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 妹が死んだ。

 両親による慈悲という名の毒殺だった。

 何が慈悲なのか。

 私はこの日のことを今でもずっと恨んでいる。




 一つ下の妹、レミア・アッカーソンが王太子の婚約者に選ばれたのは、彼女が八歳の時のことだった。

 それから十年、彼女は必死な思いで未来の王妃となるべく勉学に励んでいた。

 その勉強内容は多岐に渡るもので、次期アッカーソン公爵家を継ぐ私以上に厳しい物だった。

 対して末の妹ロビアナは、甘やかすことの出来ない私達二人の代わりを務めるかのように、両親からの愛情を一身に受けていた。

 私やレミアが必死で勉学に励むのを尻目に、茶会や観劇に勤しむロビアナ。

 その度に嫉妬を覚えたものだったが、自分の将来の立場を考えれば我慢せざるを得なかった。

 それに私は一人ではなかった。

 レミアと共に研鑽に励む日々は、辛いけれど、それでも充足に満ちた日々でもあった。

 

 しかしそんな日常は、ある日を境に突如私の前から消え失せてしまう。

 両親から呼び出された書斎で、母が思っても見なかったことを私に告げたのだ。


「ロビアナが妊娠?!」

「そうなのよ。お相手は殿下なのですって…」

「殿下?レミュール王太子殿下ですか?!」

「ええ。未来の義兄として親交を深める内に恋仲になったそうよ」


 殿下がレミアを訪ねて来るたび、彼は私やロビアナも呼んで話す機会を設けてくれた。

 それは将来殿下の側近になる予定の私との交流も目的だった為だ。

 つまりロビアナはおまけだった。

 三人兄妹の内一人だけ呼ばないのも寂しいだろうという理由だった。


「最近、学園でも親しくしていると聞いていましたけど…」


 レミアが愚痴のようにそう溢していたのはつい先日のことだ。


『殿下はわたくしとお茶をする時間はないのに、ロビアナとはお茶をしているの……。最近はお誘いしてもずっと断られていたのにどうして…っ?』

『落ち着けレミア。たまたま殿下の空き時間に会っただけだろう』

『でも……っ、殿下はとても楽しそうで……。わたくしがお声を掛けたら酷く詰まらなさそうなお顔をされて…っ』

『レミア……。大丈夫だ、殿下の婚約者はお前だ。自信を持てレミア』

『お兄様……』


 悲しそうなレミアに言い聞かせるように言ったが、まさか彼女の憂いがこんな事になるとは思いもしなかった。


「……堕ろせないのですか?」

「堕ろすなんてとんでもない!殿下のお子なのよ!」

「しかし婚約者はレミアです!」


 そう怒鳴った私を、両親が困ったように見つめる。


「殿下がな……、是非婚約者の交換をと言って下さっている」

「なんですかそれは?!レミアはどうなるのです?!今更婚約破棄などされてはロクな嫁ぎ先などありません!」


 そもそも何の落ち度のないレミアが醜聞を被る必要などどこにもないのだ。

 しかし怒り心頭の私とは違い、何故か両親はこの話に乗り気だった。


「しかしもうお子がいるのだから、仕方ないでしょ?」

「我が家としても婚約者を代えるだけでそう問題がある訳ではない。それにレミアの婚約者は殿下が適当に見繕ってくれるそうだから…」

「適当?十年間も王妃になるために研鑽を積んできたレミアの相手を適当に見繕うのですか?!」

「それは言葉の綾だ。殿下だってちゃんと見つけて下さるはずだ」

「しかし!」

「フェリクス、これはもう決定したことだ」

「父上、本気ですか……?」

「もちろんだ。こちらとしてもロビアナを貰って頂けるのだ。喜ぶべきことだろ?」

「しかしロビアナは王妃の器ではありません!どうしてもと言うなら側妃に」

「勉強なら今からでも間に合う。王族に嫁ぐ身に一番大事なのは次世代を生むことだ。ロビアナは十分にその条件を満たしている」


 確かに次世代を生むのは大変重要な役割だ。

 だが、レミアが培ってきた十年分の知識は今から勉強して身につくレベルではない。

