087:禁忌の魔法
アイリスは、すう、と息を吸って立ち上がり、前に一歩進み出た。静かな声で、女性に話しかける。
「あなたは……一体……?」
「ちょ、ちょっとアイリス!」
慌ててマリラがアイリスを止めるが、アイリスは首を振った。
「人は死んでも、幽霊なんて救われないものになることはありません。命あるものは、聖龍の意思が守ってくださるから」
そうして、胸に手を当てる。
「ですから、私は幽霊を信じていません。でも、あなたがもし、苦しんでいるのであれば……私は神官です。何かお手伝いできることがあるかもしれません」
そう、女性の目を見て告げたアイリスに、ジェスとライは感動さえ覚えた。この状態で、揺らがない彼女の信仰に。
ジェスは特に信仰に厚くないが、確かにこの女性は一行を助けてくれた。彼女が幽霊だったとして、取り殺されるとも思えない。
「そうだね、アイリス。……あの、改めて助けていただいて、ありがとうございました。僕達はこの嵐で、この屋敷に逃げ込んできたのですが、この屋敷のこと、教えてもらえませんか?」
「……あっ」
ライは、そこで気が付く。
「もしかして、あの廊下の肖像画の女の人……」
女性は静かに頷く。透けているので、強い光に照らしてしまうとよく分からないが、春の花のような桃色の髪をしている。
「……私の話を、聞いて頂けますか?」
ジェス達は――マリラもまだ震えながらではあったが、頷いた。
「私の名前はピア。生きていた時は、この屋敷に住んでいました……」
生きていた時。予想していた言葉ではあったが、改めて聞くと、何と言っていいかわからない。
「えーっと、あなたは……死んでいるんですか?」
適当な言葉が見つからず、直接的な表現でジェスが尋ねる。ピアは、複雑な表情をした。
「生きているとも、死んでいるとも言えるかもしれません……。私にも詳しいことは分からないのです」
「はあ……」
「私の夫は、魔法使いでした……。皆さんは冒険者だと思いますが……禁忌の魔法、というものをご存知でしょうか?」
「えーと」
ジェス、ライ、アイリスはマリラの方を見る。魔法のことなら、マリラが一番詳しいのだが。
「えっ? ええ、知ってるわよ……命に関する魔法のことね」
相手の命に直接干渉する魔法。
失われた命を生き返らせる魔法。
人の手で命を作り出す魔法。
それら、命に関する魔法は、禁忌とされており、神聖魔法に存在しないのはもちろん、古代語魔法でも扱ってはならないとされている。
「はい……。私は確かに、ここで息を引き取ったはずです。しかし、気が付いた時、私はこの廃屋で、この姿でここにいたのです……」
「どういうこと……?」
「私にその間の記憶はありません。ですが――私の夫は、強い魔法使いでした」
「まさか」
マリラがはっとする。ピアは、顔を覆った。そこには存在しない涙が、宙に消える。
「夫は、私を深く愛していたのです」
ピアは、かつてこの屋敷で、夫と、二人の子供と共に暮らしていたのだという。魔法使いの夫は非常に人付き合いを嫌っており、人の街から離れた場所にこの屋敷を構えていた。
しかし、ピアは病に倒れた。夫は手を尽くしたが、しかしピアは帰らぬ人となった――はずだったのだ。
ところがピアはある時、この屋敷で目を覚ます。しかしその時には屋敷は荒れ果てて誰もおらず、魔物だらけになっていたし、ピア自身も半透明のこの体になっていた。
「ピアさんは、この屋敷にいて、魔物に襲われなかったの?」
「魔物は私を襲わないようです」
「うーん。ピアさんのことは、魔物は命あるものとして認識してないのかな」
ライはそこまでの話を聞いて、記憶を探る。しかし、貴族でもない魔法使いのことまで知らない。
「えっと、アンタの生前の記憶があるのって、何年くらいだ?」
「ガルドラ王歴二十一年です。今は何年なのでしょう」
「まだ父上……や、ガルドラ王が現王だよ。ってことは、アンタが死んだのは今から六年前か……」
思っていたよりは最近のようだ。
「じゃあ、お子さんや旦那さんも、生きてる可能性高いんじゃないの?」
ピアは俯いた。
「そうかもしれませんが……私は死者のはずです。今の彼らに会うべきではないでしょう。それに、私はこの屋敷から出ることはできないのです」
「どうしてですか?」
「屋敷の敷地から離れると、私は意識を失い、気が付くとここに戻されているのです」
マリラは、ピアと仲間達の会話を聞きながら、ピアの今の状態について考えた。
禁忌とされている命に干渉する魔法は、本来ならば存在しないものだ。
命は聖龍が創り出したものである。光、闇、風、地、炎、水の六の龍が創り出した世界の在り方に干渉する古代語魔法は、命に干渉することはできない。――だが、疑似的に、命のようなもの、を作り出すことはできる。
そもそも、この世界に存在する命は大きく三つに分けられる。
世界を創り出した龍を始祖とする、竜。
聖龍に創り出された、人間や動物、植物など全ての、命あるもの。
そして、正確には命とは呼べない、力の歪みから生まれた魔物。
世界を記述する言葉である古代語を操り、力の歪みを作ることで、魔物を生み出すことは可能だ。例えば、魔法学園のアルバトロは、自分で配下の魔物を作り出していたし、修道院に封じられていた屍竜の呪いも、呪いによって対象の中に力の歪みを作ることで、魔物化させていた。
ピアも恐らくは、魔物化しているのに近い状態なのだろう。こうして彼女の思念のようなものが抜け出し、彷徨っているというのは驚きだが……。
「推測でしかないけど……恐らくこの屋敷の中に、ピアさんを今の状態にしている魔法の大元があるんじゃないかしら。だからピアさんは、屋敷から離れることができないんでしょうね。そうすると、いくら人の住まない屋敷といっても、魔物が多すぎることの説明がつくわ」
何らかの魔法がこの屋敷の中で発動している。それにより、力の歪みが発生しやすい状態になっているのだ。
「修道院の周りに、魔物が多く出た時と同じですね……」
「そうね……」
ピアは、涙を流して、一行に頭を下げた。
「あなた方にお願いするしかありません。どうか私を……この呪われた姿から解放してください。愛する家族と暮らしたこの屋敷が荒れ果てていく姿を見せつけられたまま、どうすることもできず、私は彷徨うばかり……どうか、お願いいたします」
懇願するピアに、ジェスとアイリスは仲間を振り返る。
「……あの、私……」
「……皆、ここは危険な場所だけど……僕は」
「あーあ、どうするよ?」
ライはマリラを振り返る。
アイリスは神官として、命を冒涜された状態の彼女を救わずにはいられないだろうし、ジェスは困っている人を放ってはおけない。
そのことはライも、そしてマリラもよく分かっているだろう。
マリラは、うう、と唸ったが、やがて大きなため息をついた。




