079:舞踏会
「お疲れ様、ライ、いい試合だったじゃない」
控室で、鎧を脱いで休んでいたライに、マリラとアイリスが水を差し入れる。ライは憮然として答えた。
「……お前ら、あれ見てたのかよ……」
「見守ってあげてたのに、その言いぐさはないでしょ」
ライはため息をついた。
「疲れた……兄上は凄えよ」
「それはジェスも言ってたわ」
足が不自由という、王位にとっては最も障害となるはずの要素さえ、今のファルトアスには有利に働いているだろう。
足が不自由でさえ、凄まじい努力でそれを乗り越えたのだから。
「ジェスはどうした?」
「レイチェラ王妃とファルトアス王子の試合も見たいって、アルロスさんとまだ観覧席にいますよ……あっ」
闘技場の方から、大きな歓声が聞こえる。試合の決着が着いたのだろう。ライは呟いた。
「……兄上の勝ちだろ?」
「あら、何で?」
「試合に向かう姉上とすれ違ったんだよ、その顔見たら分かった」
最初から、レイチェラは、ファルトアスに王位を継がせる気だったのだろう。だからこそ、急に帰ってきたライを警戒した。
レイチェラは、ファルトアスに王の素質を見出していた。そしてレイチェラ自身は、王になるより、王に仕える騎士でありたいのかもしれない。
考え込むライに、マリラはくすりと笑った。
「何かいいわね、兄弟って」
「ああ?」
「私、一人っ子だし」
反論しようとしたライだが、言葉が出てこなくて黙る。
俺たちは――別に、仲の悪い兄弟じゃなかった。貴族の複雑な力関係に争わされ、果ては殺されかけたが――姉上も兄上も、その手で自分を害したわけではなかった。
反目していると思い込んでいただけなのだろうか。
そこに、ジェスが飛び込んできた。
「ファルトアス王子が勝ったよ! 凄い試合だった!」
頬を上気させたジェスに、ああ、とライは答えた。
「じゃ、ま……そろそろ行くわ、俺」
「はい、後で」
軽く手を上げて出て行くライを、三人は見送った。ジェスはマリラとアイリスに言った。
「良かったね」
「はい、そうですね」
アイリスも頷く。
ライの表情は、随分楽なものに見えた。王族としてのしがらみは自分達に理解できないかもしれないが、仲間として、ライの人生は、ライ自身に選んで欲しいから。
後で、と言ったが、なかなかライは部屋に戻っては来なかった。
「忙しいんじゃない? 次の王になったファルトアス王子ほどじゃないだろうけど、色々と」
「そうだね。それにしても僕達、ここで厄介になってていいのかなあ?」
王の命を救ったということで、ジェス、マリラ、アイリスは今や国賓並みの待遇で部屋を用意されており、却って落ち着かない。王子の部屋は、並みの宿屋よりずっと広いので、そこで休ませてもらっていても充分だったのだが。
「ライが落ち着くまで、城下町の宿を借りとく?」
「そういえば、もともと宿、借りてませんでした?」
「あ、宿代、払ってない」
ジェスとアイリスがのんびり話すのを聞きながら、マリラは窓から外を眺めていた。美しく整った城の庭が見える。
(……まさか生きているうちに、こんな場所に来ることになるなんてね……)
田舎育ちのマリラには、美しい庭園に感動するより、ここは自分の住む世界じゃないというような思いの方が強い。
下を見ていると気分まで下がりそうだったから、マリラが夕暮れの空を見上げていると――急に、バン、と大きな音を立てて部屋のドアが開かれた。
「うわっ、ライ」
「はー、はー……」
突然現れたライは、いつもの冒険者の服ではなく、飾りのついた王族の正装を着ていた。下ろした髪は、綺麗に洗ったのかサラサラだ。金のボタンや紐飾りのついた服は、見るからに高そうで、こうして見るとやはり王子だな、と思う。
