080:夜明けの風
舞踏会に招かれていた貴族達も、順々に馬車で帰り、さっきまでの賑やかさが嘘のように、王城は静まりかえっていた。
その静かになった王城の庭を、アルロスは歩いていた。
「……よ、アル」
声をかけられ、アルロスは立ち止まる。木の陰に隠れるように、ライは立っていた。
「悪いな、呼び出して」
「……。全く、お前は……」
アルロスは、ライの恰好を見てため息をついた。
その恰好は、先程までの王族の礼服でもなければ、夜着でもない。この城に忍び込んできていた時と同じ、冒険者の服だった。その恰好を見れば、聞かずとも、どうする気か、分かった。
「出て行くのか……」
「ああ」
「もう……この城にお前の居場所がないなんてことはないのに、か?」
ライは何も答えず、星空を見上げた。
芝生に腰を下ろしたライの横に、アルロスも座る。レオンハート王子は小さい頃からやんちゃだった。昔はよくこうして、城を抜け出して遊んだ。乳兄弟で幼馴染のアルロスと、そしてアルロスの弟のセルビィと。
「最後にお前に謝らないといけないと思ってな」
「……レオン、セルビィのことは、お前のせいじゃない」
「セルビィが死んだのは俺のせいじゃなくても、それから逃げたのは俺だ」
「……あの時はああしないとお前の命が危ないと思ったんだろう! それだけじゃなくて、お前は……本当は、俺の命のことも考えたんじゃないのか……」
「買いかぶりだな」
アルロスは、ライの肩を掴んだ。強く、痛いくらいに。
「あの時……どうして……どうして、俺を……連れてかなかったんだよ」
「合わせる顔が、なかったんだ」
ごめんな、と。
ライは、アルロスの腕を掴み、自分から離させ、謝る。本来なら、こんなことで、王子であるレオンハートが、自分みたいな臣下に頭を下げるなんてありえないのに。
ああ、と思う。
(貴方の言う通りだ……ファルトアス殿下)
この友人は、王とならなくても、宮廷の生活には向かない。
アルロスの一族は、レオンハート王子の母の実家であるエムロイド伯爵家に代々仕えている。
エムロイド伯爵令嬢が側室として王城に上がり、レオンハート王子が生まれた時、アルロスの両親も共に王城で仕えることとなった。
レオンハートと同い年のアルロス、そして弟のセルビィは、当然レオンハート付きの従者として育てられた。
レオンハート王子には兄弟がいたが、王位継承のライバルとして見られることが多く、共に遊ぶことが許される雰囲気ではない。レオンハートは、アルロスやセルビィと城を抜け出しては遊んだ。そんな時は大体、アルロスが怒られていた。
やがてアルロスは剣の腕を認められ、護衛としてレオンハートに仕えることになり、そしてセルビィは、身の回りの世話をする従者として仕えることになった。
そんな折――来年でレオンハートが成人するという年になって――セルビィが毒殺された。
本来ならレオンハート王子が食べるはずの食事に、毒が仕込まれていた。それが何故セルビィの口に入ったのか。
従者として、主の口に入る物の、毒見をした――のではないだろう。そんなの、レオンハートが許すはずがない。
大方、一人で食事をすることを好まないレオンハートが、友人として食事を共にしようとしたのだ。普通なら、従者と主人が同じものを食べることなどないのに。
そして――レオンハートは、責任を感じて城を出て、行方をくらました。魔物が跋扈する外に出るなんて、その方がよほど危険だというのに。
「馬鹿野郎……!」
アルロスは震えながら、ライの顔を上げさせた。
どれだけ心配したと思ってるんだ。
だが、あれだけぶつけてやろうと思っていた恨み言の数々は、喉につかえて出てこなかった。
ただ、涙が零れた。
弟に続いて、親友であり、主であるレオンハートまで失って――絶望したアルロスを救ったのは、レイチェラだった。
「レイチェラ様は、かなり早い段階で、オロンが犯人だと睨んでいたんだろう。自分を、取り立ててくださったのは、責任を感じてなのだろうな……」
「そうか……」
当然ながら、オロン・ロンドベルは、レオンハートを探したはずだ。その際、親しかったアルロスが狙われないとも限らなかった。レイチェラの側に引き込めば、その心配はない。
レイチェラのことを、多くの人間は厳しいと思っているようだが、情に流されやすく、甘いところがあるのだ。そうでなければ、貴族でもないアルロスを、身内が暗殺された程度のことで、特別取り立てはしない。
「……姉上と、兄上のこと、宜しく頼んだぜ」
「レイチェラ様はともかく、ファルトアス殿下は、お前に頼まれるまでもないお人だと思うが……そうだ、これ、ファルトアス殿下から預かってきた」
そうしてアルロスは、ライに包みを渡す。開いてみると、そこには、細身の美しい剣があった。
普通の剣よりやや短いが、短剣よりは長い。そして何より、鍛えられた鋼なのに、驚く程軽かった。
「これは……」
「ドラゴニア流剣術の利点を最大に活かすことのできる、風切りの剣と呼ばれる一品だそうだ。ファルトアス殿下が剣術でレオンとレイチェラ様に勝って王になり、慌てた貴族達がよってたかって献上した品の一つだそうだが」
「まあ、兄上には要らないよな……」
いい剣だ。今使っている短剣よりは、本来の剣術の動きを活かすことができて、ライには使いやすいだろう。
有り難く貰っておくことにして、腰に差したところで、ふと気づく。武器をくれる、ということは。
「兄上は、俺が城を出てく事を、承知してるのか?」
「ああ、見越しておられたよ……というより、竜の秘薬を使い切ってしまったことを陛下に知られないうちに、出て行った方が、身のためだと仰っていた」
「……。」
「陛下が上機嫌のうちに、王位継承式を行いたかったから、空瓶は元の場所にひとまず隠したそうだが……」
ライの顔がやや引きつった。
ライは勢いをつけ、鉤のついたロープを放って塀に引っ掛けた。
忍び込んだ時と同じように、ロープを使って塀をよじ上る。そして、最後にちらり、と後ろを振り返る。
アルロスは苦笑して軽く手を振った。早く行け、と。
そしてライは――塀を飛び降りた。
す、と音もなく着地したライを、先に外に出ていた仲間達が迎える。
「……悪い、待たせたな」
「ううん。じゃ、見つからないうちに、行こうか」
ジェス、マリラ、アイリス、そしてライの四人は、城下街を走っていった。
東の空はすでに白みかけている。爽やかな風が、彼らの間を吹き抜けた。