008:見張り番
青竜の川を渡って、一行は北西に進んだ。途中、何度か魔物と戦闘になる。それほど荒れた土地でもないが、それでも大きな町から離れているからか、冒険者の街の周辺よりは魔物が多い。
「今日はこの辺で休もう」
まだ明るいうちから、ジェス達は野営の準備を始めた。暗くなると危ないというのもあるが、早いうちから休んでおかないと、各自の睡眠時間が取れない。
外で寝泊まりをする場合は、魔物の襲撃に備え、交代で見張り番をすることになっているので、それぞれは休憩しているうちの半分くらいの時間しか眠ることができないのだ。
「今日は私とアイリスが先に起きているわ。私たちは魔法を使ってないし」
「ありがとう。じゃあ、先に休むよ」
そう言ってジェスは地面の上に横になると、数秒で寝息を立て始めた。ライはそれを見て、相変わらずすごいな、と思う。
このパーティの中で一番寝つきがいいのはジェスだ。昔から冒険者の両親に連れられていたため、どんな場所でもすぐに眠れるようになったのだという。
「まあ、俺も結構疲れたしな……」
ライは荷物を枕にし、上着で寝床を作ってからその上に横になった。
その晩は静かだった。
焚き火が消えないように時々枝をくべながら、マリラは向かいに座っているアイリスを見ていた。さっきからずっと手を組んで祈りを捧げている。
「神官って、すごいわね」
「え?」
「さっきからずっと祈りを捧げているから。……アイリスが特別、真面目なのかしら」
「そんなことないですよ」
そう言って照れるアイリスに、マリラはふう、とため息をついた。アイリスは小さい頃からずっと修道院で修行をしていたという。修道院を出ても、こんな冒険者として、それこそ森で寝るような生活をしているのだ。普通の女の子らしいことをしてきた様子がないのが、マリラは少し気の毒に思っていた。
「やっぱり修道院じゃあ、恋愛なんか禁止でしょ?」
「え……ええっ!」
恋愛と聞いた瞬間、アイリスは分かりやすく顔を真っ赤にした。
「わ、私は修行中の身ですから」
「好きな人とかいなかった?」
「いないですよ、そんなの」
慌てたアイリスは、マリラがにやにやと笑っているのを見て、からかわないでくださいと言った。
「マリラさんは、その……好きな方とか……」
「いないわね」
「……魔法学校でも、ですか?」
「特には」
素っ気ない答えに、アイリスはむう、と頬をふくらませた。
ジェスとマリラが、すやすやと寝息を立てている。
マリラと交代して見張り番をしているライは、同じく見張り番を続けているアイリスに話し掛けた。
「なあ、ちょっと教えてほしいんだが」
「何ですか?」
「俺の考えでは、恋愛をすることは、聖龍の教えに反さないはずだけど、違うのか?」
アイリスは再び顔を真っ赤にした。
「起きてたんですか……」
「俺はジェスほど寝つきが良くねえよ……」
マリラにからかわれてアイリスが大きな声を出したので、ライは目が覚めていた。面白そうな会話だったので、そのまま寝たふりをしていただけだ。
「だって結婚しても子供が生まれても、その度に教会で祝福してもらうわけだろ? それでなんで恋愛禁止なんだ」
「え? あの、それは……確かに、禁止はされていませんけど。ただ、その、龍の声を聞く修行にはそれ相応の集中が必要で……」
アイリスはもごもごと言う。
「ま、恋愛は禁止できるもんじゃないけどな」
肩を竦めて知ったようなことを言うライに、アイリスは尋ねた。
「……ライさんは、好きな人はいたんですか?」
「んー? 昔はモテたんだぜ」
「はあ……」
悪戯っぽく言うので、冗談なのかどうか判断がつかない。
すやすやと眠るアイリスの横で、ジェスは静かに剣の手入れをしていた。
「お前は恋愛とか縁がなさそうだよな……」
「ライ、何か言った?」
とはいえ、こういう誠実なタイプが最終的には一番モテるのだろう。剣の腕も立つし、正直悪くはない。例えば、自分に妹や女友達がいたとして、その相手として自信を持って紹介できる――そういう男だと思う。
「ジェスは、恋人とかいないのか?」
「急に何?」
ジェスは驚いた顔でライを見た。
「いやあ、話の流れ的に」
「いきなりだと思うけど……もし、そんな人がいたら、こんな風に自由に冒険なんかできないよ」
「なるほどな」
「……というより、僕は根っからの冒険者だから。そういう人を作らないようにしているのかもね」
そんな風に言うジェスの声はほんの少し、気のせいかもしれないが、寂しげだった。
「やー……いや、でも一緒に旅しちゃえばアリじゃねえ?」
「え?」
ジェスとライは、パーティの女性陣二人がすっかり寝息を立てているのを確認し、改めて顔を見合わせた。
「いや……それは……」
ジェスは少し苦笑する。
「さすがにアイリスは……妹みたいな存在かなあ」
「……だな」
それはライも同感だった。
「マリラは……仲間だからね。そういう感情は」
「……。」
客観的に見れば、彼女は美人なのだが。
「マリラは、ライのことどう思う?」
「はあ?」
ジェスからの唐突な質問に、マリラは呆れる。
「いや、二人とも結構気が合っているように、僕には見えるんだけど……」
「……私が寝ている間に、何を話していたのよ」
元を辿れば、マリラが振った話題なのだが、それはお互いに知らないことだった。
マリラはふう、とため息をついて、流れる金髪を手櫛で整え始めた。
「それは仲間だもの。だけど、ジェスやアイリスに対しても同じでしょう、それは」
「うん、そうだね」
ジェスはあっさり頷いた。一体何が言いたいのだろうとマリラは訝しがった。
確かに、ライは背も高く、顔立ちもそう悪くない。軽薄な言動をしてみせているが、何となく気品のようなものを感じるので、実は育ちも良いのではないかとマリラは考えている。
客観的にみれば悪くはないが、それで自分が相手に恋愛感情を感じるかといえばまた別の問題だった。
第一、こうして、何日も風呂にも入れずに、一緒に野宿をしている相手にときめくかどうか。
「……。」
「さてと、そろそろ出発しようか」
考え込むマリラをよそに、ジェスは爽やかにそう言った。
話しているうちに、東の空には日が昇り始めていた。ジェスは軽く剣を振るって体を動かす。マリラはアイリスを優しく揺すって起こした。
「おはようございます」
「おはよう、アイリス……さて」
続いてマリラは自分の杖で、ライの脇腹をつついた。
「ぬあっ」
ライは奇声を上げて地面に転がる。
「ほら、早く起きなさいよ」
「……俺は何かしたのか?」
狐色の髪をかき回しながら、ライは眠そうな目でマリラを軽く睨んだ。