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青空の冒険者  作者: 梨野可鈴
第六章 恐怖の幽霊屋敷
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090:心の傷

「失礼致します」

 扉の外から、声をかけられる。その声はよく知った相手のものだったが、他に誰がいるか分からないので、レオンハートは、素っ気なく命じた。

「入れ」

 扉が開き、従者のセルビィがうやうやしく夜食を運んでくる。セルビィが部屋の扉を閉じたところで、レオンハートは、いつものくだけた調子に戻った。

「あー、腹減った」

「レオンったら、こんな時間に、こんなに食べたら太るよ?」

 セルビィの方も、レオンハートに調子を合わせた。外では王子とその従者として振る舞っているが、二人だけの時――そこにセルビィの兄のアルロスが加わることもあるが――は、こうしてお互いに気安く話していた。

 セルビィとしては、幼馴染とはいえ、生まれながら自分の主にあたる人に、敬語を使うのは当然と思っている。だが、その主自身が望むなら、あえて気安く話して、緊張を強いられているレオンハートの心を解すのも、従者の役目とも考えていた。

「いいんだよ。さっきの夕食会なんか、気まずくてロクに食ってないから」

「相手は、リューベ侯爵家当主と、レイチェラ殿下の婚約者の……誰だっけ?」

「ロンドベルな。あれ嫌な奴だなー。なあ、セルもちょっと食っていけよ、寂しいし」

「はは、でも僕もなかなか忙しいし」

 そう言ったセルビィの腹が、ぐぐぐ、と鳴った。レオンハートは、ニヤリと笑い、セルビィも照れたように笑った。

「じゃあ、お言葉に甘えて……」

「おーう」

 レオンハートは、紅茶を啜る。そしてセルビィは、ふんわりと焼かれた焼き菓子を一つ取って、口に放る。甘い菓子を頬張って、幸せそうに笑ったセルビィの顔が――次の瞬間、急激に歪む。

「ぐ、ぐうっ!」

「セル?」

 どさ、とセルビィは床に倒れ、喉を掻きむしりながら、激しく痙攣する。その様子にただ事ではないと、レオンハートは急いでセルビィを起こし――床に転がった菓子を見てはっとする。

「駄目だ、吐け!」

「ぐ……ぐあっ、レオ……」

 ぜえぜえと息をするセルビィの口から吐き出されたのは、真っ赤な血で――それは止まらない。

「誰か! 誰か来てくれ!」

 部屋の外に向かって大声で叫ぶ。すぐに衛兵が飛んできたが、しかし、どうすることもできない。その間も、セルビィの震えと吐血は止まらず――徐々に、その動きが弱々しくなっていく。

「セル! おい、セルビィ!」

「殿下、駄目です! 毒が仕込まれていた可能性があります! ここから離れて下さい!」

「ど……毒」

 レオンハートは、改めて突き付けられた事実に呆然とする。

 あの菓子に、毒が。

 俺の食べるはずだった菓子に、俺を狙った毒が。

『なあ、セルもちょっと食っていけよ』

 そう誘ったのは、俺だ。

 床に転がったまま、もうぴくりとも動かないセルビィ。

 俺の、せいで。

 目の前が真っ暗になった――と思った時、左頬に、鋭い痛みが走って、見えていた全てのものがかき消えた。



「ライ!」

「っ!」

 ライが目を覚ました時、最初に見たのは、ぜえぜえと息を切らしながら、拳を振り上げているマリラだった。

「……こ、これは……」

 状況が飲み込めず、尋ねると、頬に痛みが走る。自分を覗き込んでいる位置関係から言うと、マリラが自分を、握り拳で殴ったのだと思うが――

「目を覚ましたのね! しっかりして!」

「……どういう」

 そこで、体を起こし、目の前のものを見る。そこにいたのは、白い毛に包まれた、猿のような魔物――その毛は、体から放たれる冷気で揺れ動いている。

 マリラは息も苦しそうに床に座り込みながら、ライを見ていた。アイリスとジェスは、少し後ろで倒れている。そこでライは、自分達の置かれている状況を思い出した。

「そうか、俺たちはあの魔物と戦って……? いや?」

「精神攻撃よ! 〈悪夢〉の魔法に近いものを使ってくる……! あの目を見ちゃ駄目!」

「悪夢、だって……?」

 そう言うマリラの顔も真っ青なのは、部屋が異常に寒いせいだけではないだろう。

「私はぎりぎりで耐えたけど……皆は……!」

「……ちっ」

 マリラは魔法を使うから、自分自身に魔法が使われた時の抵抗の仕方も多少は心得ている。だが、ライ、ジェス、アイリスは、それをまともに喰らってしまった。

 体に直接ダメージはないが、こうして気を失い、戦闘不能になったところを狙われたらひとたまりもない。ただ、幸いにも、夢を見ているのに近い状態なので、体に衝撃を与えると解けてしまうようだ。だから魔物の方は、ジェス達に悪夢を見せながら、動けなくなったところを直接殺しにはこなかった。

