098:旅の理由
草むらがガサガサと揺れ、角を持った魔物が飛び出す。
「はあっ!」
ジェスが剣を抜くと、闇が吹き出し、剣を包む。その剣を横に一振りすると、衝撃波によって、魔物の体は上下二つに避け、その後ろの草むらの草さえ薙いだ。
「ギギギギ!」
草むらに隠れていた残りの魔物も飛び出してくる。ライは風切りの剣を体の周りで回転させるように動かし、跳びかかってきた魔物二体を、同時に地面に叩きつけた。
あらかた魔物を倒し終わり、ジェスは、ふう、と息をついた。
「今日はこんなもんでいいだろ」
「そうだね、そろそろ戻ろうか」
ジェスとライは、二人でウィンガの街の周囲を歩き回り、見つけた魔物を手当たり次第倒していた。
ジェスは闇の力を納め、白銀に輝く剣を鞘にしまった。ライも、布で剣についた魔物の血を拭う。
「魔法剣のいいところって、剣が魔法に覆われてるから、汚れにくいとこだね」
「そこか? お前本当に、その武器の価値分かってんのか?」
ライは呆れた。
今日の戦闘は、ジェスが魔法剣を使いこなすための練習も兼ねている。そのため、積極的に魔法剣を使うようにしていたが、感想が「剣が汚れない」とは。
二人は街に向かって歩き出す。ジェスはふとライに聞いた。
「ねえ、僕って非常識なのかな?」
「アイリスの件か?」
町長のメローラは、アイリスのような幼い少女を魔物と戦わせることに強く反対した。非常識だ、と。
「僕は小さい時から冒険してたから、あまり疑問には思わなかったんだけど」
「……まあ、お前の例はさすがにぶっとんでるけど。でも、俺もまあ、別にって感じだな」
アイリスくらいの年の子供を、幼いというかどうかは微妙なところだ。婚姻も十分に可能だし、立派な働き手でもある。
ライも自分の城の兵士見習いで、同じくらいの年の少年はたくさん見た。女性はさすがに少なかったが。
「けどまあ、アイリスがあえて、魔物と戦う生活をしなくてもいいのは、確かだろうな」
「そうだね。あれだけ修道院でちゃんと学んで、神聖魔法も使えるなら、町の教会で神官としてやっていくこともできるよ」
アイリス自身がどれだけそれを意識しているかは分からないが、そもそも彼女に今、危険な旅をしなくてはいけない理由はない。神託を受けた聖女としての役目はなくなり、マリラの呪いの件も解決した。
「……僕、気軽にドラゴニアを旅したい、なんて言ったけど、本当は、修道院にアイリスを帰さなくちゃいけなかったのかな」
ジェスはパーティのリーダーとして、旅の行先を決めている。ジェスとしては、皆の意見を聞いているつもりではあるが、アイリスは特に控えめで、自分の意見を言うことは少ない。
ライは嘆息して、表情の曇ったジェスを軽くはたいた。
「ったく、ジェスも、アイリスも……」
「あら、アイリス、お帰りなさい」
宿で写本を続けていたマリラは、アイリスが一人で帰ってきたので、ジェスとライはどうしたのか尋ねた。アイリスは、ジェスとライの二人だけで魔物退治をすることになった経緯を説明した。
「あら、そんなことがあったの」
「……あの、ごめんなさい、それで……」
アイリスは申し訳なさそうに、明日もメローラの所へ行く約束をしたことをマリラに打ち明けた。マリラはあっさりと答えた。
「いいんじゃないの? アイリスもやることないんだし」
「ですが……申し訳なくて」
ジェスもライも、マリラも働いているのだ。アイリスがそう言うと、マリラはくすりと笑ってアイリスの頭を撫でた。
「行きたいなら行ってらっしゃいな。本当に、アイリスは優しいのね」
「え」
「だって、お茶会に行くの、メローラさんが未亡人で寂しそうにしていたからなんでしょう?」
「……。」
マリラに正確に心のうちを読み取られ、アイリスは恥ずかしいやら、困ったやらで、黙って俯いてしまった。
次の日、アイリスはメローラの家を訪ねた。訪ねていくと、メローラは果実のヘタを取っているところだった。
「お隣さんから頂いたの、これでジャムを作ろうと思っていたんだけど」
作業の手を止めて、アイリスを迎えてくれようとしたので、アイリスはぜひ手伝わせて下さいと言った。
「いいの?」
「はい」
アイリスは台所で、メローラと並んで、洗った果実のヘタを、綺麗に取り除く。真ん丸な実が、籠に積まれていく。
「いい匂いですね。初めて見る果物です」
「この辺ではよく取れるの。昨日のジャムもこの果物から作ったのよ」