走ってきたらしく、ぜえぜえ息を荒げているので様にならないが。
「どうしたんですか?」
「はっ……はは、俺たちは仲間だよな?」
「……。」
ニヤ、と笑うライに、ジェス達は頷くのも忘れ、固まった。
「あのー?」
「皆で舞踏会に出るぞ!」
ライはびしっと仲間に向けて指を差した。
「え? 何? 急に?」
「ああ。次王のお披露目なり貴族との顔繋ぎやらで、今晩、舞踏会をやる。それに出るぞ!」
「いやいや、ライは出るでしょうけど、私達はこの国の貴族じゃないわよ?」
マリラのもっともな突っ込みを、ライは不敵な笑みで流した。
「大勢いるから分からねえよ。服は用意させたから急いで着替えて来いよ、ほら」
「え? は?」
気付けば、ライの後ろには侍女達が控えていた。事態を飲み込めない三人は、あっという間に部屋から連れ出される。
「ちょっと待ちなさいよ、何で私達が……」
「さっきから貴族が延々挨拶に来るし、俺だけが面倒な目に遭うのは嫌だ! 仲間なら同じ苦労を分かち合ってくれ!」
「何それっ? 私は無理……」
マリラは言うが、マリラを連れて行く年配の侍女が、ぽそりとマリラに耳打ちした。
「どうか、受け取っていただけませんか……レオンハート殿下がこのように我儘を言っただけでなく、レイチェラ殿下も皆様のドレスを選んで、乗り気だったのでございます……」
「……。」
そう言われては、もはや抵抗はできなかった。
アイリスは白を基調とした、花柄のフリルがたっぷりついたドレスを着ていた。結い上げた髪には、ドレスと合わせた白いレースのリボンの髪飾りをしていて、お人形のような可愛らしさである。
対してマリラは、夜の空を思わせる、紫紺のドレスを着ていた。シンプルなデザインだが、裾には品よく金の細かな刺繍が施されている。
着付けを終え、出てきた二人を見て、ライはひゅう、と口笛を吹き、ジェスはパチパチと拍手をして褒めた。
「すごいよ、二人とも」
「いや、それは褒めてるの?」
マリラは思わず突っ込んだ。別にお世辞の一つも言われると期待していたわけではないが……。
ジェスもそれなりの礼服を着ていたが、慣れないので、窮屈そうにしている。
「さーて、行くぞ」
ライは、悪戯でもする子供のような表情をしている。
会場である王城のホールに着くと、すでに多くの人がいた。
「ど、どうしよ……」
緊張するマリラに対して、ジェスはのほほんとしていた。
「うーん、でも僕達はこの国の貴族じゃないんだし。あ、あの料理美味しそうだね、食べていいのかな」
「ま、待ちなさいよ」
料理に向かっていくジェスを止めようとしたマリラは、ドレスの裾を踏んでつんのめりかける。ふとアイリスを見ると、ドレスの裾をつまんで静かに歩いていた。なるほど、と真似をして歩いてみた。靴だけは踵の低いものを選んでもらったので、何とか歩けなくもない。
すると、四人の姿を見つけたレイチェラが近付いてきた。
「あ、あの、お招き頂きありがとうございます」
「いいのですよ、皆様は我が国の臣下ではないのですから、畏まらずにいてくださいな。……ドレス、やはりよく似合いますね」
レイチェラに微笑みかけられ、マリラは慌てて礼をした。
「あ、あの、見立てて頂いたと聞いています」
「ええ。実は私、妹にドレスを見立ててみたかったのですよ」
扇を口元に当て、意味ありげに笑った。確かに、レイチェラ王妃には弟しかいないなとマリラは思う。
「あの噂話もあながち嘘ではなかったのですね……」
「先程から言っていますが、姉上、誤解が」
「さてレオンハート、貴方はここで油を売っている場合ではありませんよ。久しぶりに貴方と面会したいという貴族が大勢いるのです。ファルトアスにとっても今日は王を円満に選んだという印象を与えるための重要な場なのです。行きますよ」