 しかし、部屋は氷の洞窟のような寒さだ。こんな所で気絶していたら凍死してしまう。魔物の狙いは、精神攻撃で四人を沈め、自身から放つ冷気で死に追いやることなのだろう。

 その魔物は――正気を保っているマリラとライに、再び光る目を向けた。

「きゃあっ!」

 マリラは、必死に自分の魔力を集中させて抵抗するが――一瞬、幻を見た。

 自分の体が、黒い呪いの痣に包まれ、おぞましい姿に変わっていくのを――。

「違う! 私は……!」

 必死にそれを振り払い、震える手を確認する。

 大丈夫。私は――もう呪われてはいない。そう言い聞かせる。

 そしてライは――。

「ライ! 何やって!」

「……はっ……痛みで目が覚めるんだろ……」

 そう言いながら、自分の腕に剣を突き立てていた。鮮血が流れ、床に雫が落ちる。

「……あの、クソッタレな夢を見せたのは、お前か……」

「ライ?」

「マリラ……二人を連れてここから離れろ……アイリスも悪夢を見てる……ジェスは蹴飛ばしてでも起こせ」

 そしてライは――一人魔物に向かって駆け出して行った。


「!」

 魔物は口を開け、更に冷たい空気を吐き出した。息をするのが苦しくなるほどの寒さに、ライの体が強張る。その隙を見逃さず、魔物はもう一度目を怪しく光らせた。

「う……うあああああっ!」

 ライは再び自身の腕に剣を突き立て、歯を食いしばって持ちこたえる。マリラは悲鳴を上げた。

「駄目、そんなに血を流したら!」

「……知るか! お前らを犠牲にするわけにはいかないんだ!」

 足のふらついたライに、更に魔物は赤い光を浴びせる。ライは、剣を取り落として蹲る。

「止めろ! もう……もう止めろ! 俺は……俺は!」

「ライ!」

 吐き出すような声は苦しそうで、それでもライは剣を掴む。それは相手を攻撃するためというより、正気を取り戻すため、自分に痛みを与えるためにだった。

 アイリスはがたがたと震え、悪夢に脅かされているのか、涙を流しながら気を失っている。流れた涙が、床の上で凍りつき始めていた。

 ジェスもまた、これだけ騒いでいるのに、目を覚ます気配がない。

 マリラは、かろうじて意識を保っているが、止まらない震えに体を覆う。

(駄目、これ以上は……精神が集中できない……!)

 耐えてはいるが、マリラの目の前には、二つの景色がちらついていた。

 白い猿の魔物と戦う目の前の光景。

 そして、次々に呼び起こされる、過去の記憶。

 普段忘れているようなことまで、繰り返し繰り返し、それを見せつけられる。

(悪い子だね! お前なんか魔物に食べられてしまえばいいんだ!)

(あの娘は娼館に売るしかないさ、そうでもしなければこの寒さは乗り切れないでしょう、飢え死にさせるよりマシだ――盗み聞きしていたのか? こっちに来い!)

(へえ、貧乏人の村娘が、学園に? 笑わせる、汚い服だな)

 マリラもまた、強く爪を立てて拳を握り、その痛みでどうにか過去の光景を振り払う。振り払っても、胸の奥が痛み、息が苦しくなる。

「早く……アイリスと、ジェスを起こさないと……」

 だが、再びマリラが見た目の前の光景は――

 ぼろぼろになりながら、魔物の前に膝をつく、ライの姿だった。左腕は、血まみれの傷だらけだったが、それは全て、ライが自分でつけた傷だ――。

 そのライは、朦朧とした意識でうわ言を話しながら、それでも剣で自分を刺し続けようとしていた。すぐ目の前に魔物がいるのに。

「……止めろ……俺は、本当は死ぬはずだったんだ……もう俺の前で……止めてくれ……」

「……ライ?」

「嫌だ……嫌だ、止めてくれえええ!」

 止まらない悪夢に、目を閉じたまま、無茶苦茶に剣を、自分に体に突き立てようとしていて――

「駄目っ、ライ!」

 マリラは絶叫した。


(……マリラ、さん……?)

 アイリスは、聞きなれた声に、目を覚ました。瞼に薄い氷の幕が張って目を開くのには苦労したが、それでも目を擦って、ぼんやりとした意識で周りを見た。

 どさり、と音を立て――ライの体が床に倒れるのが、見えた。

まものの めが あやしく ひかった!

ジェスはねむってしまった!

ライはこんらんした!

アイリスはねむってしまった!


ライはこんらん している!

ライの こうげき!

ライに 10のダメージ!


なお、セルビィって誰だっけと思った方は80話参照。

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