を誤認、いや勝手に間違った忖度をした結果、レミアは毒を盛られてしまった可能性がある。
小心者の父が毒殺などという手段を選ぶなんて確かにおかしい話だった。
けれど殿下の後押しがあるなら話は別である。
レミュール殿下の後ろ盾があると思ったからこそ、父はレミアを切り捨てることを選んだに違いない。
「だが、幾ら父が浅はかとはいえ、そんな誤認をするだろうか……?」
そんな私の疑問に応えるかのように、手紙には更に続きがあった。
『しかし私はその件を直接公爵様にお伝えすることは叶いませんでした。たまたま玄関でお会いする事になったロビアナ様が話を聞くと仰り、公爵様へと話をする前に殿下からのお話をお伝えする事となったのです。当然ご令嬢にするような話ではないと最初は断ったのですが、ロビアナ様は自分にも関わることだからと……。それでもお断りをすると、実家にいる妹への圧力を仄めかされました。
次期王子妃とされる方に目を付けられては我が妹に未来はありません。私はロビアナ様に殿下からの伝言と毒をお渡しするより他になかったのです。
ですが、今はその事を後悔しております。
レミュール殿下はレミア様が自ら毒を煽ったと思っておられますが、あの時のロビアナ様を知っている私には到底そうは思えません。何故ならあの時のロビアナ様は、レミア様が中々署名しない事に大変立腹しているご様子でした。しきりにウェディングドレスのサイズを気にしておられたので、お腹が大きくなる前に結婚したかったのでしょう。そんなロビアナ様が殿下の伝言をそのまま公爵にお伝えしたとは思えません。
……私はロビアナ様が恐ろしい。
あの方は、自分の言動が人を殺すことになるかもしれないという事を余り理解しておられないような気がしてならないのです』
それ故に彼は侍従の仕事を引退し、領地に引き篭もることにしたと書き綴っている。
ロビアナと反目していると噂の私へ手紙を送ってきたのは、彼の最後の仕事、いや懺悔だったのだろう。
「ロ、ビアナ……ッ!」
直接手を下したのは父に間違いない。
だから私は、ロビアナは何も知らないと思っていた。
ロビアナ可愛さに父が勝手にやったものだと、私はずっと思っていたのだ。
だが、ロビアナが殿下の伝言を勝手に変えていたらどうだ?
ロビアナ自身にその気が無くても『殿下がこれを使ってと言ってたわ』とロクな説明もせずに言えば、父だって誤解するだろう。
脅しではなく、毒を使用するような指示だと思うだろう。
「ロビアナ……っ!お前かっ!お前だったのか…!」
毒を脅しに使おうとした殿下は許せない。
毒を盛った父もだ。
だが、二人をそんな愚かな蛮行に向かわせた諸悪の根源がロビアナだったとしたら?
「お前が居なければそもそもレミアは婚約破棄されることもなかった…っ!お前が余計なことを言わなければレミアは死んだりしなかったんだ!」
こんな事になっても、ロビアナは私にとって唯一残っている家族だった。
だからこそ、私は彼女に対して何もしなかった。
何もしない事こそが、彼女への罰になるのが分かっていたからだ。
事実、公爵家の支援がない彼女は非常に困っていた。
実家の財産だって王妃の資質に関係する。
だから、亡くなった父との約束通り、私がロビアナに何かをすることはなかった。
この手紙を受け取るまで、私はそれだけでロビアナを許そうと思っていたのだ。
しかし今はもう、そんな気持ちなど露ほども残っていない。
ロビアナと同じ血が流れているという事実がひたすら苦しいだけだ。
この身に流れる血を一滴残らず流してしまいたい。
「ああ、そうだ……。こんな血など流してしまおう…。一滴残らず全て…、そう全て使ってしまおう……」
こうして私は王都にある公爵家の全てを処分し、ユリアンのいる別荘へと向かったのだ。