 そんな事も分かっていない両親に怒りが込み上げる。

 しかし、怒声をあげようとした私の言葉を遮るように、更に両親は突拍子もないことを言い出した。


「それで今日お前を呼んだのは他でもない。お前にレミアを説得して欲しいのだ」

「説得…?」

「そうだ。殿下との婚約破棄にはレミアの署名が必要なのだが、あいつは絶対に署名はしないと言って部屋に篭っている」

「当然ではないですか…」


 家同士の婚約は、本来なら家長同士の承認で事が足りる。

 だが、子どもが既に成人している場合、本人の承諾が必要とされているのだ。

 どうやらレミアはそれを拒否しているらしい。


「レミアの説得はしません。レミアの拒否は彼女の当然の権利です」

「フェリクスお願いよ!早くしないとロビアナのお腹が目立ってしまうわ!」

「だから何なのです?ふしだらな妹の腹が目立とうが、私の知ったことではありません」


 そう言って、まだ何かを喚いている両親を無視して私は部屋を出た。

 向かうのは妹レミアの部屋だ。


「レミア、フェリクスだ。入ってもいいか?」

「……お兄様?」


 少しの逡巡の後、レミアが酷くやつれた表情で私を招き入れてくれた。

 やはり精神的にかなり参っているようで、顔色が酷く悪い。


「お兄様もわたくしを説得にいらしたの?」

「いや、あんな馬鹿げた戯言などレミアは聞く必要ない。それを言いにきた」

「お兄様……」

「あいつらは自分達がどれだけ最低なことを言っているのか分かっていないんだ。十年間死に物狂いで努力したレミアを差し置いて恋仲になっただけでなく、婚約者の差し替えなどと……っ」

「そう言って下さるのはお兄様だけですわ…」

「レミア、大丈夫だ。こんな馬鹿げた話、絶対に陛下が止めて下さる」

「そうでしょうか……」

「当然だ。学園での成績一つ見ても、到底ロビアナに王妃など務まらない。お前は両親が諦めるのを待っているだけでいい」

「お兄様……」


 そうレミアを慰めた翌日、私は王太子であるレミュール殿下を訪れた。

 何故このような事になっているのか、その説明を求めるためだ。


「よく来たなフェリクス。ちょうどお前に話があって呼び出そうと思っていたんだ」

「お話とは?」

「お前からもレミアを説得してくれないか?陛下がな、彼女を説得出来なければロビアナとの婚姻は認めないと言ってきかないんだ」

「まぁ、当然でしょうね」


 やはり陛下はこの件に反対している。

 ならばレミアは状況が好転するまで待てばいい。


「そもそも、何故ロビアナに手を出されたのですか?ロビアナは王子妃、ましてや未来の王妃など出来る器ではありません」

「勉強のことを言っているなら問題ないだろ?今からでも十分間に合う」

「本気で仰っているのですか?レミアでさえ十年も掛かっているのですよ」

「それはレミアの出来が悪いからだ。あの程度の勉強に十年も掛けるなど、あいつの頭がいかに悪いか分かるというものだ」

「……何を仰ってるんです?」


 王妃教育は、とてもじゃないが『あの程度』で済まされる内容ではない。

 自国のことはもちろん、近隣諸国の言葉は八ヶ国語以上が必須であり、当然ながら地理や文化への理解度も求められる。並大抵の勉強で習得出来るものではない。

 しかし……


「外国語の習得など三ヶ月もあれば出来る。それをレミアときたら……」


 反論しようとする私の言葉を遮るように、殿下が口にしたのはレミアに対する愚痴だった。

 しかしその内容は到底同意出来るものではなく、私は唖然と殿下を見ることしか出来なかった。

 そして私は不意に思い出した。

 殿下が非常に優秀だという事を。

 だから殿下は自分を基準に考え、レミアを馬鹿だとずっと蔑んでいたのだ。


「頭が悪いなら悪いで愛想良くすればいいものを、いつも澄ました顔で茶を飲むだけ。そんなレミアに比べれば、ロビアナは私にとって癒しだ」


 だから何だと言うんだ?