ヘタを取り終わった果物を鍋に入れ、たっぷりの砂糖を入れる。その砂糖の量にアイリスは目を丸くした。
「そんなに入れるんですか?」
「これくらい入れないと、とっても酸っぱいの。それに、たっぷり砂糖を入れないと、ジャムが日持ちしないのよ」
生の果実を一つ齧らせてもらう。びっくりするくらい酸っぱくて、アイリスは口をすぼめた。
そんな様子に、メローラは笑い、そして遠い目をした。
「……あなたを見ていると、本当に娘を思い出すわ」
「え……」
娘もこうして、よく台所の手伝いをしてくれた。
初めてアイリスを見た時、娘に似ていたから、メローラは驚いたのだ。もう随分前に死んでしまった、一人娘に。
ジャムが出来ると、二人はお茶にした。出来上がった熱々のジャムを、パンに付けて食べる。メローラは、アイリスの向かいに座った。
「……ねえ、アイリス。あなたはどうして旅をしているの?」
「え……?」
メローラに問われ、アイリスの頭に浮かんだのは、仲間達の顔だった。自分の魔法を、必要としてくれる仲間達。
「身寄りがないのでしょう? 良かったら……ここで一緒に暮らせないかしら」
マリラは、出来上がった本を、図書館に納めた。
「確認、お願いします」
「もう出来たのですか?」
図書館の司書は、驚きながら、魔術書の出来を確認した。古代文字の誤りなどがないか慎重に確認する。
「……問題ありません。では、こちらが報酬になります。助かりましたよ」
「ありがとうございます。こんな貴重な本を見せていただいて」
マリラが書き写したのは、『伝説の品々』という古い本だった。ピアの屋敷でも見た本だったが、ここで読めたのは幸運だった。その中身は驚くべきもので、古代王国時代に造られた強力な魔法の品々について詳しく載っていた。
(あの、賢者の杖についても書いてあるのを見つけた時は、さすがに驚いたわね……)
マリラがそんなことを考えていると、司書の男性は、マリラの持つ杖に気が付いた。
「もしかして、あなた、魔法学園クロニカの出身ですか?」
「あら、ご存じですか?」
「ええ。我々には憧れの場所ですよ。ドラゴニアにはそのようにちゃんと魔法を教える場所はないので、多くの魔法使い見習いはこの街に来て、独学で勉強します」
「ああ……」
マリラはやや複雑な思いだった。学園はもうないので、自分はそこの最後の卒業生となってしまったわけだが。マリラの持つ黒檀の杖は、その学園を卒業した証である。
「あなたのような魔法使いでしたら、こんな魔術書の写本なんて仕事でなく、もっと高度な仕事がありますのに?」
「そうですか。でも私は、旅の冒険者だから」
そう答えながら、マリラは内心驚いていた。自分の魔法使いとしての価値は、思っていたより高かったらしい。
マリラは、宿への道を一人歩いていた。日が暮れ始めていて、石畳に影が長く伸びる。
(それもそうか……。あんまり考えたことなかったわね……)
魔法学園を中退した直後に職を探した時、魔法使いとしての職を得ることはできなかった。だからこそ冒険者になったわけだが、今は事情が違う。
学園の卒業生としての証もあり、旅の途中で、確実に魔法の腕も上がっている。
「……おっ、マリラ」
「あら、ライ、お疲れ様」
魔物退治から帰ってきたライが、マリラを見つけて手を上げた。マリラも手を振って応え、一緒に宿まで向かう。
「ねえ、ライはどうして冒険者を続けようと思ったの?」
「……あ? 何か皆、この街に来てから調子狂ってねえか?」
ライは頭をかいた。
「俺はまあ、何ていうか、王城で生活するのは性に合わないんだよな」
「それはあんまり理由になってないわね」
王子としての身分を捨てるだけなら、他にも選択肢はある。例えば、誰も王族の顔を知らない田舎まで行って、村で畑を耕して暮らすといった生き方もあるはずだ。
「んー……」
ライは夕焼け空を見上げながら、考える。冒険者として生活する以外の自分を想像し、ふっと笑う。
「……放っておけないんだよ、お前ら、危なっかしくて」
ええ、とマリラは声を立てて笑う。
「ライがそれを言うかしら?」
「あ? 何だよ」
「私からしてみたら、ライも十分危なっかしいわ。でも、そうね、私も同じかも」
旅の中で出会った、仲間達と、こうして一緒に笑っていたい。
いつか、別々の道を行くことになるとしても、今はまだ。




