097:お茶会
マリラは、宿の部屋で一人、黙々とペンを動かして、借りてきた魔術書の写本をしていた。一言一句間違えないように集中する。
書き写した本は、図書館に納品する。マリラにとっては、本を読みながらできる仕事はむしろ楽しいもので、貴重な魔術書が読めるなら一石二鳥だ。
「この本、全部お金を払って借りたわけじゃないから、安心して」
ジェスの問いに、マリラは写本の仕事を請けたのだと説明した。
「魔術書っていうのは、大体は手で写本するの」
「しかし面倒だな。版で印刷しないのか?」
「そうしない理由は三つね。そこまで需要がないから、版を作る方が面倒というのが一つ。次に、やたら魔術書が出回ると、十分な知識のない人の手にまで技術が流出して危険なのが一つ。そして、版を作ること自体が危険というのが一つ」
「危険?」
「古代文字はそれだけで力を持つから、本などに力のある古代文字を書く場合、意味を持たないように鏡文字にすることがあるの」
アイリスが、あ、と声をあげた。その話は、以前も聞いたことがある。
「鏡文字を版にしちゃうと、逆さになってもとの文字に戻っちゃうんですね」
「そういうこと」
この作業は、古代語の知識があるマリラ以外では手伝えないので、残りの三人は別の仕事に出ている。
本を書き写し続けながら、さすがに手が疲れたので、伸びをする。
「んー、……三人は今頃、どうしてるかしらね」
ジェス、ライ、アイリスの三人は、ウィンガの街の町長のところに向かっていた。
先日、ライが町長に無人屋敷のことを報告がてら、挨拶に行った際、自分達は冒険者であり、魔物退治などの仕事があればぜひ請けたいと言っていたのだ。
「無人の屋敷の件も含め、全体にこの領は財政難で、辺境警備も甘いんだと。だから近辺の魔物退治をしてくれるとありがたいってさ」
「へえ……」
どうも話を聞く限り、ここの領主はポンコツのようだ。しかし、その中でもウィンガの街は、図書館から出た収益をやりくりし、税を納めてもまだ十分な資金力があるらしいと、ライは街の様子や、町長との話から察していた。
つまり、報酬を貰えなくなる心配はない。
「ここらでしっかり路銀を稼いでおきたいな」
「そうだね、何だかんだ、最近は資金不足だったし」
話しながら歩いていると、手入れの行き届いた綺麗な庭のある家に辿り着く。ライは、扉の呼び鈴を鳴らした。
鈴の鳴る音に、メローラは本を読む手を止めて、立ち上がった。
先日に約束していた冒険者の一行だろう。
メローラは、冒険者といえば、粗野な荒くれ者ばかりだと思っていたので、昨日訪ねてきた二人には少し驚いた。
背の高い青年は、口調こそくだけているが、貴族のように洗練された振る舞いだったし、金の髪の女性には、とても教養があると感じた。
彼らは、ここから少し離れたところに、無人の屋敷があり、魔物の温床になるので、警備隊に知らせて、正式に焼き払ってもらった方がいいと言ってくれた。わざわざ知らせに来てくれた彼らに、メローラは感謝した。
そして、魔物退治などの依頼があればぜひ請けたいという彼らの申し出も、メローラにとって嬉しいものだった。この街の町長として、メローラは周辺の魔物を滅し、街の安全を守らなければならないと強く誓っている。
「はい、どうぞ」
メローラが玄関の扉を開けると、先日の青年がいた。その横には、剣士らしい黒髪の青年と、水色の髪の少女――。
「……!」
メローラは息を飲んだ。
「えっ?」
アイリスは思わず声をあげた。
家から出てきた初老の女性が、自分を見て、驚いた顔をしたからだ。
「……あ、いえ、お待ちしておりました。改めて、町長のメローラと申します」
「ジェスです。よろしくお願いします」
「アイリスです」
ジェスは笑顔でメローラに答え、アイリスも礼をした。
「どうぞお入り下さい。今、お茶を用意しますので」
「……。いえ、お気遣いなく」
ライも、メローラの動揺を読み取ってはいたが、とりあえず何も言わずにおいた。
三人は部屋に通され、それぞれ椅子に腰かける。待っていると、メローラがお茶を入れてくれた。
「お願いしたいのは、街周辺の魔物の退治です。特定の魔物というわけではありません」
「では、僕達から出向くというより、街の警備に近い形ですか?」
「はい、目的は魔物から街を守ることです」
ジェスとメローラが、依頼の細かい内容をつめていく。
「ええと……この街は大きくて活気もあるし、めったに魔物から街に入ってくることはないと思いますが」
「万が一ということもあります」
メローラがきっぱり言ったので、ジェスはそれ以上の追及はしなかったが、意見を求めてライを見た。
ライも若干不可解に思う。メローラの依頼は、例えるなら、畑以外の場所に生えている雑草を、念のため抜いておくようなものだからだ。意味がないとは言わないが、キリはない。
だがまあ、依頼内容はむしろ気楽でもある。いいんじゃないか、と頷いて返した。
