078:王位継承試合
ガルドラ王は上機嫌だった。
長く悩まされていた正体不明の病が、まさか宮廷魔術師の呪いだったと聞いた時は、怒りを露わにしていたが、それでも、気分が良くなったということで、ジェス達をもてなした。
「天晴れだ、レオンハートよ、我が呪いを治すことのできる優秀な者を連れてくるとは! 見事な働きであった!」
「お褒めに預かり、光栄です」
マリラは緊張しながらも微笑んだ。ジェスとアイリスも、曖昧に頷く。しかし、謙遜しすぎるのは良くない。このまま王様に恩を売っておいて、今までかけた迷惑を有耶無耶にしなければならないのだから。
「今日の王位継承試合も期待しておるぞ、レオンハート」
「はっ?」
ライは思わず素っ頓狂な声を上げたが、すぐに取り繕った。
「しかし、陛下、もう体は治られたのですから、無理に次の王を決めずとも……」
「いや。儂がこうして息災なうちに次の王には然るべき教育をせねばならん。お前も成人したのだし、戴冠はまだ先だが、後継は決めておかねばならぬ」
「……。」
王の言葉に、ライは絶句した。
自室で、ライは頭を抱えた。
「マジかよ!」
「もう王位継承試合をするとふれまわってしまったから、今更止められないというのもあるんじゃないかしら……。王様も今回のことで、いつ自分の身に何が起きるか分からないとも思ったでしょうし」
「おいおいおい……」
「その様子だと、やっぱりライは王様にはなりたくないんだね」
ジェスとマリラは笑ったが、ライは二人を薄目で睨む。
「笑いごとじゃねえだろ!」
「大丈夫だよ、ライ」
ジェスはライを励ました。
「何で言い切れる?」
「だって、レイチェラ王女も、ファルトアス王子も、ライのお姉さんとお兄さんで、悪い人じゃなかったじゃないか」
呆けるライに、ジェスは明るく笑顔を向けた。
「ライが王様になりたくないっていうなら、話せば分かってくれる。試合でだって、酷いことはされないよ」
そして、その日の午後――ライは、城の闘技場の控室にいた。
普段では、城の兵達が訓練や、武術大会を行っている場所だ。今日は王家の紋章を刺繍した布が張られ、いつもと違う厳粛な雰囲気だった。
用意された銀の鎧を身に着け、剣の調子を確かめる。鏡のようによく磨かれた刃には、ライの強張った顔が映っていた。
(……お姉さんとお兄さん、か)
レイチェラ王女と、ファルトアス王子は、ライの異母兄弟に当たるのは確かだ。だが、それは、普通の兄弟の感覚とはかけ離れたものに違いないと思っていた。
「レオンハート殿下、時間でございます」
「……分かった」
兵士に連れられ、闘技場の門をくぐる。
正装したライが姿を現すと、闘技場にいた貴族達がどよめいた。彼らは久しぶりに、自分の姿を見るのだ。
そして――反対側の扉から、同じく白銀の鎧に身を包み、剣を携えた、ファルトアスが現れた。右手には杖を持ち、不自由な足を引き摺って、ゆっくりと歩いてくる。
三人以上の王位継承権がいる場合、試合は勝ち抜き戦で勝者を決める。試合順は年齢が下の者からだ。
(決まり通り、まずは兄上と俺が試合をする……。兄上を痛めつけるような真似はしねえ。そして、俺が姉上と試合をする。王位は姉上にやるさ)
昨日手合わせして分かった。レイチェラ相手なら、例えライが本気で戦っても、負けるだろう。こんな茶番は、さっさと終わらせよう。
そう考えて剣を抜いたライに、ファルトアスが声をかけた。
「レオンハート。くれぐれも手を抜くな」
「……?」
「そうでなければ、私が困るからな」
そのやり取りは、広い闘技場では誰も聞こえていない。聞いていたとすれば、近くにいた審判役のジャズデンだけだろう。
左手でファルトアスが細身の剣を抜いて片手で構えた。両者が剣を構えたのを確認し、ジャズデンは下がり、試合開始を告げた。
「始め!」
試合が始まったが、ファルトアスは最初の姿勢から微動だにしない。いや、足が悪いのだから、それも当然だ。
(手を抜くな、つったって……)
最初の言葉に戸惑って相手の出方を伺ったが、このままでは試合にならない。
適当に何回か打ち合って、小手を狙って剣を落とさせる。ライはファルトアスに向かって、勢いを殺しながらも、周りにはそうと見えない程度の速さで剣を振り下ろした。
だが――ファルトアスはその甘い剣を、鋭く跳ね返した。
「!」
