089:悪夢
骸骨の魔物を、ジェスが剣で倒す。骨がばらばらになって散らばりながらも、再生しようとするのを、マリラが炎で焼き尽してトドメを刺す。
背後から音もなく近付こうとするゴーストは、ライが的確な剣の突きで倒していく。
アイリスは、アシッドゴーストなど、強い魔物が襲撃した時に備え、いつでも呪文で援護できるように構えている。
書庫を出た四人は、時折襲ってくる魔物を倒しながら、ピアの先導で、二階の一番奥の部屋を目指していた。
「……皆様は、本当に強い冒険者なのですね」
ピアは、ジェス達の息の合った戦いぶりに感心した。
「はあ……どうでしょう」
ジェスは謙遜したが、ピアは思いつめた表情をしていた。
「皆様ならば……私を解放できると、信じております」
ピアの言葉に、アイリスは心が痛んだ。
聞けば、ピアはこの状態で目が覚めてから、食事も眠りも必要としない状態となっているという。まさしく世間で言うところの幽霊のような姿となり、自分を襲うことさえないものの、恐ろしい魔物が跋扈するこの屋敷に閉じ込められている。
そのピアが、あっ、と悲鳴を上げた。
「どうしたんですか」
「い……いえ」
ピアは目を伏せ、そして足早にその場を通り抜ける。足早といっても、ピアは足のない状態で宙を滑るように浮いて移動しているのだが。
「……。」
アイリスは、持っていた輝石で、ピアが目を伏せたものの正体を照らして見た。最初にこの廊下を通った時も見た、顔の塗りつぶされた肖像画だ。
(この女の人は間違いなくピアさんですから、横にいる男の人が、魔法使いの旦那さんで、二人の子供が、お二人の子供のはずです……。誰がどうして、絵にこんな酷いことを?)
ひょっとすると、ピアはその秘密を知っているのかもしれないが、とても聞く気にはなれなかった。彼女は間違いなく、夫と子供たちを愛していたはずだからだ。
そして、愛されていた。
なのに――愛されていたが故に、ピアはその夫によって、今の姿にされてしまったのだ。
(……でも……私だって、皆にもしものことがあったら……)
生き返らせたいと、願ってしまうだろう。
人を生き返らせることは、命を創った聖龍の意思に反することだ。しかし、愛する人と死別することを悲しみ、受け入れがたいと思うのは、信仰とは矛盾しない。
砂漠の遺跡の中で、アイリスは、ジェス達が死んでしまったと思ったことがある。その時、アイリスを襲った絶望感は、今思い出してもぞっとする。
足元から全てが崩れていくような、あの――
「アイリス?」
「えっ?」
マリラに声をかけられて、アイリスははっと我に返った。
「顔色が悪いわ、大丈夫?」
「えっ、はい……大丈夫です」
「もしかして冷えたかな。服はさっき乾かしたけど、だいぶ寒かったから……」
ジェスがそう心配そうに聞き、アイリスは大丈夫です、と答えたが――答えて初めて、自分が小さく震えていることに気が付いた。
(あれ? 私、何で……?)
二階へ、階段を上がっていく。階段に足をかけると、ギイ、ときしむ音がした。
「あっ……もしかして老朽化しているのかもしれません。皆さん、気を付けてください」
「そうね……」
ずっと荒れ放題だったのだ。ただ、そう言うピア自身は、物体をすり抜けるので、古い階段を踏み外すなどありえないのだが。
マリラは、透けているピアの体を見て、魔法とはまだまだ奥が深いものだと思う。
(ピアさんが生きてるにしろ、死んでるにしろ、こんな状態になる魔法なんて、初めて聞いたわ。学園で禁忌の魔法は扱うことなんてないから、当然だろうけど……)
実体のないピアは、人間ではない。魔法で、魔物化しているということはほぼ間違いないのだろうが。
つい先日まで、マリラの体を蝕んでいたのも、魔物化の呪いだったが、あれとはまた違うのだろう。
あれは、本当に恐ろしい呪いだった。一時的とはいえ、魔物になった時、おぞましい血の衝動が体を支配した。その間、意識を失ったのは幸いだったが、死ぬとはああいう感覚なのだろうか?
