085:嵐の夜
激しい風が吹き荒れ、強い雨が叩きつける。
「う、うう……」
「不味いな……」
嵐の中、一向は必死に進んでいた。体の小さなアイリスは、ライとジェスに挟まれて守られるようにしながら歩く。
スケールの村を出て二日、北西のウィンガの街を目指して進んでいた一向は、道中で急な嵐に遭っていた。
砂地の多いこの地域では、身を隠せる場所もない。何とか休める場所まで行こうとしているのだが、一向に岩影や林など、雨風を避けられそうな場所が見つからない。
また雷が近くに落ちた。空気を裂くような激しい衝撃。
「きゃあっ」
アイリスは耳を塞ぐ。
さすがにこの暴風の中、魔物も襲ってはこないが、この状況はかなり危険だった。
さっきから嵐は弱まる気配はなく、目を開けるのも辛い。顔の前に腕をやりながら、視界をどうにか確保して進んでいると――不意に、明かりが見えた。
「ん……何だ、家……?」
この雨のせいで、近くまで来ないと気付かなかったが、ぽつんと、大きな屋敷が建っていた。こんな人里離れた所に屋敷があるとは思えず、幻ではないかと目を疑うが、互いに同じ顔をしていたことから、その屋敷が実在することを知る。
「明かりが点いてるなら人がいるはずだ、あそこまで頑張ろう!」
「ええ!」
一向は、明かりの方へと必死に向かっていく。落ちた雷が、屋敷を一瞬照らし出した。
「ふええっ!」
扉を開け、なだれ込むように四人は屋敷に入る。勝手に入ってしまったが、この風の音では、扉を叩いたところで家主が気付くとも思えない。
「中、真っ暗ですね?」
アイリスが、震えながら言う。ずぶ濡れの髪をきゅっと絞った。水がぼたぼた落ちる。
「うーん……明かりがついてたの、二階だった、かな。ごめんくださーい、誰かいませんか?」
ジェスは呼び掛けたが、返事はない。ライは不審に思った。
寝ているなら、扉の鍵が開いてたっていうのも無用心だ。
いや、それどころか、人の気配を感じない。
「すみませーん」
ライは荷物から輝石を出して、周りを照らした。そして、一同はぎょっとした。
「な、なんだ!?」
照らし出した屋敷の中は――とても人が住んでいるとは思えないほど、荒れていたのだ。
椅子や割れた食器が転がり、床や壁は染みだらけだ。いたるところが埃だらけで、ところどころに蜘蛛の巣も張られている。
「ここ、誰も住んでないんでしょうか……?」
アイリスが、不安そうに辺りを見回す。
「でも、明かりついてたよね?」
「……そうですよね」
「それに僕、窓にちらっと人影が見え……」
「魔物じゃないかしら」
マリラが、ジェスの発言を遮るように言った。
「無人の建物や街には、歪みが溜まるのか、魔物が発生しやすいでしょ」
「魔物? 魔物が明かりをつけるかな……」
「そういうのもいるかもしれないでしょ! ほ、ほら、前戦った火蜥蜴なんか、火を吹いたし――」
どこか必死な様子のマリラに、ジェスはきょとんとする。
「マリラ?」
マリラは、はっとして気付いて、ぷいと目を逸らす。それを見て、ライがニヤリと笑った。
「……もしかしてお前、幽霊、怖いのか?」
マリラは、無言でライの脇腹に拳を入れた。
ライは脇腹を軽く擦りながら、顔を赤くしたマリラを含み笑いをしながら見た。
「ま、不気味っちゃあ不気味だけどな、ここ」
「うるさい」
幽霊ねえ。俺は、生きてる人間の方が、よっぽど怖いと思うけど。
遺跡の探索にも、巨大な魔物にも怯まないのに、妙なものが苦手らしい。
それはさておき、これからどうするか、ライは考える。
マリラの言う通り、ここが無人の屋敷なのだとすれば、魔物がいる可能性は高い。しかし、外は相変わらず激しい嵐だ。
それを言うと、ジェスも同じように考えていたらしく、頷いた。
「……嵐が過ぎるまで、屋敷の中にいるしかないね。一応は魔物に警戒して、交代で見張りをしよう」
「そうね……きゃあっ!」
近くの窓ガラスが、急に割れた。マリラはびくりと飛び上がる。
「……木の枝が風で飛んできて割れたみたいだね。ここ、窓ガラスが多いし、危険かもしれない。風も入ってくるし、もう少し、奥まで休めそうなところを探そう」
ライは輝石を掲げた。暗く長い廊下が続いている。割れた窓から入る風が響いて、唸り声のような不気味な音を立てた。
一行は、遺跡などを探索する時同様に、周囲を警戒しながら、廊下を進む。
「……しかし、妙だよな」
「何?」
「この荒れ具合、結構、何年も放置されてた感じだろ?」
普通、魔物の発生を防ぐため、無人の建物は焼き払うか、人を雇ってでも住まわせたりするのだ。普通、領主が責任を取って管理するのだが……。
「この辺の領主って、誰だったかなあ……」
「田舎だから適当なんじゃないのかな?」
「その領主の管理が適当なのは、国の責任でもあるけど……。おっ?」
ライが声を上げる。黙って進んでいたマリラも、明らかにびくっとしていたが、そこは突っ込まない。
「や、肖像画だよ、ほら」
ライが、壁に張られた絵を指し示す。屋敷の主のものだろうか、家族全員が描かれたかなり大きな絵だ。
「ああ、何、急に人影が見えたから驚いただけよ……って!」
マリラは絵をよく見て、改めて背筋を凍らせる。ジェス、アイリス、ライも、マリラの視線を追って絵を改めて確認し、ぞくりとした。
絵の顔が、黒く塗り潰されている。
絵に描かれているのは四人。並んで立つ、金髪の男性に、薄い桃色の長い髪の女性は夫婦と思われた。 その子供らしい、男の子と女の子。子供二人は紫色の髪だ。そのうち顔が潰されているのは、夫と子供二人だった。
「……これは、マジか……」
ライもさすがに、この絵からは怨念めいたものを感じて、寒気がした。
顔が潰されているため、よく分からない三人はとにかく、妻らしい女性の顔を見る。若く美しい女性で、穏やかな笑みをたたえている。
これ以上は何も分かりそうにないので、先へ進もうとした時だった。
「……何か、聞こえない?」
ジェスが言う。風や雨の音に混ざって、何かが近付いてくるような、音が。
ひそひそ、かさかさ……と、人の話し声のような音にも聞こえる。
「……嫌な予感しか、しないわ」
マリラは〈火〉の呪文を唱えた。杖の先に炎が灯され、自分たちの後ろの廊下を明るく照らし出す。
そこには――大量の口があった。
ぼんやりとした霞のような中に、口だけが浮かんでいる。牙を剥き出し、迷い混んできた獲物に、舌なめずりしている。
いつの間にか集まり、潜んでいた魔物たちだった。
「――っ!」
マリラが悲鳴を上げると共に、魔物は一斉に襲いかかってきた。