咄嗟に剣を握り込む。そして続いて振るわれる剣を、反射的に避けた。その一撃を避けられたのは、魔物相手に実践を積んでいたからこそだ。逆に言えば、訓練を積んでいなければ避けられないほどの、剣速ということ――。
驚愕するライに、ファルトアスはつまらなさそうに言う。
「言っただろう、手を抜くな、と」
予想外の試合の運びに、闘技場はどよめいていた。
ジェス達も、ライの試合を見守っていた。さすがにこの国の貴族達と同じ席というわけにいかず、各隊の兵士隊長達の横で見ていたのだが。
「押されて……ます? ライさんが?」
「……。」
ライが振るう剣はことごとく、ファルトアスに受け止められていた。そしてその隙を突いては、ファルトアスが反撃し、それをライが避ける。まさか足の不自由なファルトアスが、ライ相手に互角に戦うなど、思ってみなかった。
激しく剣のぶつかり合う音がする。ライの額から汗が飛ぶ。
「あの、ファルトアス王子ってそんな実力者だったの?」
「……普通にやれば、ライが勝てる相手だよ」
二人の剣捌きを真剣に見ていたジェスは、マリラの問いに答えた。ジェスは感心して呟いた。
「なるほどね……」
「ちょっと、どういうこと?」
剣士にしか分からない感覚だろう。ジェスは試合から目を逸らさずに、マリラとアイリスに説明した。
「ファルトアス王子の剣技は、ライやエデルさん、恐らくはレイチェラ王妃も使う、ドラゴニア流の剣術じゃない。――反撃に徹した……この試合の為だけの、剣だよ」
ドラゴニア流剣術は、相手の攻撃を避けることを基本とする。それは、魔物や竜と戦うことを前提とした動きだからだ。人間の力より圧倒的に強い力で繰り出されるその動きは、避けるしかない。
その動きは、足の不自由なファルトアス王子には不可能だ。
だが、ファルトアス王子は、魔物と戦う必要はない。
剣を合わせるのは、人生でただ一度――この試合の時だけでいいのだ。
「試合では、魔法を使うことも禁じられているし、矢も使われない。普通の人間と一対一で戦うだけなら、ドラゴニア流剣術の最大の利点である、『攻撃を避ける』必要はないんだ」
武器も同じ物が用意されるならば、間合いも同じだ。
一歩も動かないまま、最小限の動きで相手の剣を受け止め、隙を突くというカウンター攻撃だけで、充分に渡り合える。
「で、でも……」
「うん。それでもライが普通にやれば勝てるだろうね」
剣術の腕だけ比べるなら、やはりライの方が上回るだろう。第一、素早く動けないという相手の弱点を突けば――例えば素早く背中に回って、体を支える杖なり、動かない足なりを狙えば、ライは容易く勝てる。そうすると決めたら、いっそ剣を捨てて体術で戦ってもいいだろう。
ライにはそれだけの、盗賊としての腕があるのだから。
「けど、そうしない……というより、できない。こんな雰囲気の試合で、そんな搦め手は使えないよ」
実践で、賊を相手にするのとは違うのだ。この戦いでは命ではなく、誇りを賭けて戦っている。卑怯な手は使わない。
激しい打ち合いは、なおも続いている。誰もが固唾を飲んで、試合の行方を見守っている。
「でも、ファルトアス王子は、凄い人だね……」
この試合の為だけに、その為だけの剣を、不自由な体に覚えさせたのだ。その苦労は、どれだけのものだったか。
それほど気迫を込めた剣であることは――剣を合わせているライ自身が、一番感じているだろう。
一際高く、鋼のぶつかり合う音がした。
(王となる覚悟、か……)
銀に輝く剣が、飛んでいくのを、ライは見ていた。青い空に、日の光を反射させて回っているのが、やけにゆっくり見えた。
その覚悟を問う戦いなら、そもそも最初から勝負は見えている。
兄上は、この試合に全力で臨んでいた。自分が王となる為に。
俺が王位を継ぐ気なんかないことは知っているくせに、それでも剣を交え、全力で戦った上で勝とうとするのは――王となる為だからだ。
貴族達が、あんぐりと阿呆みたいに口を開けているのが見える。そう、王の資格は、剣の腕こそが全てだと思っている貴族たちに、実力を認めさせた上でなければ、ファルトアスは真の意味で王になれない。
だから、ライも全力で戦って――負けなくてはいけない。
弾き飛ばされたライの剣が、地面に突き刺さった。
「勝負あり! 勝者、ファルトアス第一王子!」
静寂の後――割れんばかりの歓声が闘技場に響き渡った。