 その言葉は流石に不敬だろうと飲み込んだが、余りの殿下の言いように怒りで手が震える。


「それでな、フェリクス。お前からもレミアを説得してくれ。婚約者も適当に見繕ってやるからそれでいいだろ」


 やはり殿下も父と同じく適当(・・)と言った。

 思わず怒鳴りそうになる唇をグッと噛み締める。

 どうせ言及したところで、父と同じ答えが返ってくるだけだ。

 もしかしたら殿下には深い考えがあってのことかもしれないと、少しだけ考えてもいた。

 だが彼の言葉を聞き、それがいかに甘い考えだったのかを痛感する。


「何故それでいいのか理解不能なので、私はこれで失礼します」

「おいっ、フェリクス?!」


 これ以上殿下の話を聞いていたら殴ってしまいそうだった。

 こうなった以上は陛下が止めてくれることを期待するしかない。

 だが、そんな私の甘い考えを嘲笑うかのように事態は一変する。






「レ、レミアが亡くなった……」

「はい、たった今早馬で連絡がきました」


 領地の視察で一週間家を空けていた私の元に届いた訃報に、知らず知らずの内に息が止まる。

 まさか自殺……?

 真っ先に浮かんだ考えを打ち消すように、使者が流行病で…と小さく呟いた。


 そこからは取るものも取り敢えず、強行軍で領地から王都へと戻った。

 道中何度も誤報であることを祈りながらようやく着いた屋敷は悲しみに静まり返っていた。


「レミアは……?」

「お帰りなさいませフェリクス様。レミア様はお部屋でございます」


 出迎えた執事に外套を預け、玄関からそのままレミアの部屋へ向かう。

 念のためにノックをして部屋に入ったが部屋の中には誰もおらず、ただ静かにレミアだけがベッドに寝かされていた。


「レミア……?」


 頬にそっと手を伸ばす。

 まるで眠っているように見えたレミア。

 だが彼女の青白い顔に生気はなく、指先から伝わるのは冷たい頬の感触だけだった。


「……フェリクス様?」

「アンナか?」

「はい……」


 レミア付きだった侍女のアンナが暗い表情で部屋へと入ってくる。

 彼女は幼少の頃からレミアに付いていた侍女で、妹とは非常に仲が良かった。

 よく見れば彼女の目は酷く充血しており、明らかに泣き腫らした後だった。


「レミアの病は?」

「ただの風邪…と、表向きはなっております」

「表向き……?」

「……フェリクス様、これを」


 そう言ったアンナが丁寧な仕草でレミアの襟元を寛げると、そこには引っ掻いたようなミミズ腫の痕が出て来た。


「これは…っ!」

「………お嬢様が死の間際、首を掻き毟った痕です……」


 その言葉が意味する事実は一つ。

 レミアは風邪などではなく、誰かに毒殺されたという事だった。


「だ、誰がレミアを…っ」

「旦那様付きの侍女です…」

「侍女…?!」

「はい。……あの日、婚約破棄のお話をすると旦那様はお嬢様をお呼び出しになられました。そしてその場で侍女が淹れたハーブティーを頂いたようです」

「ハーブティー……?」

「毒があるハーブとは思わずに使ってしまったと…」


 一つだけその毒に心当りがあった。

 甘い香りのするカロライナジャスミンという名の花だ。

 ジャスミンという名は付いていれど、ジャスミンティーなどに使用されるモクセイ科とは全くの別物で、中枢神経に作用する高い毒性を持っている。

 数年に一度、自作のハーブティーを作って飲んだ人間が死ぬ事故が起きていることで有名だ。


「その侍女は今どこに?」

「旦那様が直ぐに追い出しました」

「どういう事だ?!なぜ憲兵に差し出さない?!」

「侍女は毒があるとは知らなかったと言い張り、旦那様はそれならば仕方ないと」

「そんな馬鹿なっ……」

「旦那様はこんな醜聞は公爵家に相応しくないと仰って……」

「だから流行病にしたというのか?!」

「恐らくですが、そもそも侍女は旦那様の指示で毒を入れた可能性が高いかと……」


 アンナが言うには、追い出された侍女は近々辞める予定だったそうだ。

 しかもハーブティーを飲んだのはレミアだけで、同じ室内に居たというのに父も母もそれを飲んでいないというのだ。

 明らかに最初からレミアにだけ茶を飲ませようという意思を感じる。

 中々婚約破棄に応じないレミアに焦れて、凶行に及んだ可能性が高かった。


「お嬢様が亡くなってから、ご家族は誰一人こちらにお越しになりませんっ!病が移っては大変だと言い訳を重ね、今日もロビアナ様と一緒に王城へ言って婚約者変更の手続きをなさっておいでです!」

「アンナ…」

「フェリクス様!レミアお嬢様が何をしたというのですか?!小さな頃から必死で王妃になる為の勉強に励んでいたというのに…ッ!」


 レミアの亡骸に縋り、泣き崩れるアンナ。

 ロビアナの妊娠が発覚してからずっとレミアを励ましていたアンナにとって、これはとても受け入れられるものではないのだろう。

 そして、受け入れられないのは私も一緒だった。

 何故レミアがこんな屈辱的な死を受け入れなければいけない?

 十年間頑張った結果がこれなのか?

 だったら何故始めからロビアナを婚約者にしない?

