071:毒の刃
王城で、ジェス達が竜の秘薬を求め、それぞれ戦っていた頃、第一王子ファルトアスの住まう離宮に、深夜にも関わらず、訪れる貴族がいた。
「……ファルトアス殿下、このような時間に何の御用でしょうか?」
真夜中に急に呼びつけられたことを快く思わない、という様子を隠しもしないのは、ロンドベル公爵家の次男、オロン・ロンドベルである。
優雅に椅子に腰かけたままのファルトアスは、机を挟んでオロンと対峙している。
「夜分遅くに人を呼ぶ無礼は承知しているが、そちらもこのような時間に、先触れなく客人を寄越したものでな」
「……何を仰っているのです?」
オロンはそう言ったが、その背に一筋、汗が伝った。
ファルトアスは、机の上に、一振りの剣を置いた。ドラゴニア王家の紋章の彫られた、銀に輝く見事な長剣だ。
「これが何か分かるか?」
「――明日の、王位継承の試合で使う、長剣かと……」
答えながら、オロンは口が渇くのを感じた。
試合では一切の魔法の使用を禁じる。従って、予め魔法力の込められた武器などを使わぬよう、試合で使う剣や鎧は、全て王家直属の職人が、それ専用のものを用意する。
「……そうだ。試合の中、王族に万一のことがないよう、刃を鈍らせた、特別な剣。そしてこれは、明日の試合でレオンハートが使う筈のものだった」
「……。」
オロンは足が震えた。
「――どうだ、せっかくだ。明日の試合に万一のことがないよう、この剣の心地を確かめてみてはくれないか? 剣を握ってみろ」
そうして、剣を突き出すようにする。
ファルトアスは、革の手袋をしていた。オロンは、ごくりと唾を飲み込む。
ランプの明かりに反射し、柄の部分がてらてらとしているのが見えた。毒が塗られている――そう確信した。
何故ならばそれを指示したのは、他ならぬオロンだったからだ。
〈祝福〉の魔法をかけられて輝く剣が、目にも止まらぬ速さで振るわれ、ジェスの前に光の軌跡を描いた。
ジェスは、ベルガとザンドの攻撃を慎重に避けながらも、二人の狙いがアイリスに向かわないよう、時折牽制の攻撃を繰り出していた。一度に同時に二人の相手をするという不利な状況に関わらず、戦いは互角だった。
(どうやらベルガの方は、傷を負っているみたいで、腕をかなり庇っている。ザンドの方は、速いし力も強いけど、動きが洗練されてない)
加えて、ザンドの方は、ジェスの剣を相手にしながら、ベルガの動きの邪魔にならないようにしなくてはいけなかった。
ジェスとライが普段そうしているように、一つの敵を二人以上で相手する場合は、味方同士の剣で傷つけ合わないよう、息を合わせるものなのだ。しかし、ベルガの動きにはそれがなく、ただザンドがベルガを、特にその毒刀を避けているだけなので、身体能力を活かしきれていないというのが正直なところだった。
しかし、それにザンドが文句を言う様子はなく、ベルガの命令にはどんな理不尽なものでも従う素振りである。
「何だい、その光る剣は! 見かけ倒しもいいとこじゃないか!」
ベルガは馬鹿にして笑う。
「くっ」
ジェスは、それがばれたことに唇を噛んだ。
〈祝福〉の呪文を武器にかけた場合、武器は聖なる力を纏う。しかし、それによる効果が出るのは、忌むべき存在である魔物に対してだけであって、実は人間同士で剣を合わせる場合、何の効果もないのだ。
ベルガの嘲笑も構わず、アイリスは三人に向かって、呪文を唱えながら、集中している。
剣がぶつかり、火花を散らす。
そして――不意にアイリスは呪文を唱えるのを止めた。
「もう大丈夫です! ジェスさん!」
「分かった!」
そう答えたジェスは、ベルガの攻撃を避けると、身を低くしてザンドに突進し、剣で足の脛を叩いた。いきなり攻撃に転じた、捨て身の攻撃に、ザンドは避けきれず転がる。だが、ザンドの攻撃に集中したためか、チラリ、とジェスの頬をベルガの曲刀が切りつける。