「おい、マリラ、大丈夫か?」
「え? ……ライ、何を」
「さっきから体をさすってる。寒いのか?」
「えっ……?」
そう言われて、初めて自分が寒気に襲われていることに気が付いた。
「怖い……訳じゃないわ、大丈夫」
「辛かったら、すぐ言えよ」
ライが心配そうにのぞき込んでくる。大丈夫と答えながら、這い上ってくる寒気は堪えきれなかった。
ライは、マリラの様子を気にかけていた。
また腰を抜かしたなんてことがあれば、抱えて逃げられるのは自分しかいないし、あんな話を聞いた後では、心配するなという方が無理だ。
正直、ピアの件にしても、自分達は嵐で仕方なくこの屋敷にいるだけだ。どうしてもマリラが耐えられないようなら、戦うのは危険だろう。
結界のある部屋で天候が回復するのを待ち、この屋敷の件はしかるべき相手に相談し、領主に片付けさせればいい。本来、無人の屋敷の管理は領主や国の責任なのだから。
(さっきは結構危なかったしな……)
もう二度と、自分の目の前で、大切な人が死ぬのは見たくない。冒険者として、その大切な仲間と共に、危険と隣り合わせの生活をしているのだから、矛盾しているとは思う。
何としても、仲間を守りたい。
仲間のためじゃない。喪失感と、無力感に苛まれるのに、もう自分は耐えられない。あんな思いは、もう二度と――
そう思ったところで、はっとする。
(俺、どうしたんだ、急に……)
今は集中しなければいけない時なのに、どうしてこうも、心が散り散りになるような不安がこみ上げてくるのだろう。
せり上がってくる苦いものを飲み込み、廊下を進む。
「と……あの突き当りの部屋ですね、って、うわっ」
一番前を進んでいたピアが、急に立ち止まったため、ジェスは体がピアに重なってしまった。
ぶつかったところで、特に双方、痛みもないが、ジェスは慌ててピアから離れる。
「ピアさん?」
「……申し訳、ありません……私に案内できるのは、ここまでです」
ピアはその場に座り込むように崩れ落ち、苦しそうな表情で胸を押さえた。
「どうしたんですか?」
「あの部屋に近付くと、胸が苦しくなって……これ以上は無理なのです。とても耐えられなくて……」
「……分かりました、僕達で部屋の中を確かめますから、ピアさんは離れたところで待っていて下さい」
ジェスは剣を抜いた状態で、警戒しながら部屋に近付いていく。
「皆、準備はいい?」
「はい」
「ああ、気をつけろよ」
「……ええ」
四人とも、魔物や罠が飛び出してきても良いように、身構えた。ジェスは、部屋の扉を開けた。
扉を開け、一番に目に飛び込んできたのは――
「あれは――ピアさん?」
桃色の髪の女性。眠っているかのように目を閉じた彼女の体は、透けていない。そこに実体を持って存在しており――氷の中に閉じ込められていた。
凄まじい冷気が部屋の外に流れ出す。白い霧のようなものが床を流れた。
「何て寒さ……!」
さっきから感じていた寒気は、これだったのか?
マリラはそう思い、暖を取ろうと杖の先に火を灯そうとする。
だが、次の瞬間、氷の棺の前に立ち塞がるよう、天井から魔物が飛び降りてきた。
ボロを着た、猿のような姿の魔物は、醜悪な顔で四人を睨みつけ――その目が怪しく光った。
「!」
見てはいけない、そう思った。
だが――昏く淀んだ目から放たれた光を浴びた瞬間、四人の意識は沈んでいった。




