083:珍味
水晶の洞窟を出て、クロウの街に戻った一行とジルは、ジルの店に向かった。すると、その店の前に、一人の男が立っていた。その男性の顔を見て、ジルの顔が青ざめる。男性はジルに話しかけた。
「おお、ジル。ちょうど良かった」
「し、商会長様。あの、ついに良質の水晶が手に入りましてですね、これが売れれば借金はすぐにでも返せますので、もう少しお待ちください……」
そのやり取りを聞き、ジェス達一行はすぐに事情を察する。微妙な雰囲気になったので、商売の話をする二人から目を逸らす。
「まったく、あの洞窟にこだわるのもいいが、まずは店を開けるようにすることだな。後ろの彼らは護衛かね?」
ジルが汗を流したまま答えないので、仕方なくジェス達が代わりに頷いて返事をした。
「おい、ジル」
ギルド商会長の男は、ジルを見下ろす。不思議なもので、商会長はそれほどジルと変わらない背丈のはずなのに、ジルがすごく小さく見えた。
「冒険者を雇うのはいいが、報酬は払えるのかね?」
「そ、それはこの水晶が売れたらお金が」
「しかし、お前の店の水晶は極めて珍しい高級品ばかりだ。売れれば大きいが、買い手が付くまでに時間がかかるだろう」
それを聞き、ライがジルを睨む。
「前金なしの後払いでもいいとは言ったが、報酬がいつ入るか分からないとは聞いてねえぞ」
街に滞在するだけでも、宿代がかかるのだ。
「そ、それは、あの……」
冷や汗を流すジル。商会長は、ふむ、と顎をつまむ。
「仕方ないな、では君たちの報酬は私が立て替えておこう。その代わりと言っては何だが、一つ頼まれてくれないかね」
「納得いかねえ」
ライは、ぶつぶつ言った。
「あの親父、金を出したみたいな雰囲気だったが、それはあくまでジルが払うはずだった分だろ。俺らにとって、今回の件はタダ働きじゃねえのか」
「まあ、こっちにも落ち度はあるのかしらね……」
マリラは、ため息をついた。
ギルド商会長が、報酬を立て替える代わりに、ジェス達に依頼したのは、水晶の鉱山を隔てて北にある、村の様子を見に行くことだった。
その村、スケールは小さな農村なのだが、クロウの街とは、細い山道で繋がっていて、定期的に品物のやり取りがある。しかしそれがここ一週間、ぱったり途絶えてしまっているのだ。
「こちらから送った商人がいつまでも帰ってこなくてな、様子を見に行ってほしいのだ。あくまで様子を見るだけで構わない」
商会長にそう言われ、一行は、鉱山を東回りに迂回して、村を目指していた。
なお、道案内にと、ジルも同行させられている。岩山の道は、崖のような場所などもあり、知っている人間が案内した方がいいだろうと言われたのだ。
「商人の方が帰ってこないって、ひょっとしたらかなり危ない魔物が出たってことかもしれないですよ? ジルさんは大丈夫なんですか?」
「まあ、商会長には、その、かなり借金をしていまして、逆らえなくて……」
「でも、今回の件で借金が増えたんですよね? 大丈夫なんですか?」
アイリスは気遣って言ったが、そのストレートな物言いにジルはがっくりと項垂れた。
「ちなみに、皆さんは、これからどうするんですか? ずっとクロウの街にいるわけでもないのでしょう?」
「うん、旅をして色々回りたいと思ってるからね、どこに行こうかは決めてないけど」
ジェスが陽気に言うと、ジルは少し考えた。
「そうですね。少し遠いですが、ずっと北西に向かって、ウィンガに向かうのは面白いかもしれませんね」
「ああ、あの街なら、マリラは楽しいかもな」
ジルの言葉に、ライが頷く。
「何があるの?」
「本が多い街ですね。国の図書館があるんです」
「いいわね。ディーネの図書室とどっちが大きいかしら」
そうして、話しながら歩いていると、急に、前を歩いていたジェスの動きが止まった。
「ん? どうしたの、ジェス……」
ジェスは硬直したように動かず、答えない。
不審に思っていると、ジェスの前の空間が、微妙にゆらいだ、ように見えた。
「……?」
よく見ると、透明な壁のようなものが前にあるような……。
ライ、マリラ、アイリスはその壁を見上げ――悲鳴を上げた。
「うわあ、スライム!」
巨大なスライムが、行く手を塞いでいた。
家ほどもあろうかという巨大スライムは、ぷるぷると震えながら、透明なスライムに気付くことなく、ぶつかってきたジェスを内側に取り込み始める。
「ジェスーっ!」
不味い。食われる。というより、ジェスは顔からスライムに突っ込んでしまっている。窒息する!
ライは風切りの剣を抜き、素早くジェスの周りを切り裂いた。半分スライムに埋め込まれたジェスを引っ張り出す。ジェスはぐったりしていた。
「おい、しっかりしろ!」
「ライさん、前!」
ぷよおおん、と巨大スライムがのし掛かるようにして、ライ達を押し潰すように転がってくる。
アイリスが〈護り〉の呪文で壁を、マリラが〈火球〉をぶつけて、巨大スライムを後ろへ吹き飛ばそうとする。ライはその隙にジェスを抱えて後ろへ下がった。だが、スライムにはほとんどダメージはないらしく、大きな体がぷよりとへこんだだけだった。
「やべ、ジェス、息してないぞ!」
ねばついたスライムの粘液が鼻やら口やらにたっぷり入ってしまったらしい。急いでスライムの粘液を吐かせる。
「おえ、ゲホッ」
咳き込むジェスは、その場に倒れたが、とりあえず呼吸は回復したらしく、ぜえぜえと荒い息をしている。
「大丈夫ですか!」
「う……うう……ま……」
ジェスはぐったりとしたまま、小刻みに震えている。
「……ま、不味い」
「……。」
毒にやられたなら治療もできるが、これはどうしようもない。アイリスは静かに水を差し出した。
ジルとアイリスが、ジェスを介抱する横で、ライとマリラは、細い山道いっぱいを塞ぐ、巨大スライムを見上げた。
「こんなんが道を塞いでたら、そりゃ行き来できないな……」
「そうね……」
さて、どうするか。
しかし放置していると、またジェスのような犠牲者が出ないとも限らない。
「……やるか」
「ええ」
ライは剣を、マリラは杖をそれぞれ構えた。
それからひたすら、彼らは攻撃を続けた。
巨大でも、所詮はスライム。
動きも遅いし、のしかかってくるのさえ避ければ、どうということはない。
端から切り、焼き、刻み、巨体をどんどん削っていく。
途中からは回復したジェスも加わり、時々アイリスの魔法で体力を回復しながら、ひたすら戦闘――というより、うんざりするような作業を続けた。
スライムが全て解体されたのは、日がとっぷり暮れた頃で、全員が疲労困憊していた。
「うりゃああ! 調理終了!」
汗だくでやけくそになったライが、どす、と突剣を巨大スライムだったもの、に突き立て叫ぶ。
「調理とか言うな!」
「本当に不味いのよ! 本当なのよ!」
同じく汗だくでボロボロのジェスとマリラが、八つ当たりで言い返した。
マリラ「スライムが不味いことについては、1話・60話も参照」




