16.正義の反対
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「マスター、何を言っているのですか。レンをここに置いて行くわけにはいかないでしょう」
「それはレンに決めて欲しい。ただここに残っても、お父さんは帰って来ないかもしれないぞ」
途端にレンの顔色が暗くなった。
俺の言ったことが何を意味するのか、レンは理解しているらしい。
ついにはぽろぽろと涙まで零し始めてしまっている。
「マスター! いい加減にしてください! そんなことをレンに教えてどうするのですか!?」
「じゃあルージュ、お前はレンに父親が必ず帰ってくると誓えるのか?」
「うっ、それは、その……。でも、何かあって帰るのが遅くなっているだけかもしれません」
俺は改めてレンを見る。
「ルージュの言っていることも間違ってはいない。ここで待っていれば、お父さんが帰ってくる可能性だってある。どうする、レン?」
レンは未だに泣いているが、それでもその瞳に強い意思が窺えた。
「ぼく、イクトたちといく」
「ふふ、一緒に戦ってくれるのね、レン君」
春川さんがレンの頭を撫でると、彼は力強く頷いた。
「なおおねえちゃんたちをまもる!」
春川さんが怖い。きっとこういう人を魔性の女っていうのだと思う。
ちょっと春川さんをジト目で見ると、心外だというように眉根を寄せられてしまった。
「私だけ悪者みたいなのですが……」
「しょうがないよな。レンはルージュ嫌いだもんなぁ?」
「え、そん……ま、まさか違うだろう? レン?」
ルージュが涙目だ。
「ちがうよー。ルージュもすきだよー」
「ははは、良かったな。気を使ってもらえて」
「……私はマスターのことが嫌いになるかもしれません」
「私は八雲さんの事、嫌いになったりしませんからね」
「ぐっ、泥棒猫め……!」
とりあえずこれからの行動指針も決まり、飯を食って少し休んでから出発することにした。
三十分ほど休憩を取り、レンの服やその他必要そうなものを用意してやる。
太陽が中点近くになってきた頃、およそ十一時くらいだろうか。全ての準備がやっと整った。
いよいよ出発だ。
「さ、ルージュ。俺たちを背中に乗せてくれ」
「嫌です。普通にエレベーターで下りて、歩いて向かえばいいじゃないですか?」
「なあ、レン。お前はお気に入りタオルケットとかは持っていないか? 一緒に持って行ってやるぞ」
「たおるけっと?」
「はっはっはっ、気にすることは無いぞ、レン。さ、皆私の背中に乗るのだ」
「私はエレベーターで良かったんですが……」
全員ルージュの背中に乗り、しっかりと捕まる。
それを確認したルージュは、ベランダに出て一気に道路へと向かって下りて行った。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
「わぁぁぁぁぁ!」
何やら後ろから絶叫が聞こえてきたような気がする。
まぁ、きっと気のせいだろう。
道路に到着すると、そのまま大通りに向かって行ってもらった。
そっちにエオンがある。
その途中、少し遠い所に大通りが見えるのだが、そこで俺たちは異様な光景に遭遇した。
「これは、凄いですね。何があったのでしょう?」
「多分車に乗っている時に、あのワニ男にでも襲われたんだろう。それでみんな車を降りて逃げたんじゃないか」
大通りにずらっと車の行列が並んでいるのだ。
どれも無人で、周りには人の気配すらない。
「ま、ともかく俺たちはエオンに向かおう。もうすぐそこだ」
無人の車の列を見ている間に落ち着いたらしいレンが、後ろから声を掛けてきた。
「エオンでおかいものするの?」
「うーん、買い物っていうか、窃盗かしらね」
春川さんもすっかり落ち着いて、いつも通りだ。
「やめるのだ、奈穂殿。私は仮にも騎士なのだぞ」
「まぁ、人がいたら奪ってでも確保するつもりだし、窃盗というよりは強盗だな」
「マスターもやめてください。どんどん罪が重くなっていきます」
「じゃあ、ルージュだけ飯抜きになるが」
「非常事態ですし、仕方ありませんね。でも、せめて分けてもらうとかにしましょう」
「わるいことするの?」
それを聞いたルージュが、レンを振り返って神妙な面持ちで首を横に振った。
「それは違うぞ、レン。正義の反対は別の正義があるだけだ。ヒロシ殿が言っていた」
「ヒロシって、だれ?」
春日部在住のヒロシは多分そんなこと言っていない。
というか、ルージュはなぜそんなことを知っているんだろう。まぁ、俺の知識なのだろうが。
そんな会話をしつつ、とっくに着いていたエオンの前を全員ルージュから下りて、遠巻きに観察する。
見た感じではどこも異常はなさそうだ。
尤も、人の気配が全くしないというのは、普段であれば異常なのだが。
「中に何かいますね」
マジか。
行くのが嫌になってきたぞ。
「ルージュ、欲しいもののリストを作るからさ、お前取って来てくんね?」
「わかりました、と言うとでも?」
「八雲さん、同じ職場だった時はもっと一生懸命仕事してませんでした?」
「イクト、はたらかなきゃだめだよー」
ちっ、レンにまで言われたら、俺も行くしかあるまい。
覚悟を決め、エントランスに向かって歩き始めた時だった。
「誰か来ます」
ルージュの呼びかけに俺たちは一度足を止め、事前に決めておいたフォーメーションを組んだ。
ルージュが最前衛に立ち、俺が中衛、レンと春川さんが後衛に立つのだ。
「あああああああ!!」
「助け、助けてくれ!」
「ば、化物、化物……」
「死にたくない」
「嫌だ、嫌だ!」
中から五人の男たちが慌てた様子で出てきた。
真っ直ぐこっちに向かってきているから、ルージュに向かって言っているわけではない。中で何かあったようだ。
だが出てきて先頭にいるルージュに気付くと、五人の男たちはぴたりと足を止め、固まってしまった。
「あ、うん、私は化物では……」
「「「わぁぁぁぁぁ!!!」」」
五人の男たちは、全力でその場を走り去って行く。
あとに残ったのは、呆然としているルージュ、苦笑いしている俺と春川さん、そしてキョトンとしているレンだけだ。
「ほ、ほら、お前綺麗だから、皆驚いて逃げちゃったんだよ」
「そんなわけないでしょう。まぁ、仕方ありませんね。マスターに褒めて頂いたので、それで我慢します」
そう言ってルージュは俺を振り返り、ニコリと微笑んだ。
うん、まぁ本当に綺麗だとは思うが、そこまで言わなくていいだろう。
それにしてもマジで行きたくなくなってきた。
この先に何がいるというんだろう。
俺が盛大に溜息を吐いたのち、俺たちは慎重にドアを潜り抜けて行ったのだった。