 そうすればあんな苦しい思いなどせずに済んだ。

 こんな苦しい毒など盛られずに済んだ。


「毒……、そうだ…、毒……」

「……フェリクス様?」

「王家に嫁ぐため、レミアは幼少の頃から毒の耐性を付ける訓練を受けていた…」

「そういえば…」


 カロライナジャスミンは確かに毒性の高いハーブだ。

 だが、訓練を受けていたレミアなら即死はしなかったはず。

 直ぐに医師を呼んで解毒処置を施していれば、助かった可能性は高い。

 つまり……


「あ、あいつら……っ!苦しむレミアを放置したな!」


 怒りに目の前が赤く染まった。

 衝動的に傍に有ったクッションを掴み、それを壁に投げる。

 そんな事をしても何もならないと分かっていても、湧き上がる怒りを抑える事が出来なかった。


「なぜだ?!そんなに自分の娘が憎いのか!」

「……フェリクスさま…」

「なぜだぁ!!!」


 喚き、何度も何度も壁に拳を打ち付ける。

 しかしどれだけそんな事をしても、湧き上がる衝動を抑えることが出来なかった。


「レミア……」


 どれだけそうしていたのか分からない。

 漸く納まった怒りの後に残ったのは、深い悲しみだった。

 そうして私は妹の遺体に縋り、ひたすら泣く。

 泣いて泣いて……

 涙が枯れても、ずっと彼女の傍でその顔を見つめ、名前を呼んでいた。

 けれどどんなに呼びかけてもレミアの瞳が開く事はない。


「フェリクス様」

「ロベルトか……?」


 一晩、レミアの部屋で過ごした私を迎えにきたのは執事のロベルトだった。

 数刻後に墓地へと向かうレミアの準備にやってきたのだ。


「棺は花で満たしてやってくれ…」

「承知致しました」


 葬儀の手配はロベルトが全てしてくれていた。

 父はロベルトに任せきりで、実娘の葬儀だというのに何もしなかった。

 そうして行われた葬儀は、実に簡素なものとなった。

 あくまでも流行り病で亡くなった事にするためか、友人は誰一人呼ばず、参列者は両親と妹のロビアナ、そして王太子のレミュール殿下だけだった。

 元婚約者として、一応参列する礼儀はあったらしい。

 だが、喪服に身を包んだ彼は常にロビアナの隣におり、本当にレミアの婚約者として参列する気で来たのかと苦言を呈したくなった。

 けれどもう今更だ。

 彼に文句を言ったところで、レミアは戻ってこない。


「茶番だな……」

「はい、誠に……」


 そう言って顔を伏せた執事のロベルトは、その数日後、公爵家を後にした。

 その後アンナや数名の使用人も退職を願い出た。

 皆が皆、レミアの思い出の残る屋敷に残りたくなかったのだ。

 何人かはそのまま去ったが、数人は私の説得に応じ、領地へと向かってくれた。

 彼らにはこれから、父ではなく私を支えて貰うのだ。


 そうして私は最後の一人を領地へ見送った後、一通の手紙を持って父の執務室を訪ねた。

 彼に引導を渡すためだ。


「フェリクス、話とは?」

「まずはこれを……」

「なんだこれは?」

「私が書いた手紙です」


 父に渡した手紙は、今回のレミアの毒殺についての詳細を書き記したものだった。

