29.鋼の竜
俺は歯を食いしばる。
震える体に喝を入れ、何とか動かした。
「ルージュ! 春川さんたちを連れて逃げろ!」
アラクネマスターのメンバーが驚いたように俺を凝視する。
「な、何を言っているのですか、マスター? 私も一緒に戦います」
「ぼくもたたかう!」
くそっ、何でわからない。アイツは戦って勝てるような相手じゃない。
俺だって本当は今すぐ逃げたいんだ。
「お、俺一人で十分だって言ってるんだ! とっとと逃げろ!」
「八雲さん、言ってること滅茶苦茶ですよ。勝てるなら逃げる必要なんてないじゃないですか?」
落ち着いた声で春川さんが指摘してきた。
だけど違う。そうじゃない。俺が言いたいのは。
十分なんだ。死ぬのは……俺一人で。
「ルージュ、命令だ。言う事を聞け。アイツの攻撃は、俺が絶対に一撃だけ止めてみせる。だからその間に逃げるんだ」
「ナハハハ。盛り上がっているところ申し訳ないんですけどね、私が用があるのはそっちのお嬢さんなんですよね」
そう言ってモノポールが指差したのは、ルージュだった。
俺は震える足を前に進ませ、ルージュを庇うように彼女の前に立つ。
「困るんですよねー。ちょっと強めに設定していたはずのボスが、簡単に二体も次々とやられちゃうから何事かと思ったら、まさかこんなバグがあるなんてねー」
「ルージュ! 早く行け!」
「その命令には従えません、マスター」
くそっ、頼むから言うことを聞いてくれ。
じゃないと、本当に全滅してしまう。
「狙いはお前なんだ。お前がやられたら誰が春川さんとレンを守るんだ? 騎士なんだろ? ちゃんと仲間を守れ!」
「何を言っているのですか? 私が守る仲間の中には当然マスターも入っています。それに私が狙いだというなら、マスターが三人を連れて逃げればいいでしょう」
こんな時に正論言いやがって。
「それにマスター、あの契約書にはこう書いてありました『命にかかわらない命令以外、八雲育人様が出した命令は、どんなことでも引き受け、遂行することを誓います』と。マスターを失うのは私の命を失うのと同義です」
俺はルージュの言葉を聞きつつ、ゆっくりと刀を抜いた。
正眼に構え、モノポールを牽制する。
無論、奴は刀を向けられたくらいじゃまるで動じておらず、涼しい顔で俺たちを見つめている。
俺たちはエオンのエントランスの前で、睨み合った。
「ナハハハ、そんなに仲良く死にたいなら、お望み通り皆殺しにして差し上げましょう」
どうすればいい? どうすれば守れる?
戦って勝てない。いや、戦いにすらならないことは十分理解している。
だけど戦うしかない。
一撃受け止めるなんて言ったけど、それだって微妙なんだ。多分俺は、一撃も受け止められずに死ぬことになる。いや、バラバラにされて数秒稼げるかもしれない。
でもそれじゃダメだ。
ルージュは逃げない。あいつは馬鹿だから、俺が死んだらきっともっと躍起になって戦おうとするだろう。
せめて一太刀、少しの怪我でも与えられたら、運良く足とか腕の一本でも斬り飛ばしてやれば、ルージュなら倒せるだろうか。
たったの一太刀。
出来ない。分かっている。相手は禿げたおっさんの皮を被った化物で、その一太刀は蟻が大空を飛ぶ鷹に噛み付こうとしているようなものである。だけどやるしかないんだ。
モノポールがゆっくりと近づいてくる。
俺は剣先にすべてを集中させ、奴の動きを見た。
「【たいまのひかり】!」
レンが咄嗟に防壁を張ってくれた。
ルージュと春川さんは未だに気付いていないようだが、レンは気付いてきたらしい。顔色が悪い。楓子ちゃんは、人がバラバラになる瞬間を見てしまって、それどころではないが、元々戦力に数えていないから関係なかった。
モノポールとの間にはまだ距離がある。
だけどアイツにはきっと関係ないだろう。
そこからでも届くに違いない。
ほら見ろ、腕を俺たちに向けてきやがった。
正眼に構えた大太刀を上段に構え直す。
刀は竹刀と違って斜めに斬らなきゃいけない。
なんかじいちゃんが、昔そんなことを言っていたような気がする。
音が聞こえなくなった。世界から色が失われた。
そんな味気ない世界で、モノポールの右手だけが恐ろしい速さで俺に迫ってくる。
アイツの腕、人間の腕じゃねぇや。
銀色の鱗に覆われていて、異常に硬そうだ。手は爬虫類みたいで、爪が長く鋭利に尖っていた。なんだありゃ、ギガン○ドラゴンか?
