05.ポンコツナイト
本日二話目
口元まで糸でぐるぐる巻きにされた女性。俺は彼女に見覚えがある。
一か月前まで一緒に働いていた、同じ派遣の女の子だ。
そして妻が出て行った原因を作った女でもある。
俺はとりあえず部屋に上がり、机の上の吸引器を取ってそれを吸い、洗面所まで行ってうがいする。
しばらくすると、呼吸が落ち着いてきた。
その間誰も動かず、じっとしていたようだ。
ルージュは俺を心配そうに眺め、レンはそんなルージュを凝視している。
ぐるぐる巻きの女は言わずもがな。
「すまん、レン。俺の勘違いだったらしい。この女は人類の敵やもしれん」
「わ、わるいやつなの?」
「むっ、私は弱者を守る騎士。いわば正義の味方だ。
それにしても君、可愛いなぁ。糸でぐるぐる巻きにしても良いだろうか?」
「ひぃっ!」
「それのどこが正義の味方なんだ?」
「ス、スパイダージョークです」
面白くないよ。
レンが怖がっているじゃないか。
とりあえず俺はレンの手を繋ぎ、部屋の中へと入った。
「で、何でお前はお客さんをぐるぐる巻きにしたんだ?」
「あ、いえ、チャイムが鳴った後で中に入ってきて、大声で悲鳴を上げたので仕方なくこうしました」
「わかった。いい加減、春川さんを放してやれ」
「春川さん? 聞き覚えがある名前ですね。そういえば見覚えもあるような……」
春川さんは一度俺の家に来たことがある。三者面談をしに。
その時にはルージュ、というか、軍曹もいたので、覚えていたのだろう。
「あ、思い出しました! 泥棒猫の方ですね」
「んー!」
春川さんが異議を唱えるように唸る。
俺としても、その誤解を生むような呼び方はやめて欲しい。
ルージュは春川さんをベッドのマットレスの上に降ろした。
マットレスだけはベッドが元々あった場所に置いてある。休むのに使いたかったから、バリケードにされてないで良かった。
「あ、まだ糸はそのままでいい。春川さんには悪いけど、少しそのままでルージュについて説明させてもらおう」
俺はレンを連れて、マットレスの上に腰掛けた。
ルージュにだいぶ近づくことになるため、レンの足取りは重かったが。
「ええと、こいつの名前はルージュだ。元々は普通の、普通にしてはデカかったような気もするが、普通の蜘蛛だった。
今日頭の中に女の人の声が響いてきただろ。その時にこの姿になったらしい。見ての通り意思疎通もできるし、悪い奴じゃない。多分。ちょっとポンコツだけど」
「ポ、ポンコツ……」
レンは理解を示してくれたようで、頷いた。
春川さんも頷く。
「じゃあ、糸を切ってやってくれ」
「承知しました」
ルージュが繭を足で容易く切っていく。なぜか口の部分だけ。
「や、八雲さん、ご無事でしたか?」
「あ、ああ。てか、何で春川さんはここにいるんだ?」
「そ、そんなの、八雲さんが心配だったからに決まっているじゃないですか」
「……」
この人のせいで妻は家を出て行ったのだが、どうやらまだ懲りていないらしい。
いや、しょっちゅう連絡が来るから、わかってはいたけど。
だけど、こんな危機的状況にまで駆けつけられると、ちょっと嬉しくなってしまう。
春川さんもかなりの美人だし。
だが今はそれよりもやはり、
「なぁ、体の拘束も解いてやれよ」
何で顔だけなの? それが気になって仕方ない。
しかしなぜか、春川さんは顔を赤らめて俯き、ルージュも顔を逸らしてしまった。
「そ、そうですね。しばしお待ちください」
ルージュはどういうわけか春川さんを担ぎ上げ、デカい体を器用に折り曲げつつ、風呂場の方へと向かっていく。
そして風呂場に春川さんを放り込んで、自分は戻ってきた。
あ、いや、何となくわかった。うん、そういうことか。
俺も立ち上がって、プラスチック製の箪笥の中からジャージを取り出し、風呂場の前へと行った。中からはシャワーの音が聞こえてくる。
「えーっと、俺のジャージ、ぶかぶかだと思うけど、良かったら使って」
「え? あ、そ、そその、す、すいません……」
わざわざ駆けつけてくれたのだ。これぐらいしてあげないと罰が当たるかもしれない。
戻って再びマットレスの上に座ると、二人の視線が集中した。
「それでマスター。この可愛らしい坊ちゃんはどうしたのですか?」
「ああ、こいつはレンだ。拾った」
「拾った、って! 母親が心配しているかもしれないじゃないですか!」
すると、レンが顔を俯かせる。
「……ママはあいつらにたべられた」
それでもその言葉をしっかりと声に出す。
普通辛くてそんなこと話せないだろう。
しかしレンは、自分に言い含めるようにも、そう強く言ったようである。
それに比べてルージュは、自分の失言に気付いて手をワタワタと交差させたり、口をパクパクさせたり、終いにはがっくりと項垂れてしまい、ポンコツぶりを披露していた。
「そういえば、パパはどうした?」
「ん、パパはおしごと。イクトはおしごとしてないの?」
胸が痛い!
