077:王の資格
「しかし、何故なのだ……」
そう呟いたのは、宰相のイースクリフだった。
ヘリプローザを罠にかけるため、ここにいる者は前もって打ち合わせをしてあった。
その中で、イースクリフはこの芝居をすることに、首をなかなか縦には振らなかった。勿論、レイチェラとファルトアスの命令には従ったのだが、ヘリプローザが王家の人間を暗殺しようとするなど、信じがたかったのだ。
「ヘリプローザ、お前は平民ながら、その魔法の腕を見込まれて王城に迎えられた。恩はあっても恨みはあるまい。貴族でないのだから、権力争いにもさほど縁はないはず。次の王が誰になろうと、宮廷魔術師の立場では、大きく違いはない……。何故、このような愚かなことを……?」
その疑問は、この場の誰もが持っていた。
ヘリプローザが誰かに操られている可能性もあるが、それにしても、レイチェラとレオンハートの二人を暗殺して得をする者が思いつかない。
唯一いるとすれば、ファルトアスの側につく者だが、ファルトアスに味方する者で、王家に仇をなそうという者はいない。そういうようにファルトアスは自分の協力者を選んできた。
「……私の目から見ても、ヘリプローザは、王家に忠実であるように思えたのですが……」
ジャズデンはそう言いながら、悔しさに唇を噛みしめた。それは、共に王城で働きながら、このような大罪を犯す者を見過ごしていたことによるものだった。
ジャズデンのその言葉に、ぶるりとヘリプローザは肩を震わせた。
「……忠実、だからこそで、ございます」
「……何?」
ヘリプローザは顔を上げた。その視線は真っ直ぐ、ジャズデンに向けられている。
「今の王家は――ドラゴニア王家は、腐敗しております! 最も王に相応しい者を選ぶといっても、所詮は王の子の中から選ばれるだけ! 真の強者が王となってはおりません!」
「なっ……」
あまりに予想外の言葉に、レイチェラも、ライも驚いた。ライなど、開いた口が塞がらない。ファルトアスは、さすがに小さく目を見張っただけだったが、それでも予想外だったらしい。
「今この国で一番お強いのは、ジャズデン様、貴方です! 貴方こそが王として国を率いるのに相応しい方……」
恍惚とした表情でジャズデンを見上げる、その様子に、ジェスとアイリス、マリラは寒気を感じた。
「で、でも……ちょっと待ってください。ジャズデンさんって、第一兵士隊長ですし、強いんでしょうけど……それで王様になれるんですか?」
ジェスは尋ねた。
ジェスの見立てでは、恐らくジャズデンはあのエデルにも匹敵するほどの剣の腕前だと思われた。
次王を決める試合にもしジャズデンが出れば、今いる王の三人の子に勝つことはあるかもしれない。だがそもそも、ジャズデンに王位継承の試合に出る資格があるとは思えない。
そんなことが可能なら、国中から腕に覚えのある猛者が集まってきてしまうではないか。
「……不可能ではありません」
レイチェラがその疑問に答えた。
「現王が政治を行うことが不可能な状態で、次王に相応しい王位継承者がいない場合、相応しい兵士長が王に立つことが可能なのです……。ここ何代もそのようなことはありませんでしたが、もしその事態となれば、第一兵士隊長のジャズデンが選ばれるでしょう」
「もともと、ドラゴニアは戦争の多かった国だ。政治が軍事と直結していた時代にできた法で、王が急死したが、まだ王の子供が幼い場合など、一時的にでも兵士長が王として立つことで、国の混乱を最小限に抑えるための決まりだった」
レイチェラとファルトアスが説明した。
マリラはなるほどね、と納得した。これについては、以前にライからも説明を聞いていたが、ファルトアスの説明の方が分かりやすい。
「……何だよ」
ライはマリラから視線を感じて呟いたが、マリラは軽く肩を竦めただけだった。
「本当に王になるべきなのは貴方様なのです……!」
うっとりとジャズデンを見上げるヘリプローザは、もはや自分が何をしているか分かっていないようだ。
