28.女神様のお仕事
三人称です
「いない……いないいないいない! なんで!? 何でどこにもいないのよ!?」
そこは果てしなく続く真っ白な空間で、その中でぽつんと一つだけデスクがあり、その前に黒いスーツを着て眼鏡を掛けた若い女が一人いた。髪は黒くて長く、しかし艶があまりなく、どこか傷んでいるように見える。
そんなどこか疲れた様子の彼女は、三つのモニターに囲まれ、そこに映し出された風景を端から端まで眺めて喚き立てた。
彼女の名はインテクェス。この星、地球の管理者を名乗る者である。
一見すると日本人にも見えるのだが、彼女は日本人ではない。それどころか“人”ですらなかった。
より正確に言うなら、彼女はホモ・サピエンスではないのだ。
彼女は何万年も前に地球上で生きていた人類、八世代前の人類の生き残りである。
八世代前の人類は戦争で滅んだ。
彼女は自分たちの世界で、全ての人類が滅ぶその“最終戦争”が訪れる前には、すでに只人を超えた存在となっていた。
彼女の力があれば、恐らく戦争を止めることは出来ただろう。だが彼女は、そんなことには興味が無かったのである。
すでにその時には、彼女の知人は残らず天寿を全うしており、世界を守る必要を感じなかった。
それに、世界が滅ぶなどどうでもいいほど忙しかったのだ。
そもそも彼女が人を超えることになったきっかけは、“知りたかった”からだ。
命とは何なのか、命はどこから来て、どこへ行くのか。
それが知りたいのに、人が絶滅するのを放っておくのは矛盾しているように思えるが、命というのは何も地球人類だけではない。
地球人類のことはすでにわかりきっている。
宇宙の始まりから終わりまで、全ての生命を観測する必要が彼女にはあったのだ。
それでも人類が滅んだ後は、地球に再び自分のいた世界に近い人類を創造し、観測することにした。
もしかしたら、彼女と同じように人を超える存在が現れるかもしれない。
だが、結局そんなものは現れず、人類は同じように何度も滅びへの道を辿るだけだった。
その度に彼女は人を創造した。
実際のところ、それは最早神の御業と言っても過言ではない。
しかしそれは人から見た神であり、彼女自身は自分を神だとは思っていなかった。
神とは、人、そして彼女より階梯の高い存在だ。
人は遥かに高い次元にいる神を理解することができない。どんな意味においても、である。
彼女とて、そういった存在があるかもしれないと考えている程度だ。
もし彼女がそんな高次元の存在であったなら、人由来の知的探究心など持つことは無く、この星の管理者となることもなかっただろう。
故に、彼女が何より優先するのは知識であり、そのために必要なのは実験と観測だった。
それ以外のこと、地球人類の命など二の次、三の次だったのである。
だがそんな中、地球は異世界に召喚されてしまった。
もちろん彼女は異世界の存在は知っている。地球があった世界とは違う法則で成り立っている世界であり、主な違いといえば、魔素という地球にはない物質が存在し、そのせいで魔法が使えるということだ。
そんな世界では、彼女の今まで行ってきた実験は成り立たない。出来なくはなかったが、また一から実験と観測を繰り返さなくてはいけなかった。
しかしそれは同時にチャンスでもある。
新しい実験ができるという事、そして彼女の求めるものを得ることができるかもしれなかった。
それにはまず、異世界ディアラの管理者を見つけ出さなくてはいけない。
彼女は便宜的に管理者と名乗ってはいるが、実際ディアラでその者が自分を何と名乗っているかなんてことまでは知らない。
もしかしたら支配者かもしれないし、超越者なんていうのも言い得て妙ではある。
それに、不遜にも神を僭称している可能性もあった。
だが別に、異世界の管理者が自らをなんと呼んでいようと、彼女はどうでも良かった。彼女の目的はその人物を見つけ出すことなのだ。
無論、見つけ出して終わりではない。
今回こんな事が起きてしまったのは、間違いなくディアラ側の責任であり、彼女には何らかの賠償を請求する権利がある。
そして彼女は、すでに何を請求するか決めていた。
それは星の命力である。
今の人類が死滅してしまったとしても、次の人類に繋げれば彼女はそれで良かった。それでも本来であれば長くとも、あと二百年人類は生き残れたはずであり、新たな実験もできると考えて、人類が生き残るのに必要な手段は講じたのである。
また、彼女の欲しいものを手に入れるためには、今いる人類のどこかにある遺伝子が必要なのだ。もちろん遺伝子情報は保存してあるので、たとえその人物が死んでしまったとしても、何とかはなる。時間は余計にかかってしまうが。
ともかく、地球が丸ごと異世界に召喚され、その異世界に侵食されるという事態に陥ってしまったが、マナさえあればどうとでもなるのだ。
しかし肝心の管理者が見つからない事には、彼女はどうすることもできない。
いないということは有り得ないはずだ。ディアラのマナにアクセスしようとして、拒否されたのだから。それを拒否できる者が必ずいるのである。
そこで考えられることがいくつかあった。
彼女はあまり考えたくなかったのだが、一つは相手が自分よりも階梯の高い存在の可能性である。
そうなると、彼女にはもう手も足も出ない。
しかしそれならば、すでに彼女はその存在を消されている可能性だってある。
そもそも高次元の存在が人を支配しようとはしない。少なくとも、彼女にもそれがわかるようには。
いないはずはないのに、いない。しかし、高次元の存在である可能性も低い。
では、一体何なのだろう。
その答えはモニターの一つ、彼女の作った異世界補助システムを映す画面にあった。
その一つに移された数字、『758,314,664』という数字を彼女は凝視した。
「え? は? 嘘でしょ? 何でいきなり十分の一以下になってるの?」
その数字は人類の総人口である。
それが、異世界召喚された二日目に、すでに十分の一以下にまで減っているのだ。
彼女は慌ててその原因を探る。
地球に強力なモンスターが現れるのはまだのはずだった。
せいぜい魔素の影響を受けて、虫や動物が巨大化する程度の事態しか起きていないはずなのである。
それがいざ調べてみると、異形の怪物としか言い表せないようなモンスターが地球に溢れていた。
しかもシステムに、勝手にマナが送られていた。
欲しかったものではあるが、こんな形では欲しくなかった。
マナは人体に直接送られているのである。これでは、彼女が取り出せないのはもちろん、持病を持った者や老人は、耐え切れずに死んでしまうだろう。
「やられた……」
彼女はここに至って漸く何が起きているのか理解した。
彼女は攻撃されているのだ。
異世界の管理者の手によって。
もしかしたら、この異世界召喚でさえ、仕組まれたものである可能性さえある。
「いいわ。そっちがやる気だって言うなら、私にだって考えがあるんだから」
そう彼女がモニター向かって呟いた瞬間、彼女の体はすでにこの空間のどこにもないのだった。




