099:焼き菓子
「すみません、こんな遅くまで……」
「いいえ、気を付けて帰ってね」
メローラは、アイリスを玄関先まで見送った。アイリスはぺこり、と頭を下げた。
メローラと話し込んでいるうちに、気が付けば、すっかり遅い時間になってしまっていた。アイリスが宿までの道を小走りで行くと、ジェスが、向こうから現れた。
「あ、アイリス」
「ジェスさん、お疲れ様です」
「ちょうど良かった、迎えに行こうと思ってたんだよ」
アイリスは恐縮した。
「ご、ごめんなさい、私から迎えに行くべきですよね」
「何で?」
ジェスはきょとんとした。アイリスは恐縮する。ジェスやライは魔物退治で疲れているのだから。
「ううん、僕がちょっとアイリスと話したかったんだよ」
街の中心にある図書館には、少し大きめの庭がある。二人はそこのベンチに腰掛けた。
「僕、ライに怒られたんだよ」
「ライさんに? 何でですか?」
「ぐだぐだ考えないで、言いたいことがあるならはっきり言わないと伝わらないぞって」
その言葉に、アイリスは、胸を突かれた。
「僕はあんまり、そんなつもりはないんだけどね」
「えっと、ジェスさん、何か私に言いたいこと、あるんですか……?」
アイリスはジェスに尋ねた。
「うん。僕、旅が好きでさ。小さい時からそれが当たり前だったからなのか、あまり一つの場所に留まってられないんだよね」
だから、ジェスは自分の両親が、年齢を理由に冒険者を止め、カステールの街で宿屋を始めた時、一人で旅立った。
自分の剣の腕で、誰かの役に立ちたいと思ったのも理由だったが、それでもあえて冒険者になったのは、やはり自分の中で、旅をしていたいという思いが強かったからだ。
「でも、ライやマリラ、アイリスも、僕と同じだとは限らないんだよね。だから、不安になったんだ、僕……」
ライは、王位継承の争いから逃れるために、城を出た。
マリラは、貧しい生まれを理由に、魔法学園を追い出された過去があった。
アイリスは、偽の神託を聞かされ、聖女として旅立つことを義務づけられた。
それぞれが抱えていた、旅の理由があって、そして、四人で旅するうちに、それぞれ、その理由から解放された。
「ライとマリラにも、後でそれぞれ、聞くつもりなんだけど……。これからもアイリスは、旅を続けたい?」
次の日、アイリスは、メローラの家を訪ねた。
「いらっしゃい、アイリス、今、ちょうどお菓子が焼き上がったところなの」
自分のために焼き菓子を準備してくれていたメローラの優しい微笑みに、アイリスの胸は締め付けられた。
「あの……お邪魔します」
アイリスは礼をして、家の中に入る。メローラは、そんなアイリスの頭を撫でた。
「……そんな顔、しないでちょうだい、アイリス」
「メローラ、さん」
「ごめんなさい、あなたを困らせるつもりはなかったのよ。ただ……あなたがあまりに娘に似ていたものだから、私もつい、あんなことを言ってしまったのね」
アイリスは俯いた。
俯いたが、昨日一晩考えてきた言葉を、必死に伝える。
「私、本当に、旅が好きなんです」
大切な仲間と出会ってからは、心からそう思った。
「私、ずっと、修道院の中でだけ育っていて、全然、世界のことを知らなくて。色んな場所に行って、色んな物を見て、新しいことを知るたびに、本当に嬉しいと思うんです」
アイリスは、貴族の子女として、また修道女として、厳しくおしとやかにと育てられてきた。
だから、自分の中に、鳥のように自由に世界を飛び回りたい、こんな思いがあることに、ずっと気付かなかった。
「だから、私、旅を、続けたくて……。メローラさんが、私を迎えてくださるのは、う、嬉しいんですけど、私……」
一生懸命に伝える言葉は、涙交じりになってしまう。
メローラは、そんなアイリスをそっと抱きしめた。
「あなたは優しい子ね」
アイリスを見た時、直感で、娘と似ていると思った。
容姿や年頃もそうだが――何より、この、優しい心根だろう。
あの子もそうだった。
遠くの村から出稼ぎに来た若者に恋をし、彼の元に嫁ぐ時、娘は、母親を一人にしてしまうことを、心配して泣いた。
落ち着いたアイリスは、メローラに一枚の肖像画を見せてもらった。今より若いメローラと、自分と同じくらいの娘が並んで座っている。
「娘が嫁ぐ前に、描いてもらったものなのよ」
「……。はい、あの……」
「だいぶ昔になるわ。十八年前――娘の嫁いだ村は、魔物に全滅させられたの」
アイリスは言葉を失った。
当時のことを思い出し、メローラは険しい表情となった。
アイリスは、どうしてメローラが自分を魔物退治に参加させたくなかったのか、その本当の理由を悟った。
「村人の中で助かったのは、小さな子供が一人だけと聞いているわ。今はもうその村はなくて……。娘も含めて、村人は皆そこに国の兵士の手で埋葬されたの。村はだいぶ遠くて、なかなかお墓にお参りすることもできなくて……」
「そんな……」
「もし、もし――この村に行くことがあれば、私の代わりに、娘に花を供えてもらえないかしら」
アイリスは力いっぱい頷いた。
「はい、必ず」
「……ありがとう。どうか、気をつけてね」
庭から入ってきた風が、爽やかな花の香りを運んできた。
アイリスは何度も頷いて、そして、メローラに抱き着く。その姿は、まるで祖母と孫のようだった。
もしかしたら、アイリスにもこんな穏やかな生活があったのかもしれないと思う。運命は小石を重ねていくような、奇跡のような積み重ねの上にあって、一つ何かが違えば、まったく違う場所に辿りつくこともあって――。
そんな目に見えない力の流れを、アイリスは確かに感じた。
「ありがとうございました」
魔物退治の報酬を受け取ったジェスは、メローラに礼を言った。
「こちらこそ、ありがとうございました。皆さんはこれから、どちらへ?」
「はい。山を登って、ホルンの神殿に行ってみようと思っています」
竜の背との異名を持つ、バーテバラル山脈。その山間に、ホルンという名の村と、神殿があると、ジェスは地図で知った。聞けば、龍を祀る神殿の中では、かなり古く歴史があるものらしい。
「そうですか。バーテバラルの山は、魔物こそ少ないですが、道は険しいと聞いています。気を付けて下さい」
はい、とジェスは頷く。
そして、メローラは、ジェスに金貨の袋の他にもう一つ、包みを渡した。軽くてほんのりと温かい。
「これは……?」
「焼き菓子です。砂糖がたくさん入っていますから、旅の食事にもいいでしょう」
包みから漂う甘い匂いに、マリラは頬を緩めた。
「まあ、食べるのが楽しみね」
「はい、とっても美味しいんですよ」
アイリスが笑顔で答える。
そんなやり取りをしながら、旅立っていく冒険者達を、メローラは優しく見送った。