「分かりました。僕達はこの街には三日ほどいる予定だから、その間は街の周りで魔物の退治を続けますね」
この三日というのは、マリラが写本にかかる日数だ。
報酬の額も決め、依頼が成立する。
「じゃ、さっそく行こうか。僕達三人で、どこまで魔物が倒せるかはやってみないとだけど」
「はい」
アイリスは答えて席を立った。その時、メローラの持つカップが、皿に当たってカチャリと大きな音を立てた。
「――待って、下さい」
「なんですか?」
メローラは、驚いたような表情をしている。
「まさか……あなた方は、彼女も……アイリスさんも魔物退治に連れていくのですか?」
「……? ええ」
ジェスが答えると、メローラははっきりと言った。
「それはなりません」
急な展開に、ジェス達は困惑した。
「……えっ、それは……」
「当たり前でしょう、幼い少女を魔物退治に連れていくなど、何を考えているのですか!」
「え? あ、あの、ですが……」
ジェスはライを見る。ライも正直困ったが、とりあえず、メローラにアイリスのことを説明する。
「アイリスは俺達とずっと旅をしているし、魔物との戦いも何度も経験しています。アイリス自身も神聖魔法のかなりの使い手で、一応自分の身を守るくらいは……」
「いいえ、常識というものがあります。幼い彼女にそんな危険を冒させるようであるなら、私はあなた方に魔物退治を頼むわけにいきません」
「……。」
有無を許さない厳しい口調で、言い切られてしまう。
ジェスとライは、互いに顔を見合わせた。アイリスを見ると、困った顔をしている。
「アイリス……どうする?」
「は、はい。えっと」
「ここは、アイリスのしたいようにしていいよ」
「……。」
アイリスは俯いた。
「僕とライで依頼を請けることもできるし、アイリスが嫌なら、今回の話は断ってもいいし」
「ですが……。」
アイリスは迷ったが、俯いたまま答えた。
「……お手伝いできなくて、すみません。気をつけて……行ってきて下さい。もし怪我をしたら、すぐに戻ってきて下さいね」
「……ん、任せとけ」
ライは軽い調子で答えたが、釈然とはしていなかった。
アイリスは、メローラと応接間で二人、お茶をしていた。
本当はアイリスも、ジェス達と一緒に失礼し、先に宿に戻るつもりだったのだが、ぜひにと誘われ、断れきれずにここに一人残っている。
「あ、あの……本当によろしいんでしょうか」
お茶菓子には甘いパンと果実のジャムを添えたのを出された。甘さと酸っぱさが絶妙のバランスで、とても美味しい。
だけど、自分たち以外の仲間が仕事をしている中、こんな事をしていていいのだろうか?
メローラは微笑んだ。
「いいのよ、一人ではなかなか食べきれないの」
「……。お一人で暮らしていらっしゃるんですか?」
メローラは、夫や子供、ひょっとしたら孫がいてもおかしくない年だ。だが、確かにこの家には他に人の気配がない。
「夫と、娘がいたのだけれど……随分前に、先立たれてしまって。弟夫婦は近くに住んでいるのだけど」
見ているこちらが切なくなるくらい、寂しそうな顔をしたので、アイリスは慌てて謝った。
「すみません、私……」
「いいえ、あなたが謝ることじゃないわ」
メローラは上品な笑みを浮かべ、お茶のお代わりをアイリスに勧める。
「こんなお婆ちゃんのお話より、あなたのお話を聞かせてちょうだい」
「え……私の話、ですか」
そう言われても、アイリスは何を話していいものか困る。
話になりそうな冒険談はいくらでもあるのだが、アイリスは自分の話をするのがもともとあまり得意ではない。
第一、さっきの様子から、メローラにそれを聞かせるのはあまり愉快な思いをさせなさそうだし……。
「そう。旅をしているんですって? 危なくはないの?」
「仲間の皆さんと一緒に旅をしてますから……」
「でも……魔物とも遭うんでしょう」
「はい、ありますが……でも、皆さんと一緒なら、大丈夫です」
「そう……でも、ご家族の方は心配されないかしら」
アイリスはどう答えたものか少し迷った。
アイリスは、血の繋がった実の家族をほとんど知らない。アイリスにとっては修道院の皆が家族代わりではあるが。
うまく答えられずにいると、今度はメローラが申し訳なさそうな顔をした。
「ごめんなさい、立ち入った事を聞いてしまったわ」
「あ、いえ。私、色々あって修道院で育ったんです」
そう答えると、メローラは口に手をあてて、まあ、と言った。優しく、慈しむような目でアイリスを見る。
「ねえ、アイリス。良かったらまたお茶に来て。美味しいお菓子を焼いて待ってるからね」
「え……」
風が吹き、庭の花が静かに揺れた。綺麗に整えられた花は、メローラが自分で手入れしているのだろう。穏やかな午後の陽射しが差し込む部屋には、読みかけらしい本に、栞が挟まれている。
「……。はい」
アイリスは頷いて、微笑んだ。