「え? いや俺は……」
「皆様、それでは楽しんでいってくださいな」
レイチェラはそう言って微笑むと、ライの襟を引っ掴み、有無を言わさず引っ張っていった。
取り残された三人は、呆然とする。
「ライさん、何がしたかったんでしょうか?」
「……さあ?」
マリラは華やかな舞踏会の会場をそっと抜け出し、中庭のベンチに座った。借り物のドレスが汚れないよう気をつける。
「あーあ……」
慣れない。見立ててもらったドレスは美しいけれど、きついし動きにくい。そもそも、舞踏会自体、根っからの庶民であるマリラには出られるものじゃなかった。
どこかの貴族の娘と勘違いされて何度か踊りに誘われたが、全て断った。
いや、踊れないしね、私……。
そうしていると、こちらにライがやって来るのが見えた。
「何、探しに来たの?」
「あれ? マリラ、何してんだ?」
「は?」
どうやら、ライがここに来たのは偶然らしい。
「もう挨拶挨拶でうんざりだっつの。逃げてきた」
昔から舞踏会はこれだから嫌いなんだと、ライはため息をついた。それがおかしくて、マリラは笑う。
「ふふ。格好は王子様でも、やっぱりライはライね」
「どういう意味だ、それ。……ジェスとアイリスは一緒じゃねえのか?」
「アイリスは修道院仕込みの礼儀作法で上手くやってるみたい。元々貴族のお嬢様だし、可愛がられてたわ。ジェスは、雰囲気が気にならないのね……料理に夢中よ」
その様子が想像できて、ライは笑う。
ひとしきり二人で笑った後、ライは長い息を吐き出した。
「……色々あったな。やっと落ち着いたぜ」
「そうね……」
特にライは、つかえていたものがなくなっただろう。もう、逃げ回る必要はないのだから。
それに思い至り、マリラはそっと尋ねる。
「これから……どうするの?」
「うん?」
「もう、冒険者になって、逃げる必要、ないんでしょ?」
「……。」
ライは、マリラを見て――そして指で軽くその額を弾く。
「痛っ」
「ったく。……な、せっかく来たんだ、しばらくはこっちの大陸を気ままに旅しようぜ。俺はここの国には詳しいんだから、連れてかねえと損だろ?」
「……何よ、もう」
マリラは呆れてため息をつく。
ライがこのパーティから離れるのを覚悟していた自分が馬鹿みたいだ。この放蕩王子は、また城を抜け出して、旅を続ける気らしい。
「俺がここに残ると思ったか?」
「……別に」
そっけない答えに、ライは苦笑した。
王城のホールからは、華やかな音楽が漏れ聞こえてくる。
「まだ舞踏会は終わりそうにねえな。暇だし、踊るか」
「え?」
ライは立ち上がり、月を背にマリラに手を差し出す。
その動作があまりに自然で、マリラは思わずドキリとした。
「舞踏会、嫌いじゃなかったの?」
「嫌いなのは貴族付き合い。踊るのは嫌いじゃねえよ。久しぶりだな」
「で、でも……私、踊れないわよ」
マリラはそう言ったが、ライはマリラの手を少し強引に引いて立ち上がらせる。
「知ってる。ま、エスコートしてやるよ」
「ちょ、ちょっと」
引き寄せられ、転びそうになるマリラの体を支えると、ライは流れる音楽に合わせ、ゆっくりとステップを踏む。
ダンスというのは男性側が上手ければそれなりに形になるものだ。さすが、王子として一通りの教育を受けているライのリードは完璧だった。
マリラは慌ててついていくが、徐々に要領を掴む。そっと見上げると、楽しそうなライの顔がすぐ近くにあった。
ステップに集中するため、すぐに目線を下げたが、何故かその笑顔が焼き付く。
(や、やっぱ慣れない……?)
繋がれた手がやけに温かく感じるのは、夜風のせいだろうか。
月明かりの下の二人のダンスは、曲が変わるまでの短い間、誰にも見られることなく続いた。




