表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青空の冒険者  作者: 梨野可鈴
第六章 恐怖の幽霊屋敷
94/162

094:解放

 奴隷として買われたはずなのに、ピアはこの屋敷にやってきてから、やることは特になかった。

 まず驚いたことに、この広い屋敷には、フォンベルグ一人で住んでいるらしい。それなら掃除の手が行き届かなくて、さぞ大変だろうと思ったのだが、この屋敷の箒は魔法で勝手に床を掃くので掃除は不要だと言われた。

 フォンベルグはかなり優秀な魔法使いだということは、あまり学のないピアでさえ、この屋敷に来てすぐにわかった。

 暖炉の火は薪を加えずとも燃え続ける。汚れ物も、水晶玉と水を張った桶に放り込めば勝手にきれいになる。

 この屋敷は、街から離れた場所にぽつんと建っていた。人里から離れているから、周辺は魔物が出て危険なため、ピアは外に出ないように言われていたが、それでも特に不便はなかった。

 フォンベルグは魔法で街に転移しては、必要なものを買ってくる。毎日の食事は、王都の屋台でまとめて買ってきて、それを食べていた。

 つまり、ピアが家事や炊事をする必要はまったくない。

 とすれば、夜伽の相手として買われたのかと思いきや、フォンベルグは一切そういったことを要求しない。

 フォンベルグは、本を書くのが仕事らしい。仕事のため、ほとんど自室に籠っているのだが、たまにピアのところには来ては、何か欲しいものがないかと尋ねる。

 ピアが何も思い当たらないと言っても、困った顔をしながらも魔法で出掛けて、ドレスや髪飾りなどを持って帰ってくる。

 最初は恐縮して断っていたが、フォンベルグがあまりに困ったような、悲しそうな顔をするので、ピアは受けとるようにしていた。最近は、ようやくドレスを着て歩くのにも慣れた。

「……。」

 奴隷として酷い扱いをされるよりは遥かに良い。まるで貴族の令嬢のような生活だが、何もしていないのにこのような状況を急に与えられているのに、ピアは困惑した。

「……フォンベルグ様は、何故、私を買ったのでしょう?」

 そして、ピアはため息をついた。

 こんな贅沢なことを思うというのは、罪悪感があるのだが、まったく暇というのは、それはそれで困ると、ピアは知った。

 フォンベルグ様の、為になることをしよう。

 自分の主の思惑は分からないが、こうして快適な生活を与えられているのであれば、その恩に報いるべきと考えた。しかし、この状況で、ピアに何ができるだろうか。

 しばらく考えていると、急に、部屋の扉がコンコンと叩かれた。ピアはすぐに扉を開ける。

「はい、フォンベルグ様」

「あ……あの、何か……欲しいものは、ないか」

 何度も尋ねられたその問いに、ピアは初めて首を縦に振った。


「あ……あの、これで……いいの、か?」

 フォンベルグは、市場で買ってきたものを魔法で机の上に並べた。ピアは戸惑ったが、礼を言った。

「はい、ありがとうございます」

 ピアが頼んだのは、小麦粉や牛の乳、砂糖や卵、それから油だった。まさかこんなに大量に買ってくるとは思わなかったが――例えば、小麦粉は大きな袋に入って積まれている――ピアはそれを受け取り、屋敷の竈で料理を始めた。

 作るのは、何ということはない、焼き菓子だ。それを、ピアは丁寧に作っていった。竈は長く使われていなかったが、魔法の箒や雑巾が常にきれいにしていたので、すぐに使うことができる。

 料理を作るピアを、フォンベルグはじっと見ていた。何だかやりにくいと思いつつも、ピアはせっせと材料を混ぜて生地をこね、菓子を作る。

 ほどなく、湯気の上がった温かい焼き菓子ができた。

「……菓子が、食べたかったの、か?」

 それならば、菓子を頼んでくれれば買ってきたのに、とボソボソと続けるフォンベルグに、ピアは控えめに答えた。

「……あの、その……フォンベルグ様に食べて頂こうと……。いつも良くしていただいていますので……」

「あ……」

 フォンベルグは、ピアの作った焼きたての菓子をつまんで齧った。恐る恐るといった様子でピアがその様子を見ると、フォンベルグは、ぼそり、と言った。

「美味しい」

「お口に合って良かったです。昔、勤めていたお屋敷で習ったのですが……」

「……初めて、食べる」

「そうでしたか。その、南部ではよくある菓子だそうなのですが」

「そうか……君は、南から……。……も、もっと、話してくれ」

 フォンベルグは、菓子をもう一つ食べながら、消え入りそうな声で言った。ピアは思わず聞き返す。

「え?」

「……。」

 黙ってしまったフォンベルグに、ピアは考える。

 そうだ。この人は私を買った時、最初に何と言った?

