096:本の街
山の麓、空気の澄んだ街は、爽やかな木の香りがしている。
「やっと着いたー!」
ジェス達一行は、本の街ウィンガに到着した。
「素敵! こんなにたくさん図書館や本屋があるなんて!」
街の入り口にある案内板を見たマリラは、興奮して言った。
「本もいいけど、まず宿屋な」
ライが言うと、マリラはちょっと残念そうに頷く。
だが、長く野営を続け、魔物と戦いながらこの街について、疲れていたのも確かだ。
「じゃあ、マリラは先に街を見てきたら? 僕達で宿を取っとくからさ」
「いいの?」
ジェスが言うと、マリラは嬉しそうにした。
「おいおい……ま、いいか。じゃ、先に宿で休んでてくれ」
「あれ? ライも行くの?」
ジェスが聞くと、ライは頭を掻いた。
「この街のそれなりの地位の人間に、ピアの屋敷の件を報告しときたいんだ。一旦は俺達が片付けたけど、無人の屋敷が放置されてたら、また魔物が発生するだろ」
ライも、一応はドラゴニア王家の人間としての義理があるし、治安の問題は放っておけない。
「そっか、分かった。じゃ、後でね」
ライはジェスに手を上げて答え、マリラと並んで、街の中心部へと歩いていく。
アイリスはそんな二人の背中を見送りながら、んー、と首を傾げた。
「どうしたの、アイリス?」
「あ、いえ、何でもないです」
この街は、本が集まる街として有名だ。
もとは、ドラゴニア王家の重要な書物を、戦禍を避けて王都から離れた砦で保管したのが街の始まりだった。
そこから、書かれた本はウィンガに集められるようになり、魔法使いや学者が集まるようになる。バーテバラル山脈の近くの街は木や水が豊富で、製紙に向いていたこともあり、今では出版も盛んとなっている。
ライは宿の部屋に入るなり、どさり、と本をテーブルに置いた。かなり重量感のある音がした。
「うおお、重かった……」
「ありがと、ライ」
そう言うマリラは、さっそく本を読み始めている。
ライの用事はさっさと済んだのだが、とにかくマリラの図書館巡りが長かった。本棚の間を行ったり来たりしながら、本を借りられるだけ借りてきた。
その様子にジェスは笑う。
「ディーネの街でも、似たような感じだったね」
「マリラさん、楽しそうでしたもんね」
以前に行ったディーネの街にも大きな魔術書専用の図書室があり、街に滞在している間、マリラは暇を見つけては入り浸っていた。ちなみにその間、ジェスは暇だったので、ライによく剣の練習に付き合ってもらっていた。
そんな話をしている横で、ライは抱えてきた本のうち、薄めの本を取り出すと、椅子に座ってそれを読み始めた。
「あれ、ライさんも本借りてきたんですか?」
「せっかく本の街に来て、本を読まないのもな。ここの図書館は、ディーネと違って娯楽小説も置いてるぜ」
ライが本を読むところを始めて見たジェスとアイリス。何を読んでいるのか……。気になって背表紙を除きこむ。
「『禁断の恋~夜の白薔薇編』……?」
「その、恋愛小説……ですか?」
「割と人気だぜ。二年ぶりか。新刊が出てたんだなあ、この作家」
ライはそして本に集中する。ちょっと意外な一面を見た。
次の日、ジェスとアイリスは図書館に来ていた。
せっかく来たのなら、国一番の規模を誇る図書館を見なければ損と、宿屋の主人にも勧められたのだ。
「うわあ……本がたくさんあるね」
独特の紙の匂いがする。アイリスも頷いた。
二人はゆっくりと本棚の間を散歩するように歩く。あまりにたくさん本がありすぎて、何を読もうか迷う。
「あ、これ、ライさんの読んでた本ですよ」
比較的手前の棚に、同じ作者の本がたくさん置かれている。
ライの言う通り、人気の作家らしい。アイリスはそれを一冊手に取って、少し立ち読みし始めた。
「…………。――――!」
ぼふっ、と音を立てそうな勢いで、アイリスの顔が真っ赤になる。アイリスは慌てて棚に本を戻した。
「どうしたの、アイリス?」
「な、何でもありませんっ」
ぱたぱたと手で扇いで顔の熱を冷ますアイリス。ジェスはのんびりと本の背表紙を眺めた。
ジェスは、昔からほとんど本を読んだことがない。
冒険者の両親に連れられて旅をしていたからというのもあるが、そもそも本を日常的に読むのは、貴族や学者、魔法使いなど、限られた人くらいだ。
この街の図書館も、実は本を借りるのはまったくのタダというわけではない。あらかじめ借り賃を払って本を借り、本を期限内に返せば、その9割が戻る、という仕組みだと、図書館に入る前に説明された。
「あれ、じゃあマリラ、一体いくら払ったんだろ……」
まあ、今はそれは考えないことにしよう。
アイリスは、龍の伝承に関する本を借りてきた。修道院時代によく勉強しただろうが、彼女らしいと、ジェスは思う。
「ジェスさんはどうします?」
「うーん、僕、ちゃんと本読んだことないからなあ……。簡単な本じゃないと、読みきれないかも」
ジェスが正直に言うと、アイリスは少し考えた。
「……ジェスさんは、こういうのはどうでしょう?」
ジェスとアイリスが宿に戻って来た時、マリラは机に向かってペンを走らせていた。ライはベッドに寝転がりながら、本の続きを読んでいる。
「あら、お帰りなさい」
「僕達も本を借りてきたよ」
そう言ってジェスは、自分の借りてきた本を開いた。
「ん、ジェスは何を?」
ライは起き上がって横から覗く。
ジェスが見ていたのは、文字のほとんどない本――地図だった。
「世界中の地図だって」
そうして、ジェスは地図を指でなぞって辿る。
ジェスは、旅が好きだ。
知らない場所に行くのを、純粋に楽しいと思う。地図を見て、まだ行ったことのない場所に思いを馳せる。
それと同時に、知っている地名や街の名前を見つけては、記憶を手繰り寄せる。
「あ、ここ昔行った。こんな場所にあったんだ……」
「こんな遠い場所にですか?」
「十歳くらいの時かな。雪で街から冬中出られなくて、雪遊びして……。剣の素振りとか言われながら、薪割りの手伝いして」
懐かしいなあ、とジェスは言う。
「あ、ここも知ってる。もっと小さい時に行ったかな」
「ご両親と、本当にあちこちに行ったんですね……。」
「ここの遺跡で迷子になってさ。歩き回っているうちに僕だけ先に出ちゃったんだけど、父さんと母さんは僕を探したまま、遺跡の中で一週間以上さまよってて。お互いに会った時、よく生きてたー! って言い合ったよ」
「すごいですね……。」
ジェスはうんうん、と頷く。
「あ、この森も行った」
「この森、危険って書いてありますが……」
「うん。広くて迷って、ひと月くらいは出られなかった。でも、森だから、食べるものたくさんあったし、これはそんな辛くなかったよ」
「……は、はあ」
一緒に地図を見ていたアイリスだけでなく、ライとマリラも、それぞれの手を止めて、ジェスの話を聞いていた。
ジェスは武勇伝を進んで語るタイプではない――というより昔からこんな生活が当たり前だったから、武勇伝という意識もないのかもしれない――ので、聞けば聞くほど、まだ知らない話がありそうだった。
「ジェスの思い出話は、そこらの冒険小説よりずっと厚みがありそうだな」
ライはそう言って、くくっと笑った。




