31.働く女性は美しい
女は長い髪を掻き上げると、ゆっくりと俺たちを振り返る。
ヤバい。今の仕草はヤバい。思わずドキッとしてしまった。
振り返った女は、俺と同い年くらいの見た目で、眼鏡を掛けていた。
やっぱりスーツと同じでどこか疲れたような表情をしているのだが、それでも綺麗な女だ。うん、というよりタイプだ。
「マスター! 一体何が!?」
「い、今のは何が起きたんですか?」
「あのね、あのおばさんが、ビってやってドーンって」
すると、今まで微笑んで俺たちを見ていた女の表情が固まった。
「お、おば、おばさんって言った……?」
俺は慌ててレンの口を塞ぎ、何とかして笑顔をひねり出す。
「い、いやだなぁ。綺麗なお姉さんをおばさんと聞き間違えるなんて。きっと疲れてるんですよ。な? そうだよな、レン?」
俺はレンの両肩をがっしり掴み、がくがくと揺さぶった。
「う、うん」
まぁ、レンに嘘を吐かせたわけだが、人はこうやって大人ってなって行くのだ。うん。
「そ、そうね。きっと疲れているのね。はぁ」
彼女のその溜息を聞いた瞬間、俺はピンとくるものがあった。
「あ! ああ!! 貴女はもしかして、社畜の女神様ですか!?」
「い、色々違うんですが、概ねそうだとお伝えしておきます」
やっぱりそうか。
それにあの巨大な化け物を、あんな簡単に倒してしまったのだ。そんなことが出来るのはきっと女神様ぐらいのものだろう。
「社畜の女神様……あのスマツをくれた声の方、ですか」
ルージュの言葉に女神様は眉根を寄せた。
「私って、そういう認識なんですか……」
俺たちがすっかり和んでいると、突如大地が揺れ、メタルドラゴンが立ち上がってきた。
まだ生きていたのか。
「ナ、ナハハハ。いやぁ、驚きました。この世界の神が出張って来るとは思ってもみませんでしたので」
「ふーん、神ね……」
女神さまは意味ありげにそう呟き、メタルドラゴンを冷たい目で見つめる。
俺たちアラクネマスターのメンツは、一糸乱れぬ動きで素早く女神様の背後に隠れた。
うん、あんなのの相手とかもう絶対にご免だ。
「てっきり私たちがこちら側に呼ばれてしまったのは何らかの事故だと思っていたのだけど、どうやら何かしら仕組まれていたと考えた方が良さそうね」
女神様の表情は、俺たちに向けていた時の慈愛に満ちたものではなかった。
なんだかちょっと癖になってしまいそうな、そんなゾクゾクとするような視線である。
「マスター、気のせいか、あの女神様を見ている時の視線に熱が籠っているようなのですが」
「気のせいです」
「八雲さん、私にもそう見えるんですが」
「気のせいですよ?」
「「……言葉遣い」」
何だ二人して同じこと言って、俺はいつも通りだというのに。
俺たちが会話している間に、再び光に包まれてメタルドラゴンはモノポールの姿、というか初めの人の姿に戻っていた。
「ナハハハ、全てはディアラ様の御心のままに」
「そう。帰ってあなたの主に伝えなさい。これ以上私の星にちょっかいを出すようなら、私にも考えがあると」
俺は女神様の言葉に驚きを隠せない。
「えっ、殺さないんですか?」
思わず口を挟んでしまった。
だが、それも仕方ない。
こんな化物は、殺せるうちに殺してしまった方が良いに決まっているんだ。
女神様は俺に振り返り、優しく微笑む。
ああ、何というギャップ。
「こちらにも色々と事情があるんですよ。彼を今ヤるのは……」
「勿体無い、ですか? ナハハハ、あなたも同じ穴のムジナ、という事ですな」
んん? 何の話だ?