『話してくれ、できるだけ』

 そしてピアはようやく、フォンベルグの欲しいものに気付いた。


 それからピアは、菓子やパンを焼いては――これは、大量の小麦粉を消費するという意味もあったが――お茶を入れて、フォンベルグと話をした。

 奴隷として幼い頃に売られていたピアは、大して楽しい話はできなかったが、それでも思いつく限り、フォンベルグと他愛無い話をした。

 フォンベルグは、話すのは上手くなかった。ピアが尋ねても、彼は自分自身のことを語りたがらない。こうして屋敷に閉じこもり、人との接触を避けて暮らしているところを見ると、過去に何かあったのかもしれないと思い、それ以降聞こうとはしていない。

 話題に困ると、フォンベルグは自分の研究している魔法の話をした。ピアはほとんどそれらを理解できなかったが、それでもフォンベルグが魔法の話をしている時、顔が明るくなるのには気付いていたから、ピアも笑顔で話を聞いた。

 そんな穏やかな日々が続き――そして、二人は、夫婦になった。

 屋敷の庭で、二人だけの結婚式を挙げた。フォンベルグの魔法で色とりどりの光の粉が宙を舞っていた。

 あまりに幸せで美しい景色に、ピアが涙ぐむと、フォンベルグは困ったようにおろおろとする。そんな夫の不器用さを、ピアは愛していた。


「……ピア様」

 目を開けると、紫の髪の少女がピアの顔を覗き込んでいた。

「あら、ルカ……。少しうたた寝してしまったみたいね」

「こんな所で寝ていたら、風邪ひいちゃう。そしたらフォンベルグ様、大慌てだよ」

 少女は笑って、椅子でうたた寝をしていたピアの体に毛布をかけようとしたが、ピアはそれを断って、立ち上がった。

「そろそろお夕食の時間ね。サンは?」

「本を読んでる」

「まあ。呼んできてくれるかしら?」

 少女は頷いて、弟を呼びに走っていった。

 あれから数年――ピアには家族が増えた。二人の子供は、フォンベルグとピアの実子ではない。ピアは、奴隷として暴力を受けていた時に、子供を産めない体になってしまっていた。その事にピアが悲しんでいると、フォンベルグは闇市場で、子供の奴隷を二人、買って連れてきた。

 フォンベルグは、相変わらずピアの欲しいものは何でも与えようとするが、さすがにこの時は驚いた。しかし、連れてこられて怯えている子供たちに、昔の自分を重ねたピアは放っておけず、自分達の家族として迎え入れた。

 仲睦まじい夫婦に、可愛らしい二人の子供。何も知らない人が見れば、普通の家族だと思ったに違いない。



「本当は、私が死んだ後も、あなたには幸せに生き続けて欲しかったのだけど……」

 そう言ったが、ピアは首を振った。自分が逆の立場だったら、無理だったろうと、思ったからだ。

 扉の開く音に、ピアは振り返る。ジェス達がそこにいた。

「……。ピアさん……」

 ジェスは、躊躇うように話しかけた。ピアは悲しげに微笑んで、ジェス達に向き直る。

「ええ、お願いします。皆さんには、本当にお世話になりました」

「……もう、いいんですね」

「はい。早く、この人の所に行ってあげないと」

 アイリスはぐっと、涙をこらえた。そのアイリスの肩に、マリラが優しく手を置く。

 マリラは、今は亡き、天才の魔法使いの手記を読み解き、その研究の凄まじさに身震いがした。

 全身全霊でピアを生き返らせようとした執念は、彼自身の死によって、道半ばで途絶えたようだったが――もしこの研究が完成していれば、その本質は魔物と同じにせよ、生前と同じ記憶や意識を持ち、まったく変わらない姿の彼女を作り出せた可能性があった。

 意識や記憶が引き継がれるなら、それはもはやピアと言えるかもしれない。

「……その禁忌の研究を続けるために、彼は自分に関わろうとするあらゆる人間を遠ざけなくてはならなかった……。そして作り出したのがあの白い魔物。あの魔物は、ピアの体を保存するために氷の魔力を持っているだけでなかったのね。あらゆる人間をこの屋敷から遠ざけるために、人の負の記憶を思い起こさせる力を持たせた」

 下手に力ばかり強い魔物を作っても、それが自分に近付く人間を虐殺し続けたら、一層放っておかれなくなることを、この魔法使いは知っていた。

 だからこその、精神攻撃を使う魔物だったのだ。

「……心の傷は、体の傷と違って、存在することさえ気づかないからな」

 ライは、ぽつりと言った。

 読み終えた手記を、マリラは炎の魔法で燃やした。これは、存在してはいけない魔法だ。


 アイリスは、氷が溶けて、むき出しとなったピアの体に向けて、呪文を唱える。

 ピアが、この苦しみから解放され――正しい場所へ、聖龍の加護の元へ迎え入れられるように祈りを込める。

 ピアの体にかけられているのは、一種の呪いだと、マリラは説明した。だから、アイリスは、彼女の本体にかけられた呪いを解く――〈解呪〉の魔法を唱える。

 アイリスの祈りとともに、ピアの姿は薄くなっていく。

「必ず、あなたの体は、ご主人と共に、埋葬しますから――」

 ジェスはピアに約束した。

「……ありがとう、……本当にあなた達は、……いい人なのですね……」

 その言葉を最後に、ピアは光に包まれて消えた。

 アイリスはぐすぐすとしゃくりあげながら、涙を拭っている。マリラはそんなアイリスの頭を優しく撫でた。

 ピアの言葉に、ライはまったく同感だった。

 本当に、お人好しのパーティだよ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