009:荒廃した街
クロニカの街についたマリラは、言葉を失った。
「これが……魔法学園……?」
魔法学園は、かつての美しさをすっかり失ってしまっていた。
美しい石畳で覆われていたはずの地面には瓦礫が散らばり、あちこちから雑草が生えている。建物はところどころ窓が割れたり崩れたりしていて、人の住んでいる気配がない。
「……どうなってんだ」
「分からない。私がいた時のこの街は……学園を中心とした、小さいけれど美しい街だった」
もともと、クロニカの街は、魔法学園とその生徒のための寮と店、そして魔法の品を売る店が少しあるだけの小さな集落だった。
しかし魔法使いや一部の貴族を中心として作られたこの街は非常に丁寧に設計されていて、街並みの美しさはどこにも負けないとされていた。
「シャイールの話では、アルバトロが学園を支配していたって聞いたけど……それでも、こんなことに?」
学園の実権を握ったところで、その学園を滅茶苦茶にしてしまっては仕方ないではないか。
「ともかく、誰かいないか探してみよう」
ジェスの言葉に、一行は街の中に入っていった。その時だった。街の中に飾られていた魔物を模した石像が、急に動きだし、マリラに襲い掛かった。
「危ない!」
とっさにジェスが石像とマリラの間に割って入る。剣を抜く余裕まではなく、石の爪がざっくりとジェスの腕に食い込む。
「くっ……!」
「ガーゴイル!」
マリラは杖を向け、すぐさま〈火球〉の呪文を唱えた。放たれた炎の塊が、ガーゴイルの右腕を吹き飛ばす。
ギギギギッ!
だが、石でできた体は怯むことなく、左腕を振りかぶって再び襲ってくる。ジェスは剣を抜いてその一撃を受けた。
「何だこいつ!」
ライは背後に回り、短剣でガーゴイルの背に斬りつけた。だが、充分なダメージが与えられない。マリラはガーゴイルを挟んで戦っている二人に叫んだ。
「どこかに魔法の印があるはずよ! それを傷つけて!」
「って……」
言われても、そう簡単なことではない。その間にもガーゴイルは素早く動き、二度三度と攻撃を繰り出してくる。ジェスはそれを紙一重で巧みに避けながら、自分に攻撃を引きつけ続けた。
その間にライは、ガーゴイルを観察した。
「あった! 左腕の脇の下!」
「よし!」
ジェスはガーゴイルの攻撃を正面から剣で受けた。鋭い爪ががっちりと剣を捉える。ジェスはそのまま剣を引き抜くようにし、ガーゴイルの腕を伸ばさせる。できた隙を、ライが素早く突いた。
キン、と小さな音がしただけだったが――ガーゴイルはそのまま、呆気なく動かなくなった。
「……ふう」
ただの石像となって動かなくなったガーゴイルを、剣で何度かつつき、安全そうなのを確かめてから、ジェスはマリラとアイリスを呼んだ。アイリスは急いでジェスに駆け寄り、傷の手当をする。
「……何だこりゃ」
「魔法で動かしている石像よ。聞いたことはあるけど、動いているのを見るのは初めて」
マリラはそう言ってガーゴイルを観察した。こんなものが襲い掛かってくる以上、やはりアルバトロが街をこんなにしたのだろうか?
「この街の中では気を抜かない方がいいね」
「そうね……」
ライは、先頭を歩き、その後ろにマリラがつく。罠や魔法の仕掛けがあればすぐに気付けるようにだ。真ん中にアイリスを挟むようにし、背後からの襲撃に備えて一番後ろはジェスが歩く。
慎重に歩いていると、前から歩いてくる人影を見つけた。
深緑のローブを着た男だ。体に対してローブの丈が長く、手や足が完全に隠れて引き摺っている。恰好からすると魔法使いのようだ。
「……誰か来ますけど……マリラさんの知り合いですか?」
「えーっと……」
マリラは記憶を辿った。だが、魔法学園の生徒一人一人を覚えているわけではない。
「……やあ、君たち……入口のガーゴイルを倒してきたのかい」
男は一行に近付いてくるとそう話しかけてきた。いやにゆっくりとした話し方だ。
「ええ。……この街は、一体どうなっているんですか?」
ジェスはそう尋ねたが、男はがくり、と項垂れた。まるで首の力が抜けたかのような不自然な動作に、ライは身構えた。様子がおかしい。
「どう、って?」
「ですから……どうしてこんなに荒れているのですか?」
「ふひゃははははあ!」
ジェスの問いには答えず、男は急に奇声をあげて飛びかかってきた。目が虚ろで、焦点が定まっていない。アイリスは思わず悲鳴をあげた。
「何だこいつ!」
ローブの袖から、光る刃が見えた。だが、その様子もおかしい――ナイフの刃を握って、柄の方で殴り掛かろうとしている!