女神様は厳しい表情をモノポールに向けている。
一体その表情にどんな意味があるんだろうか。
「ナハハハ、そう睨まなくてもちゃんとお伝えしておきますよ。ディアラ様もあなたと喧嘩がしたいわけではないので、これ以上のちょっかいを掛けることもないでしょう。では、私はこれにて失礼します。ごきげんよう」
モノポールがそう言うと、魔法陣が奴の頭上に現れてまた光が発生し、それが消えると奴も一緒に消えていた。
あとには夕暮れの街の景色が広がっているだけだ。
俺たちアラクネマスターの面々は、今までで最大の脅威がいなくなったことにより、それまでの緊張していた空気が一気に弛緩した。
もうあんな奴と戦うのはこりごりだ。
奴はもうこれ以上ちょっかいを掛けないと言っていたが、それはもうこの先アイツと出会わなくて済むという事なのだろうか。
それだけじゃない。もしかしたら、化物と戦わなきゃいけない生活も、これで終わりなんじゃないか?
俺が疑問の目を女神様に向けると、彼女はにっこりと微笑んで俺を見返してくれた。
なんて大人の魅力漂う笑顔なんだ。
だが、すぐにその笑顔は曇り、彼女は残念そうに首を振る。
「確かにモノポールという男や、その位階の者が来ることは無いでしょう。しかしこの星に今いるモンスターが消えたわけではありません」
むぐ、そうなのか。
でも、女神様が悪いわけじゃないし、それは仕方ないな、うん。
「ルージュさん、八雲さんってああいう女性が好みなんですか?」
「むぅ、そうなのかもしれない。奥様とは全然容姿が違うのだが」
「でも、どちらかというと、女神様って系統は私寄りですよね?」
「いや、私だろう」
ルージュと春川さんは何を言っているんだ。二人とも全然違うじゃないか。
それに、別に好みの人と好きになる人が同じだとは限らない。無論、かと言って女神様のことを嫌いなわけはない。
むしろ命を救ってもらったわけだし、なんか胸が高鳴っても仕方ないだろう。
「でも、今はそんなことよりも、私は気になることがあります」
ルージュと言い合っていた春川さんが、そう言いつつ前に出てきた。
そして何の用があるのか、女神様の前に立つ。
「女神様、いえ、管理者様、でしたっけ。モノポールが言っていたのはどういうことなんですか?」
春川さんは訝しむような表情だ。
どうやら春川さんは女神様を疑っているらしい。
まぁ、それも無理はないか。女神様もどうやらわけありのようだし。
「ふふ、さあ。私には彼の言っていることなんて何もわかりませんでしたよ」
女神様は微笑を崩さない。
どう見ても知っていますよ、と言っているようなものなんだが、
「まあまあ、いいじゃないか春川さん」
俺は春川さんと女神様の間に割って入った。
すると、いつになく鋭い目を春川さんが俺に向けてくる。あ、ルージュもだ。
「い、いや、女神様が助けてくれなかったら、俺たちどうなるかわからなかったんだし」
「それは……そうですが」
俺が春川さんを説得していると、いつの間にか女神様が俺のすぐ後ろまで来ていた。顔を覗きこまれて思わずびくっとする。
「ふふ、さすがですね、先生。話が通じやすくて助かります」
「先生って……」
そうだ。女神様は現れた時にも俺のことを先生と呼んでいた。
一体どういうことなのか聞こうとしたのだが、女神様は俺の横を通って行ってしまい、そのままレンの前に立った。
「あなたはいつも諦めないのね」
そう言って微笑み、屈んでレンのおでこに口づけしてしまう。
おのれ、レンめ!
「むう」
レンは嫌だったのか、おでこをごしごしと擦っているが、女神様は微笑んでその様子を見守っている。
そして唐突に俺に振り返ると、手を振ってきた。
「それではまたいつかお会いしましょう」
「あ、ちょっと待って……」
しかし俺が呼び止める間もなく、女神様は神々しい光に包まれてそのままどこかへと消えてしまう。
せめて名前だけでも聞いておけば良かった。
まさか、あんなあっさりいなくなってしまうとは。
「いやぁ、なんだったんでしょうねぇ」
俺たちがしばらく呆けていると、突如男の声が聞こえてきた。
まさか、モノポール!? と思って、慌てて振り返ると、そこには同じ薄毛でも生え際の後退した男がいる。
えーっと、誰だっけ……?