「はっ――」
ベルガの顔に残忍な笑みが浮かぶ。致死性の毒だ。ベルガはすぐさま、毒を治療されないよう、神官のアイリスに狙いを定めたが――
「させない!」
ジェスはすぐにアイリスとベルガの間に割って入り、その刀を剣で受け止め、激しく打ち合わせた。
「なっ?」
驚くベルガだったが、必死でジェスの剣についていく。しかし、一対一ではジェスの方が動きが勝っており、激しい打ち合いの末、隙をついたジェスの蹴りがベルガの脇腹に決まり、ベルガは廊下に転がった。
「ぐっ……馬鹿な、何で……」
なぜあれほど動いて毒が回らない。ベルガは自分の刀を確かめた。すると、あれほどしっかりと塗っていたはずの毒が消えていた。
そこでベルガは初めて、アイリスのしたことに気付き、アイリスを睨んだ。
「そうか……お嬢ちゃんがね……」
アイリスが、激しく戦う三人に向けて唱えていたのは、〈祝福〉だけではない。毒を消し去る、〈浄化〉の呪文だったのだ。
しかし、戦っている最中に呪文を唱えていれば、何かされていると警戒され、ベルガかザンドがこちらに向かってくる可能性がある。そこで、ジェスに向けて支援の魔法を使っているだけと見せかけながら、実はベルガの刀に意識を集中していたのだ。
広い範囲に魔法をかけ続けて、アイリスはやや疲労していたが、それでもしっかりと立っていた。
「観念するんだ。お前達の雇い主は誰だ?」
ジェスは二人を追い詰める。
ザンドは、足を強く痛め、立ち上がれる状態ではない。ベルガはぎり、と奥歯を噛みしめ、ザンドに命令した。
「あの呪文をかけな!」
「……。」
ザンドは相変わらず無表情だったが、しかし、少し逡巡したようだった。しかし、ベルガが強く睨み、また、ザンドもこの状況がかなり不味い状態と感じたのか、杖を掲げた。
「何をするんだ!」
ジェスは呪文を避けられるよう、身構えた。アイリスもまた、すぐに防御できるよう、〈護り〉の呪文を唱えようとしたが――しかしザンドの杖は、ベルガに向けられた。
呪文をかけられたのはベルガだった。自分達にかけられた呪文なら、ある程度精神を集中して抵抗することもできるが、味方にかける魔法であれば、古代語魔法の心得のないジェスやアイリスには、妨害のしようがない。
それどころか、ザンドが唱えた呪文が何かさえ分からなかった。――もしこの場にマリラがいたら、ザンドの唱えた呪文に耳を疑ったはずだった。
呪文をかけられたベルガは、ギラギラとした目でジェスを見た。そして、傷の痛みを感じさせない恐ろしいスピードで、ジェスに飛びかかってきた。
「!」
ジェスはとっさにその一撃を剣で受けたが、その重さに驚く。さっきまでとは比べ物にならないほど、力が強い。
「がああっ!」
「なっ……」
ベルガの口から洩れたのは、獣のような唸り声だった。その目はただジェスへの殺意だけがあり、理性を感じさせない。
豹変したベルガの様子に、ジェスは困惑した。傷を負っているはずなのに、先程以上の力と速さで、攻撃を繰り出してくる。
急に強くなったベルガの攻撃を、ジェスは受け流すだけで精一杯だった。
アイリスは、ザンドを見る。ザンドはそこから動くことなく、ベルガの戦いを見ている。それは彼が動けないからではなく、下手に動けば、自分まで攻撃されるからだった。
ザンドがベルガにかけたのは、〈狂戦士〉の呪文だった。
その名の通り、呪文をかけられた者は、肉体の限界を超えた恐ろしい力を発揮するが、己が倒れるまで、狂ったように敵を殺し続ける。
どちらのものとも知れない血が、飛んだ。
そのあまりにも壮絶な戦いに、アイリスは言葉を失った。