モノポールの鋭利な爪は、レンの張った退魔の光なんてないみたいに、一撃で粉々に打ち砕く。
俺はその迫ってくる腕に向かって大太刀を振るった。
俺の動きはやたらゆっくりで、アイツの腕を防ぐのが間に合うかわからない。
いや、大丈夫。間に合った。
大太刀は腕の軌道を逸らし、アイツの爪は俺の手前の地面にめり込んだ。
その途端に、また世界は動き出した。
ズガァァァッン。
地面が爆発した。
堪らず俺は吹き飛ばされ、五メートルは飛んで背中からコンクリートの地面に叩きつけられた。
「ぐはっ」
痛てぇ、息が出来ない。
それでも何とかすぐに立ち上がり、大太刀を構え直す。
モノポールは俺なんか見ておらず、地面に刺さった自分の腕を不思議そうに眺めていた。
こうやって構え直したはいいものの。駄目だ。腕がジンジンする。
まるで鋼鉄に刀を叩きつけたみたいだ。
本当に折れてなくて良かった。
「くそったれ! お前何なんだ!? 人じゃないだろっ!」
俺が堪らずに叫ぶと、モノポールはニヤァっと笑みを浮かべ、俺を見つめてきた。
怖い、気持ち悪い。
「ナハハハ。ええ、わたくしメタルドラゴンです。あなたの仰る通り、人ではありませんね」
え? なにそれ? ちょっとカッコいい。見た目はバーコード頭のおっさんだが。
いや、今はそんなこと言ってる場合じゃない。
多分もう一度同じことをやれと言われても、無理だ。
あれで傷つけられないなら、俺に勝ち目はない。
詰んだか……。
「マスター」
俺が苦い表情でいると、ルージュが視線はモノポールに向けたまま話し掛けてきた。
「何だ?」
「私は今の攻撃が全く見えませんでした」
「俺だってまぐれだよ」
「それでもその、凄いと思います」
こんな時に何だって言うんだ。
俺には余裕が無いっていうのに。
「アイツがどれだけヤバいかわかったろ。わかったらとっとと逃げるんだ」
「いえ、逃げるのはやはりマスターの方です。マスターなら、いつかきっと奴を倒せるようになるでしょう。奈穂殿、マスターとレンをお願いします」
「ルージュさん……」
「馬鹿なこと言うな! 命令すんのは俺だって言ってるだろ! 俺がお前のマスターなんだ!」
ルージュが俺を振り返り、柔らかく微笑んだ。
「ええ、その通りです。私のマスターは八雲育人、あなただけです。そしてマスターを守るのが私の役目ですから」
やめろ。俺なんかが生き残ったってしょうがないんだ。
「ナハハハ。また盛り上がっている所申し訳ないんですけどね、そちらの男性も死んでいただくことにしました。どうもね、あなたもバグみたいですので。ええ」
そう言ってモノポールが俺を指差す。
何だ、さっきからバグって。俺はルージュみたいにバグっちゃいない。
それにしても、これで俺も逃げられなくなったわけだ。
だったらもうしょうがない。ルージュ一人だけ死なせてなんてやるもんか。
「どうせ逃げられないんだ。ルージュ、一緒にやるぞ」
「マスター……」
「初めからそうすればよかったじゃないですか」
「ぼくもやる!」
春川さんが苦笑いし、レンはその瞳に闘志を漲らせた。
俺とルージュが前衛に立つ。
春川さんは後ろから杖を構え、レンは「退魔の光」を張り直した。
さあ、第二ターンの開始だ。
今度はアラクネマスター総出で相手してやる。なんかもう一人いたような気もしないでもないけど……。
「ナハハハ。こういうの嫌いじゃないですよ。私も係長になる前は、よく冒険者のパーティーを相手してやったものです。もう何千年も前の話ですけど」
あれ? 係長って例え話じゃなかったか?
まぁいい。相手が係長だろうと部長だろうと社長だろうと、理不尽に俺たちの前に立ち塞がる敵だっていうんなら倒さなきゃいけないんだ。
「では一つ、私の力をお見せして差し上げましょう。ナハハハ」
モノポールは楽しげに笑うと、両手を天に向けて掲げた。
少しずつ元気を分けてもらっていそうなポーズであるが、当然違った。
中空に直径五メートルはありそうな魔法陣が現れる。そこからモノポールに向かって光が落ちて行った。そして辺り一帯がまばゆい光に包まれた。
「マスター、眩しいです!」
「俺だって眩しいわ!」
俺たちが口々に文句を言う中、ようやく光が納まり、辺りは元の夕暮れの街並みに戻った。
だけど一点だけ違う。どう見たっておかしい。
「ナハハハ。準備できましたよ。さぁ、始めましょうか」
茜色の空の下、エオンのエントランス前いっぱい、向かいの道路まではみ出して、軽く十メートル以上はあろうかという、銀色に輝くメタリックなドラゴンがいた。
ちょうどこれを執筆している際に、モンパレというブラウザゲームでギガン○ドラゴンを手に入れましたw




