おしゃべりドール
『おしゃべりドール』って知ってますか?
そう、あの都市伝説です。
鳴り止まない公衆電話を取ったら最後、質問の答えを間違えると死ぬ。正しく答えても、『おしゃべりドール』に気に入られてしまったら、向こうの世界に引きずりこまれて帰れなくなる、って話。十年ぐらい前に一斉に流行りましたよね。「電話が鳴ってるのを見た!」って嘘をつく子供が続出して、一種の社会現象にもなったの、覚えてますよね?
携帯が普及して公衆電話が撤去され始めてからは、ぱたりと聞かなくなりましたけどね。
え、なんでこんな話をするかって?
実は私、話しちゃったんですよ。
あの『おしゃべりドール』と。
あの日の夕方、私は家の近くを散歩していました。
田舎ですから、どこを見渡しても田んぼしかありません。家と家の間は数キロ離れていますし、人よりも動物の方が多いような村です。
私は山際に沈む太陽をぼんやりと眺めながら、誰もいない道をぶらぶら。普段なら散歩なんてしないんですけどね。あの日は6年遠距離恋愛していた彼氏と別れて、落ち込んでたんです。山の美味しい空気を 吸ったら気分も良くなるかな、って淡い期待を抱いてて。
けれど、実際はますます沈みました。普段なら考えないような酷いことまで頭に浮かんで。それで、これ以上歩いても無駄だと思って、来た道を引き返そうと後ろを向いたんです。
今まで歩いてきた道を振り返ったとき、何かが変だと思いました。
私より随分と背の高いガラスの直方体の中に、ペンキの禿げた緑の電話。
古ぼけた公衆電話が、田んぼ道の真ん中にぽつんと立っていたんです。
だだっ広い場所に所在無げに佇むそれは、どう考えても妙でした。だって、今私の村の公衆電話は、町役場の前にしかないんです。それに、もしずっとあのガラス箱が立っていたのなら、いくらぼうっとしてる私でも気づかないはずがない。
幸い公衆電話の端は一人ぐらい通れそうな幅が空いていたので、無視して帰ろうと一歩踏み出しました。
その瞬間です。
けたたましいベルの音が鳴り響きました。
鼓膜に突き刺さるような爆音が、私の脳を容赦なく揺らします。目の前が白く反転して、一瞬何もわからなくなってしまいました。
立っていることもままならず、真っ白のままあっちへふらふら、こっちへふらふら。
ようやく光が戻ってきたころ、私は自分が電話ボックスの中に入っているのに気がつきました。
足にうまく力が入りませんでしたが、ガラスに手をついた覚えはありません。
私の前には、小さく鳴り続けている公衆電話だけがありました。
近頃めっきり聞かなくなった、少し荒いデジタル音。
私はかなり悩みました。これは絶対変だ。公衆電話が鳴ってるところなんて見たことがないし、もしかしたら危ない目に遭うかもしれない、と。
それでも受話器を取ってしまったのは、やはり好奇心でしょうか。一体誰が、どんな目的でかけてきているのだろう。それがどうしても知りたくて、おそるおそる、もしもし、と声をかけました。
受話器の向こうには騒がしい無音が広がっていました。
もしもし、もう一度呟きます。あなたは誰?
すると、音の遠く、本当に遠くから、女の子の声が聞こえてきました。
あたしは、おしゃべりドール。
高いけれど掠れた声を聞いて、私はすぐあの話を思い出しました。間違えても正しくても、最終的には引き込まれてしまう恐ろしい都市伝説。でも、不思議と怖くはありませんでした。
どうして電話してきたの? 私はなるべく優しい声を作って、聞いてみました。
彼女は少し間を置いて、答えました。
だって、さびしいんだもん。
その声は本当にさびしそうでした。
私はその時、別れたばかりのあの男のことを思い出していました。中々会うことはできなかったけど、毎晩電話して、くだらないことで笑いあったたくさんの時間。
もう飽きた。
そんな言葉で私の6年が終わってしまうなんて、想像もしていなくて。
彼女も同じかもしれない。私はそう思いました。いつまでも都市伝説として語り継がれるはずが、思いもよらない出来事のせいで廃れてしまった。
可哀想な都市伝説。そして、可哀想なのは、他ならぬ私もでした。
おねえさん。
受話器のすぐ近くで、生気のない声が聞こえます。
あたしと、おともだちになってくれる?
彼女は、泣いているようでした。
いいよ。
私は思わずそう答えてしまいました。
その瞬間、受話器に張り付いた皮膚が、小さな穴へずるずると吸い込まれていくのが分かりました。
いらっしゃい。
その響きが、なぜだかとてつもなく可憐に感じられました。
抵抗する気はありませんでした。だって、もう思い残すことはありませんでしたから。
頭がすっぽり入ったら、次は胸。
次は片腕。
次は腹。
次は腰。
次は足。
最後に、受話器を掴んでいた片腕。
私の体は、きれいさっぱり受話器の中に吸い込まれてしまいました。
これが私のお話です。
はい、おしまい。
え?
そのあと、どうなったのかって?
やだなあ。
私なら、あなたのすぐそばにいますよ。
受話器を耳に当てたあなたのそばに、ね。
おや、随分不安そうですね。そんなにきょろきょろして楽しいですか?
え、何がしたいんだって?
分かってるくせに。見慣れない公衆電話に出たってことは、私達のおともだちになりたいんですよね?
違う? またまた、ご冗談を。
ほら、おしゃべりドールもあなたと遊びたいそうですよ。
彼女は中々厳しいので、ラッキーでしたね。
あーあー、ガラスを叩かないで。割れちゃいます。叫ぶのもダメです。誰かが来ちゃいます。ここは私が捨てたところと違って、人が通るんですよ。
嬉しいのはしっかり分かりましたから。早く終わらせちゃいましょう。
それじゃあ、いらっしゃい。