 妹ロビアナに手を出した王太子の淫行から始まる婚約破棄。

 そして、婚約破棄を拒否したレミアに下された毒殺という蛮行。


「お、お前っ、よくもこんなデタラメを!」

「デタラメ?そう思うなら思えば良いのでは?」

「何だと?!ふざけるなフェリクス!」


 激昂する父を冷ややかに見つめ、私は父に最後通牒を突きつける。


「この手紙は全部で五十三通、我がアッカーソン公爵家の封蝋をした状態で信頼出来る知人に預けています」

「ま、まさか送ったのか?!」

「いいえ、まだ(・・)送っていません」


 押し黙った父は、震えながら私の言葉の意味を考えている。

 さすがに、私の言葉の意味が分からないほど愚かではなかったようだ。


「それを送ればお前自身も破滅するぞ……」

「それが何か?」


 レミアのいない生活なんてどうでもいい。

 どうせこの両親は都合が悪くなれば、嫡男の私でさえも殺すだろう。

 今回の件でそれを嫌というほど理解した。


「証拠などないのにこんな馬鹿げた手紙を信じる貴族などいない」

「確かに証拠はありません。ですが今回のレミアの不審死、かなりの貴族が疑っていますよ」

「どういうことだ……?」

「殿下とロビアナは忍んでいるつもりだったようですが、学園では噂の的だったようですね。聞いたところによると、常にイチャイチャと周りを憚らずに過ごしていたようですので当然かと…」

「まさか…」

「忠告した女性も何人かいるようですが、その度にロビアナは『将来の義兄と親交を深めているだけだ』と言っていたようですね。義理の兄妹で子どもを作る親交とは気持ち悪いにも程があります」


 鼻で笑えば、父が青白い顔で押し黙った。


「王太子殿下が関わっているので皆見て見ぬ振りをしていたようですが、今回のレミアの死亡通知………、皆さんどう思ったでしょうね?」


 王太子や両親は、『亡き姉の代わりに王妃になる決意をする妹』などという馬鹿げた美談を作りたかったようだが、ロビアナが妊娠している段階で無理があるのだ。

 しかも学園では大勢の生徒がロビアナと殿下の仲睦ましい様子を目撃している。

 流行病などという妄言を信じる貴族などいる訳がない。


「おそらくは自殺……、皆さんそう思われているでしょう。そしてそんな時に届く私からの手紙……」

「フェリクス……」

「まぁ、証拠がないので貴方方が罪に問われることはないでしょう。けれど何処に行っても好奇の目に晒されるでしょうね。夜会で茶会で狩猟会で……、子殺しの噂を囁かれるのは一体どういう気持ちでしょう」


 だったらそんな行事に出掛けなければ良いと思うかもしれないが、ロビアナが王太子の婚約者となったからにはそうもいかない。

 公式行事だけで既に十以上の予定が入っている。


「……ロベルトか?」

「何がです?」

「お前が手紙を預けた相手だ!知ってるんだぞ!お前が奴を領地で雇っているのは!」

「ああ、その事ですか。もちろんロベルトを雇っていますが何か?彼ほど優秀な執事を辞めさせるなんて勿体ないので雇ったまでです。あぁ…ちなみに、手紙を預けている相手は第二王子殿下派の貴族とだけ言っておきましょう」