だがその動きはあまりに遅く、ライはそれをやすやすと避けた。男は何度も振りかぶってくるが、まったく当たらない。
「お、おい?」
「……ふひゃ、ふっや、へ、へ……」
しまいには、男はぜえぜえと息を上げ始めた。それでも一心不乱に攻撃しようとしてくる。
奇妙な光景に、マリラは腕を組んで考えた。
「魔法で操られているのかしら」
「え?」
「よく分からないけど。とりあえず気絶させて、縛りましょう」
「お、おう……じゃあ、〈眠りの雲〉で……」
ライはそう言ったが、マリラは首を振った。そして、疲れてほとんど動けなくなった男に、背後から近付くと、杖を振りかぶって――
「おぐっ」
ゴン、といい音が響いた。
樫の杖で殴られた男は、そのまま前のめりに倒れて気を失った。
男が再び目を覚ました時、男は自分の着ていたローブの紐で縛り上げられていた。そして、見知らぬ一行に囲まれていて、ひい、と悲鳴をあげた。だが、その目を見ると、正常な意識を持っていることは明らかだった。
「……すみません。あの……今までのこと覚えていらっしゃいますか?」
「え? は? えっと……あれ、お前、マリラ?」
「え?」
急に話し掛けられたマリラは、意外そうな顔をした。
「あなた、私のこと知ってるの?」
「知ってっていうか……まあ学園で何回か……」
マリラはそう言われても思い出せなかった。だが、少し考えたふりをして、ぽんと手を叩いた。
「ああ。ごめんなさい、様子がおかしかったから、すぐに分からなかったわ。一体どうしてこんなことになったの?」
そのわざとらしい演技に、ライはこっそり苦笑した。名前呼んでねえし、絶対相手を思い出してない。
「そ、そうだ……あのアルバトロに捕まえられて、無理矢理、服従させられる魔法をかけられたんだ! それから……それからは……よく覚えてないけど……」
「やっぱりアルバトロなのね……。でもどうしてこんなに街がボロボロなの?」
「あ、ああ……色々さ。アルバトロの横暴に対抗しようとして、学園の生徒や先生の中には戦いを挑んだものもいたんだ。だけど魔法で返り討ちにあってね。その時に、奴の魔法が街を壊したんだ」
マリラは顔をしかめた。想像以上にひどいことになっている。
「……他の人たちはどうしたんです?」
ジェスは尋ねたが、男は首を振った。
「分からない。最近では、街の入口にガーゴイルや魔物がいてとても逃げられない。反抗した人は、杖も取り上げられてしまったし……。学園の中に捕まえられている人もいるんじゃないかな……生きていればだけど」
「そんな……!」
アイリスは悲痛な声をあげ、祈りの言葉を唱えた。
ジェスは仲間の顔を見た。アイリスは真剣な表情で強く頷き、ライもまた、仕方ないな、という顔で頷いた。マリラは、ジェスの真っ直ぐな瞳に、覚悟を決めて頷いた。
「入口のガーゴイルは倒したわ。あなたは急いでこの街から出て、外に助けを求めに走ってちょうだい」
「え……え?」
それだけ言って、一行は困惑する男に背を向け、歩き出した。四人の視線の先には、重厚な煉瓦造りの建物――学園がある。
「だ、だけど……」
男は慌てて身をよじった。
彼らは冒険者のようだが、あのアルバトロの魔法に勝てるというのか?
それに――だ。男は彼らの背中に必死に叫んだ。
「この紐、ほどいてくれよう!」