そのジャズデンは、一瞬戸惑いを見せたが、自分の足元に縋りつくヘリプローザを振り払い、一喝した。
「剣の腕が強い者が王に相応しいだと? 馬鹿な事を言うな!」
「なっ……」
ヘリプローザは、ジャズデンの剣幕にびくりと震えた。そして、自分を拒絶したジャズデンを信じられないという顔で見る。
「王位継承の試合は、王位継承者の腕っぷしを比べるものではない! その者の、王となる覚悟を確かめるものなのだ!」
その言葉に衝撃を受けたのは、ヘリプローザだけではなかった。ライもまた、言葉を失っていた。それを、横にいる仲間達は感じ取っていた。
「王たるもの、国の民の命を預からなければならぬ! 兵を命の危険のある場所に赴かせなければならぬ! 王の命令によって、民は命を賭けるのだ! だからこそ、王が国のために命を賭ける覚悟があるかどうかを、確かめるものなのだ!」
「……。」
ヘリプローザは、分からないというように首を振った。
ライにも、分からない。自分に流れる王家の血筋に、どれだけの価値があるのか。
(王となる、覚悟、か……)
ライはそんなものを考えたことはない。ただ周りに言われるまま、その意味も分からないまま、剣の稽古だけをつけられて。
物思いに耽ったライに、ジェス達は敢えて何も言わなかった。そして、その末の弟を、レイチェラとファルトアスは優しい目で見ていた。
ヘリプローザはジャズデンに連れられて行く直前、ふと一同を振り返った。
「……一つだけ、教えてくださらないかしら」
「……?」
「昨日より、王が呪いにかかっているという噂が流れた……。何故、そのことが分かったのです……?」
噂を流した張本人のジェス達は、顔を見合わせた。
「え、あ、あの?」
ジェスはよく分からず、質問の意図を聞き返そうとしたが、はっとしてマリラがその口を塞いだ。
「あの呪いは……誰にも見破られないと思っていたのに……」
「……それはまあ、俺の仲間の魔法使いがお前なんかより優秀だからだな」
ライは取り繕ってそう言ったが、背中には汗をかいていた。ファルトアスが小さく苦笑しているのが、横目で見えた。
ヘリプローザが連れられて行った後、ライはレイチェラとファルトアスを慌てて振り返った。
一行は、王の寝室に向かった。マリラはガルドラ王の様子を確かめた後、呟いた。
「実に巧妙だわ……」
「それほど難しい呪いということは、この呪いを解くことはできないのでしょうか?」
心配そうに尋ねたレイチェラに、マリラは首を振った。
「強い呪いというのは、それだけ強くその証が現れます。私を蝕んでいた呪いのように……。しかし、この呪いの巧妙な所は、敢えてごく弱い呪いをかけることで、その存在を知らせず、徐々に体力を奪っていくところなのです」
そしてマリラは、後ろに控えているアイリスに微笑んだ。
「私、あの……」
「大丈夫よ、アイリス。私にかけられていた呪いは古代魔法王国の強力なものだった。でも、あんな魔法使いに、アイリスの魔法が負けるわけないわ」
「大丈夫だよ、アイリス」
「駄目でも責められねえさ」
マリラ、ジェス、ライに背中を押され、アイリスは緊張して進み出た。そして、眠る王の上に手をかざし、呪文を唱える。
〈解呪〉の魔法を、今まで成功させたことはない。それでも、生気のない顔で苦しんでいる王の体が治るよう、一心に祈る。
やがて、柔らかな光がガルドラ王を包み、王はゆっくりと目を開けた。
「む……?」
目を覚ました王は、すぐに自分の体が軽いことに気が付く。見慣れない少女が微笑み、自分の手を握っていた。
「失礼いたします、王様」
呪いは解けたが、体力を消耗している王のため、アイリスは〈癒し〉の呪文を唱える。暖かな光と共に、力が沸いてくるのを、ガルドラ王は感じた。
「何と……!」
ガルドラ王は寝台から身を起こす。その頬は赤く、さっきよりずっと顔色もいい。
「良かったですわ……」
レイチェラは涙ぐみ、ドレスの袖で赤くなった目を押さえた。ライも、ほっとして息をついた。