「だ、第二王子派………」

「私の言っている意味、お分かりですよね父上?」


 言葉を失いながら呆然と私を見つめる父に、優艶と私は微笑み返した。


「私の手紙が出回れば、王太子の醜聞は必至でしょうね」

「貴様っ、家を裏切るのか?!」

「裏切るも何も、最初にレミアを切り捨てたのは貴方や王太子でしょう」

「だから何だ!ただ単に婚約者が代わるだけなのにレミアが駄々を捏ねるからだ。そもそもお前がちゃんと説得していればこんな事にはならなかったのだ!」

「……ええ、そうですね。その件については非常に後悔しております。こんな事になると分かっていれば、意地でもレミアに署名させました……」


 それだけが私の失態だ。

 だが、まさか実の親が毒殺などという強硬手段に出るなど、誰が想像したというのだろう。


「どうして?!どうして毒殺などしたのです?!もっと他に穏便に進める方法が幾らでもあったでしょう!療養を理由に領地に押し込めることも、修道院に押し込むことも出来たでしょうが!」


 婚約破棄に成人した本人の署名は必要だが、病気などを理由に免除されることもあるのだ。

 手続きに少々の時間は掛かるが、娘を殺すほどの手間ではなかっただろう。

 だが父はそれを選ばなかった。

 

「そんな事をすれば時間が掛かってロビアナの妊娠が衆目に晒される!それにどうせ王太子に婚約破棄されたレミアは嘲笑の的だ!公爵令嬢として尊厳ある内に逝かせてやるのが親の務めだろう!」

「何が親の務めだ!だったら、婚約者でもない男に足を開いたロビアナを諌めるのが先でしょうが!何が尊厳を守るためだ!何の落ち度もないレミアの尊厳を傷つけたのは誰でもない、お前らだろうが!」

「うるさい!うるさい!」


 正論をぶつけられた父が、頭を振りながら激昂する。

 だが、どんなに喚かれようと、私がそれに引くことはない。


「癇癪を起こして聞いて貰えるのは幼い子どもだけですよ、父上」

「フェリクス…っ!お前を廃嫡する!さっさとこの屋敷から出て行け!」

「良いんですか?そんな事をすれば、その手紙が一斉に貴族の家へと届くことになりますよ?」


 私の言葉に、やっと父は手に持った紙の存在を思い出したようだった。

 そして、一瞬にして顔を青褪めさせる。


「ちなみに、預けた手紙は私が不審死を遂げた瞬間一斉に配送される手筈です。もちろんただの病死や事故でも、三年以内に私が亡くなれば同じことですのであしからず」


 つまり、私を殺すことは父達自身の破滅につながる。

 更に言えば、私の健康や安全を願わなければいけない立場となったのだ。


「お前は何がしたいんだ、フェリクス……?」

「私の要求はただ一つ。………引退して下さい、父上」

「な…っ」

「ここに署名を。それが出来なければ、明日の夜には各家に私の手紙が届くことになるでしょう。……ロビアナの結婚、どうなるでしょうね」


 手紙が届けば、ロビアナは姉を毒殺した稀代の悪女として王家へ嫁ぐことになる。

 だが、そんな醜聞を王家が許すとは思えない。

 幾らレミュール殿下がロビアナを庇おうと、陛下は決してそれを許しはしないだろう。

 つまり、真の意味での尊厳ある死を望まれるのはロビアナの番となるのだ。


「ロビアナはお前の妹だぞ……?」

「私の妹はレミアだけです」


 断言した私を、父が絶望の眼差しで見つめる。

 だが、毒殺されたレミアの無念を思えば、父の絶望など歯牙にかける価値もない。


「まぁ、私も鬼ではありません。父上が引退して下さるなら、ロビアナには何もしませんよ」

「フェリクス……」

「父上、こちらに署名を」


 迫る私の本気を感じたのか、父は震える指で爵位譲渡の書類に署名を入れた。

 こうして私は翌日、アッカーソン公爵家の当主となったのだ。




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― 新着の感想 ―
[一言] 殺されてからでは遅いけど、 あんな王子と結婚するくらいなら、 王妃を諦めた方がいい気がする。全く愛されてないし 10年の勉強は無駄になるかもしれないけど、 その知識が他に生かせる場所あるんじ…
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