やめてくれ、円らな瞳で見つめないでくれ。
俺もその場で項垂れた。
十分ほどすると、風呂場から春川さんが出てきた。
「す、すいません。ジャージを貸して頂いて。って、あれ? 何ですか、このお通夜みたいな雰囲気……?」
へこみつつも春川さんを見る。
春川さんは百五十五センチぐらいの身長で、黒髪セミロングの知的美人だ。ついでに言うと、ルージュほどではないが、胸部装甲はかなり厚い。
そんな彼女が俺のジャージを着ている。
彼女は完全に地雷なのだが、ついドキドキしてしまった。
春川さんの姿に癒されて再起動し、彼女にレンのことを説明する。
「わかりました。では、とりあえずレン君の家に行って様子を見てみますか?」
「まぁ、そうだな。レンの父親が心配して待っているかもしれない。レン、お前の家ってどこら辺だ?」
「んーとね、えきのちかく」
多分最寄りの駅のことだろう。
それならここから十分ほどで行ける。あとは駅に着いてからレンに訊いてみよう。
「とりあえず出掛けるにしても、準備は必要だな。俺もそろそろ何か職業に着こう。春川さんはもう何か取った?」
「え、あ、はい」
なぜか春川さんが目を逸らした。
なにか気まずい職業でも取ったのだろうか。
はっ! まさか嬢か!?
支援職でそういうのがあったのかもしれない。
それなら俺も支援してもらいたいが、そんなことをすれば即座に有罪判決が下り、速やかに死刑が決行される。
「黒魔法使いを取ってしまいました。魔法を使ってみたいな、なんて思っちゃって」
あ、なんだ。そんなの別に照れることじゃないと思うのだが。
それにしても顔を赤らめて照れている仕草が可愛い。
半分くらい計算しているんだろうけど、思わず見惚れてしまう。
そんなことを考えていると、急に背筋が冷たくなった。
何やら背後から不穏な視線を感じる。
思わず振り返ると、冷たい視線で俺を見下ろす赤髪の女騎士、ルージュがいた。
「マスター、なにデレデレしているのですか? そんなだから奥様に逃げられたのでは?」
「うっ、それは言わないでくれ」
相棒が怖い。何とか空気を変えなくては。
「さ、そんなことより職業を決めないとな。さーて、何にしようかな」
「わざとらしいですよ?」
聞こえない、聞こえない。
俺はジョブを決めるのに忙しいのだ。
もう面倒なので、一覧を開いて決めることにした。
えーっと、侍、狂戦士、狩人、魔物使い、黒魔法使い、青魔法使い(青って何だ?)、動物博士、料理人、引きニート(職業なのか?)。
とりあえずよくわからないのは却下するとして、この中だと、最近のファンタジー主人公ならきっと魔物使いを選ぶだろう。
だけど俺は違う。
俺が選ぶのは、ずばり動物博士だ。
微妙に見えるだろうが、これを選ぶのにはちゃんと訳がある。
博士にきっとあるであろうスキル、「鑑定」狙いなのだ。
「これなんて良いんじゃないですか? 魔物使い」
ルージュが言いつつ、勝手に俺のスマツに触れようとしてきた。
「や、やめろ! 俺は動物博士になるんだ!」
「またそうやって楽をしようとして……。ダメです、マスター。ちゃんと働いてください」
ルージュが俺のスマツの画面を突っついて来る。
俺は彼女の手を必死に振り払った。
「違う! ちゃんと狙いがあるんだ。このポンコツめ!」
「また私をポンコツ呼ばわりしましたね! こうなったら是が非でも魔物使いになってもらいます!」
俺とルージュの攻防が始まる。
ルージュが高速で指を突き出し、俺はその指から逃れようと必死だ。
「な、仲が良いんですね?」
「いや~、それほどでもぉ」
その瞬間、俺の手元からバキッという嫌な音が聞こえる。
照れて加減を間違えたのか、ルージュの指がスマツの画面を貫いた。
「お、おま、お前……!」
頭の中が真っ白になった。
怒りよりも前に絶望が俺を支配する。
このツールなしで、俺はこれから先を生きていけるのだろうか。
そもそも壊れてしまったことによるペナルティなどはないのだろうか。
「ひぃ! スマートツールが……」
ルージュがわなわなと指を震わせる。
自分の仕出かしてしまったことに、恐れ戦いているらしい。
「い、今のは……泥棒猫が悪いです!」
「えっ!? 私ですか!?」
そしてよりにもよって、他人のせいにし始めた。
「ぼく、くものおねえちゃんがわるいとおもうよ……」
「うぐっ……」
俺が何もできずに固まっていると、スマツは光となって弾けて、俺の額に吸い込まれていった。ワニ男を倒した時と同じだ。
もしかしたらと思い、額に手をやり、「スマートツール」と念じてみる。
すると、スマツが額から再び出てきた。穿たれた穴もなく、新品同様だ。
「よ、良かった……」
思わずほっと胸を撫で下ろす。
「よ、良かったじゃないですか、マスター」
さて、このポンコツ蜘蛛はどうしてくれようか。
直ったから良かったものの……。
って、え?
立ち上げた画面を見て、再び固まってしまった。
『職業を【狂戦士】に設